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古箪笥の話

作者: 明石
掲載日:2022/10/23


 私の家には大きな古箪笥がある。なんでも曾祖母が曽祖父に嫁ぐ際に嫁入り道具として持ってきたらしい。かなり年季の入った箪笥である。


 昔は祖母が使っていたらしいが私が二歳の時、祖母が亡くなり祖母の遺品整理をして以来誰も使っておらず開けてすらいないという。


 私がその古箪笥に興味を持ったのは、小学校五年生の時だった。


 当時の学校の社会の授業では地元の伝統的な工芸品を取り扱った授業を行っていた。授業の中で実際に工場へ見学に行き作る過程を眺めたりもした。


 そんなことだから普段の生活している上では気にも留めないような古箪笥が家にあることを学校の授業中に思い出したのだ。


 学校が終わり、家に帰ると玄関の扉は閉まっていた。大方母は夕飯の買い物に出かけたようだ。ランドセルのポケットから家の鍵を取り出し、家へと入る。


リビングのテーブルには母からの書置きで夕飯までに宿題を終わらせておいてと書かれていた。ひとまず言うとおりにして宿題を始めたが、やはり古箪笥のことが頭をよぎって勉強に集中できない。二、三度頭を振って忘れようとしたがやはりだめだった。それくらい子供の好奇心は強いのだ。私は宿題をすることを諦め、和室の部屋にある古箪笥を見に行くことにした。


和室は一階の廊下の突き当りにある。誰も使っておらず、半ば物置と化している。


 ふすまに手をかけ、部屋の中に入る。部屋は長いこと誰かが入ったことがないようで埃っぽかった。無造作に置かれた荷物をよけつつ、私は部屋の奥にある古箪笥の前にたどり着いた。


 古箪笥はやはり以前見た時と変わらず置かれていた。部屋の薄暗さと小窓から入ってくる光が表面の漆塗りに当たり、大きさ以上の存在感、重厚感を醸し出していた。家に私しかいないからであろう、私は少し恐ろしく感じた。


 古箪笥は縦に四つの引き出しがあった。私は一番下の引き出しの鐶に手をかける。鐶は冷たくひんやりとしていた。その冷たさに思わず手を引っ込める。一番下の引き出しには少しへこんだ傷のようなものがあった。私はその傷をなでる。なぜこうなったのか想像する。なにかものをぶつけたのか、はたまた足で蹴ったのか、もしくは焦って開け閉めしたときについた傷なのかもしれない。そんな歴史を感じさせるようなものなのだ。私はそのまま視線を上の引き出しへと向ける。不思議と一番下の引き出し以外には傷がなかった。意識を一番下の引き出しに戻す。


 私はもう一度鐶に手をかけ、引き出しを引いた。建付けが悪いのか、思ったように開かない。何度か力任せに引っ張っているとガコっというつっかえが取れたような音がすると同時に引き出しが思いっきり開いた。私は後ろに吹っ飛び、しりもちをついた。しかし引き出しがようやく開いたという達成感からすぐに立ち上がり、引き出しの中に何が入っているのか見た。


 最初は何も入っていないように見えた。というのも最初は引き出しの中が光の加減で暗く見えるようになっていると思っていたのだ。しかし眺めていくうちにそうではないことに気が付いた。なんというか引き出しの中全体が暗いのだ。それに引き出しを引いた時に何かが入っているような重さがあったことも思い出した。


 私は恐る恐る引き出しの中を近づいて覗いてみた。やはりなにか暗いものが入っているようだ。眺めていると吸い込まれてしまいそうな暗さだ。そして何を思ったのか私は引き出しの中に手を入れてその物体が何か確かめてみようと思った。恐る恐る手を入れていく。そしてもう少しでその暗い物体に手が触れそうになる。私は触れたらすぐに手を引っ込めようと思って今か今かと思っていたがそんな物体はなく引き出しの底を目指して手は進んでいった。私は目の錯覚で何か暗い物体があるように見えただけだったのかと安心した。やはり少し怖がっていたのだ。


 そんな私の安心も少しのものだった。いくら手を下に下げても引き出しの底に触れないのだ。そのことに気づいて手を引こうとしたが既に遅かった。あまりにも手を下げすぎたせいか私はバランスを崩し、引き出しの中に入りそうになった。いやこの場合は引き出しに落ちそうになったという表現のほうが正しいかもしれない。なんとか引き出しの縁に捕まる。なんとか引き出しの中に落ちるのを防いだ。さっきは何ともなかったが引き出しの中に吸い込まれているような気さえしてきた。


 私は急いで体を起こし引き出しを力任せに閉めようとした。しかし開けた時と同じようにうまく閉まらない。私は無我夢中で力任せに閉めた。いったいこれは何だったのだろうか。私はしばらく閉めた古箪笥の前に座り込んで動くことが出来なかった。


 落ち着いてきた時、私は先ほど開ける前に触っていた傷が広がっていることに気が付いた。そうだ。私が引き出しの中に落ちそうになった時、必死になってつかんだ場所だ。それに力任せに閉めるときに触っていたところでもある。しかしその傷は私が触る前からあった。そう考えているとさらに私は恐ろしくなり、急いで和室を後にした。


 しばらくして母が夕飯の買い物から帰ってきた。私は母に古箪笥のことについて聞いてみた。すると母は


「私は使ったことないわよ、ずっとおばあちゃんが使っていたから。でもなぜか小っちゃい頃から勝手に開けないでって言われてたっけ。」


と言った。ではあれがなんなのか祖母しか知らないのか。いやでも祖母の遺品整理の時に開けたはずだ。そう思った後、私は考えるのをやめた。あれが何か知ったところでどうこうなる問題じゃない。触れてはいけないものなのだ。


 それから私は古箪笥の話は一切誰にも話さなかった。あれから今まで18年、古箪笥はずっと和室にあったし誰も開けなかった。私も大学を卒業し一人暮らしを始めた。


 母は数年前から入院していたが最近はボケてきているのか私が誰なのか認識できなくなってきていた。


 母が亡くなる三日前、私がお見舞いに行くと母はベッドで体を起こし窓の外を眺めていた。その妙に哀愁漂う姿に私はなんて声をかければいいかわからず、ただ母のそばに立っていた。


 しばらくして母は窓の外を眺めながら私の名を呼んだ。


 私がその言葉に驚いていると母は続けた。


「実家は、あの古箪笥は早く捨てなさい。」と。


 それ以来、母が話すことは無かったしその時見た母が生前の母の最期の姿だった。


 そんな話を私が今君に話しているのは、母が亡くなり実家が取り壊されることになったからだ。荷物整理が始まる前に私はもう一度、あの箪笥の引き出しを開けてみたいと思う。私があの頃に見た暗い引き出しはなんだったのか。間違いなくあれを開けるのはよくないことだとわかっている。でも夏虫が街灯に吸い寄せられるように、私もあれに呼ばれているような気さえするのだ。


 勿論、今までの話を信じてくれとは言わない。私もそんな話をされたら信じられないだろう。 ただ私と連絡が取れなくなったら、一つだけやってほしいことがある。古箪笥を処分してほしい。どんなやり方でもいい。君に私の実家の合鍵を渡す。こんな私のただ一つの願いとして聞いてくれるなら嬉しい。


 

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