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さらに少し歩いて、木々の中にその塔は見えてきた。
自殺魔塔と称される塔だ。
建物だと四階建てくらいの高さだろうか。
いや、もう少し高いだろうか?
その塔をぼんやりと見ながら、姉と靴を並べて歩いていく。
姉の靴は、動きやすそうな、でもそこそこ値段がしそうな有名メーカーのスニーカーで、俺のは街中のスーパーとかで売っている激安のスニーカーだ。
ふと、なにか脳裏で閃くものがあった。
懐かしいそれは、多分記憶だ。
俺は、あの塔を知っている気がする。
歩きながら、閃いて湧き上がってきたその頭の中の映像を捉えようとする。
でも、まるでノイズ塗れの映像のようで全体像が掴めない。
酷いノイズの向こうに、誰かの顔のようなものが現れる。
それが、誰なのか見ようとする。
黒い髪に、黒い瞳。
よく知っている人のように感じられた。
でも、断片的な情報ばかりでやはり全体像が掴めない。
だけど、それが男性だと言うのは、分かった。
俺は、誰かに抱かれているようだった。
すぐ近くに、あたたかい感触があったからだ。手と、そして誰かの腹か胸か、とにかく誰かの腕の中にいた。
もそもそと、俺を抱いている誰かと黒髪黒瞳の男性が言葉を交わしている。
「ちょっと、どーしたん?」
姉の声で、意識を現実に浮上させる。
どうやら俺の足は止まっていたようだ。
見れば、姉が立ち止まって数歩先にいた。
怪訝そうにこちらに歩いてくる。
「いや、うん? なんか初めて来た気がしないなぁって思って」
「なにそれ、って、あんた」
姉が急に声音を変えたかと思うと、ごそごそとポケットから絆創膏を取り出して、寄越してきた。
「首、ちょっと切れてる」
言われて、触れてみた。
なんか痒い。
どうやら、フェンスで薄く切ったようだ。
姉に礼を言いつつ、切れている箇所に絆創膏をぺたりと貼り付けた。
「ミスったかも」
姉が、そんなことを呟くのが聞こえた。
それは独り言だったようで、やがて俺に言った。
「急ぐよ」
急にどうしたのだろう。
まぁ、姉の気まぐれな行動力は今に始まったことではないし、俺はついてくだけだ。
***
白髪の美青年、リムに先導されてやってきたのは、クリスが調べるのを後回しにした鏡の前だった。
と、そこで急にリムが、空中に指を滑らせる動作をした。
魔方陣かともおもったが、違った。
どうやら、誰かからの連絡が入ったらしい。
別にそんな、動作はいらないはずなのに、リムは耳に手を当てて相手からの言葉を聞いているようだ。
「はい、はい、了解。
で、ここにいるあんたの一番弟子とドラゴン娘は?
…………了解。連れてく」
やがて、リムはやり取りが終わったのか、改めてクリスと彼に肩車されているゴンスケとを交互に見て、それからゴンスケから少しだけ視線をズラした場所、ゴンスケの頭の上あたりを見て、言った。
「ごくろーさん。とりあえずなんとかなるから、安心して寝てな」
ゴンスケがきょとんと首を傾げる。
その耳に、チリン、と綺麗な鈴の音が響いた。
「予定変更だ。出口で待った方がいい」
「どうゆうことだ?」
「ぎゃっ?」
リムの言葉に、当然クリスとゴンスケが首を傾げた。
「わざわざ、お姫様達を追いかけなくても良いってことだ」
そんなこんなで、二人は外へ連れ出された。
と、ゴンスケが欠伸をひとつする。
眠くなってきたようだ。
目を擦っているゴンスケへ、リムが声をかける。
「車で来たからな。なんなら寝てていーぞ」
うとうととしながらも、ゴンスケはリムの言葉にブンブンも首を振る。
ついでに尻尾も振る。
「そっか」
少し残念そうにリムは呟くと、クリスを見た。
クリスはその視線を受けて、ゴンスケに気づかれないように魔法を展開させ、発動させた。
と、クリスが元の姿に戻ったゴンスケに押しつぶされた。
そこそこ大きな龍の下敷きなってしまい、
「ぐえっ」
文字通り潰れたカエルのような声を、クリスは漏らした。
その様を見て、リムが笑った。
「あはは、世話ねえなオッサン」
ゴンスケは元の姿のまま、ドラゴンにしては穏やかな寝息を立てている。
その巨体に触れて、ちょっと持ち上げてクリスを救出する。
「うっさい、ちょっとドラゴンだって忘れてただけだ」
腰を直撃したように見えたが、どうやらクリスは無事だった。
「で、ここからは大人の話か?」
クリスが訊ねて、リムが頷いた。
「そ、大人の話。さすがにお姫様にかかっている魔法の内容まで近いやつに話すわけにはいかないだろ」
「…………俺、一番無関係な人間だと思うんだけど」
「弟分が関わってるんだ、兄貴分としてひと肌くらい脱げよ」
「もう脱いでるんだけどなぁ。
で、それも、二人分も働いてる」
クリスの呟きに、今度はリムが首を傾げた。
「二人分?」
「んあ? あー、言ってなかったか。今回の件の中心にいる姉弟、アイツらの親な」
「うん?」
「なんて言うかなぁ、知らない関係じゃないというか。
ちょっと狩場を巡って一悶着あったんだわ。
もう二十年以上前の話で向こうは忘れてるだろうけどな。
なにしろ、今や伝説的な英雄なわけだし」