推測する女達
掲示板で洋子と香織について話がされているが、当の本人はシャワー室ではなく、香織の部屋に居た。
「相談?」
「はい」
洋子の言った事の意味が分からないのか、軽く首を傾けている。
日本人離れをした香織がそうした仕草を見せると、独特の魅力が溢れんばかりだ。
(美人が少女っぽい仕草をすると反則的よね)
内心でそうした感想を抱く洋子を、真っすぐに見つめ香織が尋ねだした。
「何か思いついたの?」
「いえ、そうじゃないです。香織さんは今のままで良いと思いますか?」
「……それは、どういう意味で?」
洋子が指先を唇にあて、返答に困る仕草をする。
どういう言葉なら誤解なく伝えられるかと考えながら話すと、香織の唇が緩み始めた。
「今の戦い方に疑問を持っているのね」
「はい。このままで良いとは思えません」
相談し合い良い高い戦い方を求めようとしている洋子に、香織は微笑と言う形で返す。
「何がおかしいんですか?」
「おかしいんじゃないわ。嬉しいのよ」
「え?」
「だって、私も同意見ですもの」
香織はそう言い、自分が思う所を話し始めた。
まず、香織と須藤がとった最初の戦い方というのは、2人でヘルハウンドを集中攻撃し、その後グリフォンを倒すというものだった。
だが、相手は初見の敵。
そして、ヘルハウンドとグリフォンが両方同時に香織へと襲い掛かる。
こうした出来事によって、まず香織がやられ、その後須藤もやられる事になった。これが金曜日に起きた出来事である。
次の戦いでは、1対1の戦い方に変更。
互いに、自分の獲物へと集中することによって同時攻撃の危険性は減ったが、無傷で勝てる相手ではない。
もっと良い戦い方。
せめて、回復があれば考える余裕も出てくるのでは?
そうした結果が今の状況となる。
「あなたとなら、もっと上にいけそうね。やっぱりここは、良い訓練所だわ」
「訓練所?……どういう意味です?」
「そのままの意味よ。鍛錬を怠っていた私ですらアレだけ動けるようになるって凄いと思うわ」
香織が大人びた余裕のある笑みを見せると、洋子の目が探るかのように細まった。
「香織さんは、現実の方でも、あれだけ動けるんですか?」
「まさか。ここだけの話よ。現実じゃまだまだ無理ね……例えば……あなた、軽功って知ってる?」
「軽功? ……すいません。聞いた事はないです」
ゲームの事は知っていても、中国の武術の類については知らないようだ。
香織にしてみれば、謝られる事ではないので、微笑んだまま説明を行った。
香織がいう軽功というのは、鍛錬を積み重ね身軽な動きを可能とする体術。
鍛錬を続けていくと、水面に浮かぶ葉を足掛かりにし、水の上を渡る事もできるという。
香織が言うには、昔学んだ武術の中の一つに、この軽功というものがあった。
それ以外にも鍛錬方法を学べた武術もあったが、その程度という事でしかない。
最初は幾つかの鍛錬を続けていたが、そのうち遠ざかるようになり、いつしか鍛錬そのものを止めてしまう。
そんな自分が、この迷宮に入ってきて、わずか数日で驚くほどに進歩してしまった。
これは他の流派の武術でも同じようであり、現実世界で鍛錬を再開する切っ掛けとなったという。
迷宮で機敏に動ける自分の肉体。
その感覚を知るのと知らないとでは大違い。
事件発生から数日もまたずに、彼女が現実世界で鍛錬を再開したのは、その感覚の通り動ける肉体を欲した為らしい。
「才能とか、そういう……」
「何年も鍛錬を積み重ねないと体得できない術を、わずか数日で可能とする才能? そんなのが私にあったら、会社員なんてやってないわ」
自虐的な表情で、両手を軽くあげる仕草は、香織には不釣り合いのように見える。
「たぶん、貴方も分かっているでしょうけど、迷宮に連れて来られた私達は、かなり異常なペースで鍛えられているわ。それは肉体だけではなく感覚も同じ。そして感覚だけは現実世界でも変わらない。分かるわよね?」
「……はい。家に戻ると、妙な感じがしますね」
「そう。身体性能が迷宮のものとは違うから、感覚が少しおかしくなるのよね。すぐに慣れるんだけど……私が思うに……」
「……」
洋子は返答しなかった。
香織の言いたい事は理解できている。
その先についても、見当がついていた。
「……洋子さん。あなた、分かっていたわね?」
洋子が目を逸らすと、追及するかのような視線を香織が向けた。
洋子は、諦めたように軽く天井を見上げてしまう。
「神の目的ですか?」
「そう! やっぱりあなたも分かっていたのね!」
香織が喜ぶ声を出すが、洋子はすぐに首を左右に振ってみせた。
「分かりませんよ。だってそれは、目的ではなく迷宮の効果的なものです。問題は、そこではなく、そうした事を私達にして、どうしたいのか? という事ですよね。その辺りが全く分かっていません。香織さんは、分かりますか?」
「……フフ」
香織が、不適な笑みを浮かべてみせる。
洋子の目が、大きく見開いた。
まさか? と思ったが、香織は黙って顔を左右にふってみせる。
肩透かしを食らったような仕草を洋子がして見せると、香織がいきなり立ち上がる。
鉄の胸当てを外し、さらにチャイナ服の肩紐も解き始めたので、洋子が唖然としてしまった。
「香織さん?」
「なに?」
「急にどうしたんですか?」
「私の考えはそこまでなのよ。洋子さんも色々考えているのが分かったし、今はそれで満足。それにシャワーを浴びて汗を落としたいのよね。あなたも一緒にどう?」
「遠慮します!!」
「あら、そう?」
さらに、着ている服を脱ぎ捨てだすと、洋子は立ち上がって休憩所から出て行ってしまった。
「変な人ね。同じ女なんだから、遠慮する必要なんてないでしょうに」
そう言い残し、香織は自分の休憩所に新しく設置されたシャワー室へと向かい歩いていく。
身に着けていた紅色の下着類を途中で脱ぎ捨て、生命感にあふれた野生味がある体を露わにすると、シャワー室の中へと消えていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
9日目が終わりを迎えると、洋子から良治に電話をかけた。
「鍛錬?」
『はい。しばらくの間、9階に籠って鍛錬をしてみます』
「……奇遇だな。俺と槍の派遣社員さんも同じ事をするつもりだ」
『え?』
洋子が思ったように、良治も同様の事を考えていた。
迷宮に入ってから異常な速度で強くなってきているが、9階の敵相手に毎回苦戦している。
危険を感じながらの戦いという面では2階と同じであるが、今は仲間がいる。
阿吽の呼吸と言った類のものが必要ではないだろうか?
そうした考えを持ち始めた良治は、今少し9階の敵と戦い続ける必要性を感じた。
本当なら、5階から9階までの間に、息の合った連携が出来るようになるのだろうが、彼等は入れ替わったばかり。少し時間をかけてでも鍛錬をする必要性を感じ取ったのだろう。
また、それだけではなく、個々の戦力強化も必要である。
そうした面において、良治は槍の派遣社員から一つの話をされていた。
『現実でのトレーニング?』
「槍の人が言うには、こっちで鍛えると、それに比例するかのように迷宮内の肉体も鍛えられている感じがするらしい」
『新情報じゃないですか! それこそ掲示板で流すべきでしょう!?』
「そう思うんだけど、まだ確信が掴めていないから、話すかどうか迷っているらしいな」
『……そう言う事ですか。分かりました。その話は、私のブログに不確定情報として載せます』
「いいのか?」
『ええ。こういう話は確定するまで時間がかかると思うんですよ。ブログに載せれば、複数人が試そうとするでしょうし、効果の有無についてコメントしてくれるかもしれません。それを考えれば、早くに流した方が良いと思います』
なるほど。と、良治は黙って頷いた。
『係長も、現実でトレーニングをするんですか?』
「そのつもりだよ」
『例えば?』
「とりあえずは、もっと持久力を上げたいな。早朝にジョギングでもしてみる。あと、休みの日にでも近くの温水プールを利用してみるつもりだ」
『温水プール? 泳ぐんですか?』
「あぁ。近くにジムみたいのは無いんだが、温水プールならあるんだよ。普段つかっていない筋肉を鍛えるのも良いかと思ってな」
電話越しで、洋子が「それいいかも」という小さな声を出すと、良治の顔が緩んだ。洋子が賛同してくれた事に嬉しさを感じたのだろう。
迷宮内では別れてしまった2人であるが、現実世界ではいつでも連絡がとれる。
互いに、迷宮で起きた事を報告しあう様子は、楽しんでいるようにも見えた。
迷宮掲示板で相談し合う事とは別種の楽しさ。
良治と洋子は、2人だけで相談しあう日々を重ねていくことになった。