7、異文化交流
学校の図書室には、案外ファンタジー小説が揃っていた。私の家にあるあの人気シリーズはもちろんのこと、ファンタジー界の古典的な作品やライトノベルなんかも充実している。
ミケがもうすぐあのシリーズを読み終わるから何か借りて帰ってあげようと思って寄ったのだけれど、これならしばらく読むものに困らないだろう。私がもし図書室で勉強する習慣があって、なおかつ読書の趣味があったら、あっという間に堕落してしまいそうだ。
ミケは私が日々の復習や受験勉強に励む姿を、まるでゲテモノを喜んで食べる人を見るかのような目で見てくるくらい勉強というものが好かないらしい。でも、なかなかの読書家というのが驚きだ。まぁ、本ばかり読んでいても成績が良くない人もいるから、勉強と読書は関係がないのかもしれないけれど。
「あ、江藤だ」
「……柏木くん?」
貸し出し手続きを終えて荷物を置いていたロッカーまで戻ってくると、クラスメイトと出会った。あ、クラスメイトだ、と思ったのにすぐ名前が出てこなくて間が空いてしまった。
「一瞬俺の名前、忘れてただろ」
「え? そんなことないよ?」
「疑わしいね。江藤ってすましてて、男子とか興味なさそうだもんな」
「そんなこと……」
ないよと言いかけて、やめにした。そんなことないことはない。たしかに、男子に関してはぼんやりと同じクラスだなぁとしか思っていないから。女子とは体育とかなんやかや、同じクラスになると接点を持つけれど、男子とはなかなかそうはいかないし、積極的に知りたいと思わない。
「すましてるけど、以外に子供っぽいんだな」
「なにが?」
「それ」
柏木くんは、私が抱えている本の束を指差した。
「それとも優等生の余裕か。こんな時期にのんきに読書なんて」
「別に、そういうわけじゃないよ」
なんでこんなに突っかかってくるのだろう。自分の名前を覚えられていなかったことがそんなに腹が立ったのだろうか。これはうちの猫が読むんですーと言い返すわけにもいかないから、私は無視して本を持ってきていたトートバッグにしまった。
「お前、今日部活は?」
「今からだよ。そっちこそ」
「俺は今日はグラウンド整備で自主練だ」
「自主練しないの?」
「顧問がこの前の中間が悪かったやつは勉強しろって」
「ああ……そうなんだ」
柏木くんはたしか運動部だったはず。日に焼けているし、グラウンドの整備で部活がなくなるなら野球部かサッカー部か……
「ちなみに俺はハンドボール部な。お前、四月にみんな自己紹介しただろ」
「ごめん」
「まぁいいけど」
試験前でもないから、放課後の図書室はひと気がない。だから、柏木くんはこんなにも私に話しかけるのだろうか。私としては早くここを出て部室に向かいたいのだけれど。
「じゃあ、私は部活があるから。勉強頑張ってね」
「ちょっと待てよ。江藤はクラスメイトとの交流を楽しもうって気はないのかよ」
さっと挨拶をして去りたかったのに、柏木くんは通せんぼをする。運動部なだけあって体格がいい。頭ひとつぶん背の高い人にこうやって立ち塞がられると、困ってしまう。
それにしても、さっきのがクラスメイトとの交流を楽しんでいたのか。私としては突っかかってこられたとしか思えないのだけれど。
「お前さ、そこは『きゃーやだーもーどいてー』とか言うもんだろ?」
「言ったらどいてくれるの?」
「そうじゃなくてさ、そう言ってくれないとなんか俺が意地悪してるみたいじゃん」
「……」
そんなことを言いながらも柏木くんはどいくれる気配はない。
しんとした放課後の図書室にたぶん二人きりで、こんなことをされたとき、どう反応したらいいのだろう。
(こんなことになるなら、優梨ちゃんと伶奈ちゃんについてきてもらえばよかった)
面倒なことに巻き込まれたなという気にしかならなくて、私は自分の少し伸びた爪を見た。前を見れば柏木くんがいて、足元や床を見るのはあまりにもあからさまな気がしたから。
「そういえばさ、江藤、猫飼い始めたんだろ?」
しばらくの沈黙のあと、なんの脈絡もなく柏木くんはそんなことを言い出した。仲の良い人や先生には話したけれど、柏木くんはなんで知ってるのだろう。
「うん。黒猫。可愛いよ」
「へぇ」
気になることはあったけれど、私はスマホを差し出した。
ミケの話題を出されたら私は迷わずスマホで写真を見せるようにしている。そうすると間が持つし、それなりに会話がはずむから。
でも、柏木くんはしばらくミケの写真を黙って見て気が済んだらしい。
「じゃあな」
「あ、うん」
突然あっさりと柏木くんは図書室の中へと入って行ってしまった。別にもっと話したかったとは思わないけれど、その唐突さに置いてきぼりをくったみたいな気持ちにされた。
(男子って、わけわかんない)
結局、彼がなにをしたくて私を引き止めたのかわからなかった。
なんとなく、必死に私と会話をしようとしていた気がするのだけれど。
「……あ」
部室へと向かいながら、私はひとつの可能性に思いいたった。まるで私と接点のない彼が、私が猫を飼い始めたことについて知っていて、なおかつ私に一生懸命話しかける理由としたらひとつしかない。
たぶん、彼は優梨ちゃんと伶奈ちゃんのどちらかが好きなのだ。だから二人と仲の良い私とお近づきになろうとしたのだろう。
そうだとわかると、さっきの柏木くんとのやりとりがそんなに嫌なものだと感じなくなった。それどころか、ちょっと楽しいな、なんて思ってしまう。
それから私は部室について「遅かったね。なにかあった?」と尋ねられて、「異文化交流してきた」と答えた。
男子という違う文化圏の人間との交流をこれまで面倒だなんて思ってきたけれど、今日のはちょっと面白かった。
私はしばらく、ニヤニヤしてしまうのをおさえることができなかった。
「そういえばミケって、彼女とかいないの?」
「なんだ、藪から棒に」
晩御飯を食べながら私はふと気になったことを尋ねてみた。ミケが来てから一ヶ月近く経ち、こうして毎日一緒にご飯を食べていると、すっかり家族という気がしてしまっている。私はミケとのほうがよほどお父さんやお母さんより会話をしていると思う。
「今日ね、ミケが読む本を借りに図書室に行ったら同じクラスの男子に会って話しかけられたの。で、話してたらたぶんその子は私の友達が好きなんだろうなって思って。それでミケはそういう人がいるのか気になったの」
話しながら、こういうおしゃべりってくだらないなと私は思っていた。でも、くだらないと思っても仲の良い人とはこういう話をしてクスクスしたいのだ。
「ミクもそういうことを話したがるのか。女子だな。そしてお子様だ」
結局味が気に入って食べるようになったキャットフードを平らげて、名残惜しそうに皿を見つめながらミケは言う。せっかくの悪者猫の風格は、こういうとき逆に間抜けに映る。
「お子様って、じゃあミケはいくつなの?」
「十六だ」
「え? 私のひとつ上?」
「なんだ、その反応は。最初に俺様の麗しい人間姿を見ただろ?」
「見たけど、衝撃的な出会いすぎてあんまり覚えてない。でも麗しくはなかった」
「なんだと!」
ミケは不服そうにタンタンと前足で床を打つけれど、麗しいかと言われたらそうではなかったと思う。正直、顔の造作はあまり覚えていない。肩までの黒髪とそれなりに高い背、あとは赤く光る目のことしか覚えていないから。
「それで、ミケは彼女とか好きな人とかいないの?」
「いたら異世界なんかに来るかよ。俺が好きな女をほっぽりだして来るような男に見えるか?」
言われてみれば、それもそうだ。恋人がいて充実していたり、振り向かせたい相手がいたりするなら異世界に来ている場合ではない。ミケがどういう男かは、わからないけれど。
「そういうミクはどうなんだ? 彼氏がいないのは見てわかるが、好きなやつはいないのか?」
まだ食事を終えていない私のそばにやってきて、物欲しそうに見上げながらミケは尋ねる。デブ猫になって欲しくないから私はそれを無視して、ミケの質問について考えてみた。
「いないなぁ。好きって感覚がどんなものかわかんないけど」
「初恋もまだなのか。お子ちゃまめ」
「だって、あの両親を見てて恋愛に淡い思いを抱けってほうが無理でしょ? かつては愛し合って結婚した二人が、今では顔も見たくないって思ってるんだよ?」
「人のせいにするな。恋ってのは理屈じゃないからな。そのうちわかる」
「偉そうだなぁ。私よりいっこ年上なだけなくせに」
「恋を知ってるぶんミクより偉いさ」
猫の姿のミケに諭されてしまうなんてなんだか癪だ。でも、いつかわかればいいなぁと思う気持ちはある。綺麗なものや美味しいものや楽しいことを分かち合いたい存在が私にもできればいいなと思う。