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突然、声が、脳内で響き渡った。
遅れて、映像が流れ込んでくる。
それは、俺の脳みそを、そして、感情を揺さぶった。
見たくないものを強制的に見せられる。
忘れたかった光景によく似た、それに吐きそうになる。
向けられるのは、冷たい眼。
眼、眼、眼、眼。
刺さるのは、声。
そして、言葉。
(来るんじゃなかった)
姉の頼みでも、断ればよかった。
そうすれば、こんなもの見なくて済んだのに。
(こんな、声。
聴かなくて、済んだのに)
姉は、俺のことを命綱だと言った。
でも、俺は。
俺には、そんな価値なんてないのに。
どうして、姉は、俺に価値を与えようとするんだろう?
昔からそうだった。
俺の価値は、もう決まってる。
付加しても、もう決まってる。
どんなに勉強しても。
どんなに美味しいレシピを覚えても。
どんなに何かを覚えようとしても。
それは、俺の価値にはならない。
覚えた何かは、身につけた何かは俺の価値にならない。
だって俺の中には、何も無いから。
――――……………よ――――
一瞬、別の声が聴こえた気がした。
それは、俺の考えを否定するような声だった。
でも、父さんも母さんも、姉ちゃんも、爺ちゃん婆ちゃんも、きっとこの声と同じことを腹の中で思っているに違いないのだ。
いつか、俺にも、その時が来る。
いつか。
絶対に、来る。
この光景と同じように、家族から捨てられる日が来る。
それは決まってることで。
早いか遅いかの違いでしかない。
そのいつかの未来に絶望できるくらい、自分に価値があったならよかった。
でも、何も無い。
俺には何も無い。
ゴンスケにはレア種という価値がある。
ドンベエにもドラゴン種族という価値がある。
ポンにも、今まで家にいた猫達にも、愛玩動物としての価値がある。
そう、父さんには元英雄という付加価値があるように。
家族皆に、そして、同級生達にも、価値がある。
でも、俺には何も無い。
それを再認識してしまう。
疎まれ、嫌われるだけの人生。
その人生に無理矢理、価値を見出すなら。
それは、人形としての価値だ。
言われるがまま、言うことを聞くだけの人形としての価値。
ストレス発散として、鬱憤をぶつけられる人形としての価値。
それで良いと思ってる。
それでも、価値は価値だから。
――――お前、馬鹿だな。そんなことで俺がお前の友達やめると思ってんの?
もしそうなら、ガチで泣くからな――――
と、今度はハッキリと声が聴こえた。
よく知ってる、声だ。
あの職員の言葉を借りるなら、俺は、人形達の中じゃまだ幸せな方らしい。
他人が俺の事をそう言うなら、きっと俺は幸せなんだろうし。
そして、それは本当のようだ。
「いや、不幸だって思いたくないだけ、か」
呟いた声は、感情が乗っていなかった。
まるで自分の意思とは関係なしに、呟いたようだ。
それはそうなのだろう。
でも、無価値な俺にも、家族以外にも大事な存在がたしかにいるのだから。
「?」
姉がこちらを不思議そうに振り返る。
「なんか言った?」
その問いに、意識がクリアになる。
まるで、夢から覚めたような感覚だ。
「んあ? 俺、なんか呟いた?」
「え、自覚なし?
まさか取り憑かれてないでしょーね?」
言いつつ、姉は指を銃の形にする。
そして、それを俺に向けると撃つ真似をした。
「ばんっ!」
声付きである。
しかし、肩が軽くなるとかは無かった。
「とくに何にもないよ」
「空気に呑まれたかな?」
俺の言葉に姉が、俺の頭に触れてくる。
そして、わしゃわしゃと撫でくりまわす。
髪がボサボサになってしまった。
「なに?」
「精神汚染がないか調べてる。
って、ん?
あんた、昼間も思ったけど、ストーカーでもいんの?」
「なんで?」
「追跡術式が付けられてる」
「マーカー?」
「発信機の魔法版」
「へぇ、そんなのがあるんだ」
「しかも、脳みそに直接刻み込んでる。
誰にやられたの?!」
「さぁ?」
物好きもいるものだ。
「それって、ヤバいの?」
「え?」
「場所がわかるだけでしょ?
それともこのやり取りの会話が聴こえてるとか?」
「盗聴系の式は編まれてないから、場所だけが術者にわかる仕様みたい。
だから、このやり取りは伝わってない。
でも、こんなの人権侵害も良いとこだ。
心当たりは?」
「えー?
俺に興味ある奴なんていないと思うけど」
そもそも俺は魔法に疎い。
姉も知ってるだろうに。
「違う。そうじゃない。
私もあんたも、幽霊はともかく生身の人間からの悪意には敏感でしょ?
ましてや、こうして触れない限りこんなこと出来ない。
あんた、誰かに頭触らせた?
家族以外で。
一応言っとくと、踏まれたのはノーカンね」
「踏まれた? なにそれ?
そんなん覚えてないけど。
頭に触れてるのは、だいたいゴンスケだけど?」
「ドンベエは?」
「はい?」
「ドンベエは魔力過敏症でしょ?
あんたへの態度がおかしかったこと、ない?」
「そう言われても、飼ったばっかりだし。
あ、でも、たまに俺に対してビクついてたかも?
でも、そういう時はゴンスケが近くにいたからなぁ」
それこそ、今日首輪を付けるまで父や母に対してもビクビクしていたのだ。
「とりあえず、それは、帰ってから、かな?
今は」
姉は周囲をぐるりと見回す。
俺もつられて、周りを見た。
そこは、化粧台が置いてあった部屋だった。
部屋の中は明るかった。
窓から光が差し込んでいる。
まるで、昼間のようだ。
「ここを調べなきゃだし?
っと、うわぁ」
姉が、一点を見てうめき声を上げる。
途端に、独特な厭な臭いに気づく。
「うわ」
俺も、それに気づく。
人型の腐ったものが、床に倒れていた。