第6話(2)
十和子は美舞よりも先に玄関へ向かった。
何も言わずに鍵を開けると、礼良は元気よく家の中へ入って来た。
「おかーさん、ただいま!」
子どもは疑うことを知らず、時に残酷なほど素直だ。
美舞の声で起きかけていた寿真が完全に目覚め、泣き声を上げる。
十和子の存在に気が付いた礼良は、びっくりした顔をして十和子を見た後、その後ろにいる母親と目が合って気まずそうに視線を泳がせた。
「礼良ちゃん、おかえりなさい」
「……」
「美舞さん。どういうことですか? ここはお二人の家ではないですよね?」
十和子が寿真をあやしながら詰問すると、美舞は悔しそうな表情を浮かべた後、聞かせるように溜息を吐いた。
そうして何かが吹っ切れたのか、彼女は再び十和子に侮るような視線を向けた。
「私が綾史の家に来てるから、学校が終わったらこっちに来てって礼良に言ってただけ。子どもは帰ってきたらどこでだって『ただいま』って言うわよ。あなたはまだ知らないだろうけど」
「礼良ちゃん、学校から一人でここまで来られるんですね。それだけ何度も来ていたってことですよね」
「道順なんてすぐ覚えるでしょ。ちょっと何?あなたの家でただ『ただいま』って言っただけなのに、そこまで責めるの? まだ7歳の子どもに大人げないと思わない?」
「礼良ちゃんを責めてなんていませんよ。ただ、大人と一緒ならともかく、7歳の子が一人でここまで来られることがすごいなと思っただけです。こんな住宅街で、同じようなマンションもたくさんあるのに、よくこの場所を間違えずに覚えていたなあと思って感心したんですよ」
十和子は靴を履いたまま困惑している礼良を振り返り、膝をついて視線を合わせた。
「礼良ちゃん、いらっしゃい。どうぞ上がって」
「…うん」
「おなかすいたでしょう。おばさん帰って来たばっかりでおやつを用意できていないの。いいかな?」
「おやつあるよ! 昨日あやふみが買ってきてくれたの!」
「礼良!」
美舞が咎めるように名前を呼んだが、もう遅かった。
思いがけず怒られた礼良はびくりと震えて俯く。
十和子は一瞬口元に笑みを浮かべると、悟られないよう怒った表情を作って美舞に向き直った。
「昨日は夜遅くまでいたんですね。本当に泊まらなかったんですか?」
「……」
「どうせ家の中を見たらわかるんですから、正直に話してください」
「……そうよ。数日前から泊まってたわ。綾史に頼まれてね」
「そうですか」
「あなたなんで帰って来たの? このままもう帰って来ないと思ってたのに。というか帰って来なくてよかったのに」
美舞はとうとう本音を口に出した。
一度零れ出てしまえば、後は感情の赴くまま。
「勝手にいなくなって、綾史を試すつもりだったんでしょうけど逆効果よ。綾史はあんたのこと面倒臭いって。私といる方が気が楽だって言ってたわ。『このまま一緒に暮らすか?』とも言われたし。
そもそも綾史はあんたと結婚するつもりなんてなかったの。妊娠したから仕方なく責任を取ったのよ! 結婚することになったって報告してくれた時、私にハッキリそう言ったんだから!
その頃には私達、もうそういう関係だったのよ。あんたと別れて結婚しようかって話にもなってた。それなのに勝手に妊娠して、綾史を縛り付けたのはあんたよ! 私と綾史の仲を引き裂いたくせに被害者面しないで!」
そういうことか、と十和子は思った。
既に二人の関係を知っていた彼女には何の驚きもなかったが、ショックを受けているように演技した。
改めて当人から不倫の事実を聞かされて、全く心が傷つかないわけではなかった。
だが十和子はそれ以上に怒っていたし、悲しむよりも喜びの方が大きかった。
家の中に入ってからずっと、十和子のバッグの中では録音アプリが作動していた。




