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「え、えぇ、ど、どーすんの?」
「どうしよっか。うーん??」
あ、これガチでイレギュラーの事態だ。
基本、トラブルが好きな姉は不測の事態が起きると、目を輝かせる。
そして、それなりの場数を踏んでいるのであまり動揺をしないのだが。
今の姉は少し焦っているようだ。
鏡の中に手を突っ込む前までの、なんと言うのだろう?
余裕、だろうか?
さっきまであった、姉の心の余裕のようなものが消えている。
「命綱は使えないし」
ギロリ、と姉がこちらを睨んだ。
あ、はい。すんません。
「あ、殴れば解決するかな」
何を殴るつもりなのだろう?
姉は、自分の拳でおもいっきり鏡を殴った。
鏡にクモの巣状のヒビが入って、砕け散る。
否、砕け散ったかに見えた。
しかし、まるで時間を巻き戻すかのように、舞い散った破片が空中で停止して、鏡に戻る。
そして、何事も無かったかのように鏡は元に戻った。
「ダメか」
「そんなことばっかりしてると、嫁の貰い手無くなるよ」
「別に、結婚するつもりないから。
それにね、世の中って結構平等なんだよ。
性格がどんなにクソでも、結婚できる人は出来るしね。
まぁ、でも、私はする気ないけど。
つーかさー、その嫁の貰い手って言い方も時代錯誤じゃんねー。
なに貰い手って、ペットか物扱いじゃん」
「それは、極端な言葉狩りなんじゃ」
「大体さー、なんの努力もなく女から良い匂いするわけないってーの!
顔も匂いも、出で立ちもその子の努力の現れじゃんねー。
天然モノで綺麗なやつがあってたまるか!
宝石も人間も磨いて加工するから綺麗になるっつーのに、それをわかってない男が多すぎるっつーの」
「いや、女も面食いいるでしょ」
「あー、今メンとか言わないでよ、ラーメン食べたくなる。
まぁ、否定しないけど」
なんて、会話をしつつ姉は片付けたメモ用紙を取り出す。
転がっていた、遺留品のやつである。
それを一枚一枚、姉は読み進めていく。
読み終わったものを、俺へ渡してきた。
読め、ということなのだろう。
俺はメモ用紙へ視線を落とす。
それは、手記だった。
【遊びのつもりだった】
メモは、そんな書き出しから始まっていた。
どうして、廃墟に来たのか。
その結果どうなったのか。
それらの経過が、可能な限り記されていた。
メモによると、ホラーな動画のネタにするつもりでこのホワイトハウスを訪れたこと。
ネット上で知り合った、同じ趣味を持つ者達と数人でここに来たこと。
俺達のように、鏡の中に囚われて帰れなくなったこと。
そして、一人一人不可解な死に方、いや、殺され方をしていったことが書かれていた。
内部犯を疑うもの、幽霊の犯行を主張するものと意見は真っ二つに割れてしまい、疑心暗鬼の末、とうとうメモの主である男性だけが残ったらしい。
【足音が聴こえる。子供の笑い声がきこえる。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないしにた】
最後の一枚だけは、途中から黒ずんだ血で染まって読めなくなっていた。
「ふむ。B級パニック映画みたい。
それにしても、子供、ね」
姉が呟いて、キョロキョロと部屋を見回す。
「不思議。気配がない」
「それは、幽霊の?」
「うん、幽霊の」
と、足音が聴こえてきた。
キシ、キシ、とゆっくりこちらに近づいてくる足音だ。
「誰か来る。
大きく息吸って!」
姉が鋭く言う。
「え?」
「早く! で、止めるっ!!」
姉がまた鋭く言って、俺は言われた通りにする。
そして、姉は指を滑らせると、また魔法を展開させた。
それは、テントのように俺達二人を包み込む。
薄い幕のような術式だった。
術式に包み込まれるのと、部屋の扉が開くのは同時だった。
そうして、部屋に入ってきたのは、首がネジ切れる直前で皮一枚でなんとか繋がっている男性だった。
部屋に入って、ほぼもげ掛けの首は胸の方へ垂れ下がっていて、ギョロっとした目が先程まで死体があった場所を見つめている。
「っあ、か」
男からそんな声が漏れた。
音だったかもしれない。
「ぁ、い、ぁ、い」
無い、無い、と言っているように聴こえた。
「ヴぃ、あ、ヴぃ、あ」
ニタリ、と笑って男は部屋を出ていこうとする。
早く行ってくれ。
息がキツイ。
男は部屋と廊下を繋ぐ扉の前に立つと、喧しい、そして狂ったような声で笑いだした。
(ねーちゃん、ねーちゃん。
息、ヤバい)
目で訴えた。
すると、
(我慢しろ)
訴え返されてしまう。
と、やべ。
プスゥ、という、空気の抜けたような音が幕の中に小さく響いた。
俺の屁だった。
あー、もっとちゃんとすかしっぺの練習しておけばよかった。
姉へ、テヘペロな顔を作って向ける。
すると、母の逆鱗に触れた時と同じ顔をした姉が、俺の首を締め上げたかと思うと、声を張り上げた。
「こンの、愚弟がぁぁあ!!」
覆っていた幕もずれ落ちる。
「ご、ごめ、ねえちゃん。
って、あ」
俺の視線が部屋の扉の前にいた、首がもげ掛けている男性とかち合った。