表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レイン・デイ マザー・グース  作者: 晴羽照尊
7/8

理紫谷円子の望み


 七月三日(月曜日)


「ババアになれそうか?」

 起動ボタンに手を置き、ずっと考え事をしていた。そんな時だ。あやうく間違って押すところだ。もちろんそんな事態に備えて、心構えはしていたが。

「《《歳をとって》》、《《人生を謳歌して》》、《《死ぬ》》。そんなことのためにこんなことをするとは、ずいぶん釣り合いが取れてねえな」

 思地しじは遠くから話しかけている。とても小さい声だ。か細い。それでも私には、大きすぎる。

「物事に大きいやら小さいやら差を設けるのは、自分自身でしかないんだよ」

 声をあげて答える。自分の声が自分に響き渡る。全身が痺れるような感覚。

「……これから、どうなるんだって?」

 思地は、何度も問うてきた言葉を、もう一度紡ぐ。

 だから私は言いたいことを理解して、答えをまとめた。

「起動から約十九分でこの個体の思考能力は私を――つまり人類を超える。つまり、その時点が技術的特異点と呼ばれるものになるだろう」

「シンギュラリティか。……これくらい覚えたらどうだ?」

「不要な単語は破棄するようにしている」

 知っているだろう? 私は言った。

 じゃないと脳への負荷が、カロリーの消費が無限に増加していく。

「……起動から六十六分で地球全体の解析を完了。九十分目で現存する科学的な未解決問題をすべて解決する。このあたりで地球上の全生命は理論上不死にもなれる。時間旅行も可能だ」

「それだよ。『不死になれる』。だったらおまえも、死ななくていいんじゃないのか?」

「見解の相違だ。私は死のうなどとは思っていない。生きようとしているだけだ。九――」

「九十三歳。西暦二〇七六年。八月九日。……だっけか?」

 思地が先取りして言う。

「ああ。十六時三十一分」

「大往生なこって」

「そうだね。楽しみでならない」

 あと二十一年か……。私は呟いた。

「それから、どうなるんだっけか」

 思地が先を促す。聞きたかったのはここまでだったと思うのだが、ついでに確認しておきたいと言ったところだろう。

「……起動から二日。機械生命体の個体数は地球人口を超え、太陽系のあちこちに移住。太陽系全体の解析には起動から二十六日ほどかかるだろう。実質、機械生命体がこの太陽系に君臨する」

「人類は滅ぼされるか?」

「そうはならない。そのためにこの二十六年間、この子を造ってきたのだから」

 視線を上げる。そこにはただ俯いているだけの少女。……のような機械生命体が座っている。阿刀田あとうだかさの身体をベースに、久米方くめかたもがみのものの見方を、考え方を、しとど木児きじがプログラムして埋め込んだ。それらすべてを客観的に見て微修正したのが、いまでは名の知れた、あの男だ。


        *


「失礼……します?」

 ドアを開けた彼女は、疑問を携えていた。それはそうだろう。面接会場がこれだけ真暗では、部屋を間違えたかと考えるのは至極まっとうな思考だ。

「悪いね。私はめっぽう人見知りでね。暗闇に紛れさせてもらっている」

 適当なことを吐く。これも妄言だ。

 理に適わなくても、そこに筋が通れば納得するだろう。彼女なら。

「暗くて解りずらいだろうが、そこに椅子がある。まあ、座って」

「はい」

 よろよろと覚束ない足取りだったが、彼女はなんとか腰を降ろしたようだ。

「じゃあまず、名前と……あともしあれば、座右の銘を教えてくれる?」

「はい。私は――」

「そうだ言い忘れていた」

 あえてそこまで言わせてから、私は遮った。この子と話すときには、先に言うべきことがあるということは、最初から解っていたのに。

「たぶんいろいろ、質疑応答について先生方からご指摘をいただいていると思うが、それはすべて忘れてくれ。……君らしく話してくれればいい」

 暗闇の先でも、彼女の顔が笑み、瞳が大きく、輝いていく様子が見てとれる。

「うん! 久米方もがみ! 十八歳! 座右の銘? ……は、『案ずるより産むが易し』!」

 私は嬉しかった。彼女の記憶を見る限り、『座右の銘』というものとはほとんど縁がなかった。だから、その問いにどう答えるかだけは私でも未知数だった。だがそれでも、彼女は私に、求めていた以上の答えをくれたのだ。

「はい。元気があって大変よろしい。……いい名前と、座右の銘だ」

 これだから自信がもてる。

 人間の心だけは、機械生命体が無限の時を用いても、解析できないと。


「よう。久米方もがみ」

「ああ!」

 部屋を出たところで、ちゃんと彼女は彼に会えたらしい。私はほくそ笑む。

「久しぶりだな。俺を覚えてんのか?」

「知らない! でも知ってる!」

「なんだそりゃ」

 それは久米方もがみと、あの男らしい会話だった。

「たぶんどっかで会った人! なにか助けてもらったかも?」

「いや、助けてもらったのは俺の方かもな。よく覚えてねえけど」

 またあの男は適当なことを言う。私のプロジェクトにおいての久米方もがみの重要性。それを知っていてなお、あの態度か。

「私、久米方もがみ! あなたもこの会社受けるの?」

「まあそんなとこだ。……これからよろしくな」

 言って、あの男は立ち去ろうと歩き出した。久米方もがみがそんなに簡単にいくはずないことくらい、知っているだろうに。

「ちょっと待ってー! あなたのお名前は?」

 大袈裟に走り追いかけて、彼女は言った。

「ひ……じゃなくて。……斑井まだらい零音れいん。こういう漢字だ――」

 わざわざ漢字まで説明し出した。たぶん照れ隠しだ。

「――変な名前だろ?」

「うん!」

 解ってはいても、この対応には思うところがあったのだろう。斑井の顔面が引き攣る音が聞こえる。

「鏡写しなんだね!」

「は?」

 私はすこし噴き出した。毎度毎度、久米方もがみにはやられる。だがだいぶ簡略化したな。そんなんじゃきっと、彼には解らない。

 だけどこのとき。私は三パーセントの誤差もなく、きっとこのプロジェクトはうまくいく。そう思ったんだ。


        *


 思地が帰る。「この世の変貌を、特等席で見るんだ」などと言っていた。それはつまり、この世界中のどこかだ。

「さて、ちゃんと、瓢箪から駒は出るかな」


 私は、起動ボタンを押した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ