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13 旅立とう

「そうこなくっちゃ!」


 私の返事を聞いて、ミケはニカッと笑った。

 悪い顔だ。目は細められ、口の端がクッとあがっている。そのことによって鋭い歯がよく見え、悪そうな印象をより強くする。

 そういえば、最初に見たときもこんな顔をしていた気がする。高笑いとともに現れた、怪しげな男だった。あのときは怖いと感じたけれど、きっと冷静でいたらもっとよく観察することができただろう。今は見ることができないミケの人間の姿をしっかりと思い出さないことが、なんだか惜しい気がする。

 猫の姿でなじんでしまったけれど、せっかく同じ年頃の男の子なわけだし。


「猫の姿のままだとな、うまいこと魔術が使えねぇ。だからお前が向こうに行くための魔術を使うんだ……扉を開けて、[[rb:異世界>俺のいた世界]]に行くぞ」

「……うん」


 まるで握手を求めるかのように差し出されたミケの手を、私はとった。小さくてふわふわ、そして柔らかな肉球。でも今の私にとっては、この手は他の誰のものより頼もしい。

 ミケの提案は実にシンプルで、どうしてそれを最初に思いつかなかったのか不思議なくらいだ。

 ずっと、遠くへ行きたいと思っていた。もっとはっきり言うならば、ここではないどこかへ行きたいと、この家にはいたくないと思っていた。

 でも、まだ中学生の私にはここを飛び出していく力も手段もない。たとえ私を不要だと感じている両親の元ででも、生きていけるだけ幸せだと割り切るしかなかった。

 そんな私に、ミケは悪い顔で手を差し伸べてきた。


「というわけだから、身支度整えて、必要な魔術を実行するぞ。お前の筋が良ければ、明日には向こうだ」

「うん!」


 これはきっと、悪い誘いなのだ。猫と飼い主として二ヶ月近く一緒に暮らしているけれど、私はあまりにもミケのことを知らない。

 知らない人についていっちゃいけないと、小さな頃に教わったけれど……私はミケの手を取った。ここにいるよりきっと、楽しいことが待っているから。



 それからは、ミケと荷造りをしながら今後の具体的な話をした。

 荷造りといっても、私物ではなく必要なものを持っていくだけだ。

 まずは、物置として使っている一室から災害の時のための持ち出し袋を持ってきて、食料を自分のリュックへと移し替えた。それから懐中電灯と、携帯燃料も入れた。「別になにもない未開の地に行くんじゃねぇから、荷物はほどほどにな」とミケに言われたから、カセットコンロは置いて行くことにした。


「向こうについたら、まず[[rb:住処>すみか]]を見つけよう。それから、仕事だな。……心配すんな。お前一人くらい養ってやれるさ」


 荷物をまとめる私の横で魔術の準備をしながら、ミケはそんなことを言う。

 さらりと言ってのけたけれど、それはまるでプロポーズのようだ。猫の姿で言われてもまったくグッとこないし、そもそももとの姿に戻るほうが先でしょと言いたい。


「なんとか仲間に連絡をとって、誰かにもとの姿に戻してもらわないとな。……まぁ、魔術を学んでる人間になら解除できねぇもんじゃないから」

「なら、よかった」


 なにも言わなかったのに私の表情から考えていることを読み取ったらしいミケは、安心させるように笑った。一緒にいるあいだに、ミケは私の表情を読むのがずいぶんとうまくなったのだ。

 そんなこと、お父さんとお母さんには決してできないし、させてこなかったことだ。私はこの猫にずいぶんと心を許してしまっているらしい。


 大体の荷造りが終わってからは、ミケと二人で魔術の準備をした。ミケが魔術を使えるのが一番なのだけれど、どうも猫の姿では難しいらしい。全く使えないわけではないけれど、大がかりなものは無理なのだという。だから、私が実行することになった。

 ミケがこちらへ来るときに行った魔術をなぞるだけだけれど、用意できるものも違えば、術者である私がミケほど魔術に慣れていないため、いくらか簡略化することになった。

 本来なら、こうした空間から空間を移動する魔術は、月や星の位置を計算し、方角などを厳密に定める必要があるのだという。

 今回は細かい計算を端折るぶん、扉の先がどこに通じるかは定まらなくなるらしいけれど、「まぁ、そんなの俺もやらなかったから大丈夫」とミケは言っていた。……やっぱりミケの魔術は杜撰だったのだ。なんとなく、出たとこ勝負! みたいな性格なのは感じていたけれど。

 そんな性格のミケと、私は綿密とはいえない準備を進めていった。




「なんだか、遠足の前日みたいだなぁ」


 ベッドに横になると、自分が疲れているのがわかる。でも、不思議と目は冴えていた。

 夜通し準備しても向こうについて疲れ果てていてはいけないからと、ミケと話し合って朝までの数時間眠ることにしたのに。


「向こうについたら、どこに行こうか? 王都でも東部でも西部でも、南部でもいい。ミクの行きたいところに行こう」

「どこがオススメ? って、北部は嫌なの?」

「北部はなぁ……俺にとっては目新しいもんなんてないし」

「じゃあ北部で」


 ミケは私の答えに露骨に嫌そうな顔をしたけれど、私としてはミケがなじんだところに行きたい。ふたりで知らないところで途方に暮れるよりは、ミケだけでも土地勘なり人脈なりがあるところに行ったほうがいいだろうから。

 それに、ミケがどのような場所で生きていたのかも見てみたい気がする。


「俺の知ってるところじゃ、ムードが出ないだろ」


 まるで駄々をこねるようにシーツの上で仰向けになってミケは体をくねらせている。異議を唱えるときによくやる仕草だけれど、どうしても背中がかゆいようにしか見えない。


「ムードって、遠足にそんなもんいらないでしょ」

「遠足って……逃避行だろー?」


 ミケは不満そうだけれど、私はある名作アニメの主人公にでもなった気分で、ワクワクしていた。

 ミケは逃避行のパートナーなんかではなくて、お供の黒猫だ。あの黒猫ほど可愛くないけれど、生意気なところはそっくりだと思う。


「まぁ、とにかく少しは寝ろ。幸せになるために旅立つんだから、出発のときにげっそりしてちゃダメだからな」

「……そうだね」


 寄り添って、小さな前足で私の前髪をミケが撫でてくれる。そのふわっとした感触が心地よくて、私は目を閉じた。

 それでもすぐには眠たくならなくて、私は小さな頃のことを思い出していた。

 まだ両親の仲も良く、たくさん笑いあっていた日々のことを。

 アウトドアが好きで、お父さんはみんなでバーベキューやキャンプに行きたがった。

 それに対してお母さんは映画を見たり、買い物へ行くのが好きだった。

 だから気候がいいときは自然がたくさんのところへ行き、そうじゃないときはショッピングモールへ出かけた。

 その頃からお父さんもお母さんも仕事は忙しかったけれど、家族と過ごす時間はたくさんあったのだ。

 それが、いつからか喧嘩が増え、一緒に出かけなくなり、顔を合わせる機会は減っていった。そういったものが積もり積もって、今の我が家がある。

 もしかしたら、両親が不仲になったのは家を建てたあたりからかもしれない。ここではなく、もっと別のところで暮らしていたら、もっと違っていたのだろうか。

 ……そんなことを考えても、この家を忌まわしいとは感じない。

 家族そろって過ごした思い出が少なくても、たとえ静かに嵐が吹き荒ぶわらの家でも、ここは私の家だ。

 目が覚めたら、もう出て行くけれど。


 つらつらと昔のことを思い出しているうちに、どうやら眠りについていたみたいだ。

 どこからが回想で、どこからが夢なのかわからなかった。

 休みの日の朝、両親にどこに行きたいのか尋ねられる夢を見た。夢の中で小さかった私は遊園地に行きたいと答えたけれど、連れて行ってもらえたかまでは思い出せなかった。




「よし、じゃあはじめようか」


 私は、お手製のチョークを片手に床へと腰をおろした。今からミケに教わった魔術陣を描くのだ。

 ほんの少しまだ眠たいけれど、朝ごはんも食べたし、なんとかやれそうだ。

 目が覚めて階下に降りると、もう両親ともにいなかった。そういえば昨夜は途中から作業に没頭していて、両親の声は気にならなくなっていた。だから、彼らが何時まで言い争いをして、どんな決着をつけたかはわからない。

 でも、それでいいのだ。

 そんなふうだから、幸せだった頃の夢を見て目覚めても胸が痛まないですむ。


 私はミケから指示された通りにひとつひとつ作業を進めていった。

 そうして作業が進んでいくということは、刻一刻と慣れ親しんだこの世界との別れが迫ってきているということだ。

 不思議なことに、それでも私は感傷よりも期待のほうが上回っていた。指示を飛ばしながらミケが、向こうについてからのことをあれこれ話していたからかもしれない。

 ミケの出身地である北部地域は、冬の寒さが厳しいのだという。毎朝の雪かきや薪割りは必須、でもそのかわりおいしい食べ物がいっぱいのところらしい。

 私は、白銀の世界を歩く自分を想像してみた。サクサクと柔らかな雪の上に足跡をつけて歩くのだ。ミケも一緒だ。でも、どうやっても人間姿のミケが思い浮かばないから、猫のままだけれど。



 そんなふうに楽しいことしか考えていなかったから、私は忘れていたのだ。

 私が今まさに発動した魔術が、異世界とつながる[[rb:扉>・]]だということを。

 扉というのは、こちらからだけではなく、向こうからも出入り可能だということを。



「なんだ⁈」


 ミケと一緒に呪文を詠唱しおわった途端、私たちが陣に触れるよりも早く、そこから光が溢れ出した。

 そして、光と一緒に何かが躍り出たのだ。

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