夢か幻か?
翌日の土曜の朝、会社へと連絡を入れると、洋子も連れてくるように言われてしまう。
迷宮関連の報告は、常に2人を共にした席で聞く事が決められていたようだが、それを決めたであろう社長の友義が東京へと出張中らしく不在だった。
会社の会議室で、浩二へと報告書類を渡し意見対立の話を行うと、すぐに質問が投げかけられたが、隠す事なく伝える。
報告が済み会社から出た時のこと、良治の方から洋子を温水プールへと誘うと驚かれた。良治の心境の変化からくるものだが、洋子はそれをハッキリとは知らない。
もしかしたら……?
という淡い期待をもち喜びはするのだが、良治が照れ隠しをしてしまう。
意見対立時に世話になったから入館料を奢りたかったという事を、口にしてしまうと、一気に笑顔が凍てついてしまうのだが、翌日には戻っていたようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日曜日。
「……はぁ」
「疲れましたか?」
ひと泳ぎしてプールの壁に背をつけ休んでいると、洋子が近づいて来た。
見慣れてきた水着姿であるが、良治の視線は即座に天井へと向けられる。
良治の気持ちを知らない洋子が、自然と隣に並び立つと互いの体温が急上昇。
温水プールだけの効果ではないだろう。
「疲れたわけじゃない。なんだかモヤっとするものを感じてな」
「どうしたんです?」
「昨日の夜、予想スレをみたんだけど、管理者の目的ってやつが書かれていてさ……」
昨晩読んだ事を教えると、洋子が目を閉じる。
思案するような表情を見せたまま、水に塗れた唇を開いた。
「前に香織さんと、少し話した事が有るんですが……」
「ん?」
ほんの少しだけ顔を傾け洋子を見つめると不安そうだ。
口にするべきかどうか迷っているかのようにも見える。
洋子の口がゆっくりと開き、香織と話した迷宮の効果的な部分について良治に教えた。
「……言いたい事は分かるが、俺達にそんな事をして意味が有るのか?」
「それは私にも……。ですけど、あの迷宮は私達を変えてくれるのは確かです。それと、ダンジョンゲームという点だけは本当だと言っていた時の事も気になります」
「それは俺も気になるな」
8階へと上がる際に、管理者が言っていた事を思い出し、声からイメージした年若い少年の顔をプールの水面に浮かべた。
口元を厭味ったらしく歪める表情であるが、8階に向かう前に聞いた声からは、まったくべつの表情をイメージしてしまう。
「係長はどう考えますか?」
「俺は……」
洋子の体が、良治へと向く。
ほんの少しだけ距離を縮めたが、良治は気付く事もない。
聞かれた事を考えようと思考を巡らせる。
8階へと向かう時の声からして、あの言葉に嘘は無いと思いたい。
そう考えると、自分達がゲームのテストをしているという事に関しても本当ではないだろうか?
(しかし、なぜ会社員ばかりを? それに意味が……ん?)
ピタ……
何かが右腕に当たった。
妙に柔らかい感触を腕から感じ、目線を動かすと、そこには2つの物体があり――知ると同時に良治が石化してしまう。
「係長?」
「―――」
「どうしたんですか?」
「―――」
返答をしない良治を気にし、さらに洋子が近づく。
普段であれば、どういう状況になっているのか気付かないはずがないのだが、今の彼女は、良治が考えた事が気になっていた。
心の中では『何か考えたんですね? 隠さないで教えてくださいよ!』といった状態。
良治がそれどころではない事も知らず、洋子は攻めの姿勢だ。
たまたま近くにいた、昔は若かったであろう子連れのオバサンが、そんな状況を見て『ああ、その手は私もやったわ。頑張んなさい』と懐かしむような生暖かい目で見守り通り過ぎていった。
洋子が気付くまで数分を要する。
知った途端、慌てて離れるのだが、良治の石化が溶けるまで少しかかったようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
プールから上がり、休みを入れる事にした。
互いに私服姿へと着替え、食堂でまったりと休憩中。
おなじみとなりつつある白いランチバスケットの中身は、オニギリ弁当。
一緒に入っている、漬物やウィンナー等はアルミホイルに包まれ、見るからに美味そう。
それらと定番の缶ジュースを白い丸テーブルにおき談話中であった。
良治が考えた事を聞き出そうと洋子が話をふると、手にしていたオニギリを胃の中へといれてから言い始めた。
「会社員を使ってのテストプレイって事が本当だとしたら、何をテストしたいかって事だよな」
「何をって……ゲームのテストでは?」
「そうだろうか?」
「どういう意味です?」
分からないと身を乗り出した。
良治は手を動かし、沢庵をつまむ。
ポリポリという音をだし食べ終えると、思う事を口にし始めた。
「ゲームをしている。という事は俺も否定はしない。だけどそのテストに会社員だけを使うというのは変だ」
「それは分かります。多分、みんな同じ事を考えたと思いますよ」
「だよな。――俺も、その理由は分からないが、そこに意味があるのだとすれば、それはゲームのテストが目的というより、会社員がテストをする事に……いや違うな。ゲームと会社員のテスト? ……なんだそりゃ? 洋子さん分かるか?」
「私が聞きたいんですけど!」
何がどうして自分が聞かれるのか混乱してしまい、つい大声をあげ立ち上がってしまう。周囲が騒めくと、気恥ずかしそうに椅子へと座りなおした。
良治は苦笑しつつ、ウィンナーへと手を伸ばす。
しっかりと切られたタコさんウィンナーだ。洋子は頑張ったようだ。
「……」
「――ん?」
洋子が無言で良治を見つめている。
その目は、何かを探るような視線だ。
妙に熱がこもった視線に良治の鼓動が高鳴った。
「な、なに? どうかしたか?」
「……全然、変わりませんよね」
「何の事だ?」
平然とした態度で、自分の前で食事をする良治に洋子は不満気。
何も感想を言わずに食べている事にも不満はあるが、それより気になるのは、サイクロプス討伐時にかかってきた電話の事だろう。
(あれは何だったのよ! 私の夢だったの!?)
そう声を出したい気持ちで一杯である。
その良治と言えば……。
(これで精一杯なんだが!?)
自覚したのは良いものの、どう接したらいいのか全く分かっていない。
迷宮にいる間ならば須藤や香織がいるし、それほど気にはならないが、2人だけともなれば意識しすぎてしまう。
思い切って告白を――等とは思うものの、そんな事をしたら「歳の差を考えてください」と、また言われかねない。
迷宮で合流した時とは違う。
自覚してしまった今の状態で、再度言われたら立ち直れる自信がない。
あの時はさして気にはならなかったが、今となっては悪夢すら見そうな言葉だ。
妙な沈黙が、その場を支配しかけたが、耐えきれなくなった良治が頭に浮かんだ事を言い出し始めた。
「……洋子さんって他に何が作れるんだ?」
「え?」
「前のサンドイッチも美味かったし、これも美味い。普通に料理上手だと思うんだが、得意料理ってなんだろう? って思って……」
言い始めたら止まらなくなった。
しかし言っている最中に、自分は何を言っているんだ! と内心で慌ててしまう。
「そ、そうですね……肉じゃがや、シチュー類なんかも……」
ほぼ条件反射的に、母から教わった得意料理を口にすると、良治の目が見開いた。
「……肉じゃが……いいな」
「好きなんですか?」
「大好物だ」
「そ、そうなんですか」
よし! とテーブルの下で握り拳を作る。
母さんありがとう!
そんな気持ちすら洋子の中で湧いた。
彼女の心の中で、ちょっと恰幅のいい母親が「男は、胃袋を掴むのが一番」と言っている。
ちなみに洋子の体形は父親似だ。
「じゃあ、今度はそれを作ってきますね」
「そりゃ、嬉しいな。是非食べてみたい」
素直な気持ちを良治が口にすると、洋子は胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、今すぐにでも帰り、肉じゃがを作りたくなった。
洋子からの視線が変わったのを知り、良治が胸を撫で下ろす。
肉じゃがが好物なのは本当だし、それを食べられるのも嬉しい。
今食べているオニギリもちょうどよい塩加減なうえに、握り具合も良かった。
本当に洋子は料理上手だな……と感心しながら食べていると、ふと気づく。
(あれ? これって来週も温水プールに一緒に来ることを約束したようなもんじゃ?)
それが嫌なわけじゃないが、それだけで良いのだろうか?
洋子だって、別の場所に行きたいという事はないのか?
(いや、トレーニングで来ているわけだし……でもなぁ……)
そう、食べながら悩む良治であった。