牡丹一華
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1
放課後の誰もいるはずのない教室内で、二人の生徒が抱き合っていた。
私は眼前に広がる光景に理解が追いつかず、その場にへたり込んでしまった。
今まで感じたことのない激しい動悸と胸の苦しさに、私は両手で胸を押さえつける。
──その日、私は人生で初めての恋を自覚した。
それは同時に、恋の苦しみを知る経験となった。
■
新たな門出を祝福するかのように、桜の花が満開に咲き誇る四月の頭。
新学期を迎えた校門の周りには、下ろし立ての制服をきちんと着こなす新入生や、着崩れした格好を気にもしない在校生で入り乱れていた。
無事に進級をすることができた私には、慣れ親しんだ風景である。
故に人混みも意に介さずに校門を潜り抜けると、意気揚々にクラス表が張り出されている掲示板へと向かった。
「新しいクラスはどこかな~?」
と、口にしながら掲示板に辿り着くと、新しいクラスを調べる人たちでごった返していた。
仕方なく掲示板を遠くから眺めようとしたところ、見覚えのある男子生徒の後姿を捉えた。
周りより頭一つ分ほど飛びぬけた高身長に、小学生の頃から変わらないスポーツ刈りのこいつは、紛れもなく幼稚園の頃からの幼馴染の潮だ。
そのことに気づいた私は、潮に気づかれないよう、そっと息をひそめて彼の背後へと周り、
「おはようっ!」
と元気よく挨拶をしながら、彼の背中を力強く平手打ちをした。
「うをっ?」
突然の衝撃にビックリしたのか、潮は背中をのけ反らせて普段より気持ち高い声を漏らした。
「今日もいい声上げてるね。ところで潮は何組だった? 私はまだ確認できてないから、自分のクラスが何組かわかんないや」
潮は背中をさすりつつ、何か言いた気な表情で振り向いてきたので、私は矢継ぎ早に話しかけた。
そんな私を見て潮は呆れつつ、だけども嫌そうなそぶりを見せない小さな笑みを浮かべた。
「おまえも相変わらず元気だな。そんな捲し立てなくても答えてやるから、一旦落ち着けって」
「元気だけが取り柄なもんで、私にとってこれが平常なんだよね」
「知ってるうえで、もう少し抑えてほしいって言ってるんだけどな」
「私のアイデンティティを奪おうと?」
「奪うっていうより、処分してほしいってのが気持ち的には近いか?」
と、潮は顎に手を添えながら考え込むような仕草で呟いた。
奪うなら取り戻すことも可能だけど、処分したらもう二度と元に戻ることはない、ということだろうか?
流石に酷い言いようだと思う。
癪に障るとまではいかないが、否定されるのは気分が良いものではない。
私は文句の一つでも返してやろうと潮を半眼で睨みつつ、口を開こうとしたときだった。
「ふたりとも、相変わらずですね」
そんな私の気持ちを一瞬で穏やかにさせる、そんな優しくて透き通る声色が、鼓膜に心地よい刺激を与えてきた。
こんな天使のような声質の持ち主なんて、私の知る限りでは一人しかいない。
私は顔がニヤけるのを自覚しつつも視線を潮から外し、声が聴こえた方向に即座に体制を向き直した。
果たして私の視界には、本当に同じ高校生かと疑いたくなるほど、清らかな姿勢で輝きを放つ少女が微笑んで佇んでいた。
腰付近まで伸ばしているストレートヘアーに、整った顔立ち。
正に大和撫子と呼ぶに相応しい彼女こそは、我が大親友のぼたん嬢。
高校に入ってからできた友人だが、私と潮とぼたんは昨年度同じクラスで濃密な一年を過ごした仲だ。
故に、そんじょそこらの仲良しグループより深い絆で結ばれていると自負している。
「おはよっ! 会いたかったよー、ぼたん」
開口一番、私はぼたんを抱きしめた。
新学期が始まるまでの間、ぼたんに会えなかった日を想いだし、寂しさが爆発したのだ。
春休みの半分くらいは一緒に遊びに出かけたけどそれはそれ。
「おはようございます。一花さん」
ちなみにぼたんに抱きつくのは日常茶飯事のことである。
彼女も慣れたもので、特に動揺することもなく、私に抱きつかれたまま満面の笑みで挨拶を返してくれる。
ほんと良い子すぎでしょ。頬擦りしたろ。
「ふふっ、まるで猫みたいですね」
「にゃ~」
このまま、ぼたんの飼い猫になる人生も良いかもしれない。
そんなことを思った矢先、
「ふにゃっ!?」
「じゃれついてないで、さっさと教室に行くぞ」
潮に後襟を引っ張られ、ぼたんから引き剥がされてしまった。
「すまんな、秋月。いつもこいつが迷惑をかけて」
「浅原さんも、おはようございます。お気遣いありがとうございます。ですが、こんなに親しくしていただいて、むしろ嬉しいくらいです」
「ぼたん、よく言ってくれたよ。横暴な潮に私たちの仲をもっとアピールしてあげて」
未だ潮に襟を掴まれたまま、私はぼたんに加勢する。
「浅原さん、そろそろ一花さんを離してあげていただけないでしょうか? 流石に一花さんは本物の猫ではないので」
確かに、この格好のままだと本当に猫みたいじゃない?
ぼたんの猫になるのは大歓迎だが、潮の猫になるのは御免被る。
「ああ、すまんな」
潮はぼたんの言葉に素直に従い、私の襟から手を離してくれた。
「謝罪が軽い、もっと誠意をこめろ」
と、潮に文句を垂れるも、奴は私に一瞬振り向きはしたが、別段気にする素振りを見せず、ぼたんに話しかけた。
「そんなことより、そろそろ教室に行こうぜ」
「そうですね、今年も同じクラスですし、一緒に向かいましょうか」
「えっ、二人って同じクラスなの? なにそれぼたんと一緒なんてズルい。潮、私と変われ」
「は?」「えっ?」
私の要求に、潮とぼたんは面食らった表情を見せ、お互いに顔を見合わせる。
少しの沈黙のあと、潮が呆れ口調で私に想定外の言葉を投げかけてきた。
「何言ってるんだ? おまえも同じクラスだろ」
「そうなの!?」
そういえば、クラス表で自分のクラスが何組かまだ確認していなかった。
いやぁ、幸先の良い新学期を迎えられそうだね。
2
始業式もつつが無く終わり、それまで静かだった生徒たちもガヤガヤと騒ぎ立てながら体育館をあとにする。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行くから先に行ってて」
催した私は、ぼたんには先に教室に戻るように伝えて、そそくさとトイレに向かった。
幸いにも体育館近くのトイレは混んでいなかった為、さっさと用を足して教室へと戻った。
教室に戻ると、潮とぼたんが何やら楽しそうに談笑していた。
私が二人に近づくと、ぼたんがいち早く私の存在に気づいて微笑んだ。
「それでは、また放課後よろしくお願いしますね」
「ああ、わかった」
どうやら二人だけの会話だったらしく、私が来たことで会話を中断させてしまったようだ。
「ごめんごめん、話を中断させちゃったかな?」
「いや、殆ど用件はすんでたから問題ない」
じゃあなと、潮は右手を軽く挙げて自分の席へと戻っていった。
私たち三人は、偶然にも苗字が、東・秋月・浅原と、『あ』から始まる。
この学校の新学期は女子が窓側から、男子は廊下側から名簿順の為、席替えするまでは真逆の席となる。
なので潮は、仲良し三人組から一人悲しく孤立する。
席替えするまでは、私がぼたんを独占しようではないか。
「ということでぼたん。今日は潮と何か約束してたみたいだし、明日時間あったら学校帰りにモール行こ」
「明日ですね、もちろんお付き合いさせていただきます」
「やった。約束ね」
私は、ぼたんの右手を机の下から引っ張り出すと、小指を絡めて指切りをした。
「それにしても、私抜きで二人で予定組むって珍しいね」
「はい、今日ばかりはどうしても浅原さんに付き添っていただきたくて」
「そんな日もあるか」
私は意味もなく意味深に頷いた。
「まあ私は部活があるから、今日はそちらを頑張りますよってね」
「新学期早々からお疲れ様です」
「行事のある日くらい休みにしてもって思わなくもないけど、バスケは小学生のときから好きでやってるからね」
「また試合がある日は応援に行きますね」
「格好いいところ、見せてあげるよ」
私がガッツポーズをしてみせると、ぼたんは口元に手を当てて微笑んでくれた。
これは部活動に力が入るってもんですわ。
その後も暫く、ぼたんと取り留めのない話をしているとチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。
なので雑談を打ち止めて私も自分の席に戻った。
ホームルームは担任の先生の簡単な自己紹介から始まり、続いてクラスメイトも名前と挨拶のみで済ませる程度の流れで進行した。
新入生でもないので、流石に出身中学や意気込みを話すことはなかった。
何より一年も学校に通っていれば、顔馴染みもそこそこいる。
今更多く語るほどのことはない。
気になることと言えば、潮の自己紹介のとき何人かの女子が熱い視線を送っていたけど、意外とモテるのかな?
幼馴染贔屓かもしれないが、確かに見た目は悪くない。
ただ性格に難ありだと思うから、よく見定めたほうが良いと思うぞ。
なんてくだらないことを考えているうちに、ホームルームはあっという間に終了した。
私が部活に向かう準備をしていると、先に帰り支度を済ませたぼたんが「また明日」と挨拶してくれた。
私も「またね」と軽く手を振って教室を後にした。
今日の部活は練習ではなく、来週行われる新入生への部活動紹介の内容についてミーティングをすることになった。
先ずは部長が、活動時間と日々の練習内容を伝える簡素なものをベースとして提案し、他に意見がないか部員のみんなに問い掛ける。
「ここ数年の実績を言うとか?」
「確かにそれは入れようか」
「去年の演劇部みたいにコスプレするとか」
「それはバスケと関係ないね」
みんな思い思いの意見を言い、部長が捌いていく。
「はいはい、何かバスケの実演がしたいです」
私は体育座りをしつつ、右手を高く挙手して意見を出した。
昨年新入生として各部の紹介を見たとき、青春を語る部活より実演をしてみせた部活のほうが印象に残っていた。
なので、何かしら実演するのはどうかなと思ったのだ。
「基礎練習を見せる感じかな? 壇上だとできることは限られそうだけど」
「もう試合風景見せちゃいましょ。ゴールはないから、誰かが代わりにやってもらうとかして」
「それはポートボールだ。まあシュートはできないが1on1を少しやるくらいならいけるかな?」
「悪い、ちょっといいか」
部長が私の意見を考慮してくれていたところに、顧問の先生が割入ってきた。
「過去にサッカー部が実演で壇上の備品を壊してからボールの使用は禁止されてる」
「ええー」
それは諸注意として、先に伝えてほしかった。
それからみんなの意見をまとめ、活動紹介の方向性が決まったところで、部活はいつもより早く終了した。
自主練をしたい人は残ってもいいとのことだったのでこのまま残ろうとしたが、鞄に水筒が入っていないことに気付いた。
教室に忘れたかな?
私は一旦教室に戻ることにした。
このときの私は、教室に水筒を忘れたことを後悔することになるとは、つゆも知らずにいた。
教室に着き、出入口の扉を開けようとしたら、ふと扉のガラス窓から室内に人が居るのが見えた。
人が居るだけなら気にせず教室に入るのだが、私の身体はそのまま硬直してしまった。
何故なら、視界に映った光景が、男女の抱き合ってる姿だったからである。
女子生徒は男子生徒の胸元ほど背丈で、顔が見えない。
対する男子生徒も、こちら側からでは後ろ姿しか見えない為、顔を確認することはできない。
それでも私には二人が誰なのか一目瞭然だった。
だって二人とも、私の大切な友人だから。
それなのに、二人がこんなことする関係だなんて全く気付きもしなかった。
ねぇ……どうして、ぼたんと潮は抱き合っているの?
私はこれからの一年に思いを馳せながら、潮とぼたんとともに教室へと向かうのだった。
3
私は思わず、その場にへたり込んでしまった。
同時に、今までに一度も感じたことのない不安感が、身体中を蝕んでくる。
胸が苦しい、痛い。
鼓動がどんどん速くなっていく。
私は胸を両手で強く押さえつけて、大きく深呼吸をする。
まだ不安感は拭えないが、鼓動は少し落ち着いたように感じる。
思いの外、二人の姿は衝撃的だったようだ。
それにしても、どうして二人は抱き合っていたんだろうか?
もしかして、二人は付き合ってる?
いやいや、まさか。二人とはよく一緒にいるが、そんな素振りは一度も見たことない。
私が考えあぐねると、教室の中から声が聴こえてきた。
盗み聞きは良くないと思いつつも、追求心が勝ってしまい、二人に気づかれないようにそっと耳を澄ませた。
──抱きしめられて、どう感じた?
──一花さんに抱きしめられているときと比べ物になりませんでした。友人と想い人とでは、こんなにも違うのですね。
──これで気持ちの整理はできたか?
──はい。私の好きは友愛としてではなく、恋愛としての好きだと自覚できました。恋ってこんなにも素敵なものだったんですね。
──そっか、それを知れて俺も嬉しいよ。
それ以上二人の言葉は耳に入ってこなかった。
二人は付き合っていないと、心の何処かで否定していた考えは見事に打ち砕かれた。
正確には今から付き合い始めるのだろう。
そうなると、今後二人の時間が増えるよね。
今までみたいに私も一緒だとお邪魔だよね。
二人なら気にしないって行ってくれそうだけど。
ああ、胸が凄く痛いなぁ。
私って最低だなぁ。
二人が恋人になることを素直に祝福できそうにないなんて。
「私の心臓、治まってよ……」
胸を押さえつけている腕に、力が更にこもる。
それでも何ら症状は変わらない。
深呼吸をしようにも、呼吸は乱れていくばかり。
ここまでくれば、流石の私でも自覚する。
「私も……好きだったんだ」
二人に鉢合わせてはまずいと、重い腰をあげて、ふらふらと体育館に戻る。
水筒は教室に置いたままだけど仕方がない。
何だか自主練をする気力もないので、そそくさと帰り支度を済ませて帰路へとついた。
家に帰ると、台所にいた母親に、今日は食欲がないことと水筒を学校に忘れたと伝える。
大丈夫? と、心配してくれたが、病気ではないので、久しぶりの学校で思ったよりも疲れたと嘘を吐いた。
自室に戻ると、私は制服のままベットへと倒れ伏した。
制服がシワになるとか、部屋着に着替えなきゃとか気にする気にもなれない。
スマホでSNSのチェックを気力すら湧かない。
気怠さに押し潰されて、私は気づかぬうちに眠りへと堕ちていた。
翌日、制服のまま寝てしまった私は、一旦シャワーを浴びてから学校に向かった。
教室に入ると、既にぼたんは自分の席に座っていた。
潮はまだ来ていないようだ。
私の席はぼたんの後ろなので、そのまま窓際へと進む。
途中でぼたんと目が合い、にこりと微笑まれる。
普段なら直ぐ様ぼたんに駆け寄って話しかけるのだが、今は話し掛けづらい。
だからと言って、無視をするのは間違っている。
このモヤモヤした気持ちは私個人の事情なのだから。
「ぼたん、おはよっ!」
「おはようございます、一花さん」
ぼたんに気づかれないように、極めて自然な挨拶を交わし、私は直ぐ後ろの席に座る。
するとぼたんは身体をこちらに向けて、少し首を傾げた。
「今日は抱きついてくださらないのですか?」
いつもの私はなにやってるんだぁ。
頭を抱えたくなるが、何とか冷静さを装う。
確かに、潮のことを好きだと知らなければ、いつものように抱きついていただろう。
でも、二人は付き合っている以上、同性であっても過剰なスキンシップはできない。
大体ぼたんは、昨日潮と熱い抱擁を交わしていたのに、私にまで求めるのは節操がなさすぎない?
いや、同性だからといって今までしてきた私も人のことは言えないか。
元々誰に対しても距離感は近い方だったかもしれない。
とはいえ、抱きつかれるのが当たり前と認識されるほど、ぼたんに対して度が過ぎたスキンシップをしていたのだなと自覚する。
「流石に2年生だし自重を覚えたんだよ」
「そうですか……」
ぼたんは、何故か寂しそうな顔で俯いた。
そんな顔をしないで欲しい。
「それより、今日はどのお店に行きましょうか?」
「へっ?」
そういえば、昨日モールに行く約束してたんだ。
すっかり忘れていた。
「ごめん、急用ができて行けなくなった」
私は、顔の前で両手を合わせて頭を下げる。
勿論、急用なんてものはない。
ただ取り繕う余裕がなくて、咄嗟にでまかせを言ってしまった。
「そうですか。用事があるなら仕方ないですね」
発言とは裏腹に、ぼたんは先ほどよりも更に悲しそうな顔をした。
これは流石に私が悪い。
「今度埋め合わせするよ。そうだ、今日も潮と遊んできたら?」
「浅原さんとですか? 今日は特に用はありませんが」
「でも一緒にいたいでしょ?」
「いえ、確かに男子生徒の中では仲が良いほうですが、別段そこまででは」
付き合い始めって、もっと一緒にいたいもんじゃないの?
それとも付き合えたことで余裕ができた?
ぼたんの気持ちがわからない。
「私のこと気にしてるんだったら、気を使わなくていいよ」
「気にしてるも何も、浅原さんには申し訳ないですが、本当に何も思っていないので……」
ぼたんは、困り果てた顔で答える。
「何も思ってないなら昨日何で抱き合ってたの……」
どうにも、ぼたんの言動に納得のいかない私は、思わず震えた声で細々と呟いてしまった。
「っ!? 見ていらっしゃったのですか?」
か細い声だったが、ぼたんには聞き取れたようだで、驚きの表情を示し、開いた口を片手で覆い隠した。
「やっぱり抱き合ってたじゃん……」
喉がギュッとつまりながらも、声を絞り出す。
また胸が苦しくなってきた。
「それには事情がありまして──」
「どんな事情があっても事実だよね。ごめんね、なんか今の私、感情がぐちゃぐちゃで素直に二人の仲を祝福できそうにないや」
ぼたんの言い訳を遮って、私は捲し立てる。
居ても立っても居られなくて、私は席を立ち上がると、教室を飛び出した。
ちょうど教室に入ろうとしていた潮とすれ違ったが気にする余裕はなかった。
4
逃げ出したはいいものの、何処か向かう場所があるわけでもない。
知らないうちに流れてた涙の後を消すため、私は手洗い場で顔を洗うことにした。
「ちょっといいか?」
蛇口を捻ろうとしたところ、急に話しかけられた。
振り向くと、そこには潮とぼたんが立っていた。
潮は気難しそうな顔をして、ぼたんは瞳に涙を浮かべていた。
「なに?」
私は素っ気なく答える。
「話があるんだが、ここは人も多いし、場所を変えようか」
「私にはないんだけど?」
「教室での出来事を秋月から聞いた。昨日の件で誤解があるようだから、ちゃんと話したい」
ばっちり目撃してるし誤解も何も無いと思うんですけど。
そう思いつつも、潮の真剣な眼差しから、私はしぶしぶ了承した。
「それで誤解って何?」
校舎裏の人気のない場所に移動するやいなや、私は潮に尋ねた。
「確かに昨日、俺は秋月を抱きしめた。だがな、あれは秋月の気持ちを確かめる為にしたことだ」
「だから、それで二人は好き合ってたんでしょ? ぼたんが恋愛として好きって言ったのも、潮がそれに喜んだのも聞いてるんだから」
私の発言に、ぼたんの顔が強張るのがわかった。
やっぱり誤解じゃないじゃん。
「いや、その発言はだな」
潮がまだ言い訳をしようとして、私は苛立ちを覚えた。
「言い訳なんてしないで! 別に二人が恋人になっても誤魔化す必要ないでしょ? もうこれ以上私を苦しめないで」
「苦しめないでって……」
「苦しめてんの! 二人がただの仲の良い友達だったら苦しくなかった! でも私も好きだって気づいちゃったんだもん! 好きを自覚して直ぐに失恋とか苦しいに決まってんじゃん!」
「好きと言ってくれるのは嬉しいが──」
「誰が潮のこと好きって言った? 自惚れるな! 私が好きなのはぼたんなの! 女の子同士なのに、好きになっちゃったの!」
想いが溢れ出したら、言葉を止めることができなかった。
泣きたくなるくらい、最低の告白だ。
「私が好きな人も、浅原さんではなくて、一花さんです!」
そんな最低の告白に、ぼたんから予想外の答えが返ってきた。
「へっ?」
落ち着きを取り戻した私は、改めて昨日の出来事順に説明を受けた。
どうやら、昨日二人は私の誕生日プレゼントを買いに出かけたらしい。
すっかり忘れていたが、今日は私の誕生日だった。
それでサプライズをする為に一旦教室に戻り、私の机の中にプレゼントを入れたとき、ぼたんから私のことで相談を受けたそうだ。
──一花さんへの気持ちが友愛なのか恋心なのか、はっきりさせたいです。なので一度私を抱きしめていただけないでしょうか?
潮は最初こそ断ったものの、真剣な眼差しで見つめるぼたんに根負けして抱きしめるに至った。
そこでぼたんは、改めて自分の気持ちを確認することができた。
ちなみに潮が喜んだ理由は、百合の花が咲いたからとか意味不明なものだった。
「確認の為とは言え、殿方と抱擁してしまったのは私の落ち度です。ですが、誓って申しあげますが、一花さんに抱きしめられるときの高揚感は微塵もあ感じませんでした。寧ろ、ゴツゴツした感触に体臭が不快でした」
ぼたん、テンパってるのかもしれないけど、何気に酷いこと言ってるよ?
ちらりと潮を見るが、気にした素振りは無さそうだ。
寧ろ、尊いものを拝めるようなその表情は何なの?
「ですから、私の想い人は一花さんです。抱きしめられたいのも、これから先、ずっとずっと一緒に居たいのも一花さんだけです」
思いの丈をぶつけて、肩で息をするぼたん。
普段見せることのない姿に、ぼたんの本心が伺える。
「ありがとう、ぼたん。さっきは酷い告白だったけど改めて言わせて。私もぼたんが大好き。ずっと一緒にいよう」
「はいっ!」
互いの想いをぶちまけて、先ほどまでとは打って変わって清々しい気持ちで溢れ、私はぼたんを抱きしめた。
今までとは比べ物にならないくらい、強く強く、もう離さないと誓うように。
「良いものを見させてもらった。俺は先に戻るが、朝礼までには二人も戻れよ」
そう言って、潮は私たちに背を向けて立ち去った。
足音が遠ざかる中、私たちは立ち去る潮を気にすることなく抱きしめ合う。
私は嬉しさのあまり抱きしめるだけでは飽き足らず、ぼたんの顔に頬擦りをする。
ぼたんは、優しい眼差しで私の頭を撫でてくれる。
「一花さんって、ほんと猫みたいですね」
「ぼたんの猫になら喜んでなるよ」
確か昨日も同じことを思ったなと振り返りつつ、私は笑顔で答えた。
「えっ、あの……それは、どういった意味でしょうか?」
対して、ぼたんは急に慌てふためく。
何故に頬をそんなに赤く染めているのだろうか。
私の発言に何かおかしなところでもあったのかな?
「あ、いえ、何でもありません」
私が首を傾げると、ぼたんは慌てふためいて、顔を両手で覆った。
「えぇ、何か凄く気になる反応なんですけど」
「うぅ、穴があったら入りたい気持ちです……」
「穴がどうかしたの?」
か細い声だったのでよく聴こえなかったので、辛うじて聴き取れた部分を確認する。
しかし、ぼたんは顔を隠すどころか、私から離れると背を向けてしまった。
「いえ、そういう意味では……ああ、私はなんてはしたないのでしょう」
それどころか、ぶつぶつ言いながら完全にうずくまってしまった。
よくわからないけど、落ち込んでしまったようだ。
ここは恋人として励ましてあげる場面だろう。
「ぼ・た・ん♪ こっち向いて」
「申し訳ないですが、今は会わせる顔がありません」
「いいから、いいから」
私はぼたんの手を取り、隠していた顔を開かせたると、ぼたんはしぶしぶと私を上目遣いで見つめてくれた。
その瞳が少し潤んでいて、少し怯えた表情に感じられたが、握った手に加わる圧力から拒絶ではないと思う。
大丈夫、先ほど私たちの想いはちゃんとお互いに伝わった。
だから今度はそれを形に示せば良い。
「ぼたん……」
「何でしょうか?」
私は目線を合わせて名前を呼びかけると、ぼたんの小さくて可愛らしい口が開かれた。
すかさず私は──
「んっ」
「っ!?」
その口を、私の口で覆った。
人生初めてのキス。
これが正しいやり方なのかわからないけど、私の想いは十分に乗せた。
「どうかな? 少しは元気出た?」
私は口を離すと、ぼたんに問い掛けた。
「ふにゅ〜」
しかし、ぼたんは元気になるどころか、のぼせたように顔を真っ赤にしてぼーっとして、そのまま私に身体を預けてきた。
「ええ、どうして? 恋人同士のキスって元気になるって漫画で読んだのに」
「一花さんとキス……一花さんからキス……」
うわ言を呟き続けるぼたんの身体を支えながら、どうしてこうなったという戸惑いと、彼女の温もりの心地よさにこれはこれでと思う気持ちで混乱し、暫くこのままの態勢で時間だけが過ぎていった。
■
──その日、私は人生で初めての恋を自覚した。
それは同時に、恋の苦しみを知る経験となった。
そして私は、人生初の恋人との未来に、希望と期待に胸を膨らませるのだった。
了