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籠の鳥の王女は恋をする  作者: 新道 梨果子


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第一章 2.第五王子

 私の上司となる第五王子との面談は、その次の日に行われた。


 ここで待つように、と言われた部屋は、隣にある王子の執務室に比べて格段に狭かった。窓を背にした机と椅子、そしてその向かいにぽつんと椅子が一つしか置かれていない。もしやこういった面談のためだけにある部屋なのかと思われる。

 狭いとはいっても、私が住む、王城内にある居住区の独身用の部屋に比べると倍はあるが。なんと贅沢な。


 私は、明らかに王子が腰掛けるであろう豪奢な机と椅子の前に置かれた、質素な木製の椅子に座った。


 面談をするはずの王子はなかなか現れなくて、私はただいろいろと思い出すしかできなかった。


 前日は、前々からいる副官たちとの顔合わせだけで、終わってしまったのだった。

 その後、急に空いた時間をもてあまして中庭に向かったのだが……今思い出しても腹が立つ。あの女に今度会ったら、なんと言ってやろうかとあれからずっと考えを巡らせている。我ながら、根に持ちすぎかと少々反省もしてみたりもした。


 あの中庭は私のお気に入りの場所で、第五王子の執務室の裏手にあるから、今回の人事で近くになる、とそれだけが楽しみだったのに。

 あの女が中庭に入り浸るなら、また別のお気に入りの場所を見つけなければ、とため息が漏れた。


「待たせたね。君が新しく配属された?」


 考え込んでいて、扉が開く音にも気付かなかった。急に部屋に現れた第五王子にそう声を掛けられ、私は慌てて椅子から立ち上がる。


「は、アイトンと申します、アレス殿下」

「ああ、そんなに畏まらなくともいいよ。まあ座って」

「は」


 初めて間近で見る第五王子は、どうやら気さくな人物のようだった。


「兄上たちのところが、こんな風な面談をしているかどうかは知らないけれど、私が個人的にやりたいだけのものなんだ。自分の周りにいる人間のことはなるべく知っておきたいからね。だから、査定や何かに響くことはない。気軽に何でもしゃべってくれても構わないのだからね」


 そう言って柔らかな笑みを浮かべる。

 だが、はいそうですか、と態度を崩すわけにもいかず、私は両手をぎゅっと握って、膝の上に置いたままだった。

 そのへんの心情はわかっているのか、王子はそれ以上は言わなかった。


 不躾かと思いつつも、王子をまじまじと眺める。

 端正な顔立ちをしている。どちらかというと、女性的だ。身体つきは、線は細いが、つくべきところに筋肉はついている感じだ。金色の髪は、昨日のあの女を思い出すほどに美しく輝いている。

 自分のぼさぼさの栗色の髪と、骨太な身体が、酷くみすぼらしく思えた。


「私は基本的には軍の一部隊を任されているだけにすぎないから、大したことはしていないのだけれど。というか、軍というのも、性分に合わない気はしているのだけれど、陛下の仰せだから」

「いえ、そんな」


 軍の仕事の方はどんなものかはしらないが、外交の場や、国内視察など、見目の良い第五王子がいろいろ駆り出されているのは知っている。

 でもだからと言って、彼が王位継承に名乗りを挙げることは決してない。妾腹の上に、第五王子。それに付く者もまた、王宮の中枢に行くことはほとんどない。

 配属が決まったとき、同期の者に言われた。


「いいなあ、そちらはずいぶん気楽だという話だよ。出世争いでギスギスすることもないし、外に出ることが多い方だから城に閉じこもりっぱなしということもないし、何よりアレス殿下は気さくな方らしいから」


 確かに、目の前の第五王子は気さくな人柄らしい。こうして大した功績もない人間とも面談しようなどという、奇特な御仁なのだから。

 気楽と言えば気楽なのだろうが、立身出世を期待されて城にやってきた身にすれば、複雑な思いだ。


「ここには、希望してやってきたのではないよね?」

「えっ」


 単純に配属されたからやってきた。それだけだ。そもそも希望など訊かれてもいない。

 何と答えれば及第点なのか。下手なことを言って、王子の機嫌を損ねはしないか。


「大丈夫、この部屋の会話は、他の部屋には聞こえない」


 そう言ってちらりと横の壁を見やる。

 隣は、正規の王子の執務室。侍女も他の副官も、皆そこで待機しているはずだ。

 だが、彼らに聞かれようとも、それらは大した問題ではない。問題なのは、質問をしてきた目の前の人だ。


「確かに希望はしておりませんでした。そもそも私など、希望など聞いてもらえるような実績もありませんし、若輩者ゆえ、いただいた仕事を懸命にこなすだけでございます。しかし思いがけずいただいた仕事、殿下の元で働けること、身に過ぎた光栄と思っております」

「なるほど、真面目な人柄のようだね」


 そう言うと、王子は苦笑した。


「どうして君が私のところに配属されたと思う?」


 どうして?

 そこしかなかったからではないのか。

 故郷では神童と言われた身でも、いざ王城に入ってしまえば、自分程度の人間はごろごろいることを目の当たりにして、現実を知る。更に言えば、この程度は当たり前で上には上がいて、これから努力を重ねても、そこに追いつくには何年かかるのか見当もつかない。

 その上、血筋やら身分やらが絡んでくると目も当てられない。田舎貴族など、どこにも出る幕はない。

 自分の夢を諦めてまで王城にやってきたのに、ここには未来がないような気がしていた。

 そこに、第五王子の副官なる仕事である。

 そこそこの頭脳で、そこそこの身分で。でも真面目な堅物は、それなりに役職をつけていかなければならなくて。

 それで配属されたのだろうと勝手に推測していたのだが、違うのだろうか。


「申し訳ありません、私では理由までは」

「では、教えてあげよう。君が、私と年が近いからだよ。私が二十二で君が二十一。君が私の一つ年下だから」

「年……? それが理由ですか」

「そう。話し相手にどうか、ということだろうね」


 肩が落ちる。それは、私の推測よりも酷い。

 何ひとつ、認められはしなかった。年齢が近い。ただそれだけ。

 故郷に置いてきた筆が思い出された。どうして置いてきてしまったのだろう。


「単純に話相手になればいいというものでもないよ。切磋琢磨して、私が向上できる人物でなければ。つまりは最低でも私よりは優秀でなければならないということだね」


 私の心のうちを読んだのか、王子はそう言葉を重ねたが、それだけでは私の心の中に浮かんだ筆は、消せそうになかった。

 そのとき、部屋の扉がノックされた。

 王子は立ち上がり、扉に向かって歩く。

 そうか、外に声が漏れないというならば、「どうぞ」という返事だけでは相手にはわからない。


「どうした?」

「それが……」


 ノックした者が声を抑えて何かを言っている。

 王子は小さく肩をすくめて、そしてこちらに振り返った。


「すまない、私に来客だ。少々待っていてもらえるかな」

「はい、もちろん構いません」


 私がそう答えると同時に、部屋の中に入ってきた者がいる。ここにいないかのように振舞った方がいいかと、真正面に向き直った。

 だが。


「お仕事中ごめんなさい、アレスお兄さま。大したことではないのだけれど」


 聞き覚えのある声。

 私は、再び扉に振り返る。


「あっ!」


 思わず出た声に、その人もこちらを見る。


「あら、あなた」


 そこにいたのは、あの木登り女だ。


「おや、知り合いかい?」

「ええ、少し」


 王子の質問には、木登り女が答えた。

 いやちょっと待て。彼女は今、なんと言ったか。

 アレスお兄さま? 第五王子をお兄さま? では当然、妹ということだ。となれば。


「も、申し訳ありません!」


 私は慌てて立ち上がる。勢いで、今まで座っていた椅子を蹴倒してしまったが、それどころではない。王子と少女は怪訝な顔をして、こちらを見ている。私はとにかく頭を下げた。


 侍女などではない。王女殿下だったのだ。

 どうして王宮に。普通、王族の女性たちは後宮に閉じこもって、出てくることはほとんどない。出てくるにしても、たくさんの侍女たちを侍らせている。

 まさか、木登りをする王女がいるだなんて。


「知らぬこととはいえ、昨日は失礼を」


 言いながら、昨日の出来事を頭の中でぐるぐると思い返す。自分は彼女に何をした? 何か失礼なことをしたのではないだろうか。

 いきなり、彼女を腕の中に受け止めた場面が浮かぶ。

 ああ、もう駄目だ。あれだけでもう、ありえない。

 しかも、王女が去ったあと、毒づいた。そもそも王女が一人で王宮をふらふらしているなど考えられない。であるならば、影から侍女か侍従が見守っていたのではないか。それを見られたとしたら。

 ものの見事な不敬罪だ。

 終わった。

 そう思った。


「何か無礼を受けたかしら? 覚えがないのだけれど」


 王女はそう飄々と言った。昨日と同じように、のんびりとした口調だった。

 もしかしたら寛大な王女は、何もかもなかったことにしてくれようとしているのかもしれない。だが私は頭を上げられなかった。


「アイトン、何があったか知らないけれど、頭を上げてくれないか」

「は」


 他ならぬ王子の言葉を受けて、私はおそるおそる身体を起こす。王女は小首を傾げていた。本当に心当たりがなさそうな感じだ。


「エイラ、どういった知り合い?」


 王子が王女に問う。

 エイラ殿下。ならば第四王女。確か先日、輿入れが決まったはずだ。だったらなおさら後宮でおとなしくしていればいいものを。そうしたら、私もあんな場面に立ち会わなくて済んだのに。

 などと逆恨みをしたりしてみた。


「助けていただいたのよ。無礼なことは何もしていらっしゃらないわ」


 王女の言葉に、自分の卑しさが引き立った気がした。


「そういうことらしいよ。何があったか知らないけれど、気にする必要はない」


 王子はそう言って軽く肩をすくめた。


「で、今日はどういった用事だい?」


 もうその件は終わった、とばかりに王子は王女に向き直った。


「本当はね、時間が空いたから、アレスお兄さまの馬を貸していただきたかったの」

「わざわざ訊きにこなくとも、勝手に乗っても構わないよ。他ならぬエイラなら、我が馬も喜んで背を貸そう」

「それはいけないわ。きちんとお伺いを立てなくては」


 馬? 木登りに続き、馬とは。

 いや、たしなみとして乗馬をするのは珍しくはないが、おっとりとした雰囲気の王女に、それらは似合わないような気がした。


「でもそうねえ、今日は馬はもういいわ」

「ほう?」

「その代わり、彼を貸してくださらない?」


 そう言って、王女はいきなり私の方を指差してきた。


「はっ?」


 いきなり、何の話だ。何が起こった。


「おや、彼を気に入った?」


 狼狽している私とは対照的に、王子は落ち着いた口調で、微笑みながら言った。


「彼、絵を描くのよ」

「へえ、それは知らなかった。本当かい?」


 王子はこちらに振り返る。


「え、ええ。単なる趣味なんですが。素人ですし、拙いものです」

「でも、彼がいいのよ、アレスお兄さま。私、彼に私の絵を描いて欲しいわ」


 あまりの展開に、私はあんぐりと口を開けてしまった。

 ちょっと待て。彼女は私の画材を見ただけで、描いた絵を見たわけではない。間違いない、あのとき持っていた紙は全て白紙だった。なのにどうして私なんだ。


「なるほど。では彼には私からお願いしておこう。それでいいかい?」

「ええ。私、昨日の中庭で待っているわ」


 王女は私の方に振り返りそう言うと、部屋を出て行ってしまった。

 何がどうしてそうなった。

 私は呆然として立ちすくむしかできなかった。


 扉を閉めて部屋の中に引き返してきた王子は、再び自分の椅子に腰掛けると、小さくため息をつく。


「そういうわけで、彼女に付き合ってやってくれ」


 お願いではない。命令だ。当然、私に選択の余地は残されていない。


「でも、あの、本当に拙くて。エイラ殿下のご期待に副えるかどうか」


 少しずつ落ち着いてきて、私はとりあえず倒れた椅子を元通りにし、腰掛ける。


「そういうことは問題ではないんだよ。今は彼女の希望は出来るだけ叶えるようにしているんだ」

「はあ」


 今は? 何が何だか訳がわからない。


「参考までに、昨日何があったか聞かせてもらおうか」


 王子がそう言うので、私は仕方なくかいつまんで昨日の出来事を語った。もちろん毒づいた、などという事実は隠したが。

 抱きとめた、ということに懸念を示されるだろうかと思ったが、王子は私の話に声を出して笑う。


「今度は木登りか。何をしでかすかわからないな」

「今度は?」


 すると王子は、頬杖をつきながら、ぽつりと話し出した。


「エイラが先日婚約したのは、知っているよね」

「はい。セイラスの国王陛下とか。またとない良縁と評判で。おめでとうございます」


 私はそう祝辞を述べたが、対して王子はため息をついた。


「めでたいかどうかは、少々、微妙なんだ」


 それは知っている。かの国王は王女の二十四歳ほど上。王女が十七だから、四十一というわけだ。国王としてはまだ若い。だが夫としては親子ほど離れた年の差は、王女にとっては辛いものかもしれない。


「まあ、我々にとっては珍しくはない話だが。生まれた瞬間に成人男性と婚約なんてこともあるわけだし」


 確かに。そんな話はよく聞く。


「あそこの王室は、今は少しばかり揉めていてね」


 王子は自分でも確認するためか、机上に指を置き、系図らしきものを書きながらしゃべる。


「セイラス王は、まず初めに侍女上がりの女性を娶った。彼女は女の子を産んだ。セイラスも我が国と同じく、王女には王位継承権はない。だからこの子は世継ぎにはなれない」


 確認するように王子が顔を上げたので、一度うなずく。


「その後、正室としてギルト王女を迎えた。最初の妃は今も側室としているようだが、後ろ盾が違いすぎて、あまりお立場がないようだよ。だが正室には子どもが産まれない」


 王子が机上に指で、大きくバツを書いたのが分かった。


「現正室はずいぶんと気性の激しい女性のようで、セイラス王もしばらくは待ったのだろうが……。噂だけれど、側室殿は毒で身体が動かなくなったとか、お互いの侍女たちの中で死者が何人も出たとか……」


 きな臭い、とかいう段階ではもうない。それが事実ならば、なんという荒んだ後宮か。

 他人事ながら、息を呑む。そんなところに嫁がねばならないのか。


「でも、もうそろそろ世継ぎがいないとね」

「それで、エイラ殿下ですか」

「そう。現正室を黙らせるには、彼女よりも後ろ盾の強い女性でなければならない。ギルトよりは我が国の方が大きいからね」

「なるほど」

「我が国としても、セイラスと縁を繋いでおくのは悪いことではない。我が国とセイラスの間には、キルシー国がある」


 国境の小競り合いくらいしか今はないというが、キルシーと我が国は、かつては領土問題で戦った経験がある。であれば、挟み撃ちにもできる、という牽制の意味もあるこの縁談は、こちらの利もあるということだ。


「ただ、エイラのことを考えるとね」


 王子はそう言って、再びため息をついた。


「彼女が穏やかにセイラスで暮らすには、世継ぎを産むことが絶対条件なのだよ。万が一それができなければ」


 おそらくは、一生飼い殺しだ。世継ぎが生めなかった場合、だからと言って、故郷に帰ってくることもできない。これは国と国との繋がりなのだ。

 そしてセイラス王は、三人の妃がいるというのに、さらに世継ぎを生める女性を捜すしかない。王に種があることは、一人目の妃で実証済みだ。

 最低でも四人の妃がいる後宮。セイラス後宮の中で、世継ぎが生めない妃は、どのような扱いを受けるのだろう。後ろ盾があるだけいくらかはましかもしれないが、それはきっと上辺だけとなるだろう。


「とまあ、ここまで前置きだ」


 そう言って、王子は口の端を上げた。


「輿入れの日まで、あと三月。それまではせめて、許される範囲内のことならば叶えてあげようと、そういうことなんだよ」

「わかりました。私などでよろしければ」


 私の返事に、王子はうなずく。


「少々のわがままは多めにみてやって欲しい。大丈夫だね?」


 少々のわがまま。それは果たしてどれくらいのものなのか。私は一抹の不安を覚えた。


「エイラはとにかく、『輿入れしたらもうできないこと』にこだわっているんだ。まあ我々から見たら可愛いものだよ」


 私の表情を読んだらしい。私は慌てて、かしこまりました、と答える。

 王子は満足げに微笑んだ。

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