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愛に分かたれた二人(日御碕純)

今話の主人公は前話主人公、東御(とうみ)(みつる)の幼馴染、日御碕純(ひのみさきじゅん)です。前話の純目線となります。サブキャラとして東御 (めぐる)三好(みよし)真尋(まひろ)が、名前だけ秋野(あきの)聖羽(つばさ)雅貴(まさき)、満が登場します。

「けっこん?!」

 三好が叫んだその単語に、一瞬クラス中の視線が私たちに集まる。うるさい、と目で訴えると、目の前の男ははっとして周りを見た。

「ご、ごめん。場所変えよう」

「言い出した私が悪かった」

 今度結婚することになったと伝えると、クラスメートの三好は面白いほどに驚いてくれた。結婚なんて一大事だ、もっと自分を大切にしろ、相手は何才で何をやっている人なんだ。……面白いほどにではない、うるさいほどにだ。

 廊下に出た私たちを注視する人はいない。……いないな。仕方がない、事の顛末を話してやろう。まさかこいつがこんなに食いつくとは思わなかった。

「何から聞きたい」

「じゃあスペック」

「東御巡、二十五歳、会社員、かっこいい」

「どうして急にのろけたのか」

「いや、顔は普通。雰囲気がかっこいい」

「違うよ……俺が聞きたいのはそんなことじゃないよ……」

 そこから私は一連の流れを話した。幼馴染で、お互いに好きだということを最近になって知り、巡さんの歳を考え結婚に至ったと。

 本当は、そんなきれいな話ではないのだ。三好にはあまりそういうことを聞かせたくない。三好を信用していないとかではなく、ただこの男に、深くの、女のきれいではない部分を認識させたくないだけだ。

 大体話したあたりで、最初以上に納得のいかないという表情をした三好が言った。

「でもさあ、それにしたって結婚は……」

 言われると思った、私は肩をすくめた。今まで箱入り娘だなんだと言われてきた私にだって分かる。結婚は十七歳の私には早すぎる。特に三好からしたら違和感しかないはずだ。

「まあ日御碕がそれがいいと思うならそうすべきだと思う」

「三好の言ってることは分かる。皆そうだろうし」

「……俺が結婚とか考えられないから言っちゃったけど、色々考えて決めたんだろ?」

「それは、そうだよ」

 かろうじて三好から目をそらす。ああもうこいつに言わなきゃよかった。こんな人間の目を見たくない。

 沈黙が気まずくなる直前、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。私たちは自然に目を合わせ、教室に戻った。


「けっこん?!」

「……デジャブ……」

「えっなんて?!」

「なんでもないよ」

 はあとため息。放課後の部室、親友と言って差し支えない程度仲のいい一つ上の友人、真尋に結婚の報告をする。

「今日秋野と聖羽は?」

「え? あ、そういえば来てないけど……そんなことよりあんたねえ!」

「真尋、家来てよ。全部話したいから」

「……あー、はー、もう!」

 ようやく真尋が椅子に座った。パイプ椅子が錆びた音をたてる。なんだか二人続けて同じ反応をされてしまった。思いながらケータイを取り出し、母親に真尋を連れて行く旨を伝える。すぐにはいとだけ返事が返ってきて、もう一度息を吐いた。

「なによ」

「何が?」

 問い、目線を真尋の方に流す。赤みがかった黒髪、黒目、キツめの二重、化粧気のない肌。髪は二つに分けて肩にかけている。私に髪を染めることを提案したのは真尋だった。私にも、他の人にも、はっきりものを言うことのできる人間。ただ刺すようなことを言うわけじゃない、裏表のなく、美しい人間。

 きれいだ。真尋はきれいだ。

「ため息なんて」

 おめでたいことじゃないの、と、本当に思っているんだか、真尋は背もたれに体を預ける。壁に貼ってある数々の写真たち。今年の合宿は、一応受験生である真尋を除いた私、水島、秋野、そして聖羽の四人だった。来年は幽霊じゃない新入部員が入ってくれるだろうか。「もう卒業だね」口をついて出た言葉に、驚いたように真尋が私を見る。その目から逃れるようにカーディガンの裾をもてあそぶ。真尋がセリフを選んでいる、そこで、チャイムが鳴る。チャイムは時々私を助けてくれる。よかった。私は立ち上がり、コートをはおった。

「……鍵返してくるから」

「分かった」

 間を開けて真尋が言い、私たちは部室を出た。


 夕飯を食べ終わり、部屋に引き上げる。様子を見るに母親は真尋を気に入っているらしい。髪を染めたせいで、本人と会うまでは、私を不良の道に引きずり込もうとしている輩だと思っていたようだけど。

「純」

「何?」

「あんた、結婚って、きれいな話じゃないの?」

「……きれいって?」

「分かるでしょ」

「何が言いたいのか分からない」

「言ってあげようか?」

「……」

 真尋の目を見る。悔しい。顔には出さないが、真尋には分かっているのだろう。だから、開き直ったように、目をそらす。ベッドに座った真尋から、床の私の表情はあまり見えないはずだ。

「それで何があったのよ」

「……別に、特別なことじゃない」

「彼氏がいたってのも初耳だけど」

「付き合ってたんじゃなくて、……向こうがもう二十五で」

「二十五? どういう関係?」

「幼馴染」

「なるほど、そういう」

 それからしばらくお互いに無言だった。何を考えているのか、真尋は腕を組んで私の部屋にある写真を見ている。私はあまり人を撮らないので、行った場所の風景ばかりだ。わざわざ人を撮らなくても、そこに一緒に行った人のことや、その時何があって、私は何を思ったか、そんなことを思い出せる。写真はいい。

 私も何気なく写真を見ていたら、真尋がその中の一枚を指さした。

「ねえ、あれ結構前に行ったって言ってたところ?」

「……よく分かったね」

「まあね」

 ボードの左下に貼られた、ぱっと見ただけだと他との違いは分からないその風景写真。

「何年前?」

「そんなでもないよ。三年ぐらい」

「急にどうしたの?」

「こないだ、母親が、出てきたって言って渡してきた」

「それを貼るのね」

「……彼と、彼の弟と三人で旅行行った時のやつ」

「ふーん。で?」

「……あったこと話すから。ていうか、順を追って説明させて」

「そうね」

 私に折れさせる、この女はずるい。強気な笑みを浮かべる真尋。年齢の違い? ……違うか。

 そして一旦、大体三好にしたのと同じ説明をした。表面的な、起こったこと。

「まあ、そのストーリーはさっきのでなんとなく把握してた」

「……で、巡さんっていうのがそもそもはとこで」

「……はあ?!」

「はとこなんだよね」

「……親戚と結婚するってこと?」

 三好には言わなかったこと、一つ目、親戚であるということ。

 特に理由があって言わなかったわけではないが、世間一般的には言わない方がよかっただろう。巡さんと私は幼馴染ではなく、親戚だ。タブー視されていそうなこの結婚の一番大きな原因は、好きだったからなんてきれいなものではない。それが二つ目。

「前に、真尋は触れないでくれたけど、母さんが私を継がせるつもりだみたいなこと言ってたの、覚えてる?」

「そんな言い方ではなかったと思うけど。覚えてるわよ」

「母さんは数年前、うちの会社の社長になったんだよ。それで……ああ、えっと」

「社長ねえ……」

「離婚してるでしょ?」

「うん」

「それで父親の方についていった双子の兄がいるんだけど」

「……とりあえず最後まで聞くわ」

「本当はその兄に継がせたかったみたいなんだけど、やっぱりそれは無理だし、私に継げって言ってきたわけ」

「うん」

 結婚に至るまで、すんなりと進んだわけではなかった。十七の娘が親戚と籍を入れ、その相手が会社を継ぐなんてことが、世間からよく見られるとは思えない。母親は育ちのせいか、ずれているとよく言われる私から見てもどこかずれているが、それでもきっと自身の評価さえ落ちることは理解できたのだろう。

 母親は私には興味がない。ないことはないのかもしれないけれどたぶんその程度だ。それはそれで構わない。親の理想を押し付けるのが、そんなつもりはないのかもしれないけれど、私に押し付けるしかなかったのかもしれないけれど、他に接しようが分からなかったのかもしれないけれど……。

「……純?」

 真尋の目。もやもやを抑えて私は再び口を開く。

「でも私は嫌だったの、面倒だから。継げる人がいればいいんだし」

「……あんたねえ……」

「それに……巡さん、うちの会社で働いてるから、どうせなら将来って思った。……利用した」

「……」

 真尋は再び黙ってしまった。一気に説明してしまったから理解してもらえるか不安だ。

 つまり私は、面倒事から逃げるために巡さんの思いを利用したのだ。もちろん巡さんのことは好きだった。けれど、こんな風に利用したのは美しい感情からなんかではなく、単純に、それが一番私にとって好都合だったからだ。……大きな犠牲を払うと分かっていても、利益の方を優先した。

 満さんの顔が浮かぶ。

 彼のようなまっすぐな人間になりたかった。ただ純粋に巡さんを思う彼を、私は尊敬していた。なのに、尊敬している人のことを私は取り返しのつかないくらい傷つけてしまったのだ。

「あんたの言ってることは分かった」

 と、真尋が言った。

「巡さん? を裏切ってるみたいで嫌だってことね?」

「そう」

「でも、巡さんはあんたのこと好きだから一緒になってくれて、あんたも好きなんでしょ。きっかけがなんでも、幸せな道じゃないの? って分かってると思ったけど」

「分かってるよ」

「じゃあ、他にもあるの?」

「え?」

「つらそうなのには、他にも」

 つらそうに見えてしまうのか。それがつらい。

 ……もうこの際、真尋には全て話してしまうか。顔を上げ、真尋を見る。また強気な笑みを向けられた。


 幼い頃、私の隣には、巡さんと満さんがいた。初めは親戚の集まりで顔を合わせていただけだったけれど、家も近所で、親同士も仲がよかったのでそのうちいつも一緒に遊ぶようになった。女の子というのは、お兄さんに弱いのだ。

 双子の兄、雅貴とは、あまりに小さい時に別れ、最近高校で偶然再会するまで会わなかったので、小学校あたりまでの私の思い出の中には、二人しかいない。

 大きくなるまで、疑問に思わなかったことがある。満さんが巡さんを恋愛対象として見ていること、私は満さんの敵であるということ。

 どうやら、「普通」ではないらしい。それに気づいたのは三好に出会ってからだった。「俺、女の子そういう風に見れないんだよね。別に隠してるつもりはなかったけど」……三好を嫌がる男子を数人見た。当たり前だと思っていたけれど、男は男を好きになるものではないのだ。普通ではないと気づいてからは、何故私は普通だと思っていたのかと考えるようになってしまった。

 誰の目から見ても明白だった。……と思う。満さんは巡さんを愛していた。

 満さんは、真面目で決まった道を進む巡さんとは正反対で、真面目であれとされることを嫌っていた。そこだけ見れば、たぶん、どちらかと言えば満さんの方が正常な男子とされるのだろうが、満さんの周りはそうは思っていなかったようだ。

 きっと、気味悪がられていたのだ。生まれつき歪な形をした右目に加え、実兄を愛するという異常。

 そんな満さんと仲良くすることは、よくない、と、私も直接的ではないが何度か言われた。「巡くんはいい子よね」。

 巡さんは正しくて、輝いていた。道しるべのような人だった。正しい巡さんが好きだった。

 満さんはまっすぐだった。一途だった。脆かった。正しくない満さんが好きだった。憧れだった。二人で巡さんを困らせては怒られていた、私たちは子供だった。

 ある時、何も知らなかった私はようやく気づく。この人はいたずらが楽しいんじゃない。巡さんを怒らせるのが楽しいのだ。「巡さんは正しい人だった」。私は怖くなった。疑うことを知らない巡さんと、叶わないであろう思いを抱く満さんと、私。

 今思えば、あれが私自身の恋心にさえ気づいてしまった瞬間だったのだろう。

 ああこんな関係じゃなければ、私が満さんを一番幸せにしたかったのに、一番、不幸にしている。

 たまたま、私が女で、巡さんが男だった。たまたま、満さんは男だった。たまたま、偶然、結局それだけだ。でも、その偶然が満さんを傷つけたのだ。私が満さんを傷つけることを必然にしたのだ。


「あんたはきれいよね」

「えっ」

「手に入れたって喜べばいいのに」

「……真尋?」

 真尋は目を伏せ、一瞬うつむいてから顔を上げる。きれいって、何が? 意味が分からず真尋を見るが、真尋は私を見ない。

「普通を押しつけるようなこと、あんたに言いたくないけどね。普通は、十七でずっと好きだった人と結婚することなんてないし、そもそも初恋の人と両思いになることがないのよ。どれくらいの確率だと思ってるの? 運命はあり得ないから運命なの。そんなこと考えないあんたはきれいで、まっすぐだなって思う。……っていうのが感想」

「……でも、満さんは」

「満さんは異常でしょ。あんたが自分で言ったのよ」

「言ったけど、それは周りがそう思ってただろうなってことで」

「叶わない恋だったのよ。それこそ誰の目から見てもね。もちろん満さん本人だって分かってたはず」

「……」

「めちゃくちゃ、すっごく、死ぬほどに傷つくかもね。でもあんたのせいじゃない。満さんはあんたを恨んだりしない。恨めない。ただ一生抱えていくだけ」

「そんなの……私のせいだよ」

「たまたま、でしょ。立場が逆だったら、あんたは相手を恨むの?」

「……そうかもしれないけど」

「私だったら恨めないわ。自分が悪いんだから」

 いつの間にかうつむいていた顔を上げ、真尋の笑みが見えないことに気づく。目も合わない。私に言っているはずなのに、どうしてこちらを見ないのだろう。真尋は、……真尋に、何があったのか、私は知らない。考えたこともなかった。けれど、今まで私に言っていた、言葉。彼氏。考えがまとまる前に真尋は立ち上がる。今度はしっかりいつもの顔に戻っていた。

「じゃ、帰るわ。またね」

「……うん」


 結婚式当日、いつもみたいなパーカー姿でふらっと現れた満さんは、私たちにおめでとうとだけ言って、消えてしまった。もう会えないんじゃないかとさえ思わせる笑顔だった。巡さんは真っ先に追いかけようとして、大人たちに止められていた。こんな真冬にあの恰好じゃ寒いだろうな。私はぼんやりと考え、満さんがいなくなった方を眺め続ける。

「純!」

「!」

 巡さんの声で我に返り、彼を見上げた。

「大丈夫か?」

「うん」

「とにかく、ここまでやって放り出すわけにはいかない。行くぞ」

「……そうだね。満さん、帰ってくると思う?」

「さあな……何考えてんだか」

 ああ。巡さんには一生分からない、と確信する。でもそれでよかったのかもしれない。そんな巡さんだからずっと好きだったのだ。たぶん、満さんも。

「よかった」

「ん?」

「よかったなって」

「……何がだ?」

「なんでもない」


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