戻ってきた現実
翌朝のこと。
洋子と駅で待ち合わせをし、彼女と一緒に会社へと向かった。
その時、自分の気持ちを素直に話すと、洋子がクスクスと笑い始めてしまう。
「何がおかしいんだ?」
「いえ、良治さんらしいと思いまして。やっぱり管理者との戦いに納得していなかったんですね」
「……」
洋子がそう言った時、良治は心の内を悟られたくないように視線を逸らした。
彼女の口から溜息が出たのは、仕方がないと思われたからだろう。
「私達には、あの手段を使わないという選択もありました。それは分かっていますよね?」
「それは……まぁ……」
歯切れが悪い。
分かってはいても納得はしていないのだろう。
良治の気持ちが分かりやすくて、洋子は口を押えて肩を震わせた。
「……笑うなよ」
「すみません。でも、嬉しいですね」
「嬉しい? どうしてだ?」
「私も似たような気持ちですから。ゲームをしていて納得できない終わり方をされると、モヤっとすることがありますし……」
「……でも、選択は間違っていなかったはずだ」
「えぇ。早く解放されるという意味では間違っていないと思います」
「……ん?」
何かを含んだような言い方をする彼女を怪訝な表情で見る。
しかし、洋子はそれ以上言わず微笑するばかり。
聞きたくもあったが、会社へと到着。
馴染み深い人々と挨拶を交わしつつ、社内へと向かった。
8階に到着した2人に視線が集まったが、同僚達が近づいてくる様子がない。
まだ始業時刻前ではあるものの、各自の仕事が既に始まっているからだろう。
戻ってきたという気持ちを感じながら、自分達の席へと向かう。
スチール製の事務机に鞄を降ろし、社内に設置された丸時計をみた。
そろそろ8時。
いつもであれば、強制拉致をされる時間だ。
解放されたらしいが、本当なのかどうかが分からない。
その時間になるのを待っていると社内から騒めきが消えていく。
電話をしている声も聞こえなくなってきて、人々の視線が2人に集まり始める。
彼を見ていたのは同僚ばかりではなく、少年もその1人であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「満足はしていないか……まぁ、そうだろうね」
いつものようにベーシックダンジョンが開始される直後のこと。
機材が床に並べ置かれた部屋の前にて、2人が話し合っていた。
窓ガラスの向こう側には、徹が天使と呼び称した人々の姿もあり、それぞれが機材の前で待機中。
田中達が聞いた通り、金属製の筒についてはプレイヤー達に渡されていない。
この筒は固有スキルとも一部関係しているが、主目的はプレイヤー達の身体と精神状態をモニターすることにあるからだ。
もうすぐ本日のベーシックダンジョンが開始されるはずなのだが、少年と青年が見ているのは、今現在の良治達である。
「あの場合、勝つための方法を提示したのは間違いだったと?」
「達成感……そういったものが彼等には必要だったんだよ。僕がそこに拘りすぎて大きな失敗をしてしまった」
「……私には理解できません」
「君達はそうだろうね……」
少年が浮かない顔をしながら言い、手を一振り。
良治の姿を映し出していたスクリーンが消えると、両手を後ろで組みつつ窓ガラスに歩み寄る。
「そんなに不満なら、いっそ今日も呼んでやろうかな?」
「それが御心であるならば……」
青年が恭しく頭を下げつついうと、少年は疲れたような息を一つ吐いた。
小声で「冗談だよ」と呟いたあと、組んだばかりの手を解き、軽く右手を上げる。
「始めるよ。今日も事故が起きないように頑張ろうか」
そう言って上げた手の指先を一つ鳴らす。
すると円筒形の筒の中に、多数の会社員達が現れた。
彼等の体には、すでに幾つものリングが装着されている。
同時に、部屋の中にいた人々が一斉に動きだす。
筒の中に良治達の姿は無い。
今の彼等は、仕事の勘をとりもどそうと必死に頭と体を動かしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
仕事をこなすうちに、週末がやってきた。
洋子の部屋から、2人が出たのは昼前あたり。
腕を組みながら評判となっているラーメン屋へと向かったが、行列が出来ていたので素通り。
そうかと言って腹は減る。
お喋りを楽しみつつ食事処を探し歩いていると、小さなお好み焼き屋を見つけた。洋子も入ったことがないらしいので、早速中へと入ってみる。
カウンター席に設置されている鉄板を使い、店主自らお好み焼きを作ってくれる店のようだ。客が少ないことからあまり期待していなかったが、一口目で自分達の間違いに気づく。いい意味で予想を裏切られたことに喜びながら、2人はあっという間に自分達のお好み焼きを食べきった。
十二分に満足すると、次はスーパーマーケットへと向かい歩きだす。
今晩はオデンを作る予定。
いつぞやのリベンジというわけではなく、2人で一緒に作りたかっただけ。
街中を歩く時。
食事をする時。
買い出しを行う時。
一緒に料理をし、共に熱々のオデンを食べる時。
復帰したばかりの仕事疲れなぞ、どこかに吹き飛ぶかのような幸せの時間。
その時間は―――まだ終わっていない。
「さて、やりましょうか」
「……やっぱりやるのか」
そう言って洋子が良治の前で広げて見せたのは、一冊のノート。
描かれているのは定規を使って書いたかのような迷路図。
それが何であるのかは、良治は良く知っている。
まだクリアできていないゲームの迷宮図であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2時間ほどゲームをしていると疲れてきた。
以前であれば自宅に帰っている時間帯であるが、今の2人はそうした話すらしない。
「一息入れますか?」
「じゃあ、コーヒーを頼む」
良治が何気に返事をすると、立ち上がりかけた洋子が怪訝そうに首を傾げた。
「……良いんですか?」
「何がだ?」
「今日は1本も飲んでいませんよね?」
「……そんなにビールばかりを飲んでいるように見えるのか?」
心外だ。
そう言わんばかりの良治の言い方に、洋子は自分の視線を冷蔵庫へと向ける事で返した。
本来、彼女はビールをほとんど飲まない。
だが冷蔵庫の一部がビール缶によって占領されつつあるのはどうしてだろうか?
洋子が何を言いたいのかなど、明らかすぎる。
「あぁ……まぁ……」
「もしかして、控えていたりします?」
「……そんなところだ」
良治が目を泳がせ、返答を濁した。
色々と思うところがあるのだろう。
洋子なりに、その色々について考えたが敢えて聞こうとせず、コーヒーを作り始めた。
時間で言えば、野球中継が開始される少し前。
見てみたくもあるが、洋子は興味がない様子。
最後まで見ることはできないだろうが、序盤だけでも見たい。
良治がリモコンを手にしチャンネルを変えていると、ベーシックダンジョから解放された件についての特番放送がされていた。
(そういえば、今日は中継の時間がズレ込むんだった……)
テレビ放送ではよくあること。
録画予約をしていたら、中に入っているのは別番組だったということは何度も経験していた。明日になれば、管理者から話が聞ける予定なので、それもあって組まれた番組なのだろう。
黙ってみていると、洋子がコーヒーを持ってきて手渡された。
「ありがとう」
「いえ……それより、今日もですね」
「ん? ……あぁ、これか」
「ええ。まだ、私達しか解放されていないのに、まるで事件が終わったかのような言い方が目立ちませんか?」
「……まぁな」
渡されたコーヒーを飲みながらテレビ番組を続けて見る。
彼女が言う通り、ここ数日というものゲームから解放された人々についての話が続いており、迷宮の状況についてはほとんど聞くことがなくなっていた。今やっている番組でも目新しい情報が流れていない。
少し口をつけたーヒーカップを横に置く。
肩の凝りを軽くほぐすと、ゲームのスイッチに手を伸ばした。
現在は、地下8階の探索を行っており、転職にも手を付けているのだが……
「この忍者って、ちょくちょく宝箱の解除に失敗するんだが?」
「それは転職する前にも言ったじゃないですか」
「……いや、でも、ワナの識別も結構間違うことが……」
「……」
それ以上の愚痴は言わせない。
洋子の目が、そう言っているかのように思えた良治は、口を閉ざし8階攻略に勤しみ始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
休憩所のベッドとは違い、洋子の部屋にあるベッドは一人用だ。
そのベッドでネコの刺繍をあつらえたペアパジャマを着て、一緒に眠っているのは大人の事情によるもの。
良治が目を覚ますと、彼を面白そうに見ている洋子の笑顔があった。
理由を聞きたくもなったが、尋ねる前に彼女がベッドからでてしまう。
着替えを済ませた洋子が、朝食づくりを開始。
良治はと言えば、私服へと着替えたあと玄関口を開いた。
「少し歩いてくる」
「もうじき朝食ですよ。早く帰ってきてくださいね」
「あぁ。2、30分ぐらいで帰ってくるよ」
そのまま新婚夫婦がするような朝の挨拶をかわすと、良治が部屋から出ていく。
彼の目的は、朝のトレーニングをするため……というわけではない。
ベーシックダンジョンから解放されたのだから必要性が無くなっている。
ただ突然止めてしまうと体の調子が良くないらしく、軽い散歩を行っているようだ。
(いよいよ今日か……どんな話をされることやら……)
自分達を誘拐し続けゲームのテストをさせていた理由。
そして、管理者が言いたがっている提案。
この二つは、たぶん繋がっているものだろう。
朝霧が残っている道をゆっくりと歩きながら、そんな事を考える良治であった。
続きの話を明日から一挙に投稿します。
明日4話。明後日4話予定