第8話(2)
綾史が2回目の離婚調停にも無断欠席したことで、十和子は考えを改めた。
第三者に入ってもらった方が少しは話が進むかも知れないと思っていたが、彼が望む通りに一対一で話す場を設けなければ、きっと何も変わらない。
「もう一度自宅に戻って、綾史に会うことにするわ」
「ふたりきりで話すつもりか?」
「うん。そうしないとずっと平行線な気がして」
十和子の意向を聞いた将臣は、思案顔をした後、こう提案した。
「それなら弁護士をつけよう。俺も一緒に行く。彼にも浮気相手を同席させるように言ってくれ」
そうして話し合いの当日、十和子は将臣と、彼の友人である弁護士の有岡を伴って綾史を訪ねた。
十和子が寿真を連れて帰ってくると期待していた綾史は、息子ではなく見覚えのない成人男性を引き連れてきた妻に落胆の色を隠せなかった。
「…十和子。この人達は誰だ?」
「まずは中に入れてもらえますか?詳しいことは座って話しましょう」
再会を喜ぶどころか笑顔もなく淡々と話す十和子を見て、綾史の心はざわついた。
彼は十和子が自分の気を引くために離婚を切り出したのだと思っていた。
直接頼みに来いと伝えはしたが、綾史に離婚の意志はなく、顔を合わせて少し話せばまたいつもの日常が戻ってくると思っていた。
だから男性の一人に差し出された名刺を目にした時、彼は動揺して思考を停止した。
「私は弁護士の有岡です。奥様から今回の話し合いへの同席を依頼されました。本日はよろしくお願いします」
「弁護士…」
彼の隣から名刺を覗き込んだ美舞は、落ち着かない様子で向かいに座る十和子達に伺うような視線を向けた。
「私は安曇と申します。私のことは十和子さんの保護者と思ってください」
「…保護者にしては私達と同じくらいの年齢のようですけど」
美舞の不躾な視線と嫌味に対し、将臣は全く動じなかった。
「十和子さんの亡くなった御父上の血縁の者です。彼女のご両親の代わりに同席させていただきました」
「…どういうつもりだよ、十和子」
綾史はようやくいつもの調子を取り戻したようで、将臣のことも有岡のことも無視し、真向かいに座る十和子を睨みつけた。
「いきなり何の連絡もなしにいなくなって、どれだけ心配かけたと思ってるんだ?捜索願まで出したんだぞ。離婚の話をする前にまず謝るのが普通だろ」
「連絡をしなかったのは謝るわ。でも本当に私だけのせいなの?あの日、美舞さんと礼良ちゃんを車で家まで送ると言って、私は歩いて帰った。もし一緒に帰っていたら、突然いなくなることもなかったわ。それにあなたその日はそのまま美舞さんの家に泊まったんでしょう?そのことについてあなたからは何もないの?」
「やっぱりお前あの時の腹いせで家出したんだな」
「腹いせじゃないわ。将臣君がお祖母様が危篤だからと、わざわざここまで迎えに来てくれたの。次の日に私は熱を出して寝込んでしまって、スマホの電池もなくなっていたからしばらく連絡できなかった。理由になった?」
十和子が強気に言い返すと、綾史は怯んだようだった。
そしてふと彼女の手元に視線を落とし、あることに気づく。
「お前…指輪は?」
「指輪はこの前捨てたわ」
「捨てた?」
「先々月ここへ来た時に。離婚が本気だと知ってもらいたくて、美舞さんの目の前でリビングのゴミ箱に捨てたの」
彼は驚いた顔をして、隣に座る美舞の方を振り向いた。
どうやら指輪のことは綾史に報告していなかったようだ。
彼女は視線に気付かないふりをして、そのことに苛立った綾史は立ち上がってゴミ箱を覗いた。
しかし当然指輪は残っていなかった。
戻ってきた綾史は申し訳なさそうに十和子に謝った。
「ごめん、気づかなくてゴミ収集に出してしまったみたいだ」
「そうでしょうね」
十和子が最後にこの家に来てから1ヶ月以上も経っているのだ。
あの美舞が拾って残しておくとは思えなかったし、予想はついていた。
「でももう要らないものだから、気にしないで」
「…なに言ってんだよ」
綾史は僅かに苛立ちを見せたものの、いつもと違う十和子の態度に明らかに戸惑っていた。