感覚
――喫茶『ライター』
会社の近くにある、友義お気に入りの喫茶店に2人が入ったのは、1時間ほど歩いたあとであった。
「俺は、ナポリタンセットを」
「私も同じものをお願いします」
そうした注文をすると細身の女性が軽く会釈をし、マスターに注文を伝えに戻る。
彼女が離れると、良治は座席の横にあるガラス窓の外へと目を向け、歩道を通る人々の姿を気にしだした。
「誰かに後を付けられていたんですか?」
「洋子さんも分かったか?」
「いえ。私は係長の様子からそう思いました」
「そう……か」
独り言のように返事をした良治が、ガラス窓から目を離す。
女性店員が置いて行ったコップを手し、呟くように話し始める。
「もしかしたら、気にしすぎたのかもしれないなぁ……」
「どんな感じだったんですか?」
「……うーん」
どう言えばいいのかと、言葉を選びながら洋子に伝えた。
彼が感じたのは、奇妙な圧迫感。
モンスターから感じる殺意とは違い、今すぐ何かをされるという感じはなく、ジワジワと迫ってきているようなもの。
歩いている最中付いて回ったソレの正体を確かめる為に喫茶店に入ったのだが、その途端何も感じなくなった。
そうしたことを話し終えた良治は、水を口に含み考える。
気のせい……だった?
そう考えるべきだろうか?
だとすれば、何故急に?
「……会社にきたやつが、洋子さんの事も聞いていたから?」
「えっ?」
「……あっ」
自問自答しているつもりが、その考えを口に出していた。
最初は何を言っているのか分からなかった洋子だが、少し遅れて理解する。
「「……」」
2人そろって黙り込む。
良治もそれ以上は言わず、目を泳がせる。
洋子が妙に嬉しそうにしていると、そこに店員の女性がやってきた。
「ナポリタンセット2人前です」
声を聞くなり、良治と洋子の背がピンと伸びる。
テーブルにナポリタンとコーヒーのセットを置いた店員が『ごゆっくり』と言う。
その声が普段よりトゲトゲしく感じたのは、気のせいでは無いだろう。
「た、食べようか」
「そうですね!」
いつもであれば、気持ちを落ち着けて食べられる喫茶店。
しかし、この時ばかりは居心地の悪さを感じたようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
食事を終えたあと、女性店員の視線を気にしながら代金を払い、薄暗い階段を降りた。
「奢ってもらってすいません」
「休みの度に食わせてもらっているのは俺の方なんだし、これぐらいはな」
何でも無いように言いながら、周囲を気にする。
勘違いだとは思いつつも、気になって仕方がない。
洋子も同じように周りを見てみたが、それらしい人影というのが見当たらなかった。
「まだ感じますか?」
「……いや。やっぱり俺の気のせいだったんだろ」
洋子は何も感じていない様子だし、外を見てもそれらしい人影が見当たらない。
自分達の後から客が入ってもこなかったし、完全に誤解だったのだろうと自分を納得させることにした。
「付き合わせて悪い」
「いえ。平気ですよ。時間も大丈夫ですし……どうせなら、これから一緒に街にでも……」
「ん? ……あぁ……だけど、この服じゃぁな」
自分の上着に手をかける良治をみて、言いたいことを察っする。
スーツ姿のまま遊びにいくというのは、良治の主義に反しているのだろう。
一旦アパートに帰って着替えをしたいという気持ちが洋子にも伝わったが、一度帰ってから再度合流というのは少し時間がかかる。
そうするぐらいなら、上着を脱いで寛げる自分の家でゲームをするのはどうだろうか?
(出来れば誘ってほしかったけど……)
多少残念ではあるが、これはこれで悪くはない。
自分の方から自宅に誘う口実が出来た。
「なら、私の家で……」
「一旦家に帰って……」
ほぼ同時に言い出した2人は、これまた同時に声を止めてしまう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アパートに帰った良治は、すぐに厚めの長袖シャツとジーンズに着替えた。
若くも見えるし、歳相応ともいえる服装だ。
「さて、行くか」
気合をいれた声をだし、アパートの扉をしめ洋子の部屋へと向かう。
スーツ姿でも寛げるからという理由は聞いたが、結局一度戻ることを選んだ。
ただ、そうした拘りのせいで……。
(適当に遊んで帰るとしても、早くて夕方か……うーん)
駅に向かう歩道を歩きながら考える。
洋子と一緒にいたいという気持ちはあるし、ゲームの続きも気にはなる。
出来れば夕飯を彼女の手料理で済ませたいという気持ちもあるが……。
(休みの度に食べさせてもらっているし、これ以上はなぁ。たまには俺の方から、ちゃんとした食事に誘った方がいいか?)
ファイナル8に誘ったことや、つい先ほどの喫茶店での奢り。
その程度では、普段の礼を返すという意味では足りていないだろうと思えた。
(近くに良い店あったかな? いつも適当に済ませてしまうし……まぁ、調べれば何か出てくるだろ)
そう決めかけた時、聞き慣れたメロディーがズボンのポケットから流れた。
スマホを取り出しみれば、洋子から。
(急用でも入ったか?)
そうだとすれば残念だ。
その時は、彼女を困らせることなく諦めようと思いつつ、スマホに出てみる……と。
『係長……。すいません。大至急、来てもらえませんか』
「大至急? どうした?」
妙に声が小さい。
震えているようにも聞こえる。
『感じました……たぶん、係長が言っていたものです……』
「すぐにいく!」
返答した言葉通り、電話を切るなり全力で走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
良治が洋子の部屋に来たのは、15時前。
「大丈夫か?」
「……はい」
彼女の様子が一目でおかしいと分かる。
抱きしめ安心させたくもなったが、躊躇いが出た。
躊躇していると、出迎えた洋子が背を向け部屋へと戻っていく。
靴を脱ぎ、良治も部屋の中へと入っていくと、力が抜けたかのように洋子が突然床に座り込んでしまう。
「お、おい。本当に大丈夫なのか?」
良治が狼狽した表情をしながら近づく。
横から覗き込むように彼女の顔を見た。
「……あっ。いえ、これは係長の顔を見たら、なんだかホッとして……大丈夫です。落ち着いてきました」
本音だという事は声音からも分かったが、言う程落ち着いている様には見えない。顔色が少し悪いし、絨毯の上に置かれた手がわずかであるが震えている。強がっているのが、目に見えて分かった。
出来れば甘えて欲しいと思う。
彼女がそうしないのは頼りない男と思われているから?
そう考えると、自分に苛立つ気持ちすら湧く。
そうかといって、苛立つ気持ちのまま彼女を見つめるわけにもいかない。
気持ちを押し隠す良治の傍で、洋子は自分の胸に手を置き深呼吸を1度した。
「よし!」
気合を入れなおした彼女の顔は普段どおりのものだが、無理に作っていることも分かってしまう。そこまで自分に気を使わなくてもと、良治は苦笑した。
「あっ。笑いましたね! 私だって女ですよ! 怯えてあたりまえでしょ!」
甘えのようなものさえ感じる大きな声。
それが嬉しくて、良治はさらに笑みを深めた。
洋子が立ち上がり、良治を見上げたまま近づく。
笑ってしまった事で、怒らせてしまった?
そう思う良治の胸に、彼女はゆっくりと抱き着いた。
「……少し、こうさせてください」
「……あぁ」
嬉しかった。
甘えて来てくれたことが何より嬉しかった。
心を預けられたような気持ちすら感じながら、彼女を優しく抱きしめる。
洋子の中から不安を消したいと思い、髪を優しく撫でた。
優しくゆるやかな時間の中、互いの顔が近づく。
一つ。
……
二つ。
……
無言で触れ合い、離れ、また近づく。
幾度目かの交差のあと、彼女の眼を見つめた。
洋子は何も言わない。
それでも何を必要としているのか伝わってくる。
彼女の望みを叶えたいという一心で、彼女の身を包み始めた。
……良治さん。
自分を呼ぶ声を耳にしながら、良治は彼女を……。