新たな問題
花も恥じらう乙女かな。
その時の洋子を言い表すとなれば、こんな言葉を使わざるを得ない。
(……ど、どうしよ。どうしたらいいの!)
何がどうなっているのか分からないが、今の彼女に心の余裕というものが無いのだけは分かる。
そこは柊 洋子が住まう部屋。
3年前までは社員寮に住んでいた彼女であるが、それ以降は1人住まいを始める為、家賃6万のアパートに移り住んでいた。
部屋の周囲は薄緑の壁に覆われ、床一面には薄桃色の絨毯が敷かれている。
壁の前にある黒いデスク上には3台の液晶モニターが並び、その前面にはキーボードやマウス。そしてPC本体はデスク下に設置済みだ。
窓際にある木製ベッド付近には大型テレビが設置され、その側には、家庭用ゲーム機が4台ほど。
洋服箪笥やら、冷蔵庫等といった家具もあるのだが、何を重要視しているのか分かってしまう部屋といった様子。
そんな、ちょっと何か間違えていないだろうか? 的な部屋にいる柊 洋子は、現在、花も恥じらう乙女状態にあった。
どのくらい乙女かと言えば、ベッドの上で自分の枕を胸に抱きしめ、ごろごろと転がり、それが止まったかと思えば、頭を持ち上げ横に置いてある黒いスマホをじっと見つめる。
そうして見つめている間に、脳裏に自分を助けようと走ってくる良治の姿を思い出しては、頬を朱色に染めて……
(あぁ―――!!!)
といって、またベッドの上で、もだえ苦しむ姿を見せるぐらいに乙女であった。
恋する相手が、必死な顔で自分へと向かってくる。
頭上にある岩石を無視し、自分を守ろうと走ってくる。
それは、洋子にとって心臓を破裂させるほどの光景だった。
そうした理由から、同じ光景を思い出しては反芻しているわけだ。
洋子のそうした行動を止めたのは、スマホが出した着信音。
どきりと胸の鼓動が鳴ったのも同じタイミング。
静かに顔だけを動かし、スマホへと目をやる。
そこには、しっかりと『良治係長』と表示されており、誰からのものか分かってしまった。
(き、きちゃった……)
まともに声を出せる気がしない。
だからこそ、電話をしなかったというのに、こういう時に限って電話をしてくる。
どうなったのかは気になる所であるが、声を聞いただけで、今の洋子は同じシーンを思い出してしまいかねない。そうなると、支離滅裂な事を言いそうだ。
しかし、居ないふりも出来ないし……と、スマホを手にして電話に出てみると……
『洋子さん! ごめん!』
「……えっ?」
『俺が悪かった!』
「……な、何が?」
さっぱり分からないと、洋子が混乱しだした。
勢いよく謝ってくる良治の声を聞いているうちに、段々と鼓動が収まっていく。
もし、普段どおりの良治であれば、まだ乙女モードは続いたかもしれないが、とにかく良治を落ち着かせようと気持ちを切り替えた。
「いえ、あの、係長は悪くないですから」
『だけど、俺が止めを早く刺しておけば……』
「それも含めて、私がちゃんと言わなかったのが悪いですから、係長は気にしないでくださいよ」
『……』
良治なりに責任を感じたのだろうという事は分かるのだが、それを責める理由が洋子にはない。
むしろ自分が責め立てられる事ではないのか? と思うほどなのに、この上司は、それすらも自分の責任に感じている様子。
(係長だわ……)
自分が知る良治だと知るなり、なんだか安心してしまう。
しかし、同時に……
(もしかして、そう思ったから必死に?)
自分を助けようとしたのは自責の念からだろうか? と思ってしまうと、少しだけ力が抜けた。
そんな洋子に、良治がボソっと呟く声を聞かせる。
『……頭の中が真っ白になった』
静まりかけた心臓の鼓動が跳ね上がった。
なに、どういう意味? え? と、混乱の魔法をかけられたような気分。
『危ないって思ったら、勝手に体が動いていてな……』
「かってにぃ!?」
出した声が上ずってしまうが、良治の耳には入っていない様子。
『……うん。まぁ、そう言う事だ』
(どういう事ですか!? ま、まさか、そう言う事ですか! 何が、どうして急にそうなったんですかぁ――――!!!)
受け止め方が分からないと心の中が大パニック。
洋子の頭の中では、渦巻くアイコンがいくつも浮かんだ
混乱度合いはさらに増し、目眩すら感じる程にぐるぐるだ。
まともな思考ができない彼女が出した言葉は……
「分かりました」
勝手に口が開いてそんな事を言ってしまう。
何を言ってんのよ私は! と、即座に自分にツッコミをいれてしまったが後の祭りだ。
『……分かったのか?』
「はい。よくわかりました(いえ分かりません)」
『……凄いな……俺は良く分からん…』
「そうなんですか?(ハッキリ言ってください! 告白ですか!?)」
『あぁ……いや、とりあえず、元気でよかった』
(タラシ! 係長ってもしかして、天然タイプのタラシ! 知らなかった!)
洋子の心臓が破裂寸前である。
ゲームだけではなく、現実でも死にそうだ。
『じゃあ、また明日』
「分かりました。おやすみなさい(何この焦らし方あぁ―――!!!)」
ガチャ……
「……」
ボーっと見つめる。
切れたスマホを見つめたまま、立ち尽くした。
そのうち段々とスマホに良治の顔が浮かびあがり、手にしたままベッドにダイブ。今度は枕とスマホを抱きしめながら、同じ事を始めてしまう乙女が1人そこにいた。
世の中は秋であるが、彼女の周囲だけは花が咲き始めたかの様子。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガチャ……ツーツー
電話を切った良治は、深い溜息を一度ついた。
(参ったな……今更過ぎるだろ……)
自分には嘘が付けない。
良治はその事を、思い知ってしまう。
危機を察した時、まず洋子に目がいき、動こうとしない彼女を見た瞬間、考える前に体が動いた。
それが何を意味するのか、良治にも分かる。
分かるのだが……
(いや、駄目だろ。いくらなんでも歳の差がありすぎる。大体部下だぞ)
これまで蓋をしてきたように、そうした事を考えるのだが気持ちが静まらない。
ちょっと残念な顔は、面白いものだと思う事で流してきた。
ゲームの事を話す時の喜々とした表情を見ると、自分まで嬉しくなるような感覚も無かった事にしてきた。
全部だ。
ちょっとした表情の変化も含めて、全てを考えないようにしてきた。
洋子に感じた魅力に対し、全て蓋をしてきたのに、彼女に危機が迫っていると知った時には、何も考えられず爆発し、閉めていたはずの蓋が外れてしまった。
(あれで助けられていれば、少しは見直してくれたかもしれないのになぁ……ほんと参った)
普段から馬鹿にされている事もあったので、洋子がどんな気持ちでいるのか、まったく考えていない。
ここ最近は妙な態度を取り始めているが、それが何であるのかも気付いていない。いや、気付いたとしても、まず疑ってしまうだろう。女心に関して言えば、良治の自信は皆無だ。
(……とりあえず飲もう)
いつものごとく、彼の手が冷蔵庫に伸びる。
そこにあった黒ラベルのビール缶が、いつもと違って優しく微笑んでいるように見えるが、絶対気のせいだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そうした、良治と洋子の恋愛騒動があったのとは別に、世間では別の騒動が起きていた。
その切っ掛けとなるのは、迷宮掲示板で、こんな報告がされた為である。
雑談スレ part67
……
……
……
452 名前 短槍術士
大剣術士が嫌がっているんで、俺が報告しておく。
14階の休憩所に『ガチャ部屋』が追加されていやがった!!!
しかも『ここでしか手に入らないアイテムがある』とか書いていやがったぞ!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大事件から29日目。
短槍術士がもたらした、この日最後の報告は、まず現実世界の掲示板を荒らした。
『ガチャには何が入っているのか?』
『何を使って回すのか?』
『そんなものを実装するとか、本当は邪神ではないのか?』
『何を言う。ガチャこそ至高。流石は神。分かっておられる』
そんなちょっと意味が分かりません的な書き込みも含めて、この日の夜、ネットの方で大賑わいを見せる事になり、結果久方ぶりのサーバーダウンが発生してしまう事になる。
洋子がこの事を知ったのは翌日の早朝。
良治の事を想う気持ちが落ち着いてきて『係長だしなぁ……どうせ何かの間違いよ……はぁー…』等と夢から覚めた気分でいた時の事であった。
これで2章は終わりとなります。