接触
聞こえていた音楽が静かな余韻を残し消えると、踊っていた2人の動きが止まった。
「……みんな心配しているだろうし戻ろう」
「はい。もしかしたら、イベントが進行したのかもしれませんしね」
音楽ばかりではなく、NPC達の声も聞こえなくなった。
この次は、今までとは違う会話が始まるかもしれない。
洋子の考えを理解しながら手を繋いだまま歩き戻る……が、そこで奇妙な光景を目にする。
それは、誰しもが身動き一つせず止まっている光景。
貴族風の男達は談話をしたまま止まり、テーブルにある料理を取り皿に盛りつけようとしていた給仕も手を止めていた。ワインとグラスを皿にのせたまま、立ち止まっているメイドの姿もある。
さらには……。
「係長、あれ!?」
「ん?」
洋子の驚く声を聞き、彼女が上げた指先を見る。
そこには仲間達がいて、彼等も動きを止めていた。
「……全員?」
NPCばかりではなく、仲間達も止まっている。
何がこの場所で起きたのか分からない。
とにかく仲間達の元へと行こうとするが、踏み出したばかりの足が止まった。
「――ッ!?」
「どうし……!?」
この感覚。
知っている。
いつだ?
つい最近。
どこだ?
会社に報告しにいった帰りに。
しかし、あの時よりも……
桁違いに酷い!
体の全身に悪寒が走る。
毛穴が開き、汗が一気に流れ出したようにすら思えた。
不安。恐怖。焦燥。
そして苛立ち。
様々な感情が一斉に暴走を始めだす。
冷静さを取り戻そうと、両腕で自分を抱きしめる。
必死に自分を取り戻そうとしていると、背後から息苦しいような呼吸音が聞こえてきた。
良治ばかりが苦しんでいるのではない。
洋子も同じだ。
知った良治の頭の中が彼女の事で一杯になる。
暴走し始めた感情を意思の力で強引に捻じ伏せ、床に座り込んだ洋子の肩を掴んだ。
「洋子さん!」
「……」
返事すらない。顔をみれば蒼白だ。
思っている以上にマズイと知り、治癒や回復の魔法を彼女にかけてみたが効果がない。
このままでは苦しむだけだと判断し、両腕で彼女を抱き上げる。
とにかく、ここから離れよう。
そう思い大広間から出ようと足を進めた。
――その瞬間、手を打ち鳴らす音が一つ。
それは頭上から。
正確には、斜め後ろの天井から。
音が響いたあと息苦しさが薄まり、洋子も大きな呼吸を一つ。
彼女の目が薄く開く。
見た良治が胸をなでおろし、彼女を床におろそうとした時、聞き慣れた声を耳にした。
「ごめんごめん。ちょっと、きつすぎたようだね」
薄れたはずの苛立ちが、良治の中で一気に湧きあがる。
自分達を苦しめた
いや、ずっと苦しめてきている相手の声。
いつか殴ってやる。
そう決めた相手の声。
「お前……」
「あっ。その顔。久しぶりなんじゃない? ゴブリン達に素の感情をぶつけていた時にも、そういう顔をしていたよね。記録で見たよ」
声の主が誰なのかは知っている。
だからこその表情。
ゆっくりと振り向き見た場所にいたのは、白髪の少年だ。
白いシャツに黒い蝶ネクタイ。そして黒の半ズボン。
いつもの服装でいる少年が、宙に浮かんだまま良治達を見下ろしている。
「……駄目です。アレは……」
勝てる相手ではない。
洋子が言いたい事は分かっていた。
今までのモンスターと比べ、桁違いの圧力。
仲間達の助力があっても、どうにかできる相手とは思えなかった。
「身構えなくてもいいよ。何かをしようというわけじゃない。どうしても確認しておきたい事があっただけだから」
「……確認?」
「そう。だから君達二人以外は止めている。邪魔されたくないんだよね」
うんうんと嬉しそうに微笑みながら、宙に浮いていた少年が石床に降りてくる。
背中で手を組んだ姿勢のまま良治達に近づいてきた。
「初めまして。君達がいう管理者だよ。……とはいっても、これは僕専用のゲームキャラクターだ」
「……」
「……何か言ってよ。それとも、まだ気分が悪い?」
見下ろしていたはずの少年が、今度は見上げて尋ねてくる。
良治の事を心配しているような目つきと声だが、本心からなのか分からない。
見た目だけなら純粋な少年のようだが、中身は?
まるで手練れの詐欺師を相手にしているような不気味さがある。
何を言っても相手が思うツボになりそうで、言葉を交わすことすら恐れた。
「僕のことを警戒しているだけなのかな? まぁ、さっきのレベルで耐える事が出来た君なら大丈夫だろうね。そっちの彼女は、慣れるまでもう少しかかりそうだけど」
少年が言うように洋子の呼吸が整い始めているが、まだ顔色が悪い。
「大丈夫か?」
「はい」
即答はしてくるが、洋子が気丈な性格をしている事は重々承知。
無理をしているように見えて、その原因と思える相手を睨みつけると、少年は肩をすくめて見せた。
「そんなに怖い顔をしないでよ。僕は見ての通り子供だよ?」
「……本気で言ってるのか?」
「あっ。返事してくれた。嬉しいよ」
思わず出てしまった声に、少年が嬉しそうに微笑む。
その表情が憎らしく、良治は歯を噛み合わせた。
剣を鞘から一気に引き抜き剣先を向ける――が、
「邪魔だから、少しの間だけ消すよ」
「?」
何を言っている。
意味が分からずにいると、少年が指を合わせ鳴らす。
同時に、良治の手の中からアダマンの剣が消えた。
「ッ!?」
「大丈夫。今だけだから。僕の用事が終わったら手に戻るよ。大体、実力で僕を排除できるなんて、これっぽっちも思っていないでしょ?」
「……」
その通りだと心の中でのみ思う。
最初に感じた悪寒は薄れたが、どうしても踏み込む事が出来ない。
剣が無いなら魔法で。
あるいは、拳で殴ってもいい。
痛みはあっても、本当の死が待っているわけではない。
ドラゴンと戦っていた時と比べれば、比較的戦いやすような外見をした相手。
それなのに動けない。
剣を抜くという動作だけで精一杯だ。
考える事は出来ても、体が戦うことを拒否している。
「私だって……」
ズルっという重い足音とともに、琥珀色の盾を出現させた洋子が隣に並んだ。
「下がるんだ」
「……嫌です」
それだけは聞けないと、少年を睨みつけたまま洋子が言う。
「警戒する気持ちは分かるけど、そこまで毛嫌いしちゃうの? やりづらいなぁー…」
「勝手な事を……」
――ペラペラと喋って。
そう続けようとしたが、少年が手をあげ良治の言葉を止めた。
「分かったよ。じゃあ、これだけ教えてくれる? 君達は彼等のことをどう思うの?」
良治達にそうした言葉を投げかけ、上げた手をNPC達の方へと向ける。
それが本題だというのは、据わった目つきからも判断が出来たが、応えてやる義務はない。
黙したままでいると、隣にいる洋子が『NPC?』と一言漏らした。
「そっちの彼女は何も思わないか――で、君は?」
洋子の返答に少年は表情を変えずに言う。
そのまま良治に視線が向けたが、彼は口を堅く閉ざしていた。
「……あんまり力ずくで聞きたくはなかったんだけど、しょうがないか。少しお邪魔するね」
パチン。
再び少年が指を鳴らすと、良治の意識が暗闇の中へと沈んでいった。