少年の望み
エリオスの表情があまりに真剣だ。
最初に見せていた態度とも違い、ふざけている様子が一切ない。
だが、そうなってくると別の疑問が出てくる。
『何を考えているのか分かるけど、まずは僕の説明を最後まで聞いてほしいね』
「……」
真顔のままエリオスが言うと、良治と洋子は気持ちを一旦落ち着かせた。
まだ話は終わっていない。
エリオスが言う通り、最後まで話を聞こうと意識を集中し始める。
『今見せた未来と、君達を使ってゲームのテストプレイをさせている関係性。これについていえば、仮想現実の世界が、ああした未来に深く関わっていくからだよ』
「……それは、ベーシックダンジョンのようなゲームが関係しているってことなのか?」
『少し違う。そもそも1つの分野だけで終わるような技術じゃない。例えば現実と景観が変わらない公園や小川。あるいは芝生が生えた広々とした場所。ゴルフ場でもいいかな? あるいはサッカー場? なんでもいいけど、そうした場所を仮想空間に作って利用するだろう……医療や軍事関係。会社や学校についても同じだよ。柊さん。君なら分かるんじゃない?』
エリオスは洋子の事を高く評価している。
そう思える言動と態度が見え隠れしていた。
その彼女が思案し始めると良治が聞きたそうに顔を向ける。
無言の問いかけに、洋子は一度だけ小さく頷いた。
「そういうものか?」
「……えぇ。というより、近い感じでの試みは大分前から始まっています。ベーシックダンジョンほどリアルなものではありませんが……ですけど、そうなってくると話が変です」
良治に返答していた洋子の視線が、ゆっくりとエリオスの方へと向けられる。
目を細めエリオスを直視する眼差しは、彼を貫くかのよう。
「配られたゲーム機を解析できれば、仮想現実の世界が作られるのが早まるのでは? それが関係していると言うのなら、どうしてゲーム機を報酬に? 言っていることとやっていることが真逆ではないですか?」
問い詰めるような視線のまま動かない。
彼女の気力が、膨れ上がっているのを感じる。
『あのゲーム機に使われている技術は少し特殊でね。アレを基本とし利用するかぎり現実と変わらない痛覚が存在するようになる。僕がゲーム機を渡す理由はそこだ。君達人間の手で作り出される仮想現実の世界に、本当の痛みを残しておきたい』
エリオスの態度が変わらない。
相変わらず、訴えかけてくるかのよう。
『少し想像してみてくれ。自分自身で痛覚を遮断することが可能。あるいはメーターや数値的のようなもので疑似的な痛みを感じられるような仮想世界。そうした世界で作られたルールやモラル的なものが、もし、現実の世界でも使われ始めたらどうなると思う?』
それが、君達に見せた未来に繋がる出来事。
そう言わんばかりの態度をしながら、話がなおも続いた。
『段々と、他人をモノのように見る人間が増えだすんだよ。人と人との関係性が希薄になり過ぎて、緩やかな終わりへと向かい始めてしまう。社会生活の中で、仮想現実のシステムを利用しすぎた結果といってもいい。社会の維持にすら影響を及ぼし始めてドールを利用し始めたけど、その先に待っていたのが、ああした未来……』
エリオスが良治と接触したときNPCについて尋ねた理由は、そこにあった。
この未来に住まう人々は、彼がNPCを拒絶したような反応をドールに対して見せない。
身近にいることが当然であり、常識であり、社会のルール。
主にとって都合が良い反応しかしないドールを、彼等は受け入れていた。
そうしなければ、社会の維持が出来ないからでもある。
この冗談じみた話を、良治ならば真剣に聞いてくれるかもしれない。
エリオスはそう考えたし、もしそうであれば協力してもらえるだろうとも考えた。
『仮想現実の世界が作られる事はどうしたって避けられない。そこで子供達が色々なことを経験し学ぶことも同じ。だから僕は作ってほしい。君達人間の手で、痛みを知ることができる仮想現実の世界を』
それがエリオスの本心だということは、良治にも理解できた。
自分が子供の頃に遊んだような場所を、仮想現実の世界に作ってほしいということなのだろうと考えた。
エリオスが説明した流れについては飲み込めない部分もあるが、そこだけは理解できたが……
(それを言えば良かっただけじゃ?)
全てを納得したわけでもなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エリオスからの説明が止まる。
これで全てだろうと判断し、良治達が質問を始めた。
最初から、自分の目的をそのまま世界に向けて話せばいいのでは?
その目的と、自分達を誘拐しゲームのテストをさせているのは何故だ?
どうせ作られるというのであれば、仮想現実の世界が作られた後にやった方が、説得力もあるのでは?
そんな質問が矢継ぎ早に2人の口から出始めると、エリオスの表情が崩れ苦笑し始めた。
『そんな質問をされるとは思ったよ』
こうなることは予想していたようであり、彼は用意していた回答をしはじめる。
『この時代でなくても良かったのは君達が言う通りだ。もう少し後でも良かっただろうね。だけど、痛みを簡単に制御できる仮想現実が作られ、それが普通になってしまった後では遅い。その時にはすでに制御できることが普通という認識になる。そうなる前に僕は手をうちたかった』
聞いた洋子が「あっ」という小さな声を呟き洩らした。
思い当たることがあるのだろう。
彼女の呟きを耳にした良治はそう考えた。
『会社員を使ってゲームのテストをしているのは、君達のような人種でも楽しめるかどうか確認したかったから。もし苦痛だけを感じるなら、別の手段を考えるか、あるいは諦めるつもりだった』
この質問をしたのは良治であるため、彼に向かって回答をした。
「俺達のような人種って、会社で働いているからってことか?」
『そうだよ』
「なぜ、それが条件みたいなものになる?」
『君達のような大人が未来への土台を作る。だから、最初に体験するべきは君達だと僕は考えた。その大人である君達が示した反応もあって、各企業が予想していた以上に動いている。後は……』
遠い未来を見るように、エリオスの視線が宙を向く。
まるで、彼自身が望む未来がそこにあるかのように見つめていた。
そうしたエリオスの態度をみて良治が思う。
(だからといって、やり方が強引すぎるだろ)
すでにしてある質問が、良治の中で再度湧いてくる。
見せられた未来は好きにはなれないが、世界規模で姿を見せメッセージを飛ばしたこともあったのだ。ああしたやり方で忠告をすれば良かっただけのはず。
良治の中にある疑問そのものを見るかのように、エリオスの視線が向けられた。
『最初の質問に答えよう。僕がどうして強引な手段に出たかと言えば、こうした話を信じにくいというのもあるけど……』
話していたエリオスが、躊躇う様子を見せる。
ここにきて何かを隠そうとしているかのよう。
不信がる2人の表情を見たエリオスが意を決したように良治を直視した。
『神という存在を曖昧にしようとする法則が存在しているからだ』
エリオスが言うソレは、人間が曖昧にするという意味ではない。
時間が経ち、話が正確に伝わらないといった類のものでもない。
いわば、世界そのものに存在している法則。
世界中に姿を見せた時、エリオスの姿が透けていたこと。
彼の姿を何らかの記録媒体に残す事ができなかったこと。
被害に合っていない人々が、わずか数日で落ち着きを取り戻すことができたこと。
2人の前にいるエリオスに実体がないこと。
こうした幾つかの現象は、その法則によって行われている。
今現在、残されている記録も、数年後には変わるだろう。
会社員拉致事件について書かれた記事や、誘拐時に姿が消えた人々の録画映像。
そうしたものですら、物理法則を捻じ曲げ神という存在を曖昧なものにしていく。
人々の記憶も同じ。
その記憶の中に、エリオスは残らない。
ベーシックダンジョン(仮)というゲームについても変わり、単なるオンラインゲームの一つであったということになるだろう。
そうなるまでの時間を利用し、仮想現実の世界に痛みを残したい。
エリオスの発言や事件については屈折しだすだろうが、得られた技術はそのまま残る。習得出来た理由は変わるが、エリオスにとってそこはどうでも良い事であった。
(俺は何を聞かされている?)
エリオスの目的については、かろうじて理解出来ていた良治であったが、強引すぎる手段をとった理由については混乱するばかり。
洋子は理解できているのだろうかと思い、彼女を見てみると眉を寄せ険しい表情をしていた。
(うん? ……怒ってる?)
最初は困惑しているのかと思ったが、微妙に違っている。
テーブルの下におかれた手も拳を作っており、何かに耐えているかのよう。
2人の様子を見ていたエリオスは、大きな溜息をついただけ。
目的や動機についてはともかく、この法則については理解してもらおうとは思っていないからだ。
だからなのか?
洋子が何を考えているのか、エリオスは知らずにいた……。