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田村ひかりは俺の女だ

作者: 佐藤コウキ


「どっかに行こうよ」

 手のひらで頭を軽く叩かれたので、振り向くと田村ひかりが笑っていた。

「外は雨だよ」

 座布団に座り、パソコンで小説を書いていた俺は薄笑いを浮かべて言う。

 彼女は丸くて愛嬌のある顔をした美人だ。ツインテールを丸くまとめて頭に輪っかを作っている。

 東向きの部屋の午後。窓の外からは小雨の音がサワサワと伝わってきていた。

「えー、コウちゃん。つまんないよ、どこかに連れてってよぉ」

 しゃがんだまま俺の腕を両手で握って子犬のように体を揺すり、お得意のおねだりポーズで催促。舌っ足らずな声が俺の心を浮つかせる。

 しかしなあ、俺みたいに50歳近くのオヤジになると外に出るのが億劫になるんだよなあ。と、胸の中でぼやいてみる。

「どこに行きたいの? ひかりん」

 俺が聞くと、彼女は腕を組んで首をかしげ、右手の人差し指を桜色のほっぺたに当てた。

「うーんとね、ひかりはね、観覧車に乗りたいな」

「観覧車? 遊園地かあ……。雨じゃ、行っても仕方がないだろ」

 断りたい俺は苦笑い。

「えー、乗りたいなあ」

「他に行きたいところは?」

「えーと、んーとねえ。ボーリングに行ってカラオケに行ってえ、それからレストランかなー」

 カーペットの上に横座りになっている彼女は大きな瞳の視線を右上に泳がせる。そんな仕草もコケティッシュに感じて俺のハートはホンワカだ。

「雨の日はボーリング場は混むよ。カラオケとレストランだけにしよう。ねっ」

 えーと言ってほっぺたを膨らませたが、ひかりは仕方なさそうにコクンとうなずく。

 そんな彼女が可愛くて、つい胸に視線が行った。白いブラウスにピンクのカーディガン。大きく膨らんだ胸から目が離せない。

「どこ見てんのよ。このドスケベ中年オヤジは」

 ひかりが口元をほころばせながら上目づかいでにらんだ。

「いや、別に」

 俺は薄笑いで対応する。

「うそー、見てたでしょ。私のオッパイ」

 そう言って彼女は誇らしげに胸を突き出した。

 その仕草を見て俺は昨日の夜を思い出す。

 布団の中で、俺は思い切り彼女の胸をもんでいじりまわした。あえぎ声もまるで子猫のようでいじらしかった。こんな可愛い女は誰にも渡さない。田村ひかりは俺の女だ。


 俺は、亡くなった両親が残してくれた軽量鉄骨2階建ての家に彼女と二人で住んでいる。ひかりと同棲を始めたのはいつからだっただろう。

 もうすぐ彼女は40歳になるが、その外見は20歳代にしか見えない。付き合った当初はフリルたっぷりのワンピースなどを着ていたので、どこかのお姫様かと思ったほどだ。今は俺の性格に合わせて地味な服を着るようになった。

 気品のある雰囲気を漂わせていたが、性格は庶民的であっけらかんとしている。そんな彼女がどうして俺のようにうだつの上がらないオヤジと付き合っているのか当事者の自分にも理解できない。


 俺はユニットバスに行き、乱れていた髪を洗面台の鏡で整えた。それには、どこにでもいるような平凡な中年男が写っている。白髪交じりの小太りのオヤジ、それが俺だった。

 大きなため息をつくと、ジャケットを着て車の鍵をポケットに入れた。

 玄関に行くと、ひかりが後ろから付いてくる。

「車のキーは持った?」

 ひかりが聞くので俺はジャケットの上からキーの感触を確かめる。

「持ったよ」

「じゃあ、今日はカラオケで歌いまくるぞー!」

 ひかりは右の拳を突き上げた。そして、俺にも無言の笑顔で催促しているような感じ。

「おお、俺も負けずにフィーバーだあ!」

 少し引きつった笑顔で右手を突き上げる。いい歳をしてちょっと恥ずかしい。

 玄関を出てドアの鍵を閉める。

 階段を降りようとすると、下から誰かが上がってきた。

「コニチワ」

 若い男が変なイントネーションであいさつしてきた。それは隣の部屋に住んでいる中国人だった。

 しまった。ひかりは極度の人見知りだった。心配して後ろを振り向くと、そこには誰もいない。


 ……ああ……そうか、そうだったんだ。俺は無言で中国人の横をすり抜けて1階の駐輪場に降りていった。今まで明るい空気で満たされていた胸の風船が急激にしぼんでしまう。

 ワンルームアパートの駐輪場の隅に、俺の自転車がほこりまみれで立っていた。

 サドルのほこりを払ってから、ポケットの鍵で後輪のロックを外す。

「だんだん妄想が激しくなるなあ」

 そうつぶやいて自転車を外に引き出した。最近は空想と現実の区別が付かないときがある。

 曇った空から、小さな水滴がチリチリと落ちてきた。傘を使うべきかどうか迷うような小雨だ。

「病院に行った方がいいのかな……」

 俺はペダルを踏んで近くのコンビニに向かった。


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