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17、もっと遠くまで

「ミケ?」


 ほとんど当てずっぽうで問いかけた。これは賭けだ。もし違ったら、のんきにそんなこと呟いている場合じゃないのだから、救いようがない。

 それでも、私は口に出してしまっていた。


「なんだ、もうバレたのか。わけわかんねぇうちに連れ去るつもりだったのに」

「ミケ!」


 ガバッと見えない布を被せられて、その直後、会いたくてたまらなかった人の姿を見つけた。

 肩までの少し癖のある黒髪と、怪しく光るオレンジ色の目。一緒にいたのはこの姿ではなかったけれど、それでも懐かしさは感じる。


「なにこれ? なんでミケの姿見えなかったの?」

「そういう魔術を施した布だ。俺の姿どころか、今お前の姿も世間には見えてないぞ」

「そうなの?」

「そうだよ! って、会って早々それかよ」


 しょうがないという顔で笑って、ミケは前を見た。もう少しこっちを見ていて欲しかったけれど、仕方がない。なにせミケは今、箒を操縦しているのだから。

 私は憧れの、箒による飛行を体験している最中なのだ。

 私を乗せるためなのか、箒は三本を紐でひとまとめにされたものだ。柄の部分にお尻というより太ももをひっかけているだけだから乗り心地は決してよくなかったけれど、自転車で感じるよりも速い風が頬を滑っていくのは心地良い。


「遠くに行きたいって言ってただろ? だから、約束守ろうと思って来たんだ」

「……ありがとう」


 私はなにも問いかけなかったのに、ミケは今日来てくれた理由を話してくれた。

 あのとき手を差し伸べてくれたのは軽はずみな気持ちじゃなかったのだとわかって、私はすごく嬉しくなった。


「まぁ、ミクとの約束もあるけど、これは学校の課題なんだ。箒に乗って姿が見えないようにして異世界への道を開いてミクを連れて来いって」

「誰が?」

「この前来てた、あのおっかねぇ先生が」


 おっかない先生とは、たぶんエルネスタさんのことだろう。私には、若くて才能がある人というふうにしか見えなかったけれど。


「ミク、お前はたぶん騙されてるぞ。あの人はおっかねぇぞ。なにせイかれてるからな。彼氏欲しさに良縁を引き寄せる魔術を使って、部屋ごと異世界の男を召喚したような人だぞ。それに魔術がメチャクチャ強いからな」

「へぇ」


 ミケが前に言っていた、私の世界に知り合いがいる人というのはエルネスタさんのことだったのか。

 でも、そのくらいでイかれていると言って恐れるのなら、私だってよっぽどだ。

 そして、ミケも大概だ。


「じゃあ、しっかり捕まってろよ。今から、向こうに行くからな」


 ミケが私に声をかけた途端、急に加速したのがわかった。そして、一瞬世界が断絶するのを感じた。ブツリと、まるで古くなったイヤホンが発するような嫌な音が耳元で響いて、直後に見えるものが変わった。

 さっきまで住宅街を飛んでいたはずなのに、青々とした森の上を飛んでいるのだ。

 空気も、半袖の制服には少し肌寒い。


「クソー! 座標設定ミスって学院まで遠いじゃねぇか!」


 どうやら思うところに出られなかったらしく、ミケはイライラしていた。

 でも、私はなんだってよかった。だって、ミケが本当に私を遠くまで連れてきてくれたのだから。


「何時までに連れて来いって決められてるの?」

「いや。むしろ、まさか今日連れて来れるとか思ってねぇだろうからビビらせてやろうと思って」

「じゃあ、焦らないで行こう。私、嬉しいから」


 こっちを向いていないのをいいことに、私は少し距離をつめてミケに寄り添ってみた。なんのムードもなく現れてくれたけれど、私はこの前の言葉をうやむやにする気はないから。

 振り向かないまでも、ミケが反応したのがわかる。わずかに体をこわばらせて、背筋を伸ばしたのだ。


「そ、そういえばさ、俺なんか指名手配されてたな」

「指名手配じゃないよ。お父さんがね、いなくなったミケを探すためにチラシを作ってくれたの」


 電柱に貼られたのを見たのだろう。あれを見てすぐに指名手配が思い浮かぶというのは、ミケの日頃の素行がなんだか心配だ。


「そっか……なんだ、親とうまくいってんのか」

「キレてやった。そしたらね、ちょっとはマシになったかな。これから、もっとよくなるといいんだけど」


 ミケが不機嫌になったのがわかった。不機嫌というより、淋しくなったのだろうか。こちらを見ないから、表情がわからない。

 話題をあのことに持っていくきっかけができたと思ったのに、これではダメだ。

 私だって初めてのことで、どうやったらいいのかわからない。


「ミケ、遠距離恋愛でいいなら、付き合ってもいいよ」

「ふぁっ⁉︎」

「ちょっと! ちゃんと飛んで!」

「お前こそ! 今そんな話するな! バカヤロー」


 私の言葉にミケがなにごとかと振り返って、そしてそのせいで箒が激しく揺れた。すぐに体制は立て直されたけれど、その揺れが怖くて私は脇の下に嫌な汗をダバッとかいた。


「……あぶねぇだろ」

「……ごめん」


 前に向き直ったミケの背中はもう不機嫌ではなかったけれど、話しかけにくいのは変わらなかった。

 うまくいかない。柏木くんとのときは、もう少しなめらかに話せたのに。


 それからしばらく無言の飛行が続いた。

 少し冷たい空気を全身で受けて、私はそれでも自分の心臓が落ち着かないのを感じていた。

 無言でも、苦しくはなかった。これは必要な沈黙なのがわかったから。

 それに、好きという気持ちのお手軽さも感じていた。会話がなくても、顔が見えなくても、握りこぶし一つぶんしか離れていない距離に好きな人がいるというだけで、とんでもなく嬉しいものらしい。

 私は意味もなく頬が緩むのに気づいて、どうしてみんなが恋をしたがるのかわかった気がした。


「もうすぐ下降するぞ」

「うん」


 声をかけてからすぐに、箒は地面を目指して緩やかな下降をはじめた。そして、落ちているという感覚もさほどないまま、ふわりと地面に降り立った。

 ミケは荒いのは言葉遣いだけで、箒の操縦はすごく紳士的だった。きっと車の運転をさせても、ブレーキのとき不細工にキュッとなったりはしないだろう。運転の上手い人を恋人にしたいと考えていたから、私はミケのその有望さがまた気に入った。

 降り立ったのは、森の少し開けたところだった。日の陰る緑の下は、飛んでいるときとは違う肌寒さがある。


「それ、制服?」


 私は、目の前に立つミケをしげしげと眺めた。思えば、この姿をじっくり見るのは初めてだ。出会いは事故のようだったし、人間に戻ったときは大怪我をしていた。

 なにもない普通の状態のミケを見るのすら、初めてだった。

 ミケは私より頭一つぶん背が高かった。わりと華奢で、でもひょろっとはしていないから、筋肉はあるのだろう。

 その細マッチョな体に、アイロンの当てられていない白シャツと黒いズボンを着て、その上にくるぶしのあたりまである黒マントを羽織っていた。

 まさに魔術師といった風貌だ。


「ダッセェって?」

「ううん。かっこいい」

「なっ……!」


 照れたように私を見下ろすミケに、私はさらに照れるようなことを言ってやった。でも、嘘ではない。いかにもヤンチャというふうだけれど、私の目にはそんなミケがかっこよく見える。


「なんだよ……調子狂うじゃねぇか」

「だって、言わなくちゃって思ったんだもん」

「……ったく」


 舌打ちでもしそうなくらいの苛立ちを漂わせながら、ミケはポケットからなにかを取り出して、私に差し出した。


「くれるの?」


 それは、紙で折ったバラだった。それを見て、ミケの意地を感じて、笑ってしまった。おかしいのではなく、嬉しい。ミケは私が気づくより先に柏木くんのことに気づいていたということだ。それなら、きっとずいぶんヤキモキさせたにちがいない。


「見てろ」

「うん。……わぁ!」


 私の手の中のバラに、ミケが杖を取り出してなにごとかをした。すると、紙でできていたはずの花に色が宿り、見る間にそれは本物のバラになった。可愛い、ピンク色のバラだ。


「すごい……綺麗」

「手品じゃねぇからな。一応、俺のオリジナルの魔術だ」

「これも課題?」

「ちげぇよ。……ミクのために作った」


 照れくさそうに、でも誇らしげにミケは言う。

 会えなかった時間は十日にも満たない。でも、そのあいだにミケもずいぶんと色々考えてくれたみたいだ。


「さっきの……本当か?」

「さっきのって、なに?」

「その、遠距離恋愛でもってやつ」


 もごもごと最後のほうはほとんど聞き取れないくらいの声でミケは言う。こういうとき、本当にしまらない人だなと思う。でも、こういう人でも好きなのだから仕方がない。


「うん、本当。私もミケが好き!」


 どうしようもないから、私はミケの腕に飛び込んだ。

 柏木くんの言葉を借りるなら、私は斜に構えて周りを見ていて興味ないって顔をしているから、こういった物事の進め方を知らない。

 好き合う男女が最後の一歩を縮める際のお作法を知らない。

 もっと日頃から周りの人に興味を持っていれば、そういったことをほんのりとでも知ることができたのかもしれないけれど。

 抱える爆弾を悟られないようにニコニコしているのに精一杯で、そんな余裕がなかったのだ。


「好きって、それって猫としてとかじゃなく?」

「うん」


 抱き返してくれる腕の中、私は元気よく答えた。するとミケはもっとギュッとしてくれて、少しだけ苦しくなった。

 でも、全然嫌ではなかった。


「ミクさ、付き合うってどういうことかわかってんのか?」

「んー……わかんない」

「お前、勉強しかできねぇんだな」

「うん」


 間の抜けた私の返答に、ミケはクスッと笑った。


「じゃあ、俺が色々教えてやるな。魔術も、ほかのことも」


 一瞬体が離れて、あっと思ったときにはまたミケの顔が近づいてきた。そして、気がつくとキスされていた。

 ああ、たしか、キスのときには目を閉じなければーーなんて思って急いで目を閉じたけれど、閉じる寸前見たミケの顔はすごく悪い顔をしていた。

 でも、その悪い顔も赤面していたから、やっぱり憎めないなと思ってしまう。

 キスは、私の肺活量を試しているのではないかというくらい長かった。長く感じられるだけかもしれないけれど。


 長い長いキスの最中、私はいろんなことを考えていた。

 ミケに教えてもらいたいたくさんのことを。

 ミケとしたいたくさんのことを。

 異世界への扉を開けて、私はこれからたくさんのことを知るのだろう。ミケともっと遠くへ行くのだろう。

 それでもきっと、私はこの瞬間のことはきっと、ずっと忘れないーーそんなことを、唇が離れるまで考えていた。



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