浮野の合戦
信勝を家臣にした後、信長は一気に尾張統一へ突き進むのであった。
永禄元年4月謀反を企てていた尾張守護の斯波義銀を国外に追放するのであった。
そしてこの頃、信勝と共謀して敵対していた岩倉城でも異変が起こるのであった・・・。それは城主・織田信安が長子・信賢によって国外へ追放。この原因は城主・織田信安が家督を次男の織田信家に譲ろうとしたため、その先手を打っての行動であったのだ。
そして7月、信長は岩倉城攻めを開始するのであった。
「清州と岩倉は直線にして約三十町(3.3km)・・・正面は要害の為攻め難く、岩倉の北方の浮野に布陣か~・・・・さすがですね信長様」
「あぁいい布陣だと俺は思っているぞ高崎」
家臣達と雑談をしているとき伝令が来た。
「報告致します!織田信賢勢出陣!兵数約3000との事!」
報告を受けた信長はすぐさま立ち、家臣達に命令した。
「皆の者!此度はあまり兵を消費したくない!よって!高崎を前線に出すことを提案する!異論があるもの出てこい!罰はないぞ!さあ出てくるがよい!」
高崎を前線に出すという事を村木城攻めでは反対する家中もいたが今回は誰一人いなかった。その沈黙を破ったのは佐々成政だ。
「高崎殿を前線に出すのは異論ござりませぬ、いや皆もわかっているであろう高崎殿は死なない、そして兵をそして民を大切にしている事を・・・」
「「「おおう!」」」
佐々の言葉で家臣達は返事をし、信長はご満悦だった。無論高崎もだ。
「あんたら・・・信長様!行って参ります!」
「であるか!よし行ってこい高崎!」
こうして浮野の合戦は始まるのであった。
「目指すは織田信長の首ただ一つ!進め~!」
信賢勢の侍大将はそう言い前進した。しかし目の前にはたった一人の兵に立ちふさがれるのであった。
「お主は何者だ!」
その言葉を待っていましたと言わんばかり満面な笑みで高崎は大薙刀を回して答えた。
「我は織田家武門筆頭の高崎義重これ以上先を行かんとするならば!我を倒してみせよ!この雑兵どもが~!」
この言葉で織田信賢はキレたのだ。たかが一人の兵にこれだけ苔にされるとは思わなんだと。
「えぇい!あの者を殺せ!そして信長の首を取れ!突撃ぃ~!」
「「「おおおおおお!」」」
「通さぬ!うおらあ!」
高崎はそう叫びながら最前線の足軽を横一閃で10人の足軽の首を飛ばした。そして横一閃した後そこからは無双の始まりだ。右手には大薙刀を持ち、左手には180cmはあろう刀を振り回したのだ。
「阿修羅だ!阿修羅が来た!に、逃げるだみゃ~!」
「逃げるぞ!俺は死にとうない!」
信賢勢の足軽は逃げ回ったりしていた。相手は鳴海城をたった一人で落とした男、村木城の攻め難い所を一瞬で攻め落とした男だ。その名を聞いてその武を見て回りの指揮は駄々落ちだった。
結果織田信賢勢は壊滅状態。信長勢の被害はたった数兵。それに比べて信賢勢の被害は1500。1500の内800は高崎が打ち取った数。この数は前回前々回よりも多い打ち取りであり、倍以上であった。高崎義重の名は全国に轟き、呼名は阿修羅義重とも呼ばれるのであった。