天使と悪魔の物語、現在(3) 解の悪魔、シエルの秘密
「うぅっ……」
シエルが呻く。
「どうして、僕だけ……」
シエルは目を瞑ったまま、何もないところに向かって手を伸ばす。
彼の額は、冷や汗で濡れている。
「おいてかないでよ……」
寝言だとわかっていても、レンは咄嗟にシエルの手をとる。
今の自分にできること、それは。
「止まって!」
これ以上シエルが苦しまないようにすることだ、とレンは思う。
手から青い光が溢れて、部屋ごとシエルの時を止める。
ベッドやドアを触っても動かない。
つまり時間停止が成功したことを確認し、レンは再びシエルのほうへ向き直ると、そこで見た光景にひどく驚いた。
部屋の時間は止まっているのに、シエルの時間だけ止まっていない。
「ううっ……」
シエルが再び呻く。
「もう一回っ……!」
レンの手から青い光が溢れる。
だが、シエルの時は止まらない。
何度も、どんなに強く祈っても、結果は変わらない。
「どうして、できないの……?」
レンは力の使いすぎで立っていられなくなり、その場に座り込む。
「それはね、レンちゃん」
空中が淡く白く光り、ふわり、とエルレンシアがタイミングを見計らったかのように現れた。
「エルレンシア様? なんで来たんですか」
「天界からレンちゃんを見てたの。 勝手にのぞいてごめんね」
エルレンシアはレンの頭を優しく撫でる。
「それで、なんでシエル君に力が使えないんですか」
「ああ、それはね。 そもそもレンちゃんが時や記憶を操っても、私や天使、悪魔には効果がないことは知ってるでしょう?」
「はい。 だからボクが時を止めてもエルレンシア様たちは動けるし、時を巻き戻しても巻き戻す前のことを覚えていますよね」
「そう。 つまり……アングランド王族にレンちゃんの力が混じっていて、シエルにはそれが特に色濃く出ているの。 ラザクの『先祖返り』ってこと」
「……え?」
レンは理解ができない、と眉間に皺を寄せる。
「レンちゃん、あなた、ラザクに力を分けた後、返してもらってないでしょう?」
「……あ」
確かにそうだ。 レンは2000年前のあの時、人間の悪意に触れて怖くなり、衝動的に逃げ出したのだった。
「それがきっと、子孫に脈々と受け継がれていたのね。 流石に2000年も経っているから、現国王にはほとんど力はないだろうけど」
「でも、この前世界ごと6年巻き戻したときはシエル君はちゃんと戻ってて……それはどうやって」
「あれはシエル自身がそうなることを強く望んでいたからね。 そしてレンちゃんも、アングランド王国の滅亡の運命を変えたいと、同じように強く望んでいた。 レンちゃんとシエルの望みと力がそれぞれ共鳴して起こった奇跡だと思うよ、あれは。 じゃなきゃ、記憶と意識だけ保持して過去に戻るなんて絶対にできない」
レンは黙る。 返す言葉がなにも出てこなかった。
「だからね、レンちゃん。 私は奇跡の顛末くらいは見届けたいの。 アーちゃんには悪いけど……レンちゃんが望むなら、世界を変えない範囲で協力してあげられる。 今、レンちゃんは何をして欲しい?」
『今』をエルレンシアは、かなり強調して言う。
それは、今のこの状況を打破できると……シエルの精神を蝕むものを取り除くことができると言っているようなものだ。
そしてレンにもしっかりと伝わった。
「なら、シエル君にかかった魔法を解いて……助けてください。 お願いします」
レンは深々と頭を下げる。
エルレンシアは安心したように、にっこりと笑った。
「よく言えました。 大丈夫よ、助けてあげる……というわけで出番よ、カイ」
「ようやく自分の仕事っスね」
いつからいたのか、カイと呼ばれた少年の姿をした悪魔は、腕まくりをしながらシエルのほうへ向かう。
「あの、エルレンシア様……あの悪魔、何者なんですか」
レンの声に反応して、カイはくるりとレンのほうを向く。
「あ。 この天使様は、はじめましてでしたっスね。 自分、カイっていうっス。 悪魔の力は『解』。 解除とか解放とか、解がつくものなら何でもお任せあれっス! よろしくお願いするっス!」
「あ、うん……よろしく?」
独特な語尾と、握手とばかりに手を握り腕をぶんぶん振るカイにレンは気圧され、話の内容があまり頭に入ってこなかったにもかかわらず「よろしく」と返す。
カイはそれを承諾と受け取り、シエルに手をかざす。黄色の光が溢れる。
「うーん、この手の魔法はやっぱちょっと面倒っスね……まあでも解けなくはないか……ここがああで、あれをこうして……」
などとぶつぶつ言っているカイだが、光は継続的に溢れている。 力を行使している証拠だ。
どうやらカイの『解』の力は時間がかかるタイプのようだ。
「ふう、終わったっスよ。 しっかり魔法解いといたんで、これでもう安心っス」
「よかった……ありがとうございます」
「じゃあ自分の役目は終了なんで、これにて失礼するっス!」
「そうね。 カイはまだ行くところがあるでしょ、連れて行ってあげるから早く行くわよ」
エルレンシアは早々に去ろうとするカイの首根っこをつかみ、転移魔法を発動する。
「うげー、毎度思うんスけど何で悪魔の自分が女神にこき使われてるんスか」
「あら、そりゃあ魔王はアーちゃんに任せてるけど、悪魔を生んだのも私だからね?」
などと言い合いしながらふたりは消えていった。
「……シエル君」
静かになった部屋で、レンは呟く。
既に夜は明け、微かに太陽の光が差す。
今日は建国記念日。
2000年前の今日、ラザクは各地の傭兵や戦争で行き場を失った人々をまとめ上げ、守るための国を創ることを宣言した。
ーー今こそ、守らなきゃ。




