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籠の鳥の王女は恋をする  作者: 新道 梨果子


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第三章 4.菫の髪留め

「アイトン、ねえ、あれはなあに?」


 弾んだ声でそう何回訊かれただろう。

 王女が気に入れば、それをそのまま購入したい。だが実際のところ、残るものはまず買えない。王城に城下街のものを持ち込むと、このお忍びの証拠が残ることになってしまう。

 だから、飲み物程度のものしか買えなかった。しかし馬宿の店主の言う通り、どこもかしこも相場よりも少し高めの値段を言ってくる。私は、言われた通りにお金を差し出す。それで、それ以上は何も言われなくなる。

 貴族のおこぼれには預かりたいが、やっかいごとに巻き込まれるのはごめんだ、という意思表示のようにも思える。どの店も、慣れている風だった。

 よくあること、というのは本当のようだ。いったいどこのお嬢様方がお忍びでやってきているのだろう。それだけに、この街が安全だとも言えるので、安心もできた。

 多少の金額の上乗せなど、気にするものでもない。財布の中身は、全てなくなっても構わないのだから。


 それにしても、手を繋いでいて正解だった。物珍しいものがあれば、いきなり走り出したりする王女を制する自信は、私にはなかった。


「あれはなあに?」


 王女はまた、そう言って指さした。一つの店からいい匂いが漂ってきていて、何人かが店内を覗き込んでいる。すると店内から紙袋をいくつも持った子どもが飛び出してきた。


「あれは、お菓子の一種ですね。シュケットといいます」

「お菓子?」


 そう一言返すと、首を小さく傾げている。

 彼女の知るお菓子と、ここらで売られているお菓子は、ずいぶんと見た目が違うのだろう。

 王女たちが食するお菓子は、皿の上に綺麗に彩られて置かれているものだ。あんな風に、無造作に紙袋に入っているものではない。

 店の子供が、立ち止まる人に向かっていっては、袋を開けて中に入っている丸く小さな焼き菓子を見せながら、差し出している。


「食べてみたいわ!」


 店先で立ち止まって待っていると、この店の子どもがお菓子を手に持ってやってきた。私が銅貨を子供に手渡すと、子供は袋を王女の前に差し出した。彼女はちらりとこちらを伺って、そしておずおずとそれを一つ、手に取った。子どもは商売が成立したと同時に、また違う人にお菓子を差し出しに行く。断られることもしばしばのようだが、めげてはいない。いや、諦めて店内に帰りたいような素振りを見せるのだが、中から店主に顎で、行け、と言われてしぶしぶまた店の外に出ている。

 王女は子どもをずっと目で追っていた。


「どうかしましたか?」

「あんな小さな子が働いているのね」


 それだけ言って、また目で追う。子どもは忙しく立ち働いている。


「私、恵まれているのよね」


 そんなことはない、とは言えなかった。確かに彼女には彼女の苦しみがあるが、幼いながらに働かなければならない者の苦しみだってある。それは私にだって分かる。


「この街は、治安がいいのです」


 私の言葉に、王女は顔を上げる。


「それは、王城の政が上手くいっている証ですよ」


 それだけは、きっと確かだ。


「それに、そのことに気付いたエイラならば、よき妃になれるでしょう」


 私がそう言うと、王女は小さく微笑んだ。


「だから、私はあなたが好きなのよ」


 王女はきっと、何気なく言ったのだろう。けれども私はその言葉で、身体中が熱くなった。なんてことを言うのだ、この人は。

 陽が落ち始め、世界が赤く染まっていく。だから私は自分の顔の色をそこまで気にしなくてよかった。

 だが、夕陽は同時に、この時間の終わりを告げようとしている。


「ねえアイトン、これはどこで食べるの?」


 彼女が袋から出して手にした焼き菓子をつまんだまま、こちらを見上げる。


「それは、歩きながらつまむものでして……」

「歩きながら? 本当? 面白いのね!」


 王女は歩きながら食べるという、おそらくは生まれて初めての体験に、最初は四苦八苦していたようだったが、なんとか全てを口の中に入れると、満足そうにしていた。


「美味しかったわ! ここには、素敵なものがたくさんあるのね。夢みたい」


 無邪気な笑みを浮かべる彼女を見ていると、次に言わなければならない言葉を呑み込んでしまいそうになる。けれど、言わなければならない。


「……そろそろ、帰りましょうか」


 私がそう言うと、王女は目を伏せた。


「そうね。夢はいつまでも続くものではないもの」


 私たちは、少しばかり重い足取りで、馬宿に向かう。

 店に到着すると、繋いだ手を離した。今までそこにあったのに、もう二度とこの手の中に帰ってくることはない。急に自分の手が冷たくなったような感覚に襲われる。

 預けておいた馬を受け取り、また二人して背に乗る。

 そうして王城への道をたどっていると、ふいに王女は言った。


「私、こんな冒険は初めてだったわ!」


 そしてこちらに振り返る。


「本当にありがとう! 感謝しているわ」


 満面の笑み。こんなものを冒険と言うのか。ほんの束の間の出来事なのに。


「さっきのシュケットという焼き菓子は、セイラスにはあるかしら。とても美味しかったもの」

「ありますよ、きっと」

「国王陛下におねだりしてみようかしら。驚くかしら、私があんな焼き菓子を知っているって」

「どうでしょうね」

「海も見たかったけれど遠いものね。それはセイラスまでとっておくわ。きっと王城から見えると信じるわ」


 なんだか王女は、無理に明るく振舞っているような気がした。ここまで饒舌な王女は見たことがない。

 現実に引き戻されたくない、そんな風に思っているように見えるのは、私の思い過ごしか。


「私、これを大事にするわ」


 王女は胸元からあるものを取り出すと、ぎゅっと握った。

 王女の手の中にあるものは、今日、何度目かに訪れた店で買った、彼女の瞳と同じ色の菫の装飾の、髪留めだった。

 それくらい小さなものならば大丈夫だろうと、買ったものなのだが。


「そんな、安物……」


 確かに、相場よりは高い価格で買った。店主に勧められ、そして王女が興味を示したので買った。だがそれは、きっと王女が持つどの髪留めよりも安いものだ。彼女が持つ髪留め一つで、それがいくつ買えるだろう。


「アイトンが私に贈ってくれたのですもの、どんなものより大事よ」

「……ありがとうございます」


 ふいに、王女を囲うようにたづなを持つ自分の腕で、そのまま彼女を抱きしめたい衝動にかられた。帰りたくない。こんな短すぎる時間で終わりたくない。このまま彼女といられたら。


「……帰りたくないわ」


 彼女がふいに囁いて、私の身体は震えた。

 前方を見ると、城壁が見えてきていた。


「でも、帰らなければいけない。私には私のやるべきことがあるのですもの」


 自分自身に言い聞かせるような、声。


「……はい」


 私には、それだけしか言えなかった。

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