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夏休みが終わるまで、もう何日もない。
家族での旅行も、新しく出来た友人達との女子会もとても楽しかった。
充実した夏休みだったと思う。
でも、あと少しでその長かった休みも終わる。
夏休みが終わったら、学校が始まる。
学校が始まったら――。
そこまで考えて、アストリアはますます憂鬱になってしまう。
学校が始まったら、また彼を見ることになる。
彼、テツとはクラスが違うからこちらが夏休み前のようにあちらのクラスに行かなければ基本的に顔を合わせることはないだろう。
しかし、それでも移動教室の時やその他諸々で顔を見かける機会はあるはずだ。
会いたい。
会って、確かめたい。
そして、謝りたい。
でも、気まずい。
そもそも、祖父やこの国の政策のことをアストリアが謝ったところで何になるのだろう。
彼女はそこに関わってなどいなかった。
普通に考えれば、彼女が謝る意味も理由もない。
それでも、身内が良かれと考えておこなったことが、今の彼の境遇を作ったのは確かだ。
もしも、祖父の政策が無かったなら、彼は夏休み前のトラブルに巻き込まれることも無かったのではないか?
そんな風に考えてしまう。
アストリアに対して好意を抱き、しかし、それを歪ませて暴走させ、テツに対して暴行を加える輩も出なかったのではないか?
そんな風に考えてしまう。
そう言えば、ホテルでの件もそのあとのゴタゴタで結局お礼を言えていなかった。
あの件の直後、父に相談したが、
「うーん、せんぱ、テツ君やそのお父さんには陛下、おじいちゃんからお礼してもらったし、あの人はあまりこの件に関わりたくないっぽいから、しなくてもいいと思うけど」
という返答があっただけだ。
ただ、アストリアの父はその後個人的にテツの父に酒を奢ったようだった。
母も、娘の命の恩人なのだから、なにかしたいようで、時々思い出しては、
「アストリアは今度はいつテツ君の家に遊びに行くの?」
とか、
「テツ君は、今度いつ遊びにくるの?」
と聞かれ、
「その時は言ってね、お礼したいから」
と、締めくくられるのだ。
何しろ表立ってホテルの件が出せない上、祖父から既に何かしらの礼があったのであれば、暴行事件の時のように動くのは躊躇われたからだ。
だから、アストリアの母もそこまでしつこくは言ってこなかった。
さらに、テツは夏休みの半分を中央大陸で過ごした。
知り合ったばかりの友人、それもかなり可愛い部類に入る女の子と一緒に旅行に出かけ、外泊したのだ。
ゴンスケも一緒に連れていったらしいが、しかし、同世代の魅力的な女の子と外泊して何も無い、なんてことあるはずはない。
テツにその気が無くても、女の子の方はわからない。
レイ、とたしかテツは言っていた。
テツを旅行に誘った女の子の名前だ。
そもそも、会って間もない男の子を海外旅行に誘うだろうか。
ゴンスケを飼っていることを理由にされて、押し切られたらしいが、本当にそれだけが目的なのだろうか。
それに押し切られた、ということは、テツは別のことでも押し切られるのではないか。
そんな思考がグルグルとめぐり、行き着く先は結局、アストリアの身内によってテツは、差別される存在にされ、さらに結果だけを見るなら、祖父が良かれと思ってやったことがテツを含めた、魔力の無い者達への迫害になってしまったということだ。
それも、何かの実験材料にされており、テツのように成長しても自死を選ぶ者が大半という現実。
アストリアの思考がだんだん暗くなっていく。
そして、ありえないと考えつつももしかしたら、と思ってしまう。
テツが死んだら嫌だ、と。
テツの経歴を知らなければ、こんな突拍子もない考えなんてきっと浮かんでこなかった。
テツが死を選ぶ、経歴を知る前までのアストリアだったら、彼にそんな兆候があるなんて考えなかっただろうし、あっても気づかなかったと思う。
では、今は?
無い、と断言できないのが正直なところだ。
なぜなら、アストリアはテツのことをよく知らないのだ。
夏休みに入ってから知り合った新しい友人、サクラがテツと知り合いだと知った時は驚いた。
とても、驚いた。
同姓同名の別人ということもあったが、図書館に通い、交流を深めていくうちに訊いたら、やっぱりアストリアの知るテツと、サクラの知るテツは同一人物だとわかったのだ。
話していくうちにサクラとは仲良くなった。
何も知らないサクラに、ルリシアを紹介したのもアストリアだった。
そうして、今年に入って新しく出来た友人達と女子会を開くまでにそう時間はかからなかった。
女子会でサクラから聞かされたのは、アストリアもルリシアも知らないテツの一面だった。
特撮が好きなことは知っていた。
漫画やアニメも好きなことは知っていた。
でも、それじゃあ具体的にどんな作品が好きなのかは知らなかった。
アストリアと同じでチョコが好きなことも、ルリシアと違って炭酸が好きなことも。
料理よりも菓子作りが好きなことも。
そして、世界史や世界中の神話が好きで、そういったところに旅行にいきたがりつつも、諦めていたことも何も知らなかった。
嫉妬よりも先に、羨望があった。
サクラのように、テツにとって気の置けない存在になるには、どうしたら良いのか。
アストリアもルリシアもテツのことを知らなさすぎた。
ルリシアが、
「テツさんの好きな作品を教えて頂きませんか?
あと、好きな食べ物も」
アストリアよりも先にその話題に食いついて、尋ねたのだ。
なにも知らず、ルリシアは無邪気にテツの話題でサクラと盛り上がった。
アストリアは、笑顔を貼り付けるので精一杯だった。
何故なら、これはアストリアがした質問なのだが。
「なんで、サクラちゃんもテツ君もそんなに創作作品が好きなの?」
これに対して、サクラは、
「うーん、自分は物心着いた時から好きだったからなぁ。
テツは、あー、そういや私も同じ質問したっけ。
なんかね、自分がどんなに頑張っても成れない存在だから憧れてて。魔法が使えないからこそ、使えてなんでもできる登場人物が好きなんだってさ。
ま、憧れが強すぎて、大好きになったってところなんだろうけど」
そう答えてくれた。
自分に無いものを持っている存在。
本当は、魔法を使って見たかったのだろう。
でも、それが出来ない。
出来ないから、物語の世界に没頭することで、夢を見ようとしたのかもしれない。
現実だと、周囲の皆が使えるものが使えない。
せめて、夢の中で登場人物目線でもいいから、違う自分になって魔法を使ってみたかったのかもしれない。
ましてや、物語の主人公というものは誰からも好かれる存在だ。
ヒーローとして、他人から好かれ頼りにされるように設定されている。
彼の今まで過ごしてきた環境からは真逆の存在だ。
疎まれ、嫌われ、蔑まれてきただろう彼の境遇とは真逆なのだ。
と言っても、彼には家族がいる。
他人から冷たくされても、家族がいる。
でも、それでも、テツには虚構の世界が魅力的に映ってしまったのだろう。
そして、少なくとも彼を、そんな風にしてしまった原因の一つはアストリアの祖父が発案した政策も含まれているのだ。
「はあ」
自室で、借りてきていた本を読み終わり、作品の余韻に浸っていたのも束の間で、あっという間に現実へ戻ってきてしまう。
テツはこんなことを繰り返していたのだろうか。
そして、今も繰り返しているのだろうか。
もちろん、好きでやっている事なのだろうけれど。
テツに会いたい。
彼のことが好きだと気づいてから、ますますその想いは強くなる。
でも、会いたくない。
顔を見ても、この想いは伝えることができない。
ルリシアへの裏切りになるからこの想いは蓋をしてしまい込んで、忘れなければならない。
辛かった。
彼が、誰のものでもないから、余計に辛い。
テツが、誰かと付き合っていたなら諦めもついたのに。
だからせめて、新学期までに、あと数日のうちに笑う練習をしなければならない。
なんでもないように、知る前のように。
何も知らなかった頃のように、ヘラヘラと笑える練習をしなければならない。
そうでなければ、辛すぎて、そして苦しくて涙が溢れてくるのだ。
どうして、テツのことを好きになってしまったのだろう。
そうして悶々と過ごしていた矢先に、携帯端末が震えた。
テツだった。
彼は律儀だ。
アストリアが頼んだ、ゴンスケ達の画像を送ってきたのだろう。
そう思って、メールを開いたら画像では無かった。
メールだった。
内容は、
【もうすぐ、夏休みも終わるし。
その前にパーッと遊ばない?
旅行土産も渡したいし】
というものだった。