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15 ただいま日常

 エル、正式にはエルネスタと名乗った女性は、ミケの学校の先生なのだという。そして、他にいた二人も同じく先生らしい。

 そうーーミケは魔王でもなんでもなく、ただの魔術を学ぶ学生だったのだ。

 ただの学生といっても結構なワルで、魔術を使ってイタズラや迷惑行為を繰り返していたらしいけれど。

 そして、ある日彼は失踪した。

 ワルではあったけれど出席率は低くなかったため、学校側はすぐに事件を疑った。

 でも、日頃から彼の素行の悪さを知っていたニコルーーあの治癒魔術を使っていた人が、事件に巻き込まれたのではなく事件を起こしているのではと考え調査したところ、ミケの部屋から空間移動の魔術の痕跡が見つかったらしい。

 だから行く先を追跡魔術で見つけ出し、今に至るとのことだった。



「ちょうど運悪く研究施設から魔獣が逃げ出していて、さっきみたいなことになってしまったの。あれは禁止すべき研究なの。誰かが隠れてやっていたんでしょうけれど……とにかく、あれが私たちの世界の常ではないから安心してね」

「はい」


 なにをどう安心したらいいのかわからなかったけれど、とりあえず私は頷いた。


「ミケも結構なワルだと思ってたけど……あなたも大概ね。なんであの子、猫になってたの?」


 責めるわけでも問いただすわけでもなくエルは私に尋ねた。たぶん、これは面白がられているのだなとわかって、私はなんだか恥ずかしくなった。本場の人から見たら、私の魔術なんてつたないものだろう。


「なにか動物になりたいと思って魔術陣を準備してたら突然ミケが現れて、『俺は魔王だ! この世界を征服してやる』とか言い出して、怖かったのでとっさに……」

「あの子、そんなアホなことを……」


 こらえていたみたいだけれど、限界だったらしくエルさんは吹き出した。

 先生と言っても、やっぱり私とそんなに歳が変わらない人なのだとわかる、幼さを感じる笑顔だ。

 ミケはなんだか怖がるというか嫌がっていたみたいだけれど、この反応を見る限りそこまで厳しい人ではないのかもしれない。


「それで、猫になったあの子の世話を今日までしてくれていたのね」

「はい」

「ありがとう。たとえワルでも、知らない世界じゃ苦労しただろうから、たまたまあなたのところに出られてよかったわ。それに、猫にならなかったら悪さをしていたかもしれないし」


 言いながら、エルさんは部屋を見回していた。

 魔獣が暴れて、部屋の中はめちゃくちゃになっている。床にはミケの血がべっとりとついていた。


「部屋、もとに戻しましょうか?」


 杖を取り出して、すぐに実行にうつしてしまいそうなエルさんに、私は首を振った。

 たとえ惨劇のあとでも、部屋をもとの通りにしてもらったら、なんだかミケの痕跡をすべて消してしまうようで嫌だったのだ。


「そう。……でも、血のあとだけでも消させてね」

「はい。……ありがとうございます」


 エルさんは杖をサッと振って、床を綺麗にしてしまった。優秀な人は陣や詠唱が必要ないらしい。それとも、このくらいは向こうの世界の人にとっては朝飯前なのだろうか。


「ほかには、特になさそうね」


 部屋をもう一度見回して、エルさんはうんうんと頷いた。

 親切だけれど、どこか事務的だ。それはそうだろう。用がすんだから、この人はもうすぐ帰るに違いない。

 だから、私はひとつだけ気になっていることを尋ねてみた。


「あの、ミケはどうなるんでしょうか?」

「どうなるって?」

「ひどく怒られて、警察に捕まったりするんですか?」

「ああ……大丈夫よ。いなくなったから探して捕まえただけで、せいぜい事情を聞かれてちょっとした罰が下るくらいよ。今回のことで法廷で裁かれる人間がいたとしたら、あの魔獣の持ち主ね」

「……よかった」


 もしかしたら間の抜けた質問だったのかもしれないけれど、答えてもらえてよかった。

 私はミケが怒られずにすめばいいなと思ったから、その答えにすごく安心した。

 ひどく怒られたりしたら、もうミケに会えないんじゃないかーーそう考えていたから。


「近いうちに、あの子にはまた謝罪に来させるから……あなたも魔術はほどほどにね」

「はい。……さようなら」

「ええ、またね」


 魔術陣の上に立つと、エルさんはにこやかに手を振って、そして光の中に消えていった。

 床の上に描いた魔術陣も、消えてしまっていた。回数制限でもあったのか、エルさんに消されたのかはわからないけれど。

 私は、荒れ果てた部屋にひとり残された。

 時計を見ると昼すぎで、まだそんなに時間が経っていないのか、もうそんなに時間が経ったのか、わからなかった。

 学校をサボって魔術を実行して、今頃はミケと向こうにいるはずだったのに。

 唐突に、私の非日常は終わりを迎えた。


 日常が、帰って来たのだ。



「……」


 私は声も出さず、床の上にごろんと寝そべった。

 体がすごく疲れているのがわかる。熱もあるみたいだ。魔獣との戦いで消耗したからか、それとも、あまりのことに頭が処理できなくなって知恵熱のようなものを出したのか。

 わからないけれど、とにかくきつかった。

 目を閉じると、ミケの姿が頭に浮かぶ。

 人間の、男の子の姿だ。

 痛みに耐えながら、去り際にミケは告白していった。


「……ミケ、かっこわるい」


 最後まで、決まらないやつだった。

 なにもあのタイミングで告白することもなかっただろうに。

 私の、生まれて初めての告白だったのに。

 そんなことを考えたら、涙が出てきてしまった。

 ミケは、私のことが好きだったのか。知らなかった。一体いつからだろう。

 知っていたら、もう少し優しくしたのに、と思ってしまう。思ってしまって、また涙が出てきた。

 ミケやエルさんの口ぶりでは二度と会えないというふうではなかったけれど、次に会える保証もない。

 唐突に、途切れてしまった。これが尻切れトンボというやつか。

 たったひとり、なにも変わらない日常に放り出されたのだと思うと、もう涙は止まらなかった。

 わんわんと声をあげて泣いた。自分で自分の泣き声をうるさいと感じるほど、大きな声が出た。

 そうやって泣いているうちに、頭が痛くなってきた。体も熱くなって、いたるところに痛みを感じる。

 これは高熱が出る前兆だなと、他人のことのように思った。

 そうしてそのまま、私は床の上から動けなくなった。せめて最後の力をふりしぼってベッドに行けばよかったのに、それを私は泣くことに使ってしまったのだ。

 ひどい熱なのはわかっていた。床の上で自分の体が激しく脈打っているのを感じるから。

 でも、そんなことはもうどうだってよかった。





 そんな私を一番に見つけたのはお父さんだった。

 昨夜のことを気にしていたのか、帰宅したお父さんは私の部屋をノックした。そして、返事をしないのを不審に思ったのかドアを開け、荒れ果てた部屋とその中で寝そべる自分の娘を見つけたというわけだ。

 私は父が部屋に入ってきても、返事もしなければ身じろぎもしなかった。できなかったのかは、わからない。

 ただただ億劫でイライラして、私はお父さんの存在を無視していた。

 でもお父さんは私を無視できるわけもなく、息遣いを確認し、慌てておでこに手を当て、熱があるのを理解するとオロオロとお母さんに電話をかけていた。

 電話をかけ終わると、お父さんはためらいがちに私を抱き上げ、ベッドに運んでくれた。

 そしてしばらくして、お母さんが飛んで帰ってきた。

 高熱を出し物言わぬ娘を見て、お母さんもいくらか動揺したようだった。でも、そこはお父さんより私の世話をした経験が多い分、落ち着くのも早かった。

 テキパキとアイス枕を頭の下に敷き、冷却シートをおでこに貼り、熱を測って、病院に行くか私に尋ねた。


「お父さんとお母さん、仲が悪いなら離婚しちゃえばいいのに」


 なにか返事をしなければと思って口を開いたら、そんな言葉が飛び出していた。それに自分でギョッとした。

 お父さんとお母さんも当然びっくりしていて、二人して顔を見合わせた。


「……美紅、家出をしようとしていたのか?」


 荒れ果てた部屋の中からリュックを見つけ出したらしいお父さんが、こわごわと尋ねる。


「そう。遠くに行くか、人間やめるかって、ずっと考えてたから」


 私の返答に二人が息を飲むのがわかった。そんなに驚くことか。

 驚かせて申し訳ないけれど、これまで私を押しとどめていたものが熱のせいでぶっ壊れたらしく、もう止めることができなかった。


「私がいるから離婚しないって感じだけど、それってどうなの? 衣食住に不自由しなかったら子供ほったらかしでいいのかよ。こんなふうな気持ちになるくらいなら、離婚してくれたほうがましだよ!」


 言いながら、私のイライラはましていった。そのイライラを鎮めるために暴れてやりたかったのに、熱のせいで体がうまく動かなかった。

 イライラする。全部なにもかもメチャクチャに壊してやりたい。


「自分たちの結婚は失敗だって思ってんの? その失敗の結果産まれた私でもな、こうやって生きてんだ! その私に失礼だと思わないのか! ムカつく! 本当にムカつく! あー!」


 甘えだと、わかっていた。自分が別段不幸ではないことも。これがいわゆる反抗期かと思っても、叫ぶのもジタバタするのも抑えられない。

 これまで我慢してきたのだ。たぶん、今爆発させなければ機会がない。

 爆発させなければ、私はなにかを壊すだろう。

 自分か、世界か。

 そのくらいのイライラだった。


 世界征服をしてやると言ったミケの気持ちがわかる気がする。

 彼もきっと、むしゃくしゃしていたのだ。

 大人はこんな私や彼を迷惑極まりないと思うだろうが、そういう年頃なのだ、きっと。

 夜の校舎の窓ガラスを壊して回らないにしろ、みんななにかをぶっ壊したいほどのイライラに苛まれているのだろう。


「美紅ちゃん、ごめんね。暴れないで。熱が下がったら、ちゃんと美紅ちゃんのお話聞くから」

「これが暴れずにいられるか!」

「美紅、熱があがるぞ。病院に行こう。な?」

「そんなことどうだっていい!」


 なにを言われても、むしゃくしゃした。熱でふらふらして大した力はでないけれど、とにかく暴れてやった。今まで我慢したぶん、全部全部ぶちまけてやるつもりだった。


 でも、そんなことも長くは続かなくて、私の意識は突然、ぷっつりと途切れた。

 私は、熱と疲労と異常な興奮によって、生まれて初めて“力尽きる”ということを経験したのだった。



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