第二章 2.本音
それからも、何度も呼び出されて、絵を描く日々が続いた。
大抵は王女が第五王子の部屋にやってきて、私の姿をみとめると、王子に声をかけてふいっと中庭に向かう。
最初は王子がいちいち私に「頼む」と言ってきていたが、今では王女が顔を覗かせるだけで、周りもそのように動く。配属されたばかりの私の仕事など大したものではないのもあって、途中でも誰かが自然とそれを受け継ぐ。
「大変だな」
と声をかけられたことも一度や二度ではないので、王女のわがままに付きあわされているのだと皆思っているようだ。
だが私にとっては、それは少し違うような気がした。私は嫌々やっているわけではなかった。本格的な肖像画でないにしろ、堂々と絵が描けるのだ。それは何よりも心躍る仕事だった。
しかし、少々のお喋り、だけはどうにも上手くいかなかった。何しろ環境が違いすぎて、どんな話なら王女が満足するのか分からない。
取り留めのない天気の話やら、画材の話やらをするが、どう見ても王女は楽しんでいるようには見えなかった。王子がやってきたあのときが、一番良い表情をしていた。
そしていつものように、今日は何を話そうか、と考えながら中庭に向かうと、王女が一人、楡の木の下で腰掛けているだけだった。
いつも傍に控えている侍女たちの姿が見えない。
「あの、侍女の方は」
王女にそう訊ねると、彼女は軽く肩をすくめて言った。
「もう大丈夫そうだと思ったようだったから、下がってもらったのよ。よかったかしら?」
「え、ええ、もちろん。私はどちらでも構いませんから」
少し前から、常に二人はいた侍女が、一人になったり時間を開けてやってきたりはしていた。
要は、この男は安全だ、と信頼されたということだろう。それに、何もせずにずっと絵を描いているのを見ている、というのはなかなかに苦痛な仕事だろう。
「失礼します」
私はいつものように王女の斜め前に腰掛けて、紙を取り出し、絵を描き始めた。
「ねえ、アイトン」
「なんでございましょう」
珍しく、王女の方から話しかけてきた。侍女がいなくなったから、気が抜けたのか。これは今日は楽かもしれない、などと心の中で安堵の息をつく。
「あなた、どうしてアレスお兄さまの副官をしているの?」
どうしてと言われても。
「私が特に希望をしたわけではないのです。ただ、思いがけず光栄な仕事をいただいただけで」
「そうではなくて。本当に絵師になる気はないの?」
手が止まる。またそんな風に言われるとは。
「あなた、絵を描くとき、楽しそうだわ。私だけでなく、他の絵も描いてみたいのではなくて?」
読まれている。なんだかいつものんびりしている雰囲気だが、きちんと人間観察はしているということか。
「いえ、他の何よりも殿下の絵を描かせていただけることを嬉しく思います」
そう答えると、王女は唇を尖らせた。
「つまらないことを、言うのね」
優等生な答えをしたつもりだったが、王女の気に障ったらしい。
「せっかく誰もいないのに、そんなお世辞を聞きたいわけではないわ。たまには本音を聞かせてくださらない?」
本音。王女を前に? 無理だ。
私たちは王城に勤めている。王族に仕えている。彼らの機嫌を損ねるようなことは、一つたりとも許されない。
私が言葉に詰まったのを見て、王女はため息をついた。
「わかったわ。では、命令しましょう」
「えっ」
「私といるとき、これからは本音で語ること。もちろんお兄さまには言わないわ。約束してよ」
「いや、本音と言われましても……」
「私、世辞には飽き飽きしているの。そしてこれからもそんな生活が続くことは目に見えているわ」
確かに、そうなるだろう。では王女は本音で語りあう親友ごっこでもしたいのかもしれない。
これは王女が望む、『輿入れしたらもうできないこと』なのだろう。
さすがに不敬罪に当たるようなことはできないし、思ってもいないが、自分のことくらいは語ってもいいだろう。
「……私は本当は、絵師になりたいと思っておりました」
私がぽつりと語りだしたのを見て、王女は身を乗り出してきた。
「なのに、どうして王城に?」
「うちは田舎貴族でして。親族の中で誰か一人でも王城の中枢にいれば、と皆が思っているんですよ。そこそこ学業の成績が良いもので、私が皆の期待を一身に背負ってしまいました。それで絵師の夢は諦めてしまったのです」
「まあ」
王女はそう声をあげた。
「私と似ているわね」
「そうですか?」
思わず顔を上げて、王女を見つめる。私と王女が似ている? どこが。何もかも違いすぎて、何が似ているのか想像もつかない。
「私も、皆の期待を一身に背負っている」
王女はぽつりと言った。
そうだ。国と国の繋がりのため、彼女は嫁ごうとしている。
「嫌だと……思ったことはないのですか」
思わず、こう訊いてしまった。
王女は背筋を伸ばした。
「私は、王女ですもの」
毅然とした声だった。
「私一人の言動が、何万という人の命を左右することもある。王族というものは、そうしたものだわ」
いつもののんびりした口調とは違った。それは責任を持った人間の言葉だった。
その言葉で分かる。
彼女は自分で選んだ。自分で覚悟を決めたのだ。
だが私はといえば、そうではない。流されたのだ。
「エイラ殿下は……ご立派でいらっしゃる」
頭が下がる。わがまま王女などと思った自分が恥ずかしい。今やっている『輿入れしたらもうできないこと』などかわいいものではないか。
「やはり私などとは似ておりません。殿下はとてもしっかりしていらっしゃる」
私の言葉に王女は首を傾げた。
「それは、本音?」
「命令を受けました。もちろんそうです」
「そうなの。私は、褒められるのは好きよ」
そう言って笑った。可愛らしい笑みだった。
少しばかり打ち解けてきたのかな、と思った。




