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8、どこにもいかないで

 物心ついたときには、というのは大げさだけれど、私はわりと子供のときから自分でご飯を作ってきた。周りの同年代の子と比べると料理歴は長いと思う。小学校の授業で調理実習が始まる頃には、もう一般家庭にある調理器具は一通り使えるようになっていた。

 そうは言っても、最初はいわゆる⚪︎⚪︎の素というのを買って作っていたから、一から手作りというわけではなかったけれど。

 今では結構、レパートリーも増えてきた。それにネットを使えばいろんなレシピが手に入るし。ネットにはいろんな人が日々新しいレシピを載せてくれている。そしてありがたいことに、そういったものは簡単で、時間があまりかからないのだ。



「最初はさ、感心な子だと思ってたがな」

「うん」

「最近はあんまりだなぁと思ってる」


 ミケは私の今晩の夕食を聞いて、心底呆れたという顔をした。

 今晩の夕食は、なんちゃって釜揚げ卵うどん。

 電子レンジで解凍するだけで食べられるタイプのうどんをチンしたあと、卵を割り入れ、ポン酢をかけて食べるというもの。すぐできるからなにもしたくないときにはよく作るメニューだ。

 今日は雨が一日中降っていて、体も気持ちもだるかった。いわゆる梅雨というやつで、この時期はやる気が著しく低下する。だから夕食も、お腹が満たされればそれでいいという気分なのだ。


 日頃も料理をすると言っても、私は基本手を抜きたいのだ。お母さんやお父さんと一緒に食事をするとわかっているときは、カレーや肉じゃがなんかを張り切って作る。でも、自分ひとりのためには、はっきり言って手間も時間もかけたくない。

 だから私が作るものといえば、鮭やササミのホイル焼きだったり、食パンを使ったキッシュだったり、ツナとチーズとケチャップをのせたピザトーストだったり。

 ほかにはミックスベジタブルとハムを使った炊飯器で作るケチャップライスとか。これは次の日に小さく握ってお弁当に入れられるから便利だ。

 とにかく楽がしたいから、いわゆるズボラ飯にこだわっている。


「もうちょっとさ、食べるものに気を使おうぜ」

「お腹が太ればなんだっていいんだよ。美味しいし」

「なんかなぁ、そういう考え方では心は豊かにならんと思うぞ。手間暇かけて自分のためになにかするっていうのは、すごくいいんだ。豊かに生きるっていうのは、そういうことから始まるんだ」


 ミケはキッチンに立つ私のそばで偉そうなことを言っている。猫の姿で毎日出されるものを食べているだけのくせに、なにを根拠にこんなに偉そうにしているのだろう。


「……なにか食べたいものでもあるの?」

「グラタン! ハンバーグ! ボロネーゼ!」

「……今度ね」


 どこでそんなものを覚えたのか、ミケは食べたい料理を列挙しつづけている。たぶん、ネットで知ったのだろう。ということは、ミケの魔術に関する調べ物はあまり進んでいないということだ。


「とりあえず、野菜はもっと食えよ」

「はいはい」


 たしかに、今日の夕食は数日後にしっぺ返しを食らいそうなメニューだ。油断して栄養が偏った食事を続けていると、ニキビができたり便秘になったりするのだ。

 だから私は仕方なく、冷蔵庫からネギを取り出してちょうどいい大きさにカットした。


「なにするんだ?」

「これを電子レンジでチンして、ポン酢と鰹節をかけて食べるとおいしいんだよ」

「またレンジが! でも、うまそうだな」


 私はミケに説明しながら、耐熱皿にネギを並べ、ラップをして電子レンジに入れた。一分熱するだけでできる簡単料理。もはやこれは簡単すぎて料理とは呼ばないかもしれない。

 でも、ネギの白い部分は熱するとトロトロになって甘みが増してすごくおいしいのだ。


「鰹節が! 踊ってる!」

「どこでそんな言葉覚えたのか?」


 レンジから取り出したものに鰹節をのせると、湯気にあおられ鰹節が揺れる。それをテレビなんかで「踊ってる」と表現しているのを耳にするけれど、ミケは一体どこでそれを知ったのだろう。


「誰か来たから見てくる」


 うどんをチンする準備をしようとしたら、玄関のインターホンが鳴った。リビングにあるモニターをのぞくと、なにかの配達員さんに見えなくもない人が立っている。でも、なにも頼んだ覚えはない。そうはいってもお父さんかお母さんの荷物だとしたら、あとで再配達のお願いをするのも面倒だ。だから私は仕方なくモニター横の受話器を取った。



 結局ピンポンはセールスで、私は適当な理由を述べて帰ってもらった。素直に親がいないなんて言ってしまうといけないと教育されているから。


「うっ……!」

「なに?」


 私がセールスをあしらい終わって受話器をおいたとき、キッチンのほうでミケがうめき声をあげた。慌てて振り返ると、ミケはキッチンのカウンターでのたうちまわっていた。


「ミケ!」


 皿の中のネギが減っているのを見て、私はすべて理解した。ミケはネギを食べてしまったのだ。たしか、ネギは猫にとって毒だ。

 ネギが猫にとって毒なのは、ネギの成分が猫の血液の中の赤血球を壊すのだ。赤血球が壊れるのとを溶血といい、溶血の結果、猫は貧血を起こし、症状がひどいと下血や呼吸困難を起こすのだという。


「ミケ! 苦しいのね⁉︎」


 ミケはただひたすら口をパクパクとして、体をよじっている。前足をバタつかせ宙をかく姿が、ミケがとても苦しんでいるのを物語っていて見ていてとても痛々しい。

 こんなとき、どうしたらいいのだろうか。

 近くの動物病院の電話番号は、一応冷蔵庫の扉に貼っている。電話をかけて、指示をあおげばいいのだろうか。

 でも、電話をかけてもきっと、様子を見て病院に連れてきてくださいとしか言われないだろう。そうなると、苦しむミケをあんなに恐れていた外に連れ出さなければならない。猫のための救急車はないから。


「どうしよう……」


 途方にくれて、私はとりあえずミケをカウンターから抱いておろした。苦しんで暴れてここから落ちたらもっとかわいそうだから。


「ミケ、吐いたほうがいいよ。ぺっしなさい、ぺっ」

「うぅ……」


 抱っこして、食べてしまったものを吐きやすいようお腹をさすってやると、ミケはまた苦しそうにうめいた。舌をだらりと出して体を震わせている。


「やだ……ミケ、死んじゃだめ!」


 さっきまで苦しそうに暴れていたのに、だんだんとその力が弱まっていく。それはつまり、ミケの生命力が弱まっているということだろうか。ミケはこのまま死んでしまうのだろうか。そんなの嫌だ。

 死んで欲しくなくて、祈るように私はミケの体を抱きしめた。ふわふわのやわらかな体は、ぬいぐるみのものとはまるで違ってしっかりとしている。

 私に抱きしめられて、ミケはまたジタバタとしはじめた。ギュッとしたから、息を吹き返したのかもしれない。そう思ったのにーー


「殺す気かっ!」

「ミケ!」


 私の腕から勢いよく飛び出すと、ミケは怒鳴った。

 怒鳴られてびっくりしたはずなのに、私はミケが生き返ったことが嬉しくて、それどころではなかった。


「あー苦しかった! 熱かった!」

「……え? 熱かっただけなの?」

「だけじゃねーよ! ネギうまそうだなぁと思って食うだろ? それが熱すぎてびっくりするだろ? そしたらさ、喉に張り付いて喉が熱くて痛くて息が止まるかと思ったんだよ!」

「……もぉ」


 死んでしまうかと思ったミケはピンピンとしていて、さっき自分の身に降りかかった不幸について語った。それを聞いて、なにが起こっていたか理解して、ホッとした。

 ホッとしたら、涙が出てきてしまった。涙は次から次へと溢れ出し、目からこぼれて止まらなかった。


「お、おい……ミク、なんで泣くんだ」

「だって……死んじゃうかと思ったんだもん」


 慌てたミケはそばに寄ってきて私の手を舐めた。猫みたいなその仕草がおかしかったけれど、私は笑いが出てこないで代わりにまた涙が出た。


「……ミクは、俺が死ぬのが泣くほど嫌か?」

「当たり前でしょ。死んじゃダメ……どこにも行かないで」

「わかったよ。わかったから泣くな」


 私があまりにも泣くからか、ミケは自分から膝に乗ってきた。その温もりが心地よくて、苦しめないように気をつけながら私はミケを抱きしめた。


「私のそばにいてね、ミケ」

「……そんなこと言われたの、はじめてだ」


 恥ずかしそうに身をよじったけれど、ミケは私の腕から逃げる気配はなかった。私も離す気はなかったけれど。

 死んでしまうかと思って、私は自分がミケのことがすごく大切だと気がついた。調子に乗りそうだから、本人には伝えないけれど。



 でも、伝えない代わりにそれから数日後、私はミケにとっておきの手作りご飯を作ってあげた。ネットで調べた猫用のライスオムレツだ。炊いたご飯と野菜を卵に混ぜて焼き上げるだけの簡単なものだったけれど、ミケは手作りというだけで喜んでくれた。

 誰かが自分の作ったものを食べて喜んでくれるのは、なんだかすごくいいものだと私は知った。お父さんやお母さんに「おいしい」と言ってもらうのとは違う感覚だ。

 その感覚をまた味わいたくて猫のためのご飯のレシピを調べているのは、まだミケには内緒にしている。

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