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3、ペットを飼うなら

 胸元になんとも言えない重みを感じて目が覚めた。苦しい。死ぬほどではないけれど、息がつまる。

 目を開けると、胸の上に見知らぬ黒猫が香箱座りをしていた。ジトッとした目で私のことを見ている。


「……女の子の胸の上に乗るなんて、セクハラじゃない?」

「こんなあるかないかのものを胸と呼ぶのか」

「なにぉう?」


 思い出した。ミケだった。魔王を名乗る、うさんくさい異世界から来た人。

 朝っぱらから私を貧乳呼ばわりした罰として、手近にあったクッションを思いきりぶつけてやった。

 でも、そこはさすが猫。ひらりとかわすと、床に着地して私を見上げてくる。


「なぁ、昨日お前がベッドに入ってから誰かがノックしたあと部屋を覗いてたぞ。父ちゃんか母ちゃんか?」

「……さぁ?」


 まぁ、そのどちらかじゃないと困るけど、どちらだっていい。そんなことはどうでもいいのだ。帰宅して少しでも言葉を交わして、自分の中にある罪悪感を少しでも軽くしたいのかもしれない。でも、私としてはそこまでしてやりたくなかった。


「お前、寮に入ってるわけでもないんだから、ちゃんと家族と会話しろよ」

「……ミケは、自分と話して苦しそうにする人と話したい?」

「それは……」


 お父さんもお母さんも、私に話しかけるくせにいつも少し困ったふうなのだ。私を透かしてどこか遠くを見るような目をして、そしてなんだか苦しそうなのだ。

 そんな目をされると私はどうしていいかわからなくなる。わからなくなって、考えなくてもいいような無駄なことを考えてしまう。

 だから、なるべく直接の接触はしたくない。


「さぁ、朝ごはん食べに行こう。なにか作ってあげる」

「おう」


 困惑したように私を見つめていたミケに声をかけて部屋を出た。

 昨夜帰ってきていたとしても、この時間ならもういないだろう。

 そう思ってリビングに行くと、その予想は外れていた。



「おはよう、美紅ちゃん。それから猫ちゃんも」

「……おはよう」


 リビングにはお母さんがいた。もうばっちり支度をしているから、私が起きてくるまで出かけないでいたらしい。


「今日、試験よね?」

「うん」

「大丈夫?」

「うん。ちゃんと勉強したから」

「そう……」


 他にはなにを話せばいいのだろう? という困惑がたっぷりと伝わってくる。別に無理しなくていいのに。家族だからと言って毎日口を聞かなくてはいけないという法律はない。

 話して気まずくなるくらいなら話しかけなければいい。

 これがお母さんだからいいけれど、お父さんはもっとひどい。勉強の様子を尋ねるというネタがなくなったら、「最近調子はどうだ?」とかふわっとしたことを聞いてきたり、「友達と仲良くできてるか?」なんて小学生にするような質問をするのだから。お父さんの中で私はいつまでも幼児のままで、来年高校受験を控えているなんてことはわかっていないのだ。


「猫、飼ってもいいって言ってくれてありがとう」

「……ああ、いいのよ。美紅ちゃん、動物好きだものね」


 仕方なく話題をふると、お母さんはあからさまに安堵の顔をした。こんなふうにホッとした顔をさせてあげたくて、私はありもしない友達とのささやかな問題を相談してみせたりするのだ。でもそのたび、どうして私ばかり気を使わないといけないのだろうとムシャクシャするけれど。


「猫ちゃん、怪我とかはしてないの?」

「う、うん。元気だよ」

「そう。それでも、時間があるときに病院に連れていってあげないとね。健康診断と、あと予防接種が必要だから」


 病院という言葉を聞いて、足元で食パンをかじっていたミケが体をこわばらせた。


「じゃあ、私が連れていくね。たしか近くに動物病院あったよね? 今日、帰ってきてからでも行ってくるよ」


 お母さんにつきそわれてミケを動物病院に連れて行くのはなんとなく都合が悪い気がして、私はそう言った。家の中ではごまかせても、外に出るとボロが出てしまうかもしれない。なにせミケは猫ではなく人間で、しかも異世界から来たという変なやつなのだから。


「わかったわ。じゃあ、お金おいておくね。余ったら、猫ちゃんになにか買ってあげて」

「ありがとう」

「じゃあ、お母さん行くから」

「いってらっしゃい」


 私と話をするというミッションを終え気が済んだからか、お母さんはいそいそ出勤していった。私もやっとひとりになれたことと、ミケのことをうまくごまかせたことでホッとした。

 たいてい毎日、お父さんかお母さんのどちらかとこういうやりとりをするのだ。申し合わせてでもいるかのように、不思議と二人がそろうことはない。


「なぁ、ミク。あの人は継母さんかなにかか?」

「ううん。お腹を痛めて私を産んだ人だよ。内緒にされてるとかでなければだけど」

「え?」


 私たちの間にあるよそよそしい空気に気づいたのだろう。ミケは自分なりに考えて、お母さんを私の継母だと推測したみたいだ。

 でも、私を産んだ直後の写真まで残されているから、間違いなく私のお母さんなのだ。


「そんなことよりミケ。今日、私が帰ってきたら病院に行くからね」

「えー! やだよ。だいたい俺、猫じゃねーし」

「そうは言っても、今は猫で私に飼われてるのよ? ペットを飼うなら、健康管理をするのも飼い主の仕事なの」

「俺、ペットになった覚えはねぇし、お前も飼い主じゃねぇからな!」

「はいはい」


 ミケは勉強だけじゃなく、どうやら病院も苦手らしい。まるで子供だ。

 私はあれやこれや理由をつけてだだをこねるミケを眺めながら、急いで朝食を片づけた。





「美紅ちゃん、今からみんなでマックで勉強会しない?」


 今日の試験がすべて終わってカバンに荷物をつめていると、優梨ちゃんが声をかけてきた。そのとなりには伶奈ちゃんもいて、“みんな”というのが私と優梨ちゃんと伶奈ちゃんの三人なのがわかる。

 この二人とは同じ部活で、ずっと仲良しだ。女の子らしくて適度に大人で付き合いやすい子たちだから好き。


「ごめんね。今日、猫を病院に連れていってあげなきゃいけないの」

「猫?」

「うん。昨日拾ったの」


 私は周囲を見回して教師がいないのを確認して、二人にスマホを見せた。画面に出ているのは、昨日お父さんとお母さんに見せるために撮ったミケの写真だ。こう見るとただの可愛い猫で、二人はすぐに納得してくれた。


「可愛いね。今度見にいってもいい?」

「うん、来て来て。まだ人慣れしてないから、もう少し日にちが経ってからになるけど」

「そっか。捨て猫ちゃんなら、まずは人を好きになってからじゃないとね」

「そうなの。じゃあ、また明日ね」


 私は二人に手を振って教室を出た。

 人慣れしてから、なんて言ったけれど実際は、ミケがきちんと猫らしくできるようになってからだ。

 ミケはどうにも人くさい動きをする。今朝もパンを前足でつかんで食べていた。

 まぁ、つい昨日まで人間だったのだから仕方がないのだけれど。


(とりあえず家にいさせるとして、それっていつまでなんだろう)


 歩きながら、私はこれからのことを考えていた。

 帰るための魔術の準備が整えば、ミケは帰るのだろう。それか、私が責任持ってもとの姿に戻せは世界征服に行くのかもしれない。


(世界征服とは、具体的になにをすることなんだろう)


 私はなんだか嫌な予感がして、家への道のりを少し急いだ。






「ただいま!」


 もしかしたら我が家を手はじめに征服する気かもしれないと思い慌てて帰ったけれど、家の中は静かなものだった。

 玄関ホールを抜け、リビングをのぞくとそこには誰もいない。それじゃあと思って二階の私の部屋に行くと、テレビをつけっぱなしにしてミケは寝ていた。


「……なんだ」


 まぁ、よく考えたら猫の姿ではたいした悪さもできないだろう。せいぜい部屋を荒らしたり物を壊したりするくらいだ。

 なにかされていないかと部屋を見回してみると、ラグがめくれているだけで特に変わったことはなかった。


「ミケ、ただいま」


 私が声をかけると、ミケは耳をピクリと動かして、それからゆっくりと目を開けた。でも、起き上がる気配はない。


「お腹すいて元気ないの?」

「違う」


 体をだらりと横たえ、怠惰な猫の姿勢でミケは答える。もしかしたら病院に行くのが嫌で私が学校へ行っている間、鬱々と過ごしていたのかもしれない。

 クローゼットの戸の影で着替えながら見守っていたけれど、私が制服から普段着に着替え終わるまでミケは身じろぎもしなかった。


「……最悪だ。ミク、最悪なんだ」

「え?」


 カバンの中身を明日のものに入れ替えておこうとゴソゴソしていると、突然ミケが言った。驚いて振り返ると、立ち上がったミケは床を前足でトントンとした。そこにあるのは、昨日の魔術陣だ。もしお母さんたちが部屋に入ってきてもいいように乗せて隠していたラグをミケは器用にめくっていた。


「俺、魔術が使えなくなってる」

「え?」


 自分の前足をしげしげと見つめながら、低い声でミケは言った。

 猫の姿でそんな仕草をするのは愛らしさとおかしみを感じさせるはずなのに、その表情から事態が深刻なことがわかった。


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