おバカな婚約者との未来に幸せはないので逃亡することにした
数多くの作品からお目に留めて頂きありがとうございます。魔力、魔法の設定はメチャ緩いですがご容赦お願いします。
「俺クライブ・ワイリーは、ルース・シュミットとの婚約を破棄する」
昼休みの教室でクライブは声高らかに宣言した。
「お前のように地味で陰気な女は俺に相応しくない、リンダこそが将来俺の横に立ち、由緒正しい我がワイリー伯爵家を共に背負っていくのに相応しい、俺は彼女と婚約を結び直す」
クライブはサラサラの金髪をかき上げて、サファイアの瞳で私を冷たく見据えた。そして、彼と同じく黄金色の巻き毛、パッチリした目にエメラルドの瞳が輝く、たいそうな美少女のリンダ・アリーズ男爵令嬢を抱き寄せた。クライブの好みはそういう女性なのはわかっていたが。
唐突に、公衆の面前で派手に婚約破棄を言い渡された私ことルース・メルローズは、ここ王立学園の薬学科に通う十七歳の子爵令嬢である。焦げ茶色の髪に赤茶の瞳、可もなく不可もない平凡な容姿の目立たない少女である。ただ成績は優秀だった。
いずれこうなることはわかっていた。クライブは顔合わせの時に、地味で冴えない私を見て嫌悪感を露にした。私との婚約に不満だとハッキリ態度に出していたが、父親のワイリー伯爵が勝手に決めた縁談で、そこにクライブの意志は存在しなかった。
それにしても人前で恥をかかせるように破棄を言い渡すなんて、ちょっと酷いと思わない? 解消したいのなら、まずは自分の父親を説得して話し合いの場を設けてくれれば、こちらとしては異存などないのだから、円満に事を運べるのに……。と心の中でぼやいたが、口に出すとまた面倒臭いことになる。
私としても、見た目はいいが脳みそ綿飴、自分の立場も将来のことも何一つ理解していないクライブのお守りをするために結婚するなんて真っ平ゴメンだ。
勝ち誇ったような笑みを浮かべるリンダを見て私は溜息をついた。この女も見た目がいいだけの同類だ。
「そうですか、私に異存はありません、婚約破棄は承ります。もちろんワイリー伯爵もご承知なのですよね」
「これから報告する」
「そうですか、ではお任せします」
「えらくアッサリ引き下がるのだな、他に言うことはないのか?」
「別に」
ワイリー伯爵家は代々製薬業を営んでいる旧家、しかし、家は傾き借金を重ねていた。そこへ大規模展開する小売業で財を成した我がメルローズ子爵家が援助を申し出た。ワイリー製薬の薬剤を取り扱い、新薬の開発にも協力する約束をした。
その繋がりを強固にするため、私とクライブの婚約が調ったのが三年前だ。彼はこの政略結婚の経緯を聞かされていないのだろうか?
私の父メルローズ子爵は、さらなる事業拡大のために上位貴族である伯爵家と縁を結びたかった。そこにも私の意志はない。しかし、貴族の家に生まれた以上、政略結婚は避けられない道だ。この婚約により、私の進路は薬学科に決まった。
一方、母は快く思っていなかった。兄のロランを溺愛する母は、妹の私が将来伯爵夫人になり、子爵家を継ぐロランより身分が上になることが許せなかったのだ。
母の魂胆はわかっている、私にはメルローズ商会で働く平民の社員と結婚させて、商会でロランのために一生働かせるつもりでいたのだろう。母に甘やかされて育った兄は見事なダメ人間に成長した。仕事は出来ない、やる気もない、金遣いは荒く、おそらく親に内緒で遊び惚けて借金を重ねているだろう。
そんな兄の尻拭いをするつもりはない、成人したら家から出るつもりだ。もちろんクライブと結婚するつもりもない。薬学を学んでいれば、家を出て平民になっても、薬師として生活出来るだろう。
「ルースはショックのあまり言葉が出ないのよ、逃がした魚が大きすぎて」
リンダは勝ち誇ったように言うが、私は争ったつもりもない。
「ふん、もとよりルースと俺では釣り合わないのだ、たまたま父上の一時の気の迷いで婚約させられたが、父上もそろそろ気付いているだろう」
気付いているのは、きっと自分の息子が無能だと言うことだろう。
我が家の援助でワイリー製薬は持ち直してきているものの、立場が強いのはまだ我がメルローズ子爵家だ。だからワイリー伯爵はいつも私に良くしてくれる。三年間、誕生日プレゼントを贈ってくれているのは伯爵だと知っていた。ここで優秀な私を手放したら、せっかく持ち直しているワイリー製薬を、またクライブが傾けるとわかっているからだ。
シラッと〝優秀な私〟と言ったが、自惚れではない。ちなみに私は入学してからずっと成績はトップ、それもまたクライブは気に入らなかった。
プライドだけが高くて中身が伴わない男って質が悪い、顔がいいからなおのこと勘違いしているようだが、伯爵家を継ぐのには荷が重い。いっそのこと廃嫡して、まだ幼いが次男をちゃんと教育したほうがいいと思うのだが。
まあ、私にはもう関係ないことだけど。
派手に婚約破棄を言い渡された私はそう思っていたのだが、授業が終わるとクライブとリンダはいつものように私の机の前に来て、
「じゃあ、いつものように頼む」
明日提出するレポートを私の机の上に置いた。
そして唖然としている私を置き去りに、寄り添いながら教室を出て行った。
なんで?
今までは婚約者だから、将来妻となる予定の者が夫を支えるのは当然だとか訳の分からないことを言って、なんでもかんでも押し付けていたクライブだが、将来妻にならないのだから、押し付けられる筋合いはない。
それになんでリンダの分まで押し付けるよ! 彼女がその美貌で教師に擦り寄って、成績を甘くしてもらっていることは有名だ。レポートなんか提出しなくても進級できるんじゃないの?
よりにもよってリンダとはね。クライブは噂を知らないのかしら?
「ま、いいか」
私はクライブたちの机にノートを返却してから教室を出た。もう赤の他人だから放って置いてもいいわよね。
* * *
「そうか、とうとう言われたのか、良かったじゃないか」
放課後、いつものように図書館へ行った私は、いつものようにそこにいる友、ルシアン様に教室での騒ぎを報告した。
ルシアン・ヘンリーズ様は薬学科三年の留学生。一年前にここで出会って顔見知りになり、ここで話をする友達になった。
プラチナブロンドにアンバーの瞳、中性的な美しさを醸し出す青年だったが、人を寄せ付けない冷たい印象を与えるので、女子生徒は声をかけ辛い。一応婚約者がいた私は最初から下心を持ち合わせていなかったので、純粋に話が合う友人として仲良くしていた。
本当は違う。
知性的で物腰やわらか、優しい彼に強く惹かれていた。
でも彼は一か月後、一年間の留学を終えて本国のランカスター王国へ帰っていく人、もう残りわずかだ、秘かに心を寄せていても罪にはならないだろう。
想いを告げることのない淡い初恋だった。
「でも、すんなり破棄が成立するか微妙なんですよね、きっとワイリー伯爵は許さないでしょうし、うちだって伯爵家との縁でメルローズ商会は事業の拡大に成功したみたいだし、繋がりを切りたくないはずです。私が蔑ろにされていようが恥をかかされようが、父は気にしませんから」
「酷いな、でも教室で宣言したんだろ、証人はクラスメート全員だ、取り消せないんじゃないか? 堂々と浮気を認めたんだし、君は慰謝料を請求できる立場だよ」
「慰謝料ったって、もしそうなっても、どうせ家に支払われるし、私の手には入りません、そんなお金が入ったらすぐにでも家を出るんですけどね」
私は頬杖をつきながら溜息を洩らした。働くことは出来ないから、この二年、送られてくる生活費を切り詰めてせっせと貯金している。
ルシアン様は聞き上手で、つい口が軽くなって愚痴ってしまう。彼が他の人に漏らすことはないと信頼しているから、私の家庭環境や逃亡計画も彼には打ち明けていた。
「クライブとの婚約は隠れ蓑にちょうどよかったんです、おかげで薬学科に入学出来ましたし」
メルローズ子爵家のタウンハウスから通うことも出来たけど、学業に専念するためと言って入寮を希望した。子爵家から通うと、おそらく家の手伝いもさせられるとわかっていた私は、少しでも実家から離れたかったので強引に入寮した。
家の手伝いをさせたい母はさぞ悔しい思いをしているだろう。
「結婚するのは卒業後だから、それまでに逃亡資金を貯める予定だったのに、ここで破棄されちゃうなんて少し早すぎました。もし、婚約がなくなったら退学させられるかも知れません、家に戻されて商会の手伝いをさせるために、無理やり従業員の誰かと結婚させて、縛り付けられるかも知れないし、早く逃げ出さなきゃ」
「逃亡してどうするつもりなんだ?」
「そうですね、王都に居たら見つかるかも知れないし、他国へ行って平民として暮らそうと思っているんです」
「貴族令嬢の君が、一人で市井に出てやっていけるのか?」
「貴族と言っても家は商店ですよ、平民の従業員とも交流があるし、平民の暮らしも知ってます」
「逞しいね」
「そうでしょ」
私は笑ってみせた。
「少し前まではね、夢を見ていたんですよ。いつかこんな状況から私を助け出してくれる王子様が現れるって。ふふっ、バカみたいでしょ、そんなのただの現実逃避だと気付いたんです。王子様なんか現れない、抜け出したいのなら自分でなんとかしなきゃダメだってわかったの」
「それで逃亡計画を立てたのかい」
「そうです、上手くいくことを祈っていてくださいね」
「もちろんだよ、そうだ、ランカスター王国に来ないかい?」
「えっ?」
「君とここで過ごした時間、けっこう気に入ってたんだよ、ランカスター王国に来てくれれば、また楽しい時間を過ごせるじゃないか」
「でも、私は平民になるんですよ、身分が……」
他国へ留学するくらいだから、彼はきっと裕福な身分の令息だ。上品な所作からも想像できる。
「身分なんか関係ないよ」
そうね、友達なら身分は関係ない。でも恋人にはなれないもの、それがわかっていて傍にいるのは辛いわ。
「ん? どうした?」
つい顔に出てしまったのだろう、翳りを察したルシアン様は小首を傾げながら私の顔を覗き込んだ。
「そうですね、ランカスター語も完璧だし、検討してみます」
もしランカスター王国へ行ったとしても、ルシアン様を頼るわけにはいかない。
「絶対だよ、遠慮なく頼ってよ」
「ありがとうございます」
「話は戻るけど、リンダって子、なかなかの曲者だと噂に聞くけど、大丈夫かい?」
「リンダをご存知なんですか?」
「有名人だから、三年の中にも彼女に貢がされたという生徒がいるからね、美人だからつい見た目に惑わされるんだろうね」
「やっぱり、美人は得なんですね」
「結局は中身が伴わないとダメだよ。付き合えばすぐに底が見えるし、都合のいい遊び相手にされるだけだ、彼女と本気で結婚したいと考えるおバカは、高位貴族にはいないよ」
「クライブは本気みたい」
「リンダは釣り上げたクライブに執着するよ、なんとしても手放したくないはずだ、だから君のことが心配だよ」
「えっ?」
「親の意向で婚約が破棄されないのなら、君を排除しようとするんじゃないかな」
「排除って、やだ、私、殺されるの?」
まさか、そんなサスペンス劇は起きないと思うけど……。
「あの手の人間はなにをしでかすかわからないからね」
冗談じゃ済まないのかしら? 確かに家督争いで事件が起きたって話は聞いたことがあるけど。
「ほんとに心配だよ」
ルシアン様は憂いを帯びた瞳で私を見つめた。
そんな目を向けられると心がチクッと痛む。
その心配はただの友情、わかっているけどそんな顔で言われたら勘違いしちゃうじゃない。
でも、ルシアン様の言うことも杞憂ではないかも知れない。まあ、殺人事件とまではいかなくても、リンダなら何かやりかねない。彼女の後ろには怪しい男の影があるから。
* * *
「なんでレポートが出来ていないんだ!」
翌日、一時限目が終わると、クライブは私の手首を掴んで強引に教室から連れ出した。そして、人気のない裏庭まで来たところで、そう怒鳴った。もちろん真っ白なノートを見ての怒りだ。
「なぜ? 婚約破棄したんだから、あなたとはもうなんの関係もないのよ、手伝う義理はないわ」
私はその手を振り払った。嫌だ、赤くなってるじゃない! きっと痣になってしまうわ。
「……婚約は、破棄されて、いない」
一緒について来ているリンダを気にしながら、クライブはボソッと言った。
「えっ?」
私はオーバーに耳を傾けた。
「だから、お前はまだ婚約者だ!」
「なんですって!」
リンダが先に声を上げた。私も、
「昨日、大勢の前で宣言したじゃない」
「父上が……許して、くれなく、て…」
尻すぼみになる情けない声。
「はあ?」
「父上に叱られたんだ! お前と結婚しなければ跡を継がせないとまで言われた。ワイリー家の事業はもう軌道に乗っているし、お前の家の援助は必要ないのに!」
よくもまあ、そんなことをサラッと言えるものだ。さんざん世話になっておきながら、恩を仇で返すようなことを平気でしようとするなんて。しかし、ワイリー伯爵はそうではないようだ。いくら順調だからと言っても、クライブの代になればたちまち傾くのを危惧しているのだろう。私の必要性を知っているのだ。
「なんでお前なんだよ! 父上にどうやって取り入ったんだ」
取り入っていないわよ、こっちも迷惑してるのよ。
確かに、私が期待されるほど有能ではないと示せばいいのかも知れないけど、試験で手を抜いてバカのふりをするのは矜持に反する。こういう融通の利かないところが世渡り下手というか、上手く立ち回れなくて損をしてしまうのよね。
「何もしていないわよ、ただあなたの数倍頭がいいのを見抜かれているだけよ、あなたでは将来ワイリー製薬の事業を引き継ぐのは無理だと思われているの、だから聡明な妻が必要なのよ、わからないの?」
「俺をバカにしているのか?」
「実際、あなたの成績はどん底じゃない、お父様に認められたければ、もっと努力しなさいよ」
もちろん学園での成績が全てではない、地頭の良さが必要なのだが、残念ながらクライブにはそれもない。努力しなさいと言ってはみたが、いくら努力しても持って生まれた才能がなければ天才にはなれない。私は自分が天才だと自惚れてはいないわよ、天才じゃなくても、クライブより数倍、数百倍努力を重ねているし、将来のこともちゃんと考えているわ。
残念ながら、クライブは何も考えていない。だから、よりにもよって、リンダみたいな女に引っかかるのよ。
「待ってよ、じゃあ、私はどうなるの?」
伯爵夫人になれると思っていたリンダが食いつく。
「こいつと結婚したとしても形だけだ、本当に愛しているのは君だけだよ」
「結婚は出来ないなら、愛人になれって言うの?!」
「実質の妻は君だけだ、不自由はさせないから安心してくれ」
「冗談じゃないわよ! 私が愛人でルースが正妻だなんて、バカにしないで!」
まあ、リンダが怒るのも無理はない、夫に蔑ろにされたとしても正妻の地位は揺るがない。婚姻制度を重視している我が国では、正式な催事に招待されるのは正妻で、妻帯者が愛人を伴うことは許されていない。
「結婚できないのなら、あなたとは別れるから」
リンダは強気だ。
「わかった、わかったよ、なんとかする。卒業までには父上を説得するから」
リンダがワイリー伯爵夫人になるに相応しい人物だと示せばいいんじゃないの? と突っ込みたかったが、彼女には容姿以外に取柄はない。リンダがいろんな教師に色目を使って成績を甘くしてもらって留年の危機を免れていることは有名だし、中でも学年主任教諭のノア・サイデルとは不倫関係にまでなっていることは、知る人は知っている。クライブの耳に入っていないことが不思議なくらいだ。
しかし、口にすると自分の成績に影響する恐れがあるので、みんな黙っているだけだ。そんなことが罷り通るこの学園は腐っている。
私を心配してくれたルシアンの言葉を思い出した。リンダのことだ、サイデルに頼んで私の成績を落とすか、私を蹴落とすために何か仕掛けて来るかも知れない。
注意しなければ。
* * *
「君の美貌なら、クライブなんかに執着しないでも、もっと高位貴族の子息を篭絡できるんじゃないか?」
「まあね、私の美貌とテクで虜にすることは出来るわよ、でも最初のうちだけよ、高位貴族とは教養も品格も違うし、すぐ化けの皮が剥がれちゃうわ、あまり高望みせずに、クライブぐらいのおバカがちょうどいいのよ」
リンダが深夜に女子寮を抜け出して、ノア・サイデルと逢引きしていることは知っていた。場所は薬学準備室、教諭は翌日の準備のための残業と称してリンダと密会しているのだ。
三十五歳のサイデルはもちろん妻帯者、子供も二人いる、立派な不倫だ。しかも生徒に手を出すなんて許されることではない。こんなことが学園に知れれば、社会的に抹殺されるのは間違いないのに、それでもリンダの誘惑に抗えなかったのだろうか。バレないと思っているのか?
「よく自分のことがわかってるじゃないか」
「ノアだって知ってるでしょ、私の教養のなさと頭の悪さを、薬学科に受かったのは奇跡よ」
「本当、強運だな」
「そうよ、私は運がいい女なの、だから今回の困難だって乗り切れるわ」
「どうあってもワイリー伯爵夫人の座を手に入れたいんだな」
「ワイリー製薬の事業は順調よ、メルローズ子爵家の手助けはもう必要ないらしいわ。ワイリー伯爵夫人になれば一生贅沢が出来るのよ」
「散財する気満々だな、こんな女に引っかかった息子はほんとバカだよな、せっかく親が築いた身代、食いつぶされるのがオチだな」
「でも、あの女がいる限り、私は伯爵夫人になれないのよ、忌々しいったらありゃしない!」
「ルースは優秀な頭脳の持ち主だからな」
「ワイリー伯爵はそれを見込んでいるのだろうけど、クライブはそんなの求めていないわ、美しい私を傍に置きたいのよ」
「でも父親が簡単に許すとは思えないぞ」
「だから、婚約破棄しなければならない瑕疵をルースに付ければいいのよ」
リンダはサイデルから離れ、薬品棚を開けて小瓶を一つ取り出した。
「そう言うことか、俺たちが小銭を稼ぐために、薬品を横流ししていた罪を被せようという訳か」
そんなことまでしていたの!? ほんとクズね。
なんかクライブが気の毒に思えてきたわ、リンダは彼を愛しているわけじゃない、お財布程度にしか思っていないのだろう。でも、その財布にお金を入れるのは父親で、クライブにはなんの権限もない。万が一結婚できても、父親が引退しない限り自由にならないのに。
わかっているのかしら?
私を陥れても無駄なのに。
「できるでしょ、ノアが証拠を捏造してくれればきっとうまくいくわ」
「ほんと悪い女だな、で、見返りは?」
リンダはサイデルの首に両手を回し、息を吹きかけながら耳元で囁いた。
「これからも若い女の身体を貪りたいでしょ」
ああ、悍ましいわ! こんな汚らわしい濡れ場は見たくないけど、みすみすリンダに陥れられるわけにはいかない。
クライブにこの現場を見せれば、リンダに愛想尽かすだろうけど、乳繰り合っている現場を目撃するのは……。
突然、ドアが開いた。
「なにをしている!!」
戸口に現れたのは、学園の校長と警備員だった。
当然、サイデルとリンダは慌てふためく。
「学園長! なぜここへ?!」
「なぜではない! これはどういうことだ!」
胸まではだけたあられもないリンダの姿、覆いかぶさっているサイデルも下半身丸出し。言い逃れ出来ない状況だ。
その後どうなったかは見届けていないけれど、まあ、想像は付く。
私がどうやってこんな場面を見て来たように詳細に語れたかって?
私は規則破りなんかしてないわよ、優等生だもの。リンダみたいに夜、こっそり寮を抜け出すなんてことはしない。
ではなぜ、すぐ傍で見ていたようにわかるのか、それは私の目になって代わりに見ていた存在があるからだ。その子は普通の人の目には映らないから、リンダやサイデルはもちろん学園長や警備員も、その子が近くにいてもわからない。
「お帰り、ミケ」
上手くいったわね、これでリンダとサイデルは消える、私を陥れることは出来ないわ。騙されていたクライブはさぞショックを受けるでしょうね。
子猫のミケは私の肩に飛び乗ると、頬ずりしてきた。
この可愛い子猫は、猫じゃなくて精霊だ。
精霊は普通の人には見えない。
* * *
一年くらい前のこと。
その日の放課後もクライブの分までレポートを書いていて、すっかり遅くなってしまった。
宵の空に満月が浮かんでいた。
頭上でガサガサと木の枝葉が揺れる音がした。
風もないのになに? と恐る恐る見上げた瞬間。
「キャッ!」
なにかが私の顔面に飛びかかった。
毛むくじゃらの温かいもの。
私は驚いて尻もちをついた。
「痛っ」
引っかかれた頬に触れると、手に血が付いた。
「ええっっ!」
嫁入り前の顔になんてことしてくれるのよ!
ミャア、と私を襲った奴が鳴いた。
それは子猫だった。木の枝から私の顔面にダイブして、無事に地面へ着地したのだった。
子猫はウルウルした瞳で私を見上げている。その瞳に満月の光が反射して輝いていた。そんな目で見られると怒れない。
「可愛い~」
私はその子を抱き上げて、思わず頬ずりした。
その子は私の傷をペロッと舐めた。ギザギザした舌の感触が妙に気持ちよかった。
「こんなところでなにをしているの? 迷子なの?」
そう言いながら子猫をマジマジと見た時、違和感を覚えた。
猫の姿をしているが……。
「あなたの名前、私がつけてもいいかしら?」
子猫は私の言葉を理解したようにコクッと頷いた。
「ミケ、あなたの名前はミケよ」
次の瞬間、子猫の身体が柔らかな光に包まれた。
やはりそうだ、この子は精霊なんだ!
書物の中では知っていたが、精霊の姿は普通の人には見えないはずだ、精霊を見ることが出来るのは魔力を持つ者だけ。じゃあ、私は魔力を持っているということなの?
その瞬間、希望の光が見えた。
今のままだと私の未来には暗雲が立ち込めているだけ、クライブと結婚すればワイリー伯爵家でクライブの尻拭い。もしも婚約がなくなってメルローズ子爵家に戻されれば、商会で母と兄にこき使われる。どちらにせよ、そこに私の意志も尊厳もない。
家を出たいと思っていた、何ものにも囚われず自由に生きたいと思っていても、それは夢だった。一応、貴族令嬢として育った私はそれが許されると思っていなかったし、勇気もなかった。
それに、少しくらい頭が良くても十代の女子が世間に出て、一人で生活していくのは並大抵ではない、さまざまな危険が待ち受けているだろう。
でも、魔力持ちなら、そして精霊と契約できた今なら……。
魔力を持つ者、それは希少な存在だ。しかし、魔力を持っていても使い方を知らなければ生かせない。故に自分が魔力を持っていることに気付いて、相応しい教育を受けなければ魔法使いにはなれない。
他国では魔力持ちだとわかると、特別な指導を受け、魔法が使えるようになれば、国に重用されると聞くが、残念ながら、我が国ではそういうシステムが確立されていなかった。
だから独学で魔力を使いこなせるようにならなければいけない。
こうして私の図書館通いがはじまった。
魔力、魔法、魔術に関する書物を読み漁った。もちろん精霊のことも調べた。血を与えて名前を付けることが精霊との契約、それは事前に知っていたので、契約の意志があるのか尋ねた。ミケが頷いてくれたので私たちの契約は成立した。ミケにどんな能力があるのからないが、その力を私に為に使ってくれるはずだ。
そんな時、ルシアン様と出逢った。
彼の母国ランカスター王国では魔力を持つ者の地位が確立されていると聞いたことがある。私が魔力や魔法に関する書物ばかり読んでいたのが気になったのだろう、彼の方から声をかけてくれた。
「魔法に興味があるのかい?」
「え、ええ」
「この国はその分野ではかなり遅れていると聞いていたが、興味を持つ人もいるんだね」
「私、変わりものですから」
自分が魔力を持っていることは伏せておきたかった。そんなことが知られれば、両親にどんな扱いをされるかわかったものじゃない。遅れているとはいえ、魔力持ちの存在は認められている。物珍しいから見世物にされかねない。
「魔法を使える者がいなくて、治癒魔法で怪我や病を治療することがないから、この国では薬学が発展しただろう、だから俺は留学したんだよ」
ルシアン様は言った。
「そうなのですか」
「治癒魔法を使える者ばかりに頼っていては、医学の発展は遅れるからね。その人の魔力量の多さによるけど、治癒魔法は万能で、どんな病も治してしまう。ただし使える人は多くないから一般の平民にまでは手が回らない。つまりは金持ち貴族しかその恩恵が受けられないということだ」
「だからね、誰もが平等に手に入る薬を普及させる必要があるんだよ」
ルシアン様は真剣に語った。彼はしっかりとした目標を持って留学されているんだと尊敬した。
私はどうやらその魔力を持っているようだけど、使い物になるかはまだわからない。ルシアン様が言う治癒魔法は最高難度だと書いてあった。
ただ、契約した日からミケはいつも私の傍にいてくれる。それだけでも心強い。ミケの姿は魔力を持たない普通の人には見えない。私の周りに魔力持ちはいないのか、それとも、私のように隠しているのかはわからないが。
ミケは命令しなくても私の気持ちを読み取ってくれているようで、いつも私を見下すクライブやその友人たちにこっそり意地悪をしてくれていた。持ち物を隠すとか、足元に物を落として転ばせるとか、可愛らしいものだけどね。
そうして数ヶ月、少しずつミケの能力もわかり、私は離れたところからでもミケの目を通して見聞きする術を知った。今回、リンダとサイデル教諭の動向がつぶさにわかったのもそのお陰だ。
そして、学園長が不自然な時間に薬学準備室に現れたのも私の計画だ。密告の手紙を送ったのだ。悪戯だと捨て置かれる可能性もあったが、手紙には必ず従うようにと魔力を込めた。とはいえ、本当に込められているか定かではないが……。
でも、結果、成功したでしょ。
* * *
薬品を横流ししていたこともバレて、サイデル教諭は逮捕された。
リンダは退学となり、実家の男爵家からは恥だと除籍されて放り出されたらしく、クライブに泣きついたが、いくらおバカなクライブでも、浮気していた相手を助けようとはしなかった。その後、彼女がどうなったかは知らない。
リンダに騙されていたと知ったクライブは、しばらく魂が抜けたように落ち込んでいた。
あの日、教室で派手に婚約すると宣言した相手のリンダが、ノア・サイデルと不倫関係にあったことが公になったのだ。恥もいいところ、笑い者になっていた。ちょっといい気味だわ。
だからと言って、私のとの関係が変わることもないけれど、未だに婚約破棄は正式に決まらなかった。
今のクライブには父親の意向に抗う気力はなさそうだ、と言うことは、やはりこのまま婚約は続行されるのかしら?
リンダの本性を暴いて、食い物にされる未来を防いであげたんだから、感謝してほしいくらいだけど、まあ、私の仕業と知らないんだからしょうがないか。
きっと卒業までクライブの勉強を手伝い、課題のレポートを書かされ、散々世話になっているのに毎日嫌味を言われ続けるんだろうな。そして極めつけ、また新たな恋人を見つけるだろう。
もう、限界かも。
という訳で、懐事情は心許ないが、計画を一年前倒しすることにした。
私は終業式が終わると、荷物をまとめ、実家へ帰るフリをして港へ向かった。
最後にもう一度ルシアン様に会って、さよならを言いたかったが、その後、会う機会がなかった。
私は誰もいない図書館で、初恋にさよならを告げた。
* * *
「お嬢さん、どこまで行かれるんですか?」
「ルシアン様!」
デッキで声をかけられて私は驚いた。なんで彼がここに?
「無事に脱出してきたんだね」
そうだ、この船はランカスター王国経由だった。でも、こんな偶然ってある? 一人でさよならを告げたのに、なんかカッコ悪いわ。そうは言ってもルシアン様はあずかり知らぬことだし、一人でバツ悪いだけだけどね。
「カルディナ王国まで行く予定です」
「カルディナか、でも君の魔力を生かすなら、ランカスターの方がいいと思うよ」
「えっ?」
ルシアン様はビックリ眼の私の肩に手を伸ばした。そこにはミケが乗っかっている。
「君が子猫の姿をした精霊を連れているのは最初から見えていたよ」
ルシアン様は指でミケの喉元を撫でた。
見えてるって? ミケも嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「えーっ!? じゃあ、あなたも魔力を持ってるの?」
ルシアン様は悪戯っぽい笑みで答えた。
「だって、治癒魔法の恩恵を受けられない人々のために薬学を学んでるって言ってたから、てっきり」
「俺は魔法使いだよ、治癒魔法も得意だ。だからこそ、前にも言ったように、数少ない魔法使いだけに頼らない方向を模索しようとしているんだ」
「そうだったんですか」
「それと、もう一つミッションがあったんだ。魔力を秘めた者をスカウトすること、俺には同類を見分けることが出来るからね、既に三人ランカスター王国へ送っているよ」
「最初から、私が魔力を持っていると見抜いてらしたんですか」
「そうだよ、でも君の力は俺の魔力に気付けないほど未熟だ。だからスカウトするべき人間か見極めていたんだ」
そんなふうに観察されていたなんて……。友達として見られてたんじゃなかったなんてショックだわ。
「ゴメンね、騙すようなことをして」
動揺を隠せない私を見て、ルシアン様は眉を下げた。
「我が国の魔法使いは王宮で重用されている。でも中には自分の魔力を過信して権力を得ようとする者がいるんだ。だから抑止力が必要になる。相手は魔法使いだから、それに対抗できる魔法使いでないとダメだ。だから今、邪な野心を持たず、魔法を世のため人のために正しく使える魔法使いの育成が急務なんだ」
「魔法を世のため人のために? 自分のためではなく」
「持てる者は持たざる者に施さなければならない」
「そんな高尚なこと、私には」
「君なら出来るよ、一年間、図書室でたくさん話をしたし、君の人となりはわかっている」
「買いかぶり過ぎです」
「君はまだ未成年だろ、逃げ出したところでうまく身を隠さなければ連れ戻されるかも知れない。ランカスターに来れば俺が護ってあげられるよ、国ではそれなりの地位もあるんだ」
「私を、なぜ……、って、そうですよね、私には利用価値があるからですね」
「そう取るか」
ルシアン様は困ったように肩をすくめた。寂しげに私を見る瞳にはなんだか熱がこもっているような……。いやいや、気のせいでしょ。
「気のせいじゃないよ」
「えっ? 魔法って人の心が読めるんですか?」
「いいや、俺にそんな能力はないけど、顔を見れば何を考えているかわかるくらい、ずっと君を見てきたからね」
ルシアン様は優しく微笑んだ。
「もし君が不遇な運命に抗いもせず、あきらめて受け入れるような子なら、また、ただ誰かが助けてくれるのを待っているだけの子なら、興味を持たなかっただろうね。でも君は、自分の力で未来を切り開こうとしていた、そんな君にいつの間にか惹かれてたんだ、気が付いたら好きになってた」
「えっ……?」
サラッと言ったけど、今、好きって? 私を?
「だから俺は、君が逃亡したら捕まえようと決めていたんだよ」
ルシアン様は茫然としている私の手を取った。
「ずっと俺の傍にいてほしいから」
夢じゃないわよね、握られた手から伝わる体温は本物だ。
「いいんですか? 私なんかがルシアン様の傍にいても」
「君がいいんだ」
ルシアン様はそっと私を引き寄せた。
自分にこんなことが起きるなんて思ってもいなかった。さよならを告げたはずの想いが、今、手の中にある。
この手を離さなければ、幸せになれる予感がする。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございました。
婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。
☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。




