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エステルは、しばらくきょとんとこちらを見たあと、しかしなにも言ってくることなく俺たちを通り過ぎ、女子トイレに入っていった。
「あー、アストリアさん、その、ちょっと場所変えようか?」
アストリアさんは、いまだに泣き続けている。
しかし、ここでは落ち着いて話も出来ない。
と、なると、やはりどこか店に入るべきだろう。
「ほら、ここだと、その他の人が来ちゃうからさ」
アストリアさんも、顔こそあげていなかったがエステル達のことには気づいているはずだ。
鼻を啜って、こくんと頷いてくれた。
アストリアさんの手を握り返して、ゆっくりと俺は護衛さんたちがいる方へ歩き出す。
たぶん、そちらには大愚ことレイもいるだろう。
知らんぷりしてやり過ごそう。
レイが視界に入っても、見なかったことにしよう。
かなり話がややこしくなるはずだ。
護衛さんたちが、ハラハラと俺らが来るのを待っていた。
一応女の子だし、勝手に個室がある場所へ連れ込むわけにもいかない。
アストリアさんには悪いと思いつつも、俺は護衛さん達に相談した。
「あの、ちょっとアストリアさんと二人でお話したいので、ネットカフェへ入ってもよいでしょうか?」
近くのビルにたしかインターネットカフェが入っていたはずだ。
そのことを思い出して、俺は提案してみた。
同時に、少し離れた場所で携帯端末を弄っているレイが、視界に入った。
レイは、なにやら真剣に画面を見ていてこちらには気づいていないようだった。
というか、本当今更だけどこいつらここで何してるんだ?
ここは、無人島でも森林が生い茂る秘境でもないぞ。
護衛さんたちも、レイの方を注意しつつその提案に賛成してくれた。
ダメ、といわれるかと思いきやあっさり許可が出て拍子抜けしてしまう。
「えっと、その、良いんですか?」
恐る恐る、なにかの間違いじゃないだろうかと確認してみる。
すると、護衛の一人であるお姉さんが言ってきた。
「話すだけですよね、なら問題ありません」
「えっと、その、なにか間違いが起こったら責任問題になるんじゃ」
「間違いを起こす気あるんですか?」
いや、面と向かって言われるとちょっと答えにくいんですけど、
「いや、全然、全くもって起こす気ないです」
誰がするか、そんな怖いこと。
というか、そんな乱暴なことなんてしたくない。
したいとも思わない。
「冗談ですよ」
護衛のお姉さんはクスクスと笑った。
他のお兄さん達も、なんか犬猫の癒し動画でも見ているような顔になっている。
「ありがとうございます。それじゃ行こっか、アストリアさん」
あそこなら場所代というか滞在費も取られるけど、ドリンク飲み放題だし、なんならご飯も食べられるし、それこそカラオケルームだってあるし、グループやファミリー向けの部屋もある。
なにより、土日で混んでても入りやすかったりする。
「はい」
鼻を啜って、アストリアさんは俺の手をまた握り返してくれた。
と、そこで、ふと視線を感じてそちらを見る。
レイと目が合った。
明らかにレイは俺を見ていた。
それも、この前の旅行では一度も見せたことの無い、なんと言うのだろう、難しそうな表情をしていたのだ。
てっきり、茶化すか話しかけるかしてくるかと思えば、知らんぷりを決め込んだのか、また携帯端末の画面に視線を落として、こちらには興味なさげに、本当に見ず知らずの他人のような態度をとっていた。
と、そこで俺の携帯端末が震えた。
メールを受信したようで、何気なく気になって確認してみると。
『ニマニマするの我慢すんの大変だ!
元気だなぁ、デートかい?
浪漫チックにエスコートしろよ!
彼女さん、泣いてるな。
えー、なにしたんだよお前?
連絡とれるようにしておけ、相談乗るぞ!』
という、レイからのメールだった。
そういや、連絡先交換してたな。すっかり忘れてたけど。
やけに改行が多いのが気になったが、もう消すのも面倒なのでそのままにしてネカフェに向かう。
まあ、そのためにはレイの前を通り過ぎなければならない。
通り過ぎるとき、もう一度、チラッとレイを見ると携帯端末を耳に当て俺に聞こえる声量で、電話の相手にこう言ったのが聞こえた。
「注意はした。メールも送った。だからいつでも連絡取れるようにはしてる。
だから、あとは判断に任せる。できるなら、遠慮すんな。
それと、頑張るのは適当で良いからな」
声こそ、携帯端末に向けてだったけれど、その目は俺をしっかりと見ていた。
まるで、俺に向かって言っているようにも感じたが、たぶん気の所為だろう。
俺はそのままレイの前を通り過ぎた。
その直後、用を足したエステルが戻ってきたらしく、レイに向かって、
「お節介は終わったか?」
と言ったのが聞こえてきた。
それにレイがなんと答えたのか、それはわからない。
その時には喧騒の方が大きくなっていたから、聞こえなかった。
アストリアさんは、エステルはともかくレイの顔は知ってると思ったが、どうやら俯いてグシグシと泣いていたからか、奴には気づかなかったようだ。
良かった。なんというか、話がややこしくならなくて。