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姉の手首を未だに掴んでいる子供が、楽しそうに口を開いた。
「あはは、乱暴だなぁ!
お姉ちゃんは、乱暴だ!」
そして、たった今、姉によって首の骨を折られた子供が、倒れることなく、そのまま、立ったまま、しかし折られた首はだらりと有り得ない方向に曲がったまま、言った。
「うん、今のは驚いた。それにちょっと痛かった」
そんなことを言ったかと思うと、今度はうっとりと続けた。
「お姉ちゃんは優しいね。お兄ちゃんのことが好きだから、きっと大好きだから、躊躇い無くこういうことができるんだね。
好きって凄いね。お姉ちゃんの大好きは凄いね。
そんなに、お兄ちゃんのことが大事?
僕達の口を封じることに躊躇いがないくらい、愛してるの?
それに、うん、僕達にも優しいね」
「うんうん、本当に優しい」
情け容赦なく首の骨を折った姉へ、子供達はそんなことを言った。
なにをどう考えれば、そんなことをした姉の評価が【優しい】になるのかとても疑問である。
「僕達を消すことはしないもんね。家にいたお兄さんは滅ぼしたのにさ」
あ、なるほど。そういうことか。
「本当に、優しくていいお姉ちゃんだね」
口々に子供達は言って、今度は一斉に俺の方を見てきた。
「お兄ちゃんは、やっぱり狡いよ。こんなに優しいお姉ちゃんがいて、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、そして友達も沢山いて、その人達に大好きって扱われて。愛されて。
とっても、狡いよ。
僕達だって、お父さんやお母さんおじいちゃんおばあちゃんに愛されたかった、大好きって扱われたかった。
友達がほしかった。でも、許されなかった。
僕達は人以下の存在だったから。同じにはなれなかったから」
「…………。だから、苦しい思いをしろって?」
そこで、ようやく俺は口を挟んだ。
「そうだよ。楽しそうにするなんて許されない。
本当は、僕達の目の前からすぐに消えてほしいけど、お姉ちゃんはそれを邪魔するから。
ならやっぱり苦しんでもらうしかないもん」
「……さっきから、思ってたんだけど。それって誰に許されないんだ?
楽しそうにするのに、ここだと誰の許可がいるんだ?」
子供達が顔を見合わせた。
やがて、異口同音でこういった。
「「「みんな」」」
俺は姉を見た。
姉は、黙ったまま片足の爪先を地面にグリグリと擦り付けていた。
走れ、の合図もとくにない。
なので、俺は子供達へ言い返す。
「みんなって誰だ?」
「みんなは、みんなだよ。
ここにいる皆が、お兄ちゃんは不幸になればいいって思ってる。それを自覚して苦しんで泣き喚けばいいって思ってる」
自信満々に子供が言った。
どうやら、ここにいる【みんな】は俺のことが嫌いらしい。
別にいいけど。
よく知りもしない存在に嫌われたところで、それこそ何とも思わない。
というか、最初から嫌われながら生きてきた人間相手に、お前は皆から嫌われてるから自覚しろって言われてもなぁ。
俺は、姉を見た。
姉が凶悪な笑みを浮かべて、口を挟んできた。
「私が、優しいねぇ。
まぁ、解釈は人の数だけあるから否定しないけど」
言って、トン、とグリグリしていた爪先で軽く地面を叩いた。
すると、今度は、ドンっという鈍い音ともに土が円錐の形をして子供達を貫いた。
「うわぁ」
容赦ないなあ。
声が漏れ出た俺には構わず、姉は続けた。
「でも、楽しむことに許可がいるなんてゴメンだね。ましてやそれを強制されるなんて真っ平だ。
責任持って、自分のことは自分で決める」
いちばん最後の言葉は、呟いただけのようだ。
それから俺を振り返ると、姉は短く叫んだ。
「走れ!!」
姉が指をさしながら、言った。
言われた通り、俺は走り出した。
それなりの速さで走ったと思う。
でも、姉は少しだけ遅れて、すぐに俺に追いついた。
どうやら、手首を掴んでいた子供の手は振り払えたようだ。
「あんた、足、早くなった?」
「そう?」
姉が聞きながら、後方を確認する。
それに俺が答えた。
「こんなもんだったっけ?」
「さあ?」
聞かれても自覚はないのだから、仕方がない。
と、併走する姉をチラリと見て、目が合った。
「なに?」
姉が訊いてきた。
「姉ちゃん、俺の事好きなの?」
「あんた、よく恥ずかしげもなくそういうこと聞けるね」
姉は、呆れていた。
「いや、もしそうなら『ありがとう』って言っておこうと思って」
少なくとも、ふつうの人だったらたぶん嫌いなやつのために、たとえ幽霊だろうと自分の手を汚したくないと思うだろうし。
そういう意味では、感謝するべきだろう。
「……それなら、どういたしまして、って返しとく」