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籠の鳥の王女は恋をする  作者: 新道 梨果子


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第二章 1.王女を描く絵師

 紙と木炭を持ってエイラ王女が待っているという中庭に行くと、待っていたのは彼女だけではなかった。どうやら王女付きの侍女二人が付き添っている。

 そうだよな、これが普通だ、と妙に納得した。昨日のように王女が一人でうろうろする方が異常なのだ。

 楡の木の下に座り込んでいる王女に、二人が何かを言っているようだ。

 おそるおそる近付くと、侍女たちの声が聞こえた。


「なりません、エイラ殿下」

「そうですわ、これだけは」


 どうやら何かを反対されているようだ。まさかまた木登りか、と耳をそばだてつつ、近寄ってみる。


「殿方と二人きりなんて、それは許されませんわ」

「陛下だって反対されるでしょう。お輿入れ前ですのに」


 思わず足を止めた。

 これは間違いなく。私と二人きりなど言語道断、という話だ。

 これはいったいどうするべきか。私は侍女たちの話を聞かなかったことにして、前へ進むべきか、それとも自ら辞退して後ろへ下がるべきか。


「あら、いらしたわ、彼よ」


 だが私が決断をするより先に、王女がこちらに気が付いた。

 王女ののんびりした口調とは対照的に、侍女二人はこちらに勢いよく振り返り、睨みつけてくる。突っ立っているわけにもいかないので、仕方なく三人の傍に寄る。

 侍女たちの視線を受けて、もしやこれは昨日の出来事を見られたか、とも思ったが、そうではないようだった。


「あなた、アレス殿下の副官だとか」

「アレス殿下のことはもちろん信頼しておりますが、あなたを副官であるというだけでは信頼できませんのよ」

「エイラ殿下はお輿入れ前の大事な御身体。ここのところお一人になりたいようですから私どもも気を利かせておりますが、今回のように殿方とご一緒ということは、看過できませんの」

「そこのところを理解なさっているのかしら?」


 矢継ぎ早に繰り出される甲高い声に、私はただ小さくうなずき続けるしかできなかった。

 だがそこで、王女が口を挟んできた。


「心配してくれるのはありがたいわ。けれど、絵師でない人に見られながらじっとしているのは、なんだか気まずいもの」

「でもエイラ殿下、やはりこれは」


 侍女たちは王女の言葉にも引き下がらない。


「彼だって、人に見られながら絵を描くのは嫌なのではないかしら?」


 いきなり話を振られ、思わず身体が硬直する。二人の侍女は当然、こちらに振り返った。


「いえ、私は、どちらでも構いませんから」


 この場で「見られたくない」などと言える勇気がある者がいたら、ぜひお目にかかりたい。


「ほらエイラ殿下、この方もそう仰られていることですし」

「今回は私たちのお願い事を聞いていただけませんでしょうか」


 喜々として言い募る侍女たちに根負けしたのか、王女は小さくため息をついた。


「わかったわ。でも少し離れたところで見ていて? 近くだと緊張してしまうわ」

「かしこまりました」


 自分たちの要望が聞き入れられたと知るや、侍女たちは深く礼をして散っていった。

 なるほどよくしたもので、目障りにならぬよう気をつけながら、位置取りをしている。


「もう、過保護で困ってしまうわ」


 王女は変わらずのんびりした口調でそう言う。


「お待たせしてしまったわね。ではお願いするわ。……ええと」

「アイトンと申します、エイラ殿下」

「そう、アイトンというの。よろしく」


 当然のことだが、私の名前すらも知らない。どうして絵を描いて欲しいなどと思ったのだろう。


「ええと、その前に確認させていただきたいのですが」

「なにかしら」

「場所はここでいいのでしょうか?」


 楡の木が一本あるくらいの、殺風景な場所。座ってのんびりするにはいいかもしれないが、絵に描くとなると、少々物足りない場所かもしれない。ましてや王女だ。背景に高貴な身分であることを証明するものを入れるのは、肖像画を描くには常識だ。

 だがそれより何より、ここは、屋外。


「何か問題があって?」

「絵の具が乾きます」


 彼女の金の髪や菫色の瞳を表現するには、絵の具を調合しなければならない。それを屋外でその度やるとなると、これは大仕事となる。しかも屋外となると日差しによって彼女が纏う色は刻々と変わっていくだろう。

 肖像画を描くならば、屋内が一番なのだ。

 だが、さきほどの侍女たちとの一件を鑑みても、屋内で描くのは難しそうだ。


「絵の具? その木炭ではいけないの?」


 王女は私の手の中にある木炭を見つめながら言った。


「えっと……肖像画、なんですよね」

「そんな堅苦しいものである必要はなくてよ。もしちゃんとした肖像画が欲しいなら、王宮の絵師に頼むわ」


 確かに。


「多少のお喋りをしながら絵を描いて欲しいの。それだけよ」

「はあ、そういうことでしたら」


 彼女の意図はさっぱり見えないが、とりあえずはそう答えた。

 王女は私の絵を見たわけではない。単純に習作を見て、実力を見極めたいだけなのかもしれない。


「では、失礼いたします」


 私は王女の斜め向かいに座り、木炭を手に取る。

 透けるような白い肌、たおやかな腕、王女とはかくや、と思わせる気品。木炭を持つ手が震えそうだ。私は一つ、深呼吸をする。

 まずは落ち着かなければ。

 そして紙に一つ、線を落とす。すると急に楽に手が動き始めた。

 王女は楡の木を見上げる。


「私が木登りをしていたことは、お兄さまに言った?」

「えっ、あっ……申し訳ありません」

「いえ、別にいいのだけれど」


 言って欲しくなかったのか。だが、あの流れでは言わざるを得なかった。

 そんなことを思いながら、一心不乱に木炭を動かす。

 だがしばらくして、王女の言葉を思い出す。確か、多少のお喋りを、と言っていた。


「あの、エイラ殿下」

「なにかしら?」

「どうして、絵を描いて欲しいと? しかも私などに」


 最大の疑問だ。答えたくなければ答えなくとも構わないが、どうせなら訊いてみよう。


「そうねえ……なんとなく、ではいけないかしら?」

「いえ、いけなくはないです」


 少しばかり勇気を出して訊いたのだが、あっさりとかわされてしまった。

 それからまた沈黙が落ちる。王女はぼうっと遠くの景色を眺めていた。動かないのはありがたいが、これでいいのだろうか。多少のお喋りとはどれくらいなのだろう、と考えを巡らせていると、ふと王女が手を伸ばしてきた。


「見せて」

「えっ」

「なんだか随分描けた風ではなくて?」

「ええと、途中ですが」

「構わなくてよ」


 言われて素直に画板と紙を差し出す。断れるはずもない。どんな風に描かれているのか気にならない人間もいないだろうし。

 受け取った絵を見て王女は、まあ、と声を上げた。


「驚いたわ。こんなに上手いだなんて思っていなかったもの」


 では全く期待していなかったのか。ならばなぜ絵を描いて欲しいと思ったのか、ますます謎は深まった。


「ねえ、ちょっと見てちょうだい」


 王女は声を張り上げて、控えていた侍女たちを呼ぶ。王女が画板を二人に預けると、侍女たちも、まあ、と一様に言った。


「お上手でいらっしゃるのねぇ」

「どうして副官に、と思っておりましたけれど、さすがは殿下、見る目がありますわ」

「驚きましたわ。エイラ殿下の気品が滲み出ておりますもの」


 私の絵を褒めるというより、王女の方を褒めたいようだ。まあそれは当然か。


「王宮の絵師と比べて、遜色なくてよ」


 王女が微笑んでそう言う。


「私には過ぎた言葉にございます。が、光栄に思います」


 さすがに王宮の絵師と比べるなどとは、言いすぎだ。だが絵の腕前を褒められて久々に心が躍った。


「楽しそうだね。私も混ぜてくれないかな」


 ふと声がして、そちらに振り向く。王宮の執務室の方角から、第五王子がゆっくりと歩いてきていた。


「アレスお兄さま!」


 王女が満面の笑みを浮かべる。侍女たちは王子の姿を認めるや否や、深く頭を下げると、さきほど控えていた位置に戻った。


「お兄さま、見てくださる?」


 王子が脇に腰掛けるとすぐ、王女はさきほどの絵を見せた。


「いかがかしら?」

「ほう、これはいいね。エイラの美しさがよく出ているよ」

「まあお兄さま、相変わらずお口が上手くいらして」


 そう言ってころころと笑う。

 これが王族の兄妹というものの会話なのかと、こそばゆかった。

 私にも故郷に妹がいるが、美しいなどとは口が裂けても言えない。もちろん可愛くないわけではない。愛情はあるが、罵倒し合っているような感じだ。


「アイトン、驚いたよ。まさかこんな腕前を隠しているとは」

「は、ありがとうございます」

「これは世辞ではないよ。どうして絵師を目指さなかった? いや王宮での仕事もよくこなしていたと聞いてはいるが、これは戯れに描いていたというものではないだろう? 私は絵を見る目はあるつもりだよ。習作としても充分だ」


 そこまで褒めてもらえると、話半分としても、やはり嬉しい。


「絵師を目指すほどの才能は私には」


 私はそう答えた。

 だが違う。目指していた。いつかは絵師になりたいと。

 けれど、自分からその夢を棄てたのだ。家のため、それが一番だと思った。周りもそれを望んでいた。

 妹だけが、「兄さまのいくじなし」と私をなじった。

 私はその言葉に何も言い返せず、ぷいと去っていく妹の背中を眺めるだけだった。


「やはり絵師となると、特別な才能を求められるものですし、実はもうずいぶん絵筆を握っていないのです」

「そうかい? 今からでも遅くはないと思うけれど」


 言いながら、王子は絵をこちらに返してきた。私はそれを受け取ると、最後に仕上げにいくらか線を入れ、そして新しい紙を取り出す。

 まさしく、絵になる二人がここにいるのだ。これを描かずして、何を描けというのだ。


「アレスお兄さま、お仕事は?」

「元々大した仕事は持っていないよ。そんなものはできるだけ副官たちに任せておけばいい。私はそれより、エイラに会える方を選びたいね」

「まあお兄さま、お父さまにいいつけましてよ」


 相変わらずこそばゆい会話が続いているが、私はとにかく絵を描いた。

 おや、と思う。

 さきほど絵を描いていたときと、随分印象が違う。じかに見ているときは気付かなかったが、こうして絵にしようとすると、王女の雰囲気がまるで違うのが分かる。

 今は、とても落ち着いている。柔らかな表情で、そして楽しそうで。

 王子を前にした王女は、普通の少女のようにあどけなかった。

 やはり、他人に囲まれて過ごしていると、なかなか緊張は解けないものなのだな、と思った。

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