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16 このままじゃ終われない

 力尽きた私は、そのあと夜間救急に運ばれた。

 お父さんの車で、お母さんに付き添われて。

 朦朧とする意識の中で診察を受け、検査をし、過労による発熱と診断された。

 鼻に太めの綿棒を突っ込まれてグリグリされるというなんだかひどい検査を受けたけれど、インフルエンザではなかったらしい。こんな季節にインフルなわけないだろうと言いたかったけれど、お医者さんの話では夏でもかかることがあるらしい。流行らないだけで、あいつらがいないわけではないということだ。

 ともかく、インフルエンザではなくただの高熱だった私はまたお父さんの車に揺られて家へ帰った。

 帰ってからはお父さんとお母さんが交代で看病してくれ、私になにかあってはいけないと寝ずの番もしてくれた。

 荒れ果てた部屋も、どうやら手分けして片付けてくれたみたいだ。

 部屋を片付けて、私の熱も少しずつ下がってきて、彼らはやっと気がついた。ミケがいないことに。


「ミケは、自分のあるべきところに帰ったの」


 慌てて尋ねる彼らに私はそう答えたけれど、どうにもそれは熱によるうわ言だと思われたらしい。

 熱が下がって外に出られるようになって知ったけれど、お父さんはミケを探すチラシを作って、それをご近所に貼ってしまっていた。

 そんなことしても見つからないのにと思ったけれど、してもらったことは嬉しかった。


 熱は私からなにかストッパーのようなものを奪ってしまったけれど、暴れてみるのもいいものだ。とりあえず、今回のことの顛末を見て思った。



 まず、私が暴れたことがよほどこたえたのか、両親は自分たちの不仲とそれによって家の中の空気が悪かったことをすごく謝ってくれた。

 そして、私の凶行や体調のことを話すうちに、ずいぶんと二人の関係はよくなったらしい。

 少しずつ深まって、いつの間にか取り返しのつかないくらいの溝ができていた二人だから、いきなり和解とまでは当然無理みたいだ。でも、長く続いた冷戦は終結に向けて話し合いがなされている様子だ。

 仕事が忙しいのは変わりないみたいだけれど、家族三人がそろうことも増えてきた。

 元気になった私に二人はどこか行きたいところはないかと尋ねた。だから私は「遊園地」と答えた。夏休みの間に二人の休みがとれたときに、ちょっと遠出して人気の遊園地に行くことになっている。


 ミケがいなくなって、またもとの通りの日常が帰ってきただけだと思っていたけれど、どうやら色々なものごとが少しずつ進み始めたらしい。





「なぁ、江藤。聞いてる?」

「え?」


 進み始めたといえば、目の前のこの人も、どうやら一歩前進することに決めたらしい。

 放課後、屋上へつづくあまり人気のない階段に呼び出しだなんて、自分の人生に起きるとは思わなかった。

 少し湿ったホコリのにおい。学校のそこかしこからするにおいが、ここは特に濃い。

 そんなことを考えて、私は改めて目の前の人を見た。

 私を呼び出したのは、柏木くん。

 ついさっきまで、私はこの期に及んで、「優梨ちゃんか伶奈ちゃんのことで相談なのかな」などと思っていた。

 でも、彼は私に「好きだ」と言ったのだ。

 だから、私は固まってしまった。


「あのさ、嫌なら嫌って言ってくれていいから……その、なんの反応もなしってのはやめてくれ」

「ごめん、びっくりしちゃって……いきなりだったから」

「いきなりかぁ……お前、本当に鈍いんだな」


 呆れたような、困ったような顔をしながら、柏木くんは頭をかいた。きっと気合を入れて思いを伝えてくれただろうに、私はそれを処理しきれないでいる。


「知らなかった。私、てっきり柏木くんは優梨ちゃんか伶奈ちゃんが好きなんだと思ってたから」

「俺、あいつらとはクラス同じになった今年からしか接点ねぇよ。江藤のことを聞くために、話しかけたりはしてたけどな」

「接点って、それを言ったら私だって……」


 言いかけて、やめた。柏木くんがものすごい顔でにらんできたのだ。記憶違いじゃなければ、私だって同じクラスになったのは今年がはじめてな気がする。


「一年のとき、同じクラスだったよ。お前……本当に俺のことが眼中になかったんだな」

「……ごめん」


 怒っているというより悲しそうなその顔に、私は申し訳なくなった。柏木くんのことをつい最近まで認識していなかったのは本当のことだから。


「まぁいいや。これから俺のことちゃんと見てくれたらいいから。だからさ、付き合って欲しいんだけど」

「え?」


 気を取り直したように笑う柏木くんは、今度はまたとんでもないことを言い出した。

 改めて見ると、背が高く、少し日に焼けた茶色がかった髪はサラサラで、なかなかに女の子にモテそうだ。

 だから、こんなにも自信に溢れているのだろうなと思う。

 この年頃特有の苛立ちを内包しているけれど、基本この人はまっすぐなのだろうなと感じる。


「『え?』じゃねぇよ」

「だって、そんなこと言われると思ってなかったから」


 ただ思いを伝えるのが目的だと思っていたから、柏木くんの言葉は驚きだった。付き合う? 私と柏木くんが?


「お前なぁ……『好き』って言ったら『付き合って』って言葉とセットなんだぞ」

「……そうなの?」


 ちょっとイライラした声で「そうだよ」と柏木くんは言った。

 今日はこれまで知らないことばかり知ることになった。柏木くんの思いも、好きと伝えるのは付き合ってと言うのとセットだということも、まるで知らなかった。


(じゃあ、ミケも……)


 私は、いなくなった猫のことを考えていた。人間の姿に戻った彼は、あの言葉の続きを私に伝えたいのではないのだろうか。続きを聞いたら、私はなんて返事をしよう?


「またボーッとしてる。なぁ、今くらい俺のことちゃんと見てくれよ」


 ちょうど一歩ぶん、二人の間にあった距離を、軽々と飛び越えて柏木くんは私のすぐ近くに来た。

 よく見ると、顔が赤い。怒ったような、困ったような赤い顔で、柏木くんは私を見下ろしていた。

 背が高いのだなと思いながら、私は「ミケもこのくらいの身長かな」なんて考えてしまっていた。


「柏木くんは、私のどこが好きなの?」


 大して話したこともないのに、という言葉は飲み込んだ。私がそう思っているだけで、実際はものすごく話が弾んだことがあるかもしれないから。それに、好きの思いは交わした言葉の数ではないかもしれないし。


「なんでって、考えたことねぇけど……ただ、なんか見てて危ういっつーか、なに考えてんのかわかんなくて、友達と笑っててもどっかさみしそうで……気づいたら、気になってたんだよ!」

「……そっか」


 怒った口調で言って、柏木くんは顔をそらして、また一歩距離をとった。

 ああ、こんな顔もするのかと思いながら、私もこの人にいろんな顔を見られていたのだと不思議な気持ちになる。

 “危うい”も“さみしそう”も、よく気がついたものだと言いたい。私だって、自分の危うさには最近まで無自覚だったのだから。

 柏木くんには、私の抱える爆弾の音が聞こえていたのだなと思うと、ちょっと見直してしまう。


「そんなふうに私のこと見ててくれた人がいたなんて知らなかった……ありがとう」


 ハッとした感じで、柏木くんがこちらを向いた。その目を見て、期待させてしまったのだと気がついて、私は急いで次の言葉を紡いだ。


「でもね、私、好きな人がいるの。だから、柏木くんとは付き合えない」


 顔を見ていられなくて、私は頭を下げた。私の言葉を聞きながら、柏木くんの顔がみるみるうちに悲しげな表情に変わっていくのを見てしまったから。こんな表情を見て胸が痛むくらいには、私は柏木くんに心を開いてしまっているのかもしれない。


「そっか……いや、なんとなくわかってた」

「え? そんなことまで? ……柏木くんってエスパーなの?」

「エスパーじゃねぇよ。……ただ、お前のことが好きなだけ」


 冗談を言って笑わせたかったのに、柏木くんはマジな顔で言って、勝手にまた顔を赤くさせた。

 こんなにも誰かに思われて、こんなにもまっすぐ思いを伝えてもらえるなんて、女の子冥利に尽きるんじゃないかと思う。柏木くんと付き合ったら、たぶんそれなりに楽しいのだろうなとも、思う。

 それでも、私の胸に今占めているのは、文字通り住む世界が違う、わけのわからない、微妙なタイミングで告白なんてしてくる男の子のことだ。

 好きなんだって思うと、もうどうしようもなかった。


「そいつと、うまくいくといいな」

「ありがとう」

「もしさ、うまくいかなかったら……俺んとこ来いよ」

「もう、そういうこと言わないでよ……でも、ありがとう」


 もう一度頭を下げて、私は階段を駆け下りはじめた。

 急いで家に帰ろうーーそんなことを考えながら。

 優梨ちゃんと伶奈ちゃんには、まだ病み上がりだから今日の部活は休むとメールしておこう。本当は部室に寄ったほうがいいのだろうけれど、そんな時間も惜しいから。


 高熱が下がってから、魔術陣を描いて扉を開こうと試みたけれど、何回やってもうまくいかなかった。

 なにか足りないものがあるのか、間違いがあるのか……そんなふうに考えていたけれど、たぶん違うのだろう。

 おそらく、エルネスタと名乗ったあの人が、こちらの世界からは働きかけができないようしたのではないかと思う。その意図までは測りかねるけれど、そんな気がする。

 だからきっと、ミケが頑張ってくれないとダメなのだ。ミケがこちらへこようとしてくれなければ、私は彼に会うことができない。

 でも、ミケが頑張ってこちらの世界に来たときに、すぐに会えるところにいたいーーそう思って私は、家までの道のりを走った。


 その途中で、突然私の体はふわりと宙に浮いた。


「ーー⁈」


 驚いて視線を巡らせるけれど、なんの姿もとらえることができない。どうも腕をグッと掴まれて、なにか硬いものの上に座らせられたような気がするのだけれど。

 でも、不思議と怖さはなかった。

 それよりも私の胸を高鳴らせたのは、根拠もない期待感。

 だから私は、その期待をそのまま口に出してみることにした。

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