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「英雄?」
リムが首を傾げた。
クリスが意外そうに目をパチクリする。
「あれ? お前そっちの方は何も聞いてねーの?」
リムが頷いた。
「アレだよ、魔神を四体倒したこの東大陸の英雄の話。
あの姉弟の父親が、その英雄な。
当時はさー、バイク盗んで魔神のアジトに乗り込んだってことで、怖いもの知らずがすぐに実況しに行ったんだよ」
「バイクの話は知らないが、英雄の話は知ってるかな。
というかおっさんもそうだけど、あんたらが所属してる界隈は命知らずの馬鹿が多いな。筆頭は弟分か。
その英雄が、いまは父親だと」
「そういうこと」
クリスは肯定しながら、スヤスヤ眠るゴンスケを見た。
その巨体を観察しながら一周して、指を空中に滑らせる。
現れた魔方陣がゴンスケを取り囲んで、子犬ほどのサイズになった。
それをクリスは抱き上げて、
「とりあえず、お前が乗ってきた車ってどこ?」
そう言った。
リムが歩き出す。
それにクリスが着いていく。
「で、その英雄のためになんでおっさんが働いてんの?」
「いやあ、まぁ、うん。罪滅ぼし?」
「?」
「骨を折ったというか」
「なに、英雄のピンチでも助けたのか?」
「あー、それだったら浪漫あるよなぁ。
でも、罪滅ぼしにはならないだろ」
クリスが苦笑しながら返すのと、リムが乗ってきた車が停めてある場所にたどり着くのはほぼ同時だった。
リムが運転席に、クリスが助手席に座った。
クリスの膝の上には起きる気配のないゴンスケ。
「いやさー、まだ英雄として有名になる前の世間を舐めきったガキンチョに、世界の広さというか、社会の厳しさというか、格の違いというものを教えたんだわ、俺が」
「あー、なるほど、骨を折ったって物理的にってことか」
「そーそー、もうなんつーの? 威嚇しまくる猫だったからさ、こりゃ、自尊心を砕くのもおもしろ、じゃなくて世間の厳しさを教えておこうと賢者のような心でもって教育したんだよ」
「具体的には何したんだ?」
「ワンパンでノシタあと、手足折って放置した」
「殺意しかないだろ、それ」
「いや、だからさすがに悪いかなぁって思ってさ。ほら俺もなんつーの? 先が見えてくる年頃だし。
こう、死んだあとにちょっとでもいいとこに行きたいなぁ、と思って」
「うわぁ、自己中が過ぎる」
「お前が言うか」
「……自分のことは棚上げにしたほうが、都合がいいだろ」
「まぁなぁ、でもさ、俺が師匠にされた時よりはマシだと思うぞ。
弟弟子、レイも今鬼メニューこなしてるらしいけど、まだ温いけどな」
「そうなのか?」
「魔法の使用制限掛けられてるらしい。ヌルイなぁ。
俺の時なんて、両手両足潰されて口も潰されて、サバイバルコースだったんだぞ。
魔法陣は描けない、呪文詠唱もできないっつー詰みの状態からスタートして、いやぁ懐かしいなぁ。
密林の中に放置されて、あちこち寄生虫が寄生するしで地獄を見た」
「……それも殺意しかないな」
「なー、あの人ほんと残酷だよなぁ」
リムがキーを回してエンジンをかける。
ライトをつけて、車が動いて、暗闇の中を走り出す。
「そういや、大人の話をしてないな」
「今のは違うのか?」
クリスの言葉に、視線は前を向いたままハンドルもそのまま握った状態でリムは返した。
「今のは世間話だろ。
とりあえず、お前が知ってるのはここが実験場だってことと、今回の弟のことだろ。
で、俺もさっき知ったのは弟のことだ。
弟は一度死んで、蘇生が成功してる。
本当の奇跡ってやつだ。ただ、この奇跡にも弱点がある。
その弱点が、お前も知ってるだろうけど現実を知ること、知られること。
そういや、リムはどこまで死者蘇生に関しての顛末を知ってる?」
「俺があの人から聞いたのは、唯一の成功例の存在と、その存在を秘匿することだ。
死神にはお誂えむきだろ。乗り気じゃなかったのもほんとうだけどさ。頼まれたからには動かないわけにはいかない。
顛末に関しては正直、興味ない」
「そうか。じゃあ、今ちょっと裏世界がざわついてるのは知ってるか?」
「なんだそれ?」
「順を追って説明する。
ちょっと前に、とあるホテルがテロ集団によって襲撃されたのは知ってるか?
どこからともなく現れたドラゴンが、ホテルに突っ込んだやつ」
「あー、ニュースで見たな」
「それが、この子だ。ゴンスケちゃんだ。
で、これは俺の勝手な推測で、お前だから言うが、たぶんそこから弟は目を付けられた可能性が高い」
「というと?」
「こんな時代だ。監視社会といってもいいくらい、個人個人の情報拡散能力は格段に上がっただろ。
つまり、ちょっとしたことでも人目につきやすくなったってことだ。
どんなに情報統制をしようと、制限をかけようと、それは無くならない」
「この地味な騒ぎはそれが原因だってことか?」
「違う違う。むしろ、騒ぎが起きるのはこっから。
言ったろ、裏側がめっちゃザワザワしてんだよ」
リムは、黙ってクリスの続きを待った。
「お前はさ、英雄って誰のための英雄だと思う?」
「一般論で言うなら、弱い存在を助け悪を滅ぼす存在だな。
まあ、その時代の不特定多数にとって都合のいいことをした存在、か?」
「そう、不特定多数からは英雄扱いだ。
正義の味方ともいう。
でも、不特定少数からは恨まれる因果な称号だよ」
「それが?」
「つまりな、姉弟の父親でありこの大陸の救世主であり英雄であるウルクは、一部界隈だとすんげえ恨まれてるってことだ。
こう、ぶっ殺したいのにぶっ殺せない存在なわけだ。
で、表舞台からも二十年近く姿を消してた存在の血縁者がつい最近出てきたわけだ。
ウルクが英雄と呼ばれたのは、十九歳頃だったか。
その息子であり、今回の件の中心にいる弟の方、テツは高校に入ったばかり。
まあ、未熟だと思うわな。
加えて、テツは魔力ゼロだ。
慎重に動けば殺せると思うだろ」
「それ、格好悪いな」
「ああ、そうだな。だいぶ格好悪いな。
でも憂さ晴らし、復讐とも言うが。それを仕掛ける方からすれば格好の善し悪しなんてどうでもいいんだよ。
一矢報いさえできれば、それでいい。
さらに言うなら、これは報われない憂さ晴らしで、復讐だ」
「報われない?」
「因果律が歪んだんだよ。悪があるからには英雄は活躍しなきゃいけない。
どんなに嫌われようと、犠牲が出ようと。理不尽にさらされようと。
今回の英雄は大人になる前に、自己犠牲を行わなければいけない。
歪んだレールに乗せられた、悲しい悲しい運命の奴隷だ。
あの人は、師匠はここまで計算してきっと力を貸した。
まだ小さい命だからとか、可哀想だからとかじゃなくて、世界のために。
それだけの価値があると見越して、死者蘇生までして、次代の英雄を作ったんだと俺は思う」
ただ、こればかりは本当に彼に確認しなければわからない。
クリスの穿った見方だからだ。
「弟弟子のレイが、テツに目をつけたのはきっと少しでも人間らしさを維持してほしいと思ったんだろうな。
レイは、タガが外れてその部分がぶっ壊れてるから。
もしくは、その出会いさえも仕組まれていた可能性がある」
自分の知らないところで、勝手にいろいろ決められて、その事にすら気づけない人生。
たぶん、知らないまま流れていくそんな幸福な人生。
「未来の英雄を、生け贄呼ばわりか」
リムが淡々と言った。
クリスは言い返す。
「生け贄だろ。誰もやらない、やれない、やりたくないことを押し付けられる、そんな役割だぞ英雄ってのは。
で、その役割の仕事を全部終えた時、その時に人間らしさがあるかないかでだいぶ違うもんだ。
家族やペット、気の置けない友人でも恋人でもなんでもいい。人間らしさってのは、そういった存在の有無もある。
少なくとも、俺がこのゴンスケちゃんの記憶を読んだ限り、テツにはたった一人、家族以外にそういった存在がいた。
救いがあるとするなら、その存在だな。
その存在が、現状唯一テツを人間にさせている、希望だ」
「そのドラゴン娘は、現状の希望とやらじゃないのか?」
「違うな。ペットはペットでしかないし。癒しではあるけど対等でも同等でもない。
先のことはわからないから、今後、希望が増える可能性もあるし、さっきも言ったようにこういうのは仕事が全部終わったときにわかるもんだ。
現状だけを言うなら、子供の頃の体験がテツの“今”を作ってるなら、家族は全員歳上でテツにとっては執着の対象であっても、やっぱり対等でも同等でもない。
こういうのは、同じ目線のやつじゃないとダメだ。
少なくとも、テツはその存在に対して会話にすら気をつかっていない。
逆を言うなら、その希望が壊されるか殺されるかすれば、完全にテツは堕ちて狂うだろうな」
「……愛に?」
「愛に」