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籠の鳥の王女は恋をする  作者: 新道 梨果子


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第三章 1.大きな鳥籠

 輿入れの日まで、あと十日。あと十日で王女はこの城からいなくなる。

 寂しいと思ってはいけない。元々、王女と一緒に過ごした時間は、あるはずのない時間だったのだ。

 だが、王女の前でこうして絵を描いていると、欲深くなる。

 もっと長い時間、共にいられればと。

 そんなことは、思うだけでも許されないことなのに。

 目の前の王女が、ふいに言う。


「あと十日ね」

「……そうですね」


 きちんと王女の顔を見て描かなければならないのに、顔を上げられなかった。自分がどんな顔をしているのか、その顔を見て王女がどう思うのか、それを考えると怖かった。


「もうアイトンとも会えなくなるわね。寂しいわ」


 寂しい?

 私は顔を上げる。彼女は遠くを眺めている。

 ……寂しいと思ってくれるのか。

 ならばそれを喜びとして生きていこう。それだけでもう十二分なのだ。

 私は沸きあがってくる気持ちを気力でなんとか押さえ込み、口元に笑みを浮かべて言う。上手く笑えているかどうかは分からない。


「セイラスはどんな国でしょうね」

「どんなかしらね。いろいろと学んではいるけれど、行かなければ分からないこともたくさんあるのでしょうね」


 これから嫁ぐ国だというのに、関心のないような、抑揚のない声。


「王都は海に近いと聞いています。王城からは見えるのでしょうか」

「どうかしら。見えるといいわね。海が見えたら、嫌なことがあっても心が晴れるかもしれないわ」


 王女は小さく微笑んだ。

 海があることが彼女の癒しとなるのなら、海の絵を描いておくべきだったろうか、と思う。


「今度、セイラス国王陛下に訊いておかなくては。ああ、その前に私がセイラス城に着いてしまうわね」


 そう言って王女は苦笑する。


「セイラス王とは、お会いしたことは」

「ないわ」


 王女はふるふると首を横に振った。

 そうなのか。では彼女は、顔も知らない人間のところに嫁ぐのか。

 そうしたことが王族の常だとは知っていても、目の前のこの少女がそういう現実にある、というのは受け入れ難かった。


「……お優しい方だといいですね」


 否定的な言葉は、ここでは必要ないだろう。私がそう言うと、王女は小さく笑った。


「誠実な方よ、とても」

「ご存知なのですか。でもお会いしたことはないと」

「文をくださるの。それはもう、何度も」

「そうなのですか。それはよかった」


 王女は、遠くを見るような目で、彼方を見やる。先にあるのは、まだ見ぬセイラスだろうか。


「あちらの後宮に私の部屋が用意されているのだけれど、調度品はどんなものがいいか訊いてくださったり、折に触れ、あちらの文化や習慣を教えてくださるわ。丁寧な文字を書かれる方よ」

「殿下を大切に想われているのですね」


 すると王女は小さく笑った。


「知っていて? セイラス王がなぜ私を選んだか」

「ええと……現王妃よりも後ろ盾が強い方を、という話は聞いておりますが。でもエイラ殿下がお美しいという噂なども聞いておられるのではないでしょうか」

「世辞はいいと言ったのに」

「いえ、世辞ではなく」

「あらそう、ありがとう。でもね、それは違うわ」


 王女はふるふると首を横に振った。


「と仰いますと」

「後ろ盾が強い、というのはもちろんだけれど、なおかつ、決まった婚約者がいない、すぐにでも世継ぎが産める年齢の女性、となると私しかいなかったの。かの後宮は揉めていらっしゃるから、候補の姫たちはさっさと他に決められたりされたようよ。要は、私は逃げ遅れた」


 王女の言葉に何と返していいか分からなくて、私は口をつぐむ。


「せめて、美しいから、とかそんな理由でもあればよかったかしら、とは思うわ」


 そうして目を伏せる。長い睫が頬に影を落とした。


「あの、エイラ殿下」

「なあに?」


 王女は私の言葉に顔を上げる。


「殿下は、私がなぜアレス殿下の副官となったかご存知ですか」

「あら、何か特別な理由があるの?」


 小首を傾げてこちらの話に耳を傾けている。


「私がアレス殿下と年が近いからだそうですよ」

「まあ」

「せめて、仕事ができるから、とかそういう理由が欲しかったと思います」


 王女はそれを聞くと、ころころと笑った。


「私たち、こんなところでも似ていたわ」

「理由としては似ていますが、立場はかなり違います」

「でも気持ちは分かってくれて?」

「ええ、分かります」

「よかった」


 そう言った王女は、微笑んだ。綺麗な笑みだった。第五王子と一緒にいるときのような、そんな安心した笑みだったというのは、言いすぎだろうか。


「エイラ殿下、もう『輿入れするとできないこと』は全てされましたか?」

「そうねえ、思いつくままやったとは思うけれど」

「けれど?」


 王女は少し考え込むように、頬に手を当てた。


「したいけれどできないこと、は結構多いものだわ」

「たとえば?」

「城下を歩いてみたい」


 息を呑む。

 それは確かに、彼女の立場では軽々しくできることではない。


「私、城から出たこと自体、あまりないの。昔、独身のアレスお兄さまの相手役として国外に出たときとか、他にも何度かあるけれど、それも自由に見て回れたわけではないし」

「そう……ですか」

「ねえアイトン。この城は、とても広いわよね」


 唐突に話が切り替わったことに驚きつつ、頷く。


「ええ、近隣諸国と比べても、広い王城だと聞いています」

「そうね。だから私、分からなかったの。でも私は分からない方が幸せだったのかもしれない。どうして気付いてしまったのかしら」


 王女は空を見上げる。ちょうど王女の背後の楡の木に、一羽の鳥が羽休めか、降り立ったところだった。


「この城は、大きな鳥籠なの。大きすぎて気付かなくて、この鳥籠の中でわがままを振りかざすけれど、それは所詮、鳥籠の中。でもね、餌と充分な広さと飼い主の愛情を与えられて、きっとそれで幸せなのよ」


 それはいつもののんびりとした口調ではあったが、どこか寂しい響きがあった。虚無。そんな言葉が浮かんだ。


「幸せ……」


 それは本当に幸せなのか。幸せと思うなら、なぜ彼女は今、そんな話をしたのか。

 それではいけない。彼女は笑っていないといけない。彼女は幸せになるべき人なのだ。

 私は衝動的に立ち上がる。急に動いた私に驚いたように、王女は身じろぎした。


「ど、どうかして?」

「行きましょう」

「え? どこに?」

「城下に。行きましょう」


 自分の口からこんな言葉が出ていることが、私自身信じられなかった。


「そんなこと……許されないわ」


 王女は目を伏せた。

 そう、許されるはずはない。言わなければ。そうですね許されないことです残念です、と。

 頭では理解しているのに、私の口がその思いとはうらはらに動く。


「私も、あなたの本音を聞きたいのです」


 王女から私に与えられた、命令。


「……たい」


 俯いたままの王女から、声が発せられた。小さな、小さな、声。

 だが彼女は次の瞬間には顔を上げて、はっきりと言った。


「行きたい!」


 私はその希望に満ちた菫色の瞳を見て、決めた。何があろうと彼女の希望を叶えよう、これからどんなことが起きても臆せず、彼女のために動こう、と。

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