感情の揺らぎ
良治の朝は早い。
車で2時間はかかる工事現場へ、朝の8:00には到着していないといけない事もある為、5:00に起きるなぞ慣れている。
ただし、ここ最近早く起きているのは全く別の理由から。
それは、近所の公園でジョギングをする為である。
木々に止まる鳥達に、時折姿を見せる野良ネコ。
ほんの少し離れた場所にいけば、子供が遊ぶような色鮮やかな遊具。
太陽が昇り始めると、多くの人々が集まり賑わう声をだす広い公園。
緑のトレーニングウェアを着込んだ良治は、そんな公園にあるジョギングコースを走っていた。
呼吸を乱す事なく走っていた良治のウェアからメロディーが流れる。
発信源であるスマホをポケットから取り出し時間を見ると、朝の6:30分を知らせていた。
(……昨日よりは走れたか?)
少しずつであるが、同じ時間で走れる距離が伸びてきている事が嬉しかったのだろう。
良治は満足そうに微笑んでから公園から走り去った。
かいた汗をタオルで拭くのはアパートにかえってからとなる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アパートに帰ってくるなり、スマホから軽快なメロディーが流れた。
(洋子さんか。なんだろ?)
昨晩も少し話をしたが、その続きだろうか?
そう考えつつ、スマホを耳にあててみる。
「はい。もしもし?」
『おはようございます』
「おはよう。どうした?」
『係長って、現実でもトレーニングを始めたんですよね?』
「ん? その話か?」
今しがた、その一環であるジョギングから帰ってきたばかり。
洋子と話をしながら部屋の中へと入ると、ハンガーにつるしてあった白いタオルを手にする。
「やってるけど、どうした? あれは、ブログに書き込むんじゃなかったか?」
『はい。色々話が出て来ています。効果があるようですよ。大分前からやっていた人もいたようですね』
「おっ? 良い情報じゃないか」
タオルで汗を拭きながら、満面の笑みを作る。
『それでですね……係長は温水プールにも行くんですよね?』
「そうだけど、どうしたんだ?」
『それ、私も一緒に行っていいですか?』
「……ん?」
聞いた瞬間、何を言われたのか分からなかった。
言葉の意味としてなら分かるが、なぜ洋子と一緒に?
温水プールで泳ぐ事によって、普段使っていない筋肉を動かそうというのが目的なわけで、洋子と一緒に行く必要はない。
なのに、何故?
『私もトレーニングがしたいんですが、1人で行くのは嫌なんですよね……』
「……あぁ!」
洋子が、何故自分と一緒に行こうとしているのか分かった。
例えば、牛丼屋。
同じように遊園地。
はたまた映画館。
こういった場所に女1人で行くのは負けた気持ちになるという。
なるほど。つまり洋子も同じ気持ちなのだろう。
そう理解した良治であったが……
(仕事ならともかく、プライベートで一緒っていうのは……うーん)
声をあげずに悩んだ。
仕事であれば、例え相手が女だろうが、1人の人間として接する事ができる。
迷宮でも、そうした気持ちでいられたし、洋子の方も普段と変わらない様子であった。
ゲームの事となると、結構――いや大きく変わるが。
……とにかく、どう返事をしようかと悩んでいると、洋子が喋り始めた。
『係長のアパート近くにある温水プールってアクアパーク・藤間ですよね』
「……そんな名前だったな」
『そこって、結構安いみたいなんですよ』
「そうだったのか?」
『はい。あと、私の近所に温水プールがありません』
「なるほど」
『という事で、明日の10時に待ち合わせでいいですか?』
「……分かった」
『じゃあ、施設入り口前でよろしくお願いします』
ガチャ…ツーツー
どうやら、相手は色々と調査済みのようである。
断る理由が頭に浮かばなかった良治は、大きな溜息をついてから、畳の上に座りこんだ。
「……水泳パンツは買ってあるが、施設の値段も調べ…いや、それはいいか。大問題はこれだな」
視線を下げ、指先で腹を掴んだ。
まだビール腹とまでは言わないが、多少気になっている脂肪……。
迷宮で動かせる体と違い、現実の体は残酷である。
これをどうにかしなければ……いや、もう手遅れだ。神にでも祈るしかないだろう。
尤も、毎日迷宮につれていくピーな神以外にであるが。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――洋子視点
……つい誘っちゃった。
温水プールで泳いで訓練するのはいい方法だなぁーとは思っていた。
それで調べてみたら、一番近いプールって、係長のアパート近くにあるやつだったのよね……それが分かった瞬間、勝手に手が動いてスマホを……
あぁ―――――絶対勘違いされた!
そういう事じゃないのよ!
そりゃあ、香織さんが係長をジロジロ見ているのは気になるけど、だからと言って誘ったわけじゃないの!
1人で温水プールに行くのも嫌だったし、かといって女友達をいきなり誘っても、なんで? とか言われそうだし……
そ、そう! 消去法よ!
一番近い温水プールが係長のアパート近くだし、私と一緒に行ってくれる他のアテがなかったから誘っただけ!
うん。そうそう。よし。落ち着け私。
だいたい仕事や迷宮で、一緒になるわけだし、今更係長と一緒でもどうってことないでしょ。
……そう。だから落ち着いて準備を……あっ!
マズイ……今ある水着は駄目よ。
まだ着れるけど、流石にセンスが古くて恥ずかしいわ。
この際だし、新しいのを買った方が良いわよね……。
ついでに食材も少し買い足して、弁当でも作っちゃう?
あっ。でも、食堂があったはず。
そこで昼食をとるだろから、弁当じゃ駄目?
軽めのものがいい?
いえ、もしかしたら、いらないかも?
……まぁ、いらなかったらいらなかったで、出さなければいいし――うん。
そうと決まれば買い出しに行ってこよ。
――係長って、どういう水着が好みなんだろ?
だから、違うでしょ私ぃいい――――――――!!!!