影が重なる時
――ゲーム開始から4時間ほど経つ。
「魔法攻撃を忘れていますね」
「いや、忘れたわけじゃない。今の敵なら無くても倒せると思ったんだ」
「倒す事は出来ましたけど、その分ダメージを受けています。プリーストの魔法は大丈夫ですか?」
「あと、2、3回ぐらいもつだろ? アイテムもあるし」
「帰りの事も考えないと駄目ですよ」
「あー…結構離れたか?」
「そろそろ戻った方が良いんじゃないですかね?」
「……またか。探索が進まないな」
「序盤はそんなものですよ」
洋子が言った通りにしたのは、少し間を置いてからの事となった。
戦闘を繰り返しながらの帰還行為は成功を果たすが、ギリギリという結果。
温存していた魔法も全て使い、前衛キャラの体力もつきかけた状態だ。どこかで何かを間違えていれば全滅していた事だろう。
(昔のゲームなのに難しすぎる……)
良治がそう思うようになった過程を少し振り返るとしよう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最初に行われたキャラ制作の説明は、試練のようにすら思えた。
乗り越えた先にあったのは、街にある施設の説明。
武具やアイテムを売っている店を見れば、とても手が出せないような品々の数々が売られており、一目で把握しきれるものではなかった。
『桁違いの値段のも売られているんだが……』
『頑張りました!』
『頑張った? なにを?』
『……いえ、何でもありません』
誇らしげな洋子が、すぐに委縮したように声を潜めると良治は悟った。
これは、自分に対する宿題のようなものではないだろうか?
ベーシックダンジョンでも役立つ知識であるため、出来る限り自分に考えさせようとしている?
なるほど。自分で考え覚えた知識ほど身に付くというもの。
仕事であれば良治が教える側であるが、これはゲーム。洋子の方が色々と考えているに違いない。
(よし!)
自分のゲーム経験不足を少しでも補うために、このような事を考えたのだな。
その期待に堪えずして何が上司か。
さっそく勉強になりそうだ。
――そう考えたのはわずか一時の事である。
『また死んだ……』
『だから、1度戦ったら戻った方が良いと』
『……帰って蘇生させるよ』
洋子の言い分が正しい事を理解したのは、味方が数回死んでしまった後の事だった。
(また金が飛ぶなぁ…)
序盤から街へと帰れば蘇生が可能というのは、ベーシックダンジョンと比べると優しい。当初はそう思った良治であったが、すぐにそれが間違った考えだと悟る。
(死んで蘇生させたら金が減って、次の戦闘でまた死んで……ジワジワと首をしめられているような気分だ)
その悪夢のようなループが終わりかけたのは、キャラのレベルアップが進み始めた時。なんとかゲームの遊び方が分かりかけてくると、今度は遠出が出来ない事に不満を覚えるようになった。
それが4時間後の現在と言う事になる。
「少し休みます? お茶でもいれますよ」
「……って、そういう時間じゃないだろ!?」
「え?」
「このままだと夕飯もご馳走になりそうだし、帰る事にするよ」
「……あっ」
言われてから洋子も気がついたが、彼女として考えれば、
(夕飯も一緒でいいんだけどなぁ……)
とは思うが、良治の性格を考えれば問題があるという事も知っていた。
無理に引き留める気もなかったが、ゲームを分かりかけてきた所で終わってしまうのも残念だ。
……ならせめて。
「借りていきませんか? しばらく貸しますよ」
「いや、止めておく」
悩む様子もなく即断されるとショックを受けた。
色々と口を出し過ぎたせいで楽しめなかったのだろうか?
好きなものだからこそ良く理解して欲しいという気持ちが先走り、それが邪魔になってしまった?
楽しんでいる最中に、横から口を出されるのは嫌なもの。
それは洋子とて経験済みな事であり、失敗した事もある。
過ちを繰り返してしまったのは、それだけ良治と遊ぶ時間が楽しかったからだろうが、それは洋子の気持ちでしかない。
――相手がどう思うかは別だ。
好きな相手に『自分は邪魔だ』と、思われるのは最悪というものだろう。
その最悪な事をしてしまったと考えた洋子は、心が体から離れかけたかのように落ち込みかけたが、
「またこうして教えてもらって良いかな?」
顔を伏せ良治が言った瞬間、洋子の目に生気が戻る。
目を見開いたまま固まった洋子に返事は出来ない。
返事が無い事から不安を感じた良治が、顔をあげ彼女を見た。
最初は怒っていると思った。
大きく見開いた目で、凝視されていたからだろう。
しかし、その瞳が緩みだすと、彼女の気持ちが表に出始める。
それは、良治の一言で溶かされた彼女の素直な気持ちであった。
想いがあふれ出た洋子の表情に、良治の胸が高鳴る。
蓋が一気に外れ押し隠していた気持ちが、彼の中で暴れ始めた。
「「……」」
良治は洋子を。
洋子は良治を。
目前にいる存在を異性と認識した眼差しを向け合っていると、良治の右手が上がり始めた。
自分が何をしようとしているのか?
それすら分かっていないかのように、彼の表情が固まっている。
ゆっくりと上げられた手が洋子の肩へと伸びた時……。
彼女の肩が震えた。
「――ッ!?」
その時になり、自分が何をしようとしたのか理解出来た。
上げていた手を即座に降ろし拳を作る。
顔だけではなく、体ごと洋子から反らしもした。
「ごめん!!」
ハッキリと分かるように大声で言った。
湧き上がる衝動を抑えきれなかった事を悔やみ、その場で立ち上がる。
彼女から逃げるように部屋の外へと向かい歩きだすと、最初は戸惑った洋子であったが、自分から一目散に逃げようとする良治の背を見て表情が一変した。
良治がとった態度が、彼女の感情を爆発させる。
「駄目です!!」
「――?」
良治は何が? と思った。
自分に向け言ったのかどうかも、分からなかった。
足を止めるが体を向けない。
ガラスがついた扉を黙ったまま見ていると、背後からゆっくりと足音が近づいてくる。
「……」
近づく足音だけに神経が向かう。
音が静まり消えると、今度は背中にゆっくりと圧し掛かるものを感じた。
「……好き……です」
「――!?」
洋子の口から出た声は、間近で聞いたはずの良治ですら、自分の耳を疑うほどに小さかった。
意を決し告白した洋子を見れば、自分の額を良治の背につけている。
彼女の想いを預けられたかのように良治は感じとり、力強く手を握りしめた。
顔を下げ、身を震わしたのは、歓喜ではなく怒りのせい。
何故なら、洋子の震えが背を通じて伝わってきたから。
(何を言わせているんだ!)
自分こそが惚れたというのに、何故彼女に言わせている。
年上であり、上司であるにもかかわらず、何を言わせている。
背を通じて伝わってくる震えから、洋子がどんな気持ちで想いを吐露したのかも分かるだろう。
自分に対する、そうした怒りが歓喜に勝り大きく息を吸った。
「洋子さん」
「……」
返事がなくても良いと先を続ける。
振り向かないまま顔をあげ、天井へと目を向けた。
「俺の方が好きだ」
「――えっ?」
良治が言った言葉の意味が分からず、背中から離れる。
2つの手を置いたまま、良治の後ろ髪を見つめた。
続く言葉を待つ洋子に対し、彼は己の感情を強く込めて言う。
「俺の方が、君の事をもっと好きなんだよ!」
「――!?」
言わずにいられなかった。
誰かを愛するという気持ちに優劣があるのかは分からないが、それでも伝えたくて仕方がなかった。
そんな事を言われるとは考えていなかった洋子の前で、良治が振り向く。
彼女の両手が離れ、何かを願うかのように自分の胸へとおいた。
振り向いた良治の表情が強張っているのは、緊張しすぎているせいだろう。
笑いたくもなる表情であるが、良治の生真面目さも伝わってくる。
逃げない。
そうした決意を込めて視線を洋子に向けている。
見つめたまま、呼吸を一度。
表情を緩ませてから口を動かした。
「気が付けば、君の事を考える。君の笑顔を見る度に、俺も嬉しく思った。本当の君を知るたびに、どうしようもないぐらい……」
突然声を止めたのは、洋子の指先が良治の唇を閉ざしたから。
これ以上の言葉は不要と洋子は態度で示した。
2人の足が動く。
互いの目を見つめあったまま近づいた。
ゆっくりと体を近づけ合い、互いの手がそれぞれの腰や背へと回される。
洋子の眼が閉ざされると、良治は自分の顔を静かに下げた。
……
……
2つの影が重なり1つになる。
それは、彼と彼女の心が通じ合った証なのだろう……。