第五章
一
新しい荷物の配達依頼があり、三人でその準備をしていた。この前大雨で崩れた街道も復旧したらしく、急ぎ、出発の準備をする。
「出発は明日早朝だから、今日は早めに寝よう」
僕の提案に、二人とも頷く。暇なときに、アーガイルがカロンさんへ荷馬車のイロハを教えていた事もあり、準備は順調だ。
「これが最後の荷物だ」
カロンさんが、荷台にいるアーガイルに荷物を渡す。今回の荷物はさほど量もない。馬車の中は比較的余裕がある。といっても以前の馬車なら満載に近い量の筈だけど。
それに、御者台には三人が充分に座れ、その後ろの席は、倒す事で二人分の寝台にも出来た。椅子として使えば四人座れる。前の馬車とは大違いだ。
レンさんは、依頼があれば人を乗せてもいいと言っていたし、それはそれで結構収入になる。これなら、前よりは移動速度が落ちても、充分割に合う。
僕も新しい服に大分慣れた。
上着は白っぽい半袖の服を着ているけど、ベストは車長を示す青いものに交換した。胸には翼を広げた鷲の飾りが光る。袴はいくつか色を用意したけど、今はいているのは、茶系統の色のものだ。
アーガイルは、以前僕が着ていた、薄手の赤みがかったベストのサイズ違いを着ている。カロンさんも同じベストを着て、袴の色は緑をはいていた。カロンさんも、何着か違う色の袴を持っているらしい。
馬車の席の下に物入れがあるので、着替えなんかは全部そこに入れた。今度の馬車は大きな分、余裕があって色々使いやすそうだ。
「よし、終わった。飯にしよう」
アーガイルが、汗を拭きながら荷台から飛び降りる。僕もそれを確認してから、馬車を降りた。
「うーん、なんだかな……やっぱり違和感がある」
アーガイルが、僕を見ながら言う。
「声は確かにシロンなんだけどな。姿を見るとまるでカロンだ」
「おいおい、身長差がこんなにあるのにか?」
カロンさんが僕の隣に並んだ。確かに頭一つ分位の差はある。勿論体格差だって大きい。
「そりゃ、そう並ばれたら区別付くが、別々なら難しいぞ」
そう言われては、確かにそうかもしれないと思った。
「慣れてもらうしかないな。私たちにはどうしようもない事だ」
確かに、カロンさんの言うとおりだとも思う。どちらも言っている事が正しいようで、何と言ってよいのか分からない。
「あー、一応は、頭髪があるのか、シロンには」
そう言われてみて、あらためて気が付いた。でも、正直自覚はない。
「しかし、正面から見ると、その頭髪もあまり見えないな。何と言うか、後頭部に集中しているのか? やっぱり区別が難しいぞ」
「もう、人の気も知らないで。それ以上は止めて!」
僕が苦笑すると、アーガイルも、カロンさんも笑った。
「笑う事無いじゃないか」
「すまない、シロン。しかしこればかりはな」
カロンさんがクスクス笑い続ける。
「それはそうと、飯はどこでとる?」
アーガイルが、話題を変えようとしてくれた事に少しホッとした。
「それはシロンが決める事じゃないのか?」
こんな時に、決定権を持たされても困る。とは言っても、決めなきゃならない。
「まだ早いし、外で食べようか?」
二人とも素直に頷いてくれた。
「じゃ、シロンの奢りで!」
またアーガイルの悪い癖だ。僕が車長になった事をいい事に、奢れ奢れれと最近五月蝿い。実際には、まだお給料出てないのに。
ただ、アーガイルは罰金を取られていた。それがどうもかなりの額だったらしい事は後で知ったけど、そればかりはどうしようもない。元はといえばアーガイルが原因だし。
「アーガイルから、まだお詫び貰ってないけど?」
僕がわざとらしく言うと、何時もアーガイルは笑ってごまかす。
「今日は、アーガイルに絶対に奢ってもらうから!」
せっかくだからと思い、けしかけてみた。アーガイルの顔が突然暗くなる。
「お願いだから、それだけは勘弁してくれ。貯めた金が本当にすっ飛んだんだから」
アーガイルが、泣きつくように言ってくるのが面白い。
「じゃ、奢りは今度でいいから、とにかく行こう」
アーガイルがそう言って、僕の腕輪をつかんだときだった。
何か体の中から違和感を感じる。それに頭も痛い。僕は思わずその場にしゃがみ込んだ。
「おい、シロン大丈夫か?」
カロンさんの声が聞こえるけど、だんだん気が遠くなってきて……
「アーガイルと言ったな。手を放せ。私は大丈夫だ」
僕の中で別の僕が勝手に喋る。
「カロン、久しぶりだな。二年ぶりといったところか」
勝手に僕の意志と関係なく、体が動いていく。外の景色も見えるし声も聞こえるけど、体は自由に動かせないし、自分の意志で声が出せない。
『もう一人の自分よ。暫く待て。すぐ終わる』
もう一人の僕が、僕自身に話しかけてきた。
「カロン、何をしている。それが上官に対する態度か!」
それを聞いて、カロンさんは、何が何だか分からないといった様子だ。
「まあ、こんな格好をしていれば、気がつかないのも仕方ないか。ナハ中佐と言えば分かるか?」
アーガイルは、完全に何が何だか分からず、ただ立ち尽くしているだけだ。
「私はシロン・ナハ。二年前に失踪した張本人が、目の前でそう言っている。まだ続けるか?」
それを聞いて、カロンさんが直立不動の姿勢をとった。
「し、しかし、お姿が……」
「確かに、以前の私とは体格も違うだろうから、分からないのも無理はないかもしれないが、本人がそう言っている」
「し、失礼しました」
カロンさんの声が、震えているのが分かった。
「それと、アーガイル。二年もの間、私を守ってくれて感謝する」
相変わらず、アーガイルは何が何だか分かっていない様子だ。それは僕もだけど。
「時間がないから手短に説明する。私は元カロンの上官だった者だ。その後、人族の体に魂を封じられてしまった。カロン、私を捜していたのだろう?」
カロンさんが頷いた。僕にはよく理解出来ない。
『元々は私が表の顔で、君が裏の顔だ』
僕にだけまた話しかけてくる。
『表?裏?』
『正確には、どちらが本当かは私も分からないがな。もう暫く体を使うぞ』
「はい、ナハ中佐。しかし、まだ信じられません」
それはそうだと思う。僕だって、何が何だか分からないのだし。
「まあ、無理もないな。しかし今は信じてもらう他ない。私がこんな事になったのは、アチカの責任だ」
その言葉に、カロンさんは驚いていた。
「アチカ参謀がですか!」
「奴と奴のそばの奴に気をつけろ。首謀者が他にいる筈だが、それは分からん。だから他の者も簡単に信用するな」
「信用するなって言われてもよ、俺は、はじめから信用しちゃいないぜ?」
アーガイルが話に割り込んできた。また変な事にならなきゃいいけど。
「それでいい。ヤエも分かったな?」
「中佐が、そう仰るなら……」
『全く、ヤエは相変わらず堅物だな。お前が見守ってやれ』
『きゅ、急にそんな事言われても……』
『死にたくなかったら、言う事を聞け』
そう言われては、僕は何も言えない。
「身分を隠し、密かに国へ戻れ。勿論我々を連れてだ、いいな」
「分かりました」
カロンさんが、僕に向かって敬礼する。僕は何だか奇妙な光景に思えた。
「時間切れだ。ヤエ、また会おう。アーガイル君、この者をよろしく頼む」
「しかたねぇな。で、別人のシロンよ、次はいつ会えるんだ?」
「すまないが、それは分からない。しかし、いずれまた会うだろう。今の会話も、元の私が聞いている。多少の事なら答えられる筈だ。では、よろしく頼むぞ」
『これからは、多少なら私の記憶も覗ける筈だ。分かる範囲で答えてやれ、いいな』
『その様子だと、僕に拒否権はないみたいだね』
『元々、どちらが本当の私かなど、この私に出さえ分からない。出来るだけ協力を頼む』
それを最後に声が聞こえなくなった。同時に腕輪が強く光る。僕は目が眩んでしまった。
「……シロン、シロン!」
アーガイルに揺すられているのが分かる。とても長い時間が過ぎたような気がした。
「どうなってるんだ、大丈夫か?」
カロンさんも目の前にいた。頭がくらくらする。
「だれかー、来てくれ!」
アーガイルが誰かを呼んでる。何があったのだろう……
「医者だ、医者を早く!」
カロンさんも慌てているみたいだ。
「しっかりしろ、いいな!」
アーガイルが間近でのぞき込んでくる。どうしたんだろう……
「う、うん……」
まだふらつくけど、なんとかなりそうな気がした。
「今、医者呼んだからじっとしていろ」
アーガイルが抱き起こしてくれる。何か違和感がある気がした。遠くから誰かが駆け寄ってくる音がする。
「シロンがどうかしたのか!?」
あの声は、熊族で同じ馬車長の、オチェムさんだ。その他にも何人かいるようだ。僕を見るなり、みんな驚いているのはなぜだろう。
「医者はまだか!」
カロンさんがまた叫んでいる。
「だ、大丈夫だと思う……ちょっと頭が痛いだけ」
「そんな事あるか!」
急にアーガイルが僕を抱きしめた。
「よかった、戻ったんだな」
戻った……?
そう言われてハッと気がつく。手が元に戻っていた。足も元の人族の足に戻っている。
「え、ど、どういう事!?」
「それは私が聞きたい」
カロンさんが真剣な眼差しで僕を見ている。
「どこかおかしな所はないか?」
手足を見る。特に異常はみられない。
「と、とにかくだ。何かあってからじゃ遅い。一度医者に診てもらおう」
アーガイルに無理矢理抱きかかえられ、僕はその場を後にした。
「うーん、不思議だ。私も分からない」
この前から僕を診てくれている、牛頭族のクロフォードさんの所に行った。
診察台の上にとりあえず座らせられているけど、今のところ異常はないらしい。
「じゃあ、上着を脱いで」
言うとおりにする。その時背中に変な感覚があった。
「え?」
思わず声を上げてしまう。
「シロン、どうした?」
カロンさんが僕をずっと見ていた。その顔が驚きに変わるのが分かる。
「シロン君、背中を見せてくれ」
先生に言われるがまま、背中を見せる。
「おい、先生よ。こりゃどういう事だ?」
アーガイルの声も、何だかおかしい。
「うーん……私にもよく分からないが、これは……」
三人して唸っているので、僕は何が何だか分からない。
「どうしたの?」
「背中にな……鱗があるんだ」
アーガイルの言っている事が理解出来なくて、後ろを振り返る。
すると、馬の鬣のように背中に沿って青い毛が見えた。触ってみると鱗の感触もある。
「シロン君、ベッドにうつ伏せになってくれ」
僕は言われるがまま、先生の指示に従った。
「触るよ。何かおかしかったら、すぐに言ってくれ」
僕は素直に頷く。先生が背中を触る。ちょっとくすぐったい気がしたけど、別におかしな感じはしなかった。
「痛みとかはないかね?」
「はい」
「触った感じ、鱗そのものだ。カロン君、すまないが君の背中を触らせてくれないか?」
「分かった」
隣でカロンさんが上着を脱ぐ。先生がその背中を触った後、また僕の背中を触った。
「カロン君のと同じ感触だな。竜人族の鱗という事なのか?」
先生が、不思議そうに顔をひねる。
「どこか、具合が悪いとか、そういう事はないんだね?」
「はい。別に何ともありません」
「そうなると、考えられるのは、あの事件しかないが……」
先生は、再度僕の背中を触ったり、軽く叩いたりした。
「本人は具合も悪くないと言うし、こう見た限り、竜人族の鱗そのものだ。でもなぜ背中だけ……」
先生が、再度首をひねった。
「他には異常は見られないし、暫く様子を見てみるしか方法がないな」
「先生、それじゃあ困るよ。明日、早く出なきゃならねぇんだ」
アーガイルの言うとおり、明日の早朝に町を出る必要がある。本当ならもう寝床に入りたい時間だった。
「困りましたね。本当なら、暫くこのまま安静にして欲しいのですが……あ、いい人がいます。馬車に乗せていっていただけますか? ホンコンまで行きたいという医者と、その助手がいてね。ここからなら一月はかかるだろう?」
「届け物はハノイまでだが、構わないか?」
カロンさんが、僕に聞いてきた。
「うん、そんなに距離が離れている訳じゃないし、いいんじゃないかな」
「俺が聞いてくる。先生はもう少し調べてみてくれ」
アーガイルはそう言うと、飛び出していった。
二
医者を乗せる許可は簡単に下り、僕らは乗客二人を乗せて、まずはハノイに向かう事にした。
客の名前は蓮雀先生と、涼清君という子どもの助手。
先生はまだ若いように見えたけど、実際はかなりの歳らしい。先祖が混血という話で、歳をとっても、見た目が若いままでいられると言っていた。
もう一人の涼清君という子どもも、実際は結構歳をとっているらしく、僕はこうも見た目が当てにならないのかと思った。
本人が、さん付けより涼清君と呼んでくれた方が慣れているというので、最初はちょっと不思議に思ったけど、言われるままにする。
彼らはとても気さくな人たちで、仲も良さそうだった。
異国の服を着ていたので聞いてみたら、生まれが北の方で知らない土地の名前だったけど、知らない土地の話はやっぱり面白い。
カロンさんも興味深そうに聞いていたけど、土地の名前は知らないと言っていた。
先生の専門は内科だって言っていたけど、たまに外科もするらしい。普通は、内科の先生が外科をする事なんて聞いた事がないから、ちょっと珍しいと思った。
一応背中を見せたけど、先生にもよく分からないらしい。まあ、上着を着ていれば殆ど分からないし、とりあえずは気にしないでおく事にする。
ハノイまで約一ヶ月。ホンコンまでさらに一週間程。急ぎの荷物でもないし、蓮雀先生もそんなに急いでいないらしいので、速度はそれ程出していない。おかげで快適な旅だ。
運転は、アーガイルとカロンさんが殆どやってくれるので、僕は蓮雀さんたちとのお喋りが多くなる。
別に体調は悪くないし、運転にも慣れておきたいと思っていたけど、アーガイルがもう暫く静養しろと五月蝿いので、仕方なく従う事にした。おかげで楽は出来るけど。
「あと半日でハノイだ。少し休憩していこう」
アーガイルが、道端に茶屋を見つけて、馬車を止める事にした。
馬車を降りると、アーガイルが真っ先にお茶を頼む。
カロンさんはコーヒーだ。僕と蓮雀さん、涼清君もお茶にした。ついでだからと、この地方でよく食べられているまんじゅうを人数分頼む。
一応、ハノイの情勢を聞いたけど、特に変わった事はないらしい。竜人族に占領されているとは聞いていたけど、目立ったことはないみたい。
ただ、ハノイからの旅人が最近減っていると、店の主人が言っていた。道が塞がれているという事はないので、偶然だろうと店の人は言っていたけど、少し気になる。アーガイルも偶然だろうと言って呑気にお茶を飲んでいる。でも、カロンさんは僕と同じでどこか心配そうだ。
「そんなに心配したところで、どうしようもないだろ。行かなきゃならないのは、同じなんだからよ」
そんな事言いながら、お茶の入った湯飲みを手を離さないところが、アーガイルらしい。
「まあ、確かにそうだが……」
相変わらず、お茶をすすりながら尻尾を振っているアーガイルに、僕はちょっと呆れてしまった。まあ、お茶好きのアーガイルにしてみれば、何時ものことだけど。
「とにかくだ、そろそろ行かないと遅れちまう。行くぞ」
アーガイルは尻尾を振るのを止め、立ち上がった。僕らも席を立つ。
「じゃあ、勘定を払ってくる」
僕もアーガイルの後を追い、馬車に向かう。
僕らの立場はいつの間にかはっきりしていた。馬車を主に運転するアーガイル。雑用をしつつ馬車の警護を行うカロン。それをまとめる僕だ。でも、まだまとめきれてないとこんな時思ってしまう。
やはり慣れていないと分からない事も多い。馬車長を示す鷲をあしらった車長章が、とても重く感じた。
僕とアーガイルが馬車の準備をしていると、上空に突然影が通り過ぎる。なんだろうと上空を見上げた。
「アーガイル、あれ」
「ん?」
近寄ってきたのは、鳥人族で同じアタランテのイラだ。イラは優雅に馬車の前に舞い降りると、カロンさんも僕たちのそばにやってきた。
「やあ、イラ。いつ見ても綺麗な着地だね」
見とれながら挨拶する。イラは軽く羽ばたくと翼を折りたたんでため息をついた。
イラの翼は赤に白が混じっており、遠くからでも近くからでも、とても美しく見える。そのためか、通りを行く人々もその翼に見とれていた。
彼もまた容姿はほぼ人に近く、翼さえなければ人族と何ら変わりはない。
「全くよく言うよ。こっちは大変だったんだからな」
そうは言いつつ、やっと見つけたという顔をして、僕らが無事な事にホッとしている様子だ。
「君らがクアラルンプールを出てすぐに、衛兵が俺たちのギルドに押し入った」
「何だって!」
アーガイルが、驚きのあまり大声を出す。
近くにいた旅人何人かが振り向いたけど、すぐに関係ないとばかりに通り過ぎていった。その間も、アーガイルの尻尾は硬直しているのが分かる。カロンさんも目つきが鋭くなっていた。
「カロン、君はスパイ容疑がかけられているようだぞ」
今度はカロンさんが驚く番だ。
「スパイ容疑だって? それはまた物騒だな」
「レンのとっさの判断で、シロンとアーガイルが、カロンに誘拐された事にしておいた」
イラの顔は真剣そのものだ。しかしその顔には、どこか笑みがあった。
「おいおい、そりゃないぜ」
アーガイルは困り果てた顔をしている。勿論、僕だってそうだ。でも、なぜそうしたかは何となく分かる。
「ギルドを守るためだね、分かった。でも、それだけを僕たちに伝えに、わざわざ飛んで来た訳じゃないよね?」
僕が何を聞き出したいのか、アーガイルにはいまいち分かっていないみたい。きょとんとした目が、それを何よりも物語っている。本当に経験豊富なのだろうかと、僕はこういう時に何時も思う。
「ハノイとの交流が取れないらしい。詳しい事は分からないが、一応気をつけた方がいいと思って伝えに来た。未確認だが、竜人族が何か大変なことをしているとの噂もある」
「おいおい、これから入るって時に、どういう事だよ!」
「こっちだって、それを聞きたい程だ。とにかく、危ないと思ったら、すぐ町を離れるように言われた。くれぐれも無理はしないでくれ」
「無理と言われてもな……何に注意すればよいか分からない」
カロンさんの言うとおりだ。
「まあ、それは君らの判断に任せるよ。客人にも被害が及ばないように注意してくれ。それと、暫くはクアラルンプールには戻れないだろうから、配達料金はそのまま生活費に使っていいらしいぞ。可能なら、自分で仕事を探した方がいいかもしれないな」
僕は素直に頷いた。しかし、アーガイルは訳が分からないといった顔をしている。
「アーガイル、経験豊富のくせに、そういう事には相変わらず疎いな」
イラは、はっきり言うので、時々言葉にトゲがあるような気がする。本人は分かっているのだろうかと何時も思ってしまう。
そう言えばイラには婚約者がいる筈だけど、こんな性格でうまくやっていけるのだろうか?
「とにかく、そういう事だ。三人とも、気をつけてな。俺たちが出来るのはこの程度だ」
「十分だよ、イラ。わざわざありがとう」
礼を言うと、イラが羽ばたく。
「それじゃあ、また生きて会おう。絶対に死ぬんじゃないぞ!」
イラは、そう言い残し飛び立っていった。僕たちは、黙ってイラを見送る。その顔には、もはや笑いは無かった。
「さて、注意しなければならないが、どうすればいいかな」
「カロンさん、何か問題でもあるの?」
僕は悔しいけど困惑するしかない。
「不安要素はいくつかある。まずはハノイを支配している竜人族が、どこの部隊かという事だ」
「そんなに重要なのか?」
今度は、アーガイルが疑問を挟んだ。アーガイルは、口を挟む事については、一級品の腕前を持っている。
「緑の肌をした竜人族なら要注意だ。奴らは血気盛んだからな。後は、部隊を誰が率いているかだ。例のアチカなら、まずい事になるかもしれない」
そう言われて、一ヶ月ほど前の、別の僕が言っていた事を思い出す。まだ記憶に生々しい。
「なるほどね」
「しかし、荷物の配達がある以上、立ち寄らなきゃならない事には変わりはないぞ」
それは、アーガイルに言われなくても分かっているつもりだ。
「とにかくだ、先を急ごう」
アーガイルにせかされて、僕らは客人を乗せ、ハノイへの道を急いだ。
三
ハノイは、城壁で囲まれた、人口五万人程の要塞都市だ。
ここにも、昔作られたらしい遺跡があるけど、クアラルンプールと同様放置されている。
大きな町には、この様な遺跡が必ずといっていい程あり、町によっては、観光名所としている所さえあるけど、ここハノイでは、朽ち果てるままになっていた。
ハノイの城門に到着すると、赤い竜人族の兵士が警備についている。
「そこの馬車、停止しろ!」
赤い竜人族の兵士が命じる。アーガイルはそれにおとなしく従った。
「まずいな。アチカが絡んでいる可能性がある」
カロンさんが、そっと耳打ちしてくれた。
「ハノイへの荷物配送です。それと食糧補給も。出来れば入りたいのですが」
僕がそう言うと、その隣にいた緑の竜人族の人と、何か小声で話している。
「荷物は何だ?」
赤い竜人族の男は、高圧的に言ってきたけど、素直に荷物のリストを渡した。
「いいだろう。しかし長期滞在はするな」
その言葉と共に、前のゲートを緑の竜人族の人が開けてくれた。
アーガイルは、ゲートが完全に開くのを確認すると、馬車をゆっくりと進ませる。ゲートを入ると、通りの各所に竜人族の姿が見えた。
「雰囲気わりぃな」
アーガイルがぼそっと言う。僕もそれには頷いた。
「大丈夫ですかね?」
蓮雀先生が心配そうに見ている。
「はっきりとは言えないですが、変な事をしない限り大丈夫だと思いますよ。先に宿にお送りしましょうか?」
先生に提案してみたら、首を振る。
「それなら別にいいですよ。あちこち立ち寄った方が不審がられると思いますし、先にお仕事済ませて下さい」
僕は快く頷いた。
「じゃあアーガイル、先に荷物を届けよう」
僕らは配達先の、市場の近くへと向かった。
市場に入ると人は殆どいなく、竜人族の兵士が大勢いる。買い物をしている人はまばらだ。その為か、殆どが開店休業状態になっているようだ。
「とんだ迷惑だな……」
またアーガイルが小声で言う。僕もそう思う。カロンさんは目線だけで、あちこちを確認しているようだった。
配達先に着くなり、オーク族の店の者が飛んで来た。
別に待っていた訳ではないらしい。ただ暇なので、少しでも何かをしないといられなかっただけのようだ。
店の者の手伝いもあり、荷物の積み出しは二時間程で終わった。僕は代金を確認して礼を言う。手元には、三人で半年程は贅沢をしなければ暮らせる資金がある。
「アーガイルには路銀は持たせられないね。時々贅沢するから」
その言葉にアーガイルは不服そうだったけど、カロンさんは笑いをかみ殺していた。
「それじゃ、宿に行くぞ!」
腹が立ったのか、ちょっとトゲのある言い方で、馬車に乗り込んだ。
最初は客人がいるという事もあるので、普通の宿に泊まる事にしようとしたのだけど、蓮雀先生が馬宿で構わないと言うので、何時もの馬宿街に向かう。
蓮雀先生も路銀は節約したいらしく、前に移動したときも馬宿に泊まったそうだ。お金の面では苦労してそうに見えないけど、この辺りはしっかりしているらしい。アーガイルにも見習って欲しいくらいだ。
馬車が大きくなった分、馬宿は若干選ばないとならないけど、それでも手頃な値段の宿を見つけて、そこに泊まる事にした。
「うーん、宿で食事にした方が良さそうだな」
カロンさんが、外の様子を見ながら言う。あちこちに竜人の兵士達がいて、とても出歩ける雰囲気ではない。
「そうだね。アーガイルもいいよね?」
僕が聞くと、素直に頷いてくれた。
「じゃあ、カロンさんの提案でいこう。蓮雀先生たちにも伝えてこなくちゃ」
僕が、隣の部屋にいる蓮雀先生の所に行こうとすると、アーガイルがそれを止めた。
「お前はもう、俺たちの頭なんだ。そんな雑用は俺に任せておけ」
アーガイルはそう言うと、部屋を出て行く。
「確かにそうだな。馬車長なんだから、もっと自信を持っていいと思うぞ。それとシロン、いい加減私に『さん』付けで呼ぶのを止めたらどうだ?」
僕は、なぜという顔をしながら、カロンさんの顔を見た。
「確かに私は竜人族の兵士だったが、今は君の下で働いている事になっている。それなら敬称を付けるのはおかしい。カロンと呼び捨てにしてくれ」
そう言われても、あからさまに年上で、しかもまだ知り合って二ヶ月も経っていないのに、とても抵抗がある。
「でないとおかしいぞ。どっちが上か分からない」
「そ、そうなのかな。分かったよ、カロン」
僕は慣れないながら、小さな声で言った。
「それに、君のもう一人の人格と言えばいいのかな? もう一人のシロン・ヤエは、私の上官だ。あの方なら、私を当然呼び捨てにする。そういうものだ」
確かに、あの時の記憶はまだ生々しい。でも、僕にはまだ考えが整理出来ていなかった。
「たしかに、君はあのヤエ中佐とは違うかもしれないが、私にとっては同じだ。最初は難しいかもしれないが、慣れてくれると嬉しい」
そこまで言われて、無視する訳にもいかなかった。
「分かったよ、カロン。でも何だか変な感じだな」
「ま、慣れるさ」
そう言って、カロンは笑ってくれた。
「よし、先生も呼んできた。飯にしよう」
アーガイルが廊下の外で待っている。隣には蓮雀先生たちもいた。
「じゃあカロン、行こうか」
廊下に出ると、アーガイルが笑っていた。
「やっと、カロンさんを卒業か」
「そ、そういう訳じゃないけど……」
「ま、早く慣れておく事だな」
アーガイルの笑いに、何だか僕は恥ずかしくなってしまった。
食堂に着いたけど、人はまばらだった。宿泊客が少ないらしい。貸し切りとまではいかないけど、かなりゆったり座れる事に代わりはないと思う。
僕らは蓮雀先生も招待して、同じテーブルで五人座る事にした。
「今日は配達でお金が出来ましたからね。今日は奢らせて下さい」
僕の言葉に、蓮雀先生はちょっと悩んでいたけど、素直に頷いてくれる。
何時もは蓮雀先生たちは別の会計で食事をしていたけど、たまには招待するのもいいと思う。
「ホンコンから先はどちらへ?」
カロンさんが興味深そうに聞いた。
「コウハイという町に向かってます。そちらに私たちの診療所がありますから」
「聞いた事のねぇ町だな」
「ここからは離れていますから。ご存じないのも、無理ないかと思いますよ」
「そうですか」
たぶん奥地の町なのだろう。この辺りでは聞いた事がない。そんな会話をしながら食事が進んでいく。
一時間程で食事も終わりテーブルの上には、酒の瓶が並んでいた。一番飲んでいたのはアーガイルだ。
「アーガイル、最近お酒の量が増えたんじゃ?」
僕は、気にしながらそっと言う。
「そうか? 俺は何時も通りだが」
そう言っているけど、明らかに酔っぱらっていた。
「では、この辺でお開きにしましょう。シロンさん、ご馳走様でした」
蓮雀先生の丁寧なお礼に、僕はちょっと照れてしまった。
僕らはすぐに部屋に戻り、明日の朝、出来るだけ早く町を出る事で一致した。
一番の理由は、トラブルに巻き込まれたくないからだ。それもあって、今日は早く寝る事にした。
「ドン!」
大きな音と共に、暗闇に光が差す。僕は何事かと思いベッドから這い出した。
「カロン・ヤエ、貴様を反逆罪で逮捕する!」
いきなり竜人の兵隊たちが押し込んでくると、カロンが三人の竜人に羽交い締めにされた。
何の事だか分からず見ていると、いきなり僕も腕をつかまれ、四人の兵隊に押さえ込まれる。
「貴様らも来てもらう。質問は無しだ!」
何の事だか分からずにいると、いきなり床に叩きつけられた。
「見せしめに服を剥いでやれ」
抵抗出来ずにいると、いきなり服を脱がされる。いつの間にか下着一枚になってしまった。
「おい、こいつを見ろ!」
僕を取り押さえていた竜人が、上の下着を切り裂いた。
「ふん、俺たちとの混血か。こいつらを、外の牢馬車に放り込め。ヤエは別にしろよ」
僕が一体何なのかと聞こうとした瞬間、猿ぐつわをはめられてしまった。声がくぐもってでない。
それと同時に、手首と首を一枚の板の枷にはめられてしまい、まともに動く事さえ出来なくなってしまう。足首にも、鎖の足枷がはめられてしまった。
アーガイルもカロンも、何の事だか分からないといった顔をしているけど、同じように手枷足枷と猿ぐつわで何も出来ないようだ。手枷足枷は、太い鉄の鎖で結ばれていた。
「一緒にいたらしい二人組はどうしますか?」
緑の竜人が聞いている。
「そいつらはいい。俺たちに与えられた命令は、この三人を連れてくる事だけだ」
青い竜人に、冷たく言い放され、どうしたら良いのかも分からない。
靴さえ脱がされた僕らは、そのまま竜人に担がれ外に出された。
外は朝日が差し、町がだんだん明るくなりかけている。僕らは太い木の格子で覆われた馬車に放り込まれると、見るからに頑丈な鍵をかけられてしまった。
「この狼と人の成りそこないを、例の牢へつれてゆけ。ヤエには色々聞きたい事がある」
馬車は僕らの意思を無視し、それぞれ別の方角へと進み始めてしまった。僕は必死に手枷足枷と猿轡を外そうと試みたが、まるでうまくいかない。
ガタガタと揺れる馬車の中でアーガイルの冷たい視線を浴びながら、僕はしきりに考えていた。そして、僕は思わず目をそらしてしまった。
そもそも、逮捕される理由が分からない。
牢馬車のため、時々通りの人がこちらを見ている。どの目も、僕たちを興味深そうに見ていた。そこには、どこか哀れみのようなものさえ感じる。
それに混じって、嘲笑うかのような目線もあった。よく見ると視線の先が少し違う気がする。僕にはそれが何だか分からなかった。
だけど、それが僕に向けられている事に気がつく。その目線は明らかに僕に向けられていた。
何だろう? この目線は。それに気がつくまで、さして時間はかからなかった。
背中の鱗だ! 僕にはショックだった。その目線は僕を混血種として見る目なのだ。一部では混血種を忌み嫌う町がある。この町がまさにそうだった。
僕はすぐに目をそむけた。だけど周囲から丸見えの牢馬車からは、視線をさえぎる事は出来ない。僕はとても恥ずかしかった。混血種族じゃないのに、何でこんなに恥ずかしい思いをしなければならないのだろう。
今まで気がつく事なんて無かった。背中だし、服を着ていれば分からない。だから誰からも言われた事もなかった。だから余計に悔しかった。
僕がどう見られているのか。混血種族じゃないのに。でもそれを伝える事は出来ない。出来たとしても、こんな体で誰が信用してくれるのだろう?
誰も信用なんかしてくれない。信用なんかしてくれる筈ないじゃないか。絶望感ばかりが漂う。
それを感じ取ったのか、アーガイルまで、哀れみの目で僕を見ていた。アーガイルまでそんな目で見ないでほしいと思う。だけど、まるで動けないし、喋れない状態では、何もする事が出来ない。
ただ俯く事しか出来ない自分が、恥ずかしかった。
混血種は、ただでさえ忌み嫌われがちなのに、竜人族との混血種と思われる。
混血種の中でも最も数の少ない部類だ。中には犬族とウェアウルフ族のように、比較的容姿の近い種族の混血種もいるけど、竜人族と人族。
こんな事になるなら、あの時死んでしまえばよかった……そんな考えが頭をよぎる。
アーガイルの目は相変わらず哀れみの目だった。
ガタンと大きな音がすると、何かの建物に入っていく。かなり大きな建物だ。よく見ると、同じような牢馬車が何台も停まっている事に気がついた。
次第に、僕たちが乗っている馬車の速度が落ちる。程なくして馬車は建物の入り口の前で停止した。
「着いたぞ、降りろ!」
竜人族の冷たい声が建物に木霊する。抵抗する術のない僕たちは、おとなしくそれに従う以外に方法がなかった。手枷足枷や鎖が重い。
建物に入ると、少しかび臭いにおいがする。そこは、巨大な倉庫を改造した牢獄だった。いくつもの牢にたくさんの人々が捕らえられている。しかも種族に関係なく牢に入れられていた。
誰もが、手械足枷をはめられたままで、中には大分衰弱している人もいる。その誰もが、新しい住人に対して哀れみの目を向けていた。
僕たちは地下にある通路に通される。ここもまた地下牢になっていた。どの部屋も薄暗く、ジメジメしていた。しかも地上の部屋よりもかび臭さが酷い。暫く進むと、少し大きめの部屋の前で止まった。
「ここが、お前たちの新しい家だ」
竜人族の言葉に僕は絶句する。中にいる人々は誰もが衰弱していた。
牢の扉が開けられると、僕とアーガイルは背中を蹴られ、押し込まれるように中に入れられる。強く蹴られたので僕は中で転がってしまった。
後ろで、牢の扉が閉められる音がする。竜人族の男は高笑いしながらその場を去っていった。
「あんたら、大丈夫か」
最初に声をかけてきたのは、扉に一番近い所にいたウェアタイガー族の男の人だ。他の人々も僕たちの周りに集まると、猿轡を外してくれた。
「ありがとうございます。ここは一体?」
そう言いながら、アーガイルの様子を見た。アーガイルも猿轡を外してもらい一息ついている。
「竜人族の連中が、急ごしらえで作った牢獄さ。あんたも災難だな」
ウェアウルフ族の男性が説明してくれる。
話を聞くと、ハノイが占領され、すぐに作られた牢獄だという事が分かった。
もっと悪い事に、食事は一日一回。それも食べ物とは思えないようなカス。飲み物も最低限しか与えられず、まれに呼び出されては『指導』と称して、様々な拷問を与えられるという事だった。
これを聞いた僕たちは絶望してしまう。
「ここから抜け出す方法はないのですか?」
たまらず僕は聞いた。
「死ぬ以外に、今のところないな。すまない、役に立てなくて」
話してくれたウェアウルフ族の男性は、すまなそうに答える。僕とアーガイルは互いに見つめあい、ため息をついた。
「カロン、あいつは大丈夫かな?」
アーガイルがカロンの事を心配しているのに、僕は少し驚いた。彼は竜人族だ。ここまで酷い仕打ちは受けないと思う。それに、もしカロンが無事なら何か方法があるかもしれない。
「シロン、無駄な事は考えないほうがいいと思うぞ。確かにあいつは竜人族だ。しかし、スパイ罪で逮捕されたんだ。元であっても、軍人がスパイ罪で逮捕されれば、死刑確定だ」
僕は愕然とする。いくら自分が知らなかったとはいえ、カロンが死刑? そんな馬鹿な。
「ここにいる人々は、竜人族に対して別に反乱を起こしたとか、そういう事は無いんです。ただ、占領政策にすこし不平を言ったりしただけで、ここに入れられた人が大半で……」
そう教えてくれたのは、人族の女性だ。服はぼろぼろで、全身に傷がある。これが拷問の実態なのだろうか。僕の不安は高まる。
「でも、こんな事聞いていないですよ?」
たまらず言うと、先ほどの女性が答えてくれた。
「それはそうですよ。連中に従ってさえいれば、何の問題もありません。そして外に出ているのは、そういった事情を知らない人々だけです。少しでもこの事を知れば、町から出られなくなるか、最悪ここに収容されますから」
隣にいたウェアウルフ族の男性は、大分弱っているようだった。よく見ると彼もあちこちに傷がある。
「とにかく、ここでもそうですが彼らに反抗しない事です。そうすれば私のようにならずに済みますから」
やはりそうだ。彼は竜人族から拷問を受けているんだ。
彼の傷を見た僕はゾッとした。ウェアウルフ族は、全身が毛で覆われている。なのに生傷が見え隠れするという事は、あの毛の下は、もっと酷い事になっているという事だ。
「俺は竜人族との付き合いが長い。しかしこんな事をする竜人族は初めてだ。俺の知っている竜人族はいい奴が山ほどいるのに、こんな事をしたら、誰からも信用されなくなる……」
牛頭族の男の人の言葉に僕も同意したかった。カロンが何よりの証明だ。カロンが悪い人物にはどうしても思えなかった。
しかし、この有様を見れば、とてもじゃないがそんな事は言える筈もなかった。
四
私は一人牢獄に閉じ込められていた。
少なくとも、この牢獄には私以外の人物がいない事だけは確かだ。
窓から明かりは差していたが、お世辞にも良い部屋とは言えない。牢獄だから良い部屋という表現もおかしいなと思いながら、どうにかこの窮地から脱出する方法を考えていた。
猿ぐつわこそ外されたが、未だに手枷足枷のままで、ろくに動く事も出来ない。
それに、牢の鉄格子の反対にある壁に、金属の鎖でつながれていた。当然外せる訳もない。
二日間、食事どころか水も与えられず、精神的にも衰弱し始めていた。
「久しぶりだな、ヤエ」
いつの間にか、私の前に青い竜人がいる。黒い指揮官服に身を包んだ彼を見て、私は牢の鉄格子に飛びついた。縛っている鎖が伸びて重い。
「アチカ!」
「二年ぶりといったところか。元気そうで何よりだ」
「裏切り者が!」
出せるだけ大きな声を出したつもりだが、それでも何時もの半分も出せていない。
「君には、ここで死んでもらうよ。どうだ、出る事も出来なく、手足の自由を奪われた感想は?」
冷たく言い放つアチカに、声も出ない。
「君みたいな熱血漢は困るんだ。あの時も、作戦を台無しにさせられる所だったからな」
それを聞いて、ナハ中佐がいなくなった後の事を思い出す。
あの後部隊が混乱し、その後崖の上と後ろから攻撃され、部隊の三分の二を失った。私はその責任を問われ、軍から追放になった。
「なぜこんな事を……」
「簡単な事だよ。人族に従う必要はない。本国は完全に我々の仲間が掌握したと連絡を受けている。この大陸にある鉱物資源は貴重だ。下等な人間や、他の種族に与える必要など無い。竜王もそうお望みだ」
唖然としてしまった。一体本国で何が起きているのかと思う。そしてアチカの手の上で踊らされていた自分を呪った。
「そうそう、君の仲間だが、生きていれば、今頃鞭打ちになっているだろうな。死んで構わなかったから、地下牢に入れてやった。一週間と生き延びた者はまだいない」
その言葉に絶句する。
「まあ、ゆっくりしていきたまえ。他に行く所も無いようだしな」
アチカはその言葉を残して、牢の前から去っていった。
「次はお前だ、こっちに来い」
こっちに来いと言われても、僕は動ける体力の殆どを失っていた。アーガイルも暫く前から声が無い。
アーガイルだけではなく、牢に入れられている他の人々も、声を発する者はいなかった。それに、どこからか腐臭すらする。
引きずられるように牢から出されると、個室に入れられる。薄暗い部屋で、壁はかなり汚れていた。その汚れの殆どは血の色だ。
「こいつが、俺たち竜人族と一緒にいたって奴か」
冷たい声が部屋に響く。初めて聞く声だけど、同じような会話は前にも聞いた。その結果も知っている。
「背中を見て下さい。我々との混血ですよ。一体どこの馬鹿ですかね。人族なんかと結婚した奴は」
赤い竜人の兵士は、見下すように僕を見ている。
「我々の質問に答えるつもりは無いようです。このまま続ける事に、意味があるのでしょうか?」
緑の竜人が、僕の顎に手を当て、僕の顎を上に引き上げながら言う。
「いいではないか。我々にはまだ時間がある」
いつの間にか、僕は手枷のまま天井から宙吊りにされていた。
すると、足枷も地面に繋がれ、互いが引っ張り合い全身に痛みが走る。
「お前の仲間の人狼は、すぐに気絶したが、お前はどの程度楽しませてくれるかな?」
そう言うと、隣にいる青い竜人族が何か道具を取り出す。冷たい金属が顔に当たるのが分かった。それと同時に、何か生温かいものが顔から出て行くのも分かる。
「では始めようか」
鋭い音と共に、背中に痛みが走る。すでに何度もされて背中は赤く腫れていたが、鞭で打たれたのだ。
「喋れば、少しは楽な方法にしてやるぞ」
そう言われても、喋る体力すらない。
「強情な奴ですね。私もいいですか?」
そばで声がした。瞬間、腹に激痛が走る。口から血を吐いてしまった。緑の竜人が僕の腹に拳を当てていた。
「サンドバッグにしては柔らかいぞ。まあ、君がそういう趣味なら私は構わないが」
笑い声が聞こえる。そしてすぐにまた、鞭で背中を打たれた。
「まあ、立派な鬣だよな。こんな鬣はそうそうはない」
背中を触られる感触がする。鞭で打たれた所に触れられ、激痛が走るが、呻き声しか出ない。
「ま、もう少し楽しませてもらおうか」
僕の背中に、また激痛が走った。
五
「一体どういう事だ、ここから出せ!」
何度か同じ事を言っているが、一向に何の反応もない。それどころか、人の気配すら感じられなかった。せめて聴取程度あるものだと思っていたが、それもなく、ただ牢に閉じ込められている。不安だけが次第に募ってゆく。
アチカと会って以来、誰とも会っていない。
「一体どうなっているんだ!」
か細い声だけが牢に木霊する。
唯一ある窓も、頭上のはるか上だ。その窓も鉄格子で、人が通れるような隙間がある訳ではなかった。
鉄格子や窓を見るたびに、心に絶望感が漂う。
何より牢に入れられてから、まだ一度も食事にすらありつけていなかった。飢えさせてからゆっくり拷問するのかと、悪い考えばかりが頭をよぎる。せめて水をと、何度思った事か分からない。
アチカは、本当にここで餓死させるつもりなのかと思い始めていた。
一体どれほどの時が過ぎたのだろうか。空腹と喉の渇きに耐えながら、誰かが来るのをひたすら待つ。
飲まず食わずで少なくとも七日は経過している事は分かっていたが、次第に時間の経過の感覚が無くなってきている。
明らかに危険な兆候である事は自分でも分かった。時間の感覚どころか、生きている感覚すら失いつつあった。空腹も、喉の渇きもかなり限界に近い。
そんな時、遠くから微かな足音が聞こえる。衰弱のため、声すらまともに出す事も出来ない。その人物が牢の前にいる事に気がついたのも、少し時間が経ってからだった。
「遅くなりました。助けに来ました」
女性の声という事は分かるが、どのような人物かよく分からない。何か物音がし、牢の扉が開くのが分かった。
「とりあえず水を飲んで下さい。今はこれだけしかないんです。それに時間もありませんし」
女性が口に水を流し込む。私は一気に飲み干した。水分を取れた所為か、幾分気分が良くなる。次第に視界も良くなり、ウェアウルフ族の女性だという事が分かった。
「少しは、気分が良くなりましたか?」
「ああ、ありがとう。君は……」
「それよりも、とりあえずはここから出ましょう。まだここは安全とはいえません」
安全とは言えない? どういう事かと考えた。
しかし食事をまともにとっていないためか、考えがまとまらない事には苛つく。
女性の後についていく。足取りが重く、廊下がとても長く感じる。食事を摂っていない所為もあり、実際殆どふらついていた。
それでも何とか外に出ると、すぐに様子がおかしい事に気がついた。
来たときにいた兵士が誰もいなかった。相変わらず住民の姿も見えないが、どこを見ても兵士の姿がない。大通りさえ兵士の姿は見なかった。
「何があったんだ?」
「人族が攻めてきたんです。とにかくここは安全ではありません。辛いかも知れませんが、ついてきて下さい」
実際のところついて行くのがやっとで、それ以上喋る事など出来なかった。
何とか女性の後をつけ、一軒の小さな倉庫に入る。ついた頃には空腹と疲労で今にも倒れる思いだ。
倉庫の中を見渡すと、ウェアウルフ族の集団がいた。数にして三十程。誰もが疲労しているのは明らかだが、同時に刺すような目線を感じる。
「彼か」
奥の方から声がする。明かりを消しているので顔などは見えないが、声で男という事だけは分かった。
「はい、間違いないと思います。彼しかいませんでしたし」
「なら間違いないな。話せるか?」
暗闇から出てきたのは、女と同じウェアウルフ族の男だ。一瞬誰かに似ていると思ったが、誰だか思い出せない。
かなりがっしりした体格で、力もありそうだった。しかし、顔には疲労の色が見える。それでも、白銀に近い毛は美しかった。一体何があったのだろうか……。
今は、それよりも食べ物が欲しかった。何日も食べていないため、まともに声を出す事も難しい。何より、先ほどの移動で、かなりの体力を消耗してしまった。
「安心したまえ。今は君に危害を与えるつもりはない。君が協力してくれればの話だが。何か欲しいものはあるか」
「た、食べ物を……」
必死の思いで食べ物を要求する。飢えもそろそろ我慢の限界に来ていた。
「何か食べやすいものを用意してやれ」
すぐに、別のウェアウルフ族が食べ物を持ってくる。しかしその顔は怪訝そうだ。
「竜人族じゃないですか。本当にこんなのを助けて、良かったんですか?」
食べ物を持ってきた者は、明らかに不快な声で言う。
「彼は、同じ竜人族に投獄されていたんだ。彼が自覚していれば、我々の立場も分かるだろう。もしもの時は我々の手で始末すればいい。それに見たまえ。抵抗出来る体力もないようだ。我々には不利になる要素はない」
不利になる要素はない……食事を貪り食いながら不快に思う。しかし、あのままでは確実に飢え死にしていた筈だ。
所詮私も一つの駒なのか……何が起きているのかも分からず、気ばかりが焦ってしまう。
「気分はどうかな? ところで名前を聞きたいんだが」
まとめ役と思われるウェアウルフ族の男が聞いてくる。明らかに命令口調で拒否出来る状況ではない。
「カロン・ヤエ。元軍人だ。一体ここは何処なんだ?」
口の周囲を拭きつつ見渡した。周囲の目は冷たいまま。今の状態では何をされても抵抗出来ない。
何より体力が弱り過ぎている。背筋に寒気が走るのを覚えた。
「元軍人か……ここを占領していた連中とは違うようだな。他の仲間はどうした?」
まとめ役の隣の男が聞く。明らかに、竜人族を嫌っている声だ。
「悪く思わないでくれ。あんたを信用したいのだが、占領中の事があるからな。はっきり言わせてもらうが、素直に信用出来ない。しかし今は君の力が必要だ」
更におかゆのような食事が出される。今は、それを食べられるだけでも幸せに感じた。
「安心したまえ。ここがどこかは今は教えられないが、君が信用出来る人物と分かればすぐに教えよう」
再びまとめ役の男が話す。立場をはっきりさせてくれるとは、ありがたいと思った。こちらからも聞きたい事がある。
「私の名前はオク。ここのボスだ。君は、なぜ嫌われているのか疑問なのだろう?」
「ああ。君らが信用してくれるかどうかは分からないが、私は占領には関わっていない。後からこの町に入った後、スパイ容疑で逮捕された。その後は牢獄にいて何も知らない。だからなぜ嫌われるのかも分からない――違うな。分からないかもしれない、だ」
「心当たりがあるとでも?」
オクが怪訝な顔で聞く。
「この町を占領していたのは、アチカという人物が指揮する部隊だ。奴の事だから、かなり酷い事をしているとは想像がつく」
私は、一息ため息をついた。
「恐らく、君らが怒っているのはその所為なのではないかと想像出来る。しかし現状を見ていない私には、これ以上の事は言えない」
周囲がざわめく。思ったとおりだった。アチカめ、大陸で好き勝手やっていやがる。
これで私まで迷惑をかけられたのではたまったものではない。周囲を見渡して、自分の身がかなり危険な事に気がついた。今にも襲い掛かってきそうな人物が何人もいる。
「では、我々が受けた事を、君は知らないというのだな?」
「ああ。もし疑問に思うなら、好きなように尋問すればいい。どうせここから抜け出せる体力もない。君らにとっては尋問も楽な筈だ。それとも拷問でもするのか?」
実際拷問どころか、ちょっとした尋問でさえ耐えられる自信はなかった。いくら先ほど食事にありつけたとはいえ、長い間飲まず食わずでは、喋るのがやっとだ。あまりに体力を消耗し過ぎていた。
「あんたらの仲間の所為で、うちの亭主は!」
「てめぇ、この蜥蜴野郎! 知らない事をいい事に、好き勝手言いやがって!」
「こんな奴殺しちまえ!」
周囲から怒号が飛び交う。
蜥蜴野郎と言われ、一体どのような仕打ちを彼らが受けたのか考える。竜人族にとって『蜥蜴』や『蛇』と言われるのは、人族に『猿』と言ったりウェアウルフ族に人族が『人狼』と言うのと同じで、強い蔑視の意味が込められている。
ここで殺されてしまうのだろうか? ふと、そんな考えがよぎった。しかし今はもう抵抗する事は出来ない。
「みんな落ち着け。わざわざ、自分が元軍人だと名乗る男が、早々嘘をつくとは思えない。私だって軍にいた事はあるからな。それにかなり弱っているようだ。尋問せずとも、知っている事は何でも話してくれるだろう」
オクが間に入る。一瞬にして騒ぎは収まった。それでも、すすり泣く声は聞こえる。多分、最初に大声を出した女性だ。
この男、一体どのような人物なのだろう。一瞬でこれだけの人数をまとめられる力量は、見事なものだと思う。
「では、単刀直入に聞かせてもらうよ。ここに君が来るときに、仲間がいた筈だな」
「ああ。しかし、竜人族ではない。人族とウェアウルフ族だ。私は任務を帯びて、ある人物の捜索をしてた。あなた方に危害を加えるつもりは一切無い」
「居場所は?」
「分からない。でも連中の事だ。この町の見取り図を用意してくれれば、いくつか該当しそうな施設を提示出来ると思う」
といっても、簡単に見せてくれるのだろうか? 確かに逃げる事は出来ないにしても、地図は敵に見せるには危険な代物だ。
「彼らが生きていると思うか?」
「それは分からない。見ての通り、同じ竜人族の私でさえ、この有様だ。どのような状況かは、行ってみなければ」
奥のほうで、何人かの女性がすすり泣く声が聞こえる。恐らく親族が捕らえられてしまったのだろう。しかも罪などない人物であることは想像出来る。
こんな状況だ。もしこのオクという人物がいなければ、私は間違いなく八つ裂きにされているに違いないと思う。
「君は、なかなか正直なようだ。まだ何か必要かな?」
「出来れば、食べ物よりも飲み物が欲しい。長い間、食事を取れなかった所為で、食事が喉を通らないんだ」
正直に答える。こんな時は正直に答える事だ。特に自分が一方的に不利なときは。
「ミルクか何か、少し栄養のある飲み物を用意してやれ」
オクの隣の人物が指示をする。程なくミルクが運ばれてきた。一気に飲み干す。少し生き返ったような気がした。
「時間の感覚がおかしいのでなんとも言えないが、恐らく私がここの町に来たのは七日程前だ」
あの時の状況を思い出しながら話す。今思い出してもまるで悪夢だ。
「しかし、ここの町に到着してその夜に拘束されてしまい、しかも別々にされてしまった。正直彼らがどうなっているのか気になるが、今の私には彼らを探す手がかりもない」
そう。手がかりが無いのだ。ハノイは比較的大きな町だ。手がかり無しでは探す事など出来る筈もなかった。
「気休めかもしれないが……私よりも状況は良いかもしれない。私はスパイという事で捕まった。しかし君らの仲間は、恐らく違う罪状で捕まったのだと思う。ならば、まだ望みはあるかもしれない」
実際気休めだった。それに、たとえ彼らの仲間が無事だったとしても、シロンたちは無事ではないかもしれない。私と同じスパイ罪で捕まった筈なのだから。
「では、私から一つ良いニュースを教えよう。君らの乗ってきた馬車は無事だ。荷物のいくつかは荒らされていたようだが、安全な所に避難させてある。もし君の仲間が生きていれば、すぐに逃げる事が出来る筈だ」
私は微笑した。まだチャンスはある。彼らに必要な情報さえ与えれば、比較的安全にこの町を出る事も可能かもしれない。
「私から一つ聞きたい。一体何が起きているんだ? 占領した竜人族はどこへ?」
一瞬、周囲が静まり返る。
「人族が奪還作戦で大規模な作戦を計画している。しかも、ここを占領している竜人族に投降させるつもりはないらしい。まあおかげで竜人族の連中は縮み上がっているが」
オクの顔に、薄ら笑いが浮かんだ。竜人族に対する怒りから来る笑いだろか。
「ここを奪還する軍は、西の帝国アラブの息のかかった軍だ。竜人族にはかなり厳しいだろうな」
「?」
「君がどこまで知っているかは知らないが、アラブは竜人差別が特に酷い国だ。君などすぐさま八つ裂きにされるだろう。良くて串刺し刑だな。君が協力してくれるなら、一緒に脱出してやってもいい」
なんという事だろう……彼らのほうが一枚上手だ。状況的にも協力せざるを得ないではないか。
「分かった。出来るだけ協力しよう。しかし私も馬鹿ではない。出来るなら、ここから脱出する際に私の仲間も連れて行ってもらえないだろうか。本当なら旅人を連れ、別の町に行く予定だった。しかしこのままでは行く宛もない」
オクは考えている。答えはどっちだ。どちらにしても、シロンたちが生きていなければ、どうしようもない事だが。
「いいだろう。脱出までは行動を共にしてもいい。しかし、その後は自分たちで何とかしてくれ。そこまでは面倒を見る事は出来ない」
「それで十分だ、感謝する。で、この町の地図を見せてくれないだろうか。いくら体が弱っているとはいえ、地図程度なら十分見る事は出来る」
「ああ、勿論だとも。少し待ってくれ」
待たされている間、もう一杯のミルクを持ってきてくれた。それ程量は多くないが、今は栄養さえ取れれば何とかなる。
むしろ心配なのは、シロンたちだ。彼らは一体どこに運ばれたのだろう? 恐らくは監視のしやすい牢獄か倉庫だと思うが、地図がなければその位置も分からない。
暫く待っていると、何枚かの地図が用意された。薄明かりの中では少々見難かったが、贅沢を言える状況ではない。
「牢獄か倉庫のような物で、監視のしやすい場所を選んだ筈だ。どの程度の人数が監禁されているか分かれば、特定しやすいが……」
「正確な数は分からない。何しろ町の住民が、あちこちで逮捕されてしまっている程だからな」
「ならば、一つや二つではない筈だ。恐らく、複数の施設に閉じ込められているのだろう……生きていればの話だが」
その言葉に、全員が沈黙する。悪気があって言っている訳ではないが、町中の人間が大量に行方不明となると、その可能性を示唆せざるを得ない。それは同時に、シロンたちにも当てはまる事だ。
言ってしまってから、正直まずいとは思ったが、しかし何も知らずに最悪の事態を迎えるより、心構えがあったほうがまだショックは少ない筈だ。軍ではそう教わった。そう、自分にとってもショックは少ない筈。
「君の仲間も、すでに死んでいるかもしれないと?」
当然のようにオクが聞いてくる。当たり前だ。聞いてこない方がおかしい。
「残念だがそれも考慮している。私が逮捕されて、正確に何日経っているのか分からないが、食事も水も同じように与えられていなければ、相当弱っているか、死んでいるかを考えざるを得ない。実際、私がこうやって生きているのが、今思えば不思議な程だ」
彼らには、どう感謝すべきなのだろう? ふと疑問に思った。
やはり、生存している状態で見つける事が一番なんだろう。しかし、私に出来るだろうか? だが今はやるしかない。
「もし閉じ込めるとしたら簡単に牢獄に出来る施設を選んだ筈だ。そういった施設はないか」
全員が考えている。一つではない筈なのだから候補はいくらでもあった方がいい。しかし、そのどれにシロンたちはいるのだろうか。
「蜥蜴どもが使っている建物の近くに、昔ワイン倉庫として使っていた建物があります。今は普通の倉庫になっている筈ですが、そこならかなり広い施設です」
後ろの方で女性の声がする。さっきまで泣いていた女性のようだ。さすがに安否となると真剣になるのか。しかし、もしその安否が否定的なものだったら、この女性はどうなってしまうのだろう。
それよりも、彼らは自分たちで捜索しなかったのだろうか。疑問に思う。
「まずはそこだな。警備の方はどうなっていた?」
オクの反応は早い。状況を考えれば当然だが、実際にはなかなか出来る事ではない。それは私自身がよく知っていた。そう、あのときの戦いのように……。
「前見た限り警備はいなくなっています。あそこは最も警備が厳重でしたので可能性はありますね」
オクの側近なのだろう。返答が素早いし情報も的確だ。
「一つ聞きたいのだが、自分たちで捜索しなかったのか」
すぐに、それが愚問だという事が伝わってきた。見る目がどれも厳しい。
「君は知らなかったのなら仕方ないな。我々がこうやって集まる事が出来たのは、昨日の事だ。それまでは、外に出る事すら難しかった」
一体どのような占領政策が行われたのだろう。最後にハノイを訪れてから五ヶ月ほど。あの時は一人だったが、平穏な町だった。
それに占領されて二ヶ月程しか経っていないと聞いている。それまで、外出も出来ないほどの状況というのが理解し難い。
私の疑問をよそに、話が続けられた。
「後は町の南側に倉庫街がありますが、あそこも警備が厳重でした。あそこなら、沢山の人を収容出来ると思います」
今度は男性の声だ。まだ若い。恋人が捕らえられたのだろうか?
「他に、知っている者はいるか?」
オクの質問に沈黙が返る。
「刑務所のような施設があるんじゃないのか? これだけの町だ。一つはあってもいいと思うが」
「そこは調査済みなのだよ。しかし、再度調査はしてみてもいいかもしれないな。もしかしたら、移送されている可能性もある」
全員が頷く。多分その可能性は無いだろう。アチカはそんな面倒な事はしない。下手をすれば、拷問で殺す筈だ。
しかし、彼らの希望をこれ以上奪うのもばかげている。今は黙っておくべきだ。
「カロン君、竜人族について注意すべき点はあるかな? 君なら我々が知らない事を知っている筈だ」
暫く考えてみる。オクは勘の鋭い男だ。下手な事は言えないだろう。言葉を慎重に選ぶべきだ。
「正直に言ってアチカがどの程度の事をしたのかが分からないので、答えようがない。すまない」
「では一つ聞きたい。君はなぜ捕まったのだ。元軍人で竜人族だろう?」
痛い所をつかれたと思う。
「奴は、昔我々の部隊を囮にはめたんだ。冷酷な奴で味方にでさえ冷たい」
「分かった。みんな、聞いての通りだ。日が暮れてから各班に分かれて捜索を開始する」
全員が一斉に立ち上がった。オクが指示を次々に飛ばす。
ウェアウルフ族にもこのような男がいるのか。敵にはしたくない。昔戦った、敵のレンという総大将のことを思い出す。
「全員武器を忘れるなよ!」
私はハッとした。彼らが持っている武器は、すべて銃なのだ。一体これだけの量の銃をどこから手に入れたのだろう……軍でも、銃を見た事などまず無い。かなり貴重品の筈だ。
「カロン君、驚いているようだね。そう、これは全て拳銃だ。弾も十分にある。ただ一つ付け加えておこう。我々は戦争をしたいんじゃない。仲間を取り戻したいだけだ」
それに、どう答えてよいのか分からなかった。
「君は、私と一緒に来てくれ。元ワイン倉庫に向かう事にする」
無論、私に拒否出来る筈もなかった。
日が落ち始めると、各グループに分かれて、それぞれが行動し始める。
軽い食事も摂る事が出来たので、少しだが元気を取り戻した。
今は一人地図を見ている。シロンたちはどこに捕らえられているのだろうか……。
「仲間の事が気になるのか?」
いつの間にかオクが隣にいた。一体いつから隣にいたのだろう。
「悪いな、驚かせてしまったようだ。そのようなつもりではなかったのだが」
「いや、私も少し気が抜けているようだ。あなたの所為ではないよ」
再び地図を睨む。確かに元ワイン倉庫といわれる施設は大きく、なにより竜人族が占拠しているという建物に近かった。
竜人族が占拠している? 自分も竜人族ではないか。ふと、そんな事を考えると、なんだか気まずい思いがする。
ここにいる彼ら全員が、私を信頼していない事は分かる。
しかし私が正しいと思う事をしなければ、余計に竜人族を危機に陥れる事になってしまうではないか。
せめて何の関係も無い人々を救う事が、今私に課せられた使命だ。ならばそれを行うまで……。
「覚悟が出来たようだな。しかし、それ程思い詰める必要は無い。我々の目的は、竜人族と戦う事ではなく、仲間の奪還だ」
黙って頷く事にした。今はそれに集中しよう。多くを追い求め過ぎれば、何も得る事が出来なくなってしまう。
「私は、何よりも一緒にいた仲間を無事助け出したい。それが、結果的にあなた方の仲間を助ける事に繋がったとしてもだ。悪く思わないでくれ」
あまりよい言い方ではないと思いつつも、他に何と言ってよいのか分からなかった。
「それは分かっているよ。さて、そろそろ行動に出ようか」
「ああ、いいとも」
私はゆっくり立ち上がると、周囲を見渡した。全員が険しい顔をしている。これから行う事を考えれば当然だろう。
それに、残されたのは、力の弱い者が多いようだ。まあ当然かもしれない。
オクは、次々と各班に行き先を告げてゆく。黙ってそれを見守っていた。
「よし、これより行動に移る。全員気をつけろよ」
その言葉を合図に、それぞれが散り散りに去ってゆく。
オクのそばには、三人だけ残っていた。自分を含めても四人。これだけの人数で、大きな倉庫を捜索出来るのだろうか。不安がよぎる。
「さあ、我々も行こうか」
我々は暗闇の中に消えていった。
倉庫に近づくと何か異様なものを感じた。オクはしきりに辺りを警戒していたし、他の二人も拳銃を片手に慎重に足を運んでいる。
人影は全くないが、人の気配ははっきりする。なぜするのか分からない。
最初は警備の目かと思ったが、それが酷い悪臭である事が分かった。
しかもその悪臭は、倉庫に近づくにつれどんどん酷くなる。悪臭の正体が何か分からず、どうしたものかと思ってしまう。
「腐臭だな」
オクが静かに発した声に、私は思わず立ち止まってしまった。確かに言われてみれば、何かが腐ったような臭いだ。何が腐った臭いか分かった瞬間、足が止まってしまった。
「気がついたな。これは明らかに死臭だ。少し手遅れだったのかもしれない」
オクの言葉の奥に、怒りがあるのはすぐに分かった。しかし、私に何が出来るのだろう?
「とにかく今は急ごう。まだ生きている人々がいるかもしれない」
絶望感が漂うが、今はシロンたちが生きている事だけを考える事にしようと思う。
しかし、この状況下では、絶望感だけが先行してしまう。死臭の中にシロンたちがいると思うだけでゾッとした。
「分かった」
私には、それ以外の言葉を思いつく事が出来なかった。
「見張りはいませんね」
隣にいた男が鼻を押さえながら周囲を確認する。私でさえ鼻を押さえたい程だから、嗅覚がよいといわれているウェアウルフ族には、どれほど臭うのだろう?
確かに明かりはついているが、警備と思われるような人影は見当たらなかった。警備どころか、町の人さえ見かけない。明らかに異常な光景だ。
「我々には都合がいい。とにかく、生存者を早く見つけよう」
オクの言葉に、我々の足が早まる。
しかし、近づくにつれ強烈な死臭の中、本当に生存者がいるのか疑問に思えてきた。あまりに腐臭が酷く、近づく事さえ容易で無いと思えたからだ。
時折カラスだろうか? 鳥の鳴き声が聞こえていた。暗闇で、それが余計に不気味さを増す。
「一体、中はどうなっているんだ……」
一緒に来た男が、たまらず鼻を押さえている。私も耐えられず鼻を押さえた。それでなければ、到底近づく事が出来ない。
建物の入り口に来ると、その異様さが目に飛び込んできた。
松明やランプで照らされた建物の外側からは、垂れ下がった手や足が窓から飛び出ている。それはまるでこの世のものとは思えない光景だ。
「くそ、遅過ぎたのか」
オクが悔しそうに声を漏らす。その思いは私も同じだ。
「とにかく、中へ入ってみよう」
鼻を必死に押さえながら、我々は先に中へ入っていった。
臭いのためだろうか、どこにも兵士の姿は見えない。それ故、照らされた建物は、余計に恐ろしく見える。
建物に入ると、中には広場のようなものがあった。
そこには、目を覆うような光景が広がっていた。
幾人もの人々が惨殺され、放置された状態で山のように積まれていた。遺体の周りでは鳥が死体をあさっているようだ。内臓がむき出しになったり、頭が原形をとどめないほど滅茶苦茶になっている遺体もあった。
そこには生命の痕跡は無い。死が広場を占領しているといえばよいのだろうか。
私たちはたまらず目をそむけたが、壁沿いにも遺体の山が築かれていた。
「なんて酷い事を……」
オクの言葉の奥に、怒りがある事は間違いなく分かった。これが、私と同じ竜人族がした事かと思うと、いたたまれなく目を閉じる。しかし何時までもそうしている訳にはいかない。
「とにかく、生存者を探そう」
私の声と同時に、手分けして生存者を探す。
遺体はどれも酷く傷ついており、死後も傷つけられた形跡があった。思わず遺体のそばに吐瀉してしまう。しかし、そこにも惨殺された遺体があった。思わず目を背ける。
たとえ遺体とはいえ、自分がしてしまった事に後悔してしまった。
「大丈夫か?」
一緒に来た一人が、鼻と口を押さえながら近寄ってくる。
「あ、ああ。しかし……酷過ぎる。私と同じ竜人族がやったとは思えない」
目には涙が溢れていた。一体なぜこのような事になったのか疑問に思う。
目の前にある死体の山を見て、ただ呆然と立ち尽くしているしか出来なかった。
「生存者は絶対にいる筈だ! なんとしても見つけ出そう」
オクの言葉に我に返ると、辺りを見渡す。本当に、生存者などいるのかと思ってしまう。
「来てくれ、生きてるぞ!」
そんな思いを断ち切るかのように、男の声が木霊した。私は声の方へ駆け寄った。
「彼だ。かなり傷を負っているが、まだ生きている」
牛頭族の男性だ。確かに傷は深いようだったが、確実に息をしていた。
「おい、聞こえるか」
オクがやさしく、しかし力強く問いかける。しかし男の目は虚ろだ。生気も無い。
一緒に来た男が、応急治療セットを取り出すと、傷口に止血剤を塗った。一瞬呻いたが、それに構っている訳にもいかない。
「な……中」
微かだが、声を発したのを聞き逃す筈もなかった。
「中に何かあるのか?」
オクが介抱しながら問いかける。
「生きて……いる」
それは、私たちにとって朗報だった。少なくとも、この男が生きている間は生存者がいた可能性があるという事だ。
オクは介抱を仲間の一人にゆだねると、一番近い入り口に走って行く。私もそれに続く。
「他にも絶対にいる筈だ。なんとしても生存者を探し出すぞ!」
オクは正面のドアを蹴破ると、建物の中へ入ってゆく。中も死臭が立ち込めていた。
「くぅ、中はさらに酷いな……」
私は、たまらず強く鼻を押さえる。実際建物の中は外よりもはるかに酷い臭いがした。
空気が入れ替わらないためかもしれないが、窓と呼べるような物が殆ど無い建物で、空気の入れ替えなど出来る訳も無い。
「手分けして探そう。今は、生存者を優先すべきだ」
オクの言葉に、私ともう一人が頷き、それぞれ通路に散ってゆく。私は一番近いドアに向かっていった。
ドアを開けると、地下に通じる通路がある。相変わらずここも死臭が立ち込めていた。地下のためか、余計に臭いがきつく感じる。
「誰か、生きている者はいないか!」
叫んでみたが返事は無い。ハッとした。もし食事がまともに与えられていなければ、声も出せないのではないか?
自分が置かれていた状況を思い出し、地下の通路へ一歩一歩足を踏み入れる。そこはまるで、地獄の入り口のように思えた。
「くそ、誰か生きていないか!」
通路中に響き渡る声を出しながら、奥へと進んでゆく。静寂に包まれたその通路は、まるで死の世界だ。
手持ちのランプで奥を照らすと、階段の終わりが見える。さらにその奥に鉄格子のような物が見えた。
しかし死臭が酷く先に行くのを躊躇ってしまう。一度後ろを見るが誰もいない。このまま戻ってしまおうかと思う。
「ここまで来て、引き返す訳にもいかないか……」
本当は、この先の状況が想像出来るだけに、先には進みたくなかった。しかし覚悟を決め一歩ずつ進む。当然、その足取りは重い。
「この状況で、本当に生存者などいるのか……」
階段の終わりまで来て、私は絶句してしまった。
そこには、おびただしい数の人が倒れていたからだ。
何人かの体には剣で斬られたり、刺されたような跡もあった。そして、当然のように、そこには血が滲み出ていた。
床には血溜まりが出来ており、それはまるで血の池のようだ。
「くそっ」
一番近い牢の扉を押すと、扉は簡単に開いた。
斬られている人の腕を取ると、すでに冷たくなっている。念のため呼びかけてみたが、やはり反応はない。
「だめか……」
何人か同じように触れてみるが、絶望感だけが押し寄せてくる。酷い腐臭の中どうすればよいのか、呆然としてしまう。
暫く立ちすくんでいると、何か物音がした気がした。よく耳を澄ませば喘ぎ声のようにも聞こえる。
慎重にその声の方に向かうと、折り重なった遺体の中で動く手があった。
すぐさま遺体を退かすと、動いている主を見つける。人族の男性だった。
「こ……殺さないでくれ」
一瞬、どう反応してよいのか分からなくなる。
明らかに私を見て男性は震えていた。恐らく、竜人族が虐殺を行ったのだろう。それで私を恐れているのだと分かるが、自分は助けに来たとなかなか口に出せない。
「一体どうすれば……」
私は、再び立ちすくんでしまった。
僕は、通路の入り口の方で物音がしたのに気がついた。誰かいるのは分かるけど、それが一体誰なのか分からない。
何より今は竜人族が怖くてたまらない。
腹にある、剣で刺された傷からは、まだ血が出ているようで、声を出すのも辛かった。
当然動く事など出来る状況ではない。それに、体中に他の人の血がついている感触がある。
連日、取調べという名の拷問を受けた挙句に、二日前に急に竜人族の集団が押し入り、牢獄の中にいる人々を、次々と斬りつけていった。
偶然からか、僕は最初の一撃で死んだと思われ、腹にある大きな傷以外は、小さな傷で済んだけど、近くにいた数人は確実に殺されているのが分かる。それでも、体のあちこちにある傷が痛くないという訳ではなく、時々痛さに呻いでしまう。
アーガイルがどうなったか確認したかったけど、腹の痛みで動く事も叶わず、ただ床に伏せている事しか出来ない。
その床にも血だまりがあちこちにあり、むせるような臭いが立ちこめて息苦しい。無事でと思いながらも、今は自分自身の事を考えるのに精一杯だ。
周囲から発せられる呻き声が、誰かが生きている事を示してはいるけど、それが誰なのか全く分からない。
それよりも、二日間何も飲まず食わず。それ以前も一日一食の状況。さらに怪我をしている状態では、早く誰か……竜人族以外の誰かに助けてもらいたかった。
だんだん酷くなる腐臭に耐えながら、そしてその腐臭が、自分に折り重なっている人から出ている事に気がつきながらも、何も出来ない自分に腹が立つ。
体に付いた血をぬぐう事すら今は叶わない。
足音が次第に近づいてくるのが分かったけど、うつ伏せの状態ではそれが誰なのか、どのような人物かも分からない。
もしも竜人族かと思うと、全身に悪寒が走った。
「誰か、生きている者はいないか」
どこか聞き覚えのある声のような気がするけど、誰なのか分からない。
それに声も発せられず、動けない状況では、場所を知らせる事すら出来なかった。悔しさのため涙が溢れる。
かなりの失血のためか、目眩も激しく、指一本動かす事すら辛い。そんな中、声の主は無情にも遠ざかっていくのが分かる。
「ここ……」
必死の思いで声を発したけど、その声は、相手の足音に無情にもかき消されてしまった。ただ虚しさだけが残る。
どうにか、ここにいる事を知らせたかったけど、もう声も出ない。こんな牢獄で、無残にも死ぬかと思うと、悔しくてたまらなかった。
しばらくすると、違う声がする。今度は複数の人物がいるようだ。
気がついてくれる事をひたすら待ったけど、それはまるで永遠のようにさえ思える。
一人ずつ確認しているのかもしれない。なかなか声の主は近づいてくれなかった。
どれ程時が経ったのだろう? 誰かが、上に覆い被さっている遺体を退けてくれた。おかげで、少し息が楽になる。
「ここにも生きてるぞ!」
助かったと思った。誰だか分からないけど、今は感謝すべきだと思う。
だけど、まともに喋る事も出来ない状態で、どう感謝すべきか分からない。
抱きかかえられ、酷い死臭の中から外の空気を吸えたとき、本当に助かったと思った。
「シロン!」
また聞き覚えのある声だ。誰かが覗き込んでいるのが分かる。
布で顔にべったり付いた血を拭ってくれたおかげで、視界がはっきりしだした。
「よかった。もう駄目かと思ったぞ。安心しろ、アーガイルも無事だ!」
声の主の顔を見たとき、思わず悲鳴を上げてしまった。
そこには竜人族の顔があったからだ。僕は気が遠くなっていくのが分かった。
「ショックで気を失ったんだ。多分、酷い目に合わされたのだろう。カロン君、そっとしておいてやれ」
オクの言葉に納得するも、私は複雑な気持ちになった。
自分の顔を見られて、悲鳴を上げられては、複雑な心境にならない方がおかしい。シロンたちが何をされたのかは、一応はよく分かっているつもりだが、それと同列に見られた事がショックだった。
「君の協力のおかげで、何人もの人が助かったのは事実だ。今は生きている者を救い出す事に集中して欲しい。それともう一つ、君の顔を見ただけで怖がっている者が何人もいるのは確かだ。君は、気を失っている者を馬車に運んでくれ。不本意かもしれないが、今の状況がどのような状況かは分かる筈だ」
気を取り直して頷く。しっかりとシロンを抱きかかえると、馬車へ運んでいった。
生存者と目が合うたびに、目を背けられたり悲鳴を上げられたりしたが、今は一人でも多くの命を救う事が、せめてもの罪滅ぼしだと思いひたすら運ぶ。
いつしか私の白い腕は、血で真っ赤に染まっていた。その腕を見ると涙が溢れそうだったが、ひたすら我慢して生存者を運び続ける。
気がつくと、馬車の前で座り込んでしまっていた。
目に映る光景は、まさに地獄絵図としか言いようがない。遺体は建物の前にある広場に集められた。元々あった遺体の山が、さらに高くなる。そこには、無残に惨殺された遺体も多くある。
四肢が生きたまま切り裂かれたのだろうか? 言葉に絶する表情を浮かべた遺体や、胸から腹にかけて無残に切り裂かれ、内臓が飛び出している遺体、全身斬りつけられ赤く染まった遺体も多い。特に一階から運び出された遺体の多くに損傷が激しく、中には顔をつぶされ、親族でも誰なのか確認出来ないのではないかと思える遺体もあった。
それを呆然と見つめている私に対して、周囲の目は厳しかった。
勿論その理由をよく分かっているが、弁明出来る状況ではない。ひたすらそれに耐えなければならない自分に対して、気が狂いそうになる。
しかし生存者もほぼ収容が終わった今、私に出来る事は無い。
「カロン君、カロン君」
何度か呼ばれて、やっと気がつく事が出来た。
「ここを離れる。君は私の馬車に乗りなさい」
オクに引っ張られるように、馬車に乗り込むと、次々と馬車が走り出した。
「君の責任でないのは分かるが、しかし酷いものだ。もし私がいなければ君の命はなかったぞ」
オクの言葉に周囲を見渡す。乗っていた馬車は怪我人で満載だった。その怪我人の誰もが、私を見て恐怖に慄き、怒りに満ちている。目をそらす以外の事が出来ない。
「君の仲間もかなり重傷のようだ。今、手当てをしている。まあ、今のところ命は大丈夫だと思うが、衰弱が激しい。早めに治療は行った方がいい」
確かに、シロンもアーガイルも怪我はかなり酷かった。特にシロンの怪我が酷く、出血で体が血まみれになっていた。
それに、手枷足枷もされたままだ。早く外してやりたかったが、手元には適当な道具がない。
「お願いだ。何とか動けるようになるまで、一緒に行動させてもらえないだろうか?」
懇願してみた。今二人の怪我人を連れて、特に重傷の怪我人を連れて旅をする事は出来ない。
「その話は後にしよう。今は町から出る事が優先だ。まもなく人族がこの町に攻めてくる。君はその中にいたいかな?」
勿論堪えは分かりきっている。今この町にいれば、間違いなく殺されるだろう。
「分かった……」
ふと町並みの様子を見る。何かが変だった。
「暗いので分かりにくいかもしれないが、町の中心部はかなり酷く破壊されているよ」
注意して見ると、オクの言うとおりだった。いくつかの建物はドアや窓が破壊され、天井が落ちている建物すらある。
「なぜ、ここまでしなければならないのか、君の意見を聞きたい」
オクの言葉には、明らかに非難がある。どう答えてよいか迷ってしまった。
「私も元軍人だ。しかし、この様な事をしろと言われた事も、命じた事もない……」
暫くの沈黙が訪れる。沈黙は嫌いだった。特にこの様な状況では。
「竜人族すべてがこのような事をするとは、どうか思わないでほしい。難しいとは思うが……」
オクが、私を見つめている事に気が付いた。
「私は以前、部隊の副長を務めていた。少なくとも私のいた部隊は、この様な事はしなかった。勿論捕虜に対してもだ」
そんな事を言わなければならない自分が、恥ずかしくてたまらない。
「確かに君はこの様な事は出来ないかもしれない。しかし、これは君と同じ竜人族が行った事だ。彼らには十分苦しんでもらうつもりだ」
十分苦しんでもらう……どういう事だ?
「ここの占領軍が立籠った建物に、外から出られないようにした。人族の無残な惨殺死体と一緒にな。新たな占領軍がそれを見れば、どう思うか楽しみだ」
背中が凍りつく思いがする。
しかし弁護は出来ない。弁護すれば、自分が同じ目に遭うのだから。
残された占領軍の事など今は忘れよう。この町から出る事だけを考えるのだ。自分に何度も言い聞かせるが、色々な意味で罪悪感が残った。
六
結局オクに連れられハノイの町を出た。隠れるように森の中に逃げ込むと、自然にそこに診療所が出来た。
馬車は何台もあったが、どの馬車も怪我人だらけだ。
中には町から逃げ出す馬車もあったが、大抵その前に、町の郊外に出来た臨時診療所を訪れていた。
全くの偶然だったが、オクが紹介してくれた診療所には、蓮雀先生診療に当たっており、事情を説明する。先生は快く治療を引き受けてくれた。
しかし、竜人族は私だけであり、それが余計に不安にさせる。周囲の目は突き刺すように冷たく、私は一人、馬車で待つしかなかった。
シロンの馬車も見つかり、今はそれに乗っているが、荷台は蓮雀先生の仮診療所となっている。勿論、荷台と御者台を幌で分けたので、診察を受けている人が怖がる事はないが、私を見る人々の怒りの目線が痛い。
蓮雀先生の診療所は、はじめ地面の上で行われていたが、馬車の荷台の方がまだ清潔だとの事で、急いで綺麗な布を敷き詰めて、仮診療所に仕立て上げた。
最初は診療も手伝おうとしたが、周囲の人があまりに怖がってしまうとの事で、仕方なく御者台の後ろの席にいる。それも隠れるように、布にくるまっていた。
私が竜人族である事を隠しようはないが、それでも他の人から隠れたいという思い一心での事だ。
すぐ目の前には、シロンとアーガイルが寝かされているが、何も出来ない自分が腹立たしく思う。
二人とも気を失ったままだが、治療しなくてはならないのは、素人でも分かる。しかし、手を出せないのがこんなに悔しいとは思わなかった。
「どうすればよいのか、分からずにいるな」
突然オクが話しかけてきたので、驚く。
「今の私にはどうする事も出来ない。他の者を治療したくても、怖がられるだけだ。一体どうすれば……」
「残念だが、今の君に出来る事は少ない。君が関与していないとはいえ、君の同族が町で虐殺を行ったのは事実だ」
弁明する気になれなかった。惨状を見てきた以上、そんな事は間違っても言えない。
「今は、アーガイル君とシロン君の傍についていてやりなさい。そこにいる限り、君に危害が及ばないようにしよう」
その言葉に、ただ頷くしかない自分が恥ずかしい。
「カロンさん、ちょっといいですか?」
突然、蓮雀先生が聞いてきた。
「何でしょう?」
「アーガイルさんの方も重体で、急いで治療が必要なのは変わらないのですが、シロンさんがその……」
何を言いたいのか分からずにいると、奇妙な話を付け加えてきた。
「人族の治療薬の効果が低いんです。背中には竜人族の鱗があるし、混血ですか?」
その言葉にハッとする。私はクアラルンプールであった事、シロンが話した過去を、出来るだけ詳細に話した。
「呪いで竜人族から人族にですか……にわかには信じられませんが、試してみる価値はありますね」
蓮雀先生は、涼清君を呼ぶと、治療の指示をする。
「彼は、治癒魔法も使えるんですよ。でもこれだけの怪我では、魔法では難しいでしょう。後で私が手術を行います」
「でも、先生は内科医でしたよね?」
「安心して下さい。涼清がいれば大丈夫ですよ」
その言葉に、何だかホッとした。この先生なら任せられると思う。
「今、治療している患者が終わったら、先にシロンさんの治療を行いますね。大丈夫。必ず治してさし上げます」
「何とお礼を行っていいか。それに比べ私は……」
「自分を責めても仕方ないですよ。あなたの責任でない事は、私が良く分かっています。今は辛いでしょうが、頑張って下さい」
そう言うと蓮雀先生は荷台に戻っていった。
「シロンさんだったよね……酷いな、これは」
蓮雀は、一人で傷だらけのシロンを見て呟く。手には直刀が握られていた。
「涼清、回復の度合いは少し調整して」
そう言うなり、蓮雀はシロンの体に刀を刺す。まるで斬り殺しているようにさえ見えるが、その場から傷が塞がっていった。
「これは!」
蓮雀が小さく唸り声を上げる。
「記憶どころか、体も封じられているんだ……しかも竜人族が正体じゃない。でも、あのカロンという人は、この事をどこまで理解しているんだろう」
そう言いながらも、手は休めない。
「この人の本当の正体を知ったら、カロンという人は驚くだけじゃすみそうにないね。でも、僕らが関与するべき事でないと思う。このままにしておくべきだよね」
一人言のように呟きながら、刀は頭に達していた。
「分かったよ。運命は自分で見つけるものだ。僕らが関与するべき事じゃないね」
そう言うと、蓮雀はシロンの体から刀を抜く。シロンの体からは大きな傷が消えていた。いつの間にか、そばには涼清がいる。
「蓮雀さん、この事は言わない方がいいですよ」
「分かっているよ、涼清。とにかく傷は治したし、もう大丈夫だね。暫く安静が必要だけど」
「僕の能力を、知られる訳にはいきませんからね」
「それにしても、この髪と鬣がその名残だなんて……」
背中の鬣を見ながら、蓮雀が言う。
「いずれ分かるときがきますよ。アーガイルさんの方も、早く治療しましょう」
二人はもう一台の仮診察台にいる、アーガイルを見た。
「先生、何とお礼を言っていいか!」
包帯にまかれたシロンとアーガイルを背に、私は深々と蓮雀先生に頭を下げる。
「医者として、当たり前の事をしただけですよ。大丈夫、二人とも助かりますよ」
その横では涼清君が後片付けをしていた。かなり血が出ているようで、どす黒いものが付着した布が大量にある。
「確かに、シロンさんは見た目人族ですが、本当は竜人族のようですね。先ほどの話があったので、とても助かりました」
「そんな事まで、医者というのは分かるんですね」
「いえ、医者だからという訳ではありません。この涼清は治癒魔法が使えるので、それを応用する事で、分かる事もあるんです」
いまいち理解出来たような、出来ないような話だが、とりあえずは納得する事にする。それに、命の恩人に失礼があってはならない。
「成功したとはいえ、今は絶対安静ですよ。暫くは、このまま寝かせてあげて下さい」
私は、それに素直に頷いた。
「ところで、ホンコンまでは行けますか? こんな状況ですし、無理にとは言いませんが……」
「時間はかかるかもしれませんが、私も馬車の扱いは出来るようになりました。ぜひ送らせて下さい!」
深々と蓮雀先生に頭を下げる。
「そうですか。それは良かった。どうせ、それ程急いではいませんし、シロンさんたちの回復を診ながら行きましょう」
蓮雀先生の、にこやかな顔に、私はホッとしてしまった。
「それじゃあ、カロン君。気をつけて」
オクが、私たちを見送ってくれた。
一週間程、森の中で治療をしながら過ごし、私への敵意は大分薄れていた。
それでも、まだ冷たい目はある。しかし、何時までも、それを気にする訳にはいかなかった。
「本当にありがとう。あなた方には、何とお礼を言ってよいか」
「いや、こちらこそ世話になった。君の仲間も助かって何よりだ」
「それは、蓮雀先生のおかげですよ。私は何もしていない」
その蓮雀先生も、今は馬車の荷台で二人を診てくれている。
峠を越えたとはいえ、やはり心配だ。先生は大丈夫と言ってくれているが、医療の知識がない私には、よく分からない。
「君がいなければ、彼らも見つからなかったかもしれない。もっと自分に自信を持っていいと思う」
「そうかな……そう思いたい」
オクが荷台を見る。何か懐かしいものを見るような目だ。
「どうかしたのか?」
「いや、何でもない。ところで、君の仲間のウェアウルフ族の名前は?」
「アーガイル。レルフ・アーガイルだ」
暫くオクは荷台を見つめたまま、私を見た。
「同族だからかな。懐かしく思ってな」
「あなた方に任せた方が、よい気もしたんだが……」
「いや、君に任せるよ。それに君の長はシロン君なんだろ。彼とアーガイル君をサポートしてやって欲しい」
私は、ベッドで横になっている二人を見た。アーガイルの方はもうかなり良いが、シロンはまだ重いらしい。
「分かった。それじゃあ、またどこかで」
「ああ。君に幸運の女神の加護がある事を」
「それは、二人に言ってやってくれ。私よりも必要だと思う」
二人をあらためて見る。今は寝ているようだが、そのままにしておいた方がよいだろう。
「それじゃあ、失礼する」
私は馬に鞭打つと、馬車を進ませた。だんだんオクが小さくなってゆく。馬車は小刻みに揺れながら、森を出て街道に出た。道に出てしまえばもう大丈夫だろう。
「カロン……心配かけたな」
突然アーガイルが後ろの席にいた。
「大丈夫なのか?」
「うーん、大丈夫と言えば大丈夫だが、先生はもう少し休むように言ってるからな。暫くは馬車を任せるよ。道は大丈夫か?」
私は、手元の地図を確認して頷いた。
「ならいい。しかし、竜人族が全員ああでないと、保証出来るか?」
アーガイルの目は真剣だ。
「私は軍隊時代、民間人や捕虜を虐待しろと命じた事はない。それだけは誓ってもいい。前にシロンがアチカの事を言っていただろう?」
アーガイルは、記憶を確かめるように頷いた。
「多分だが、あいつの指示だ。あいつは冷酷な事で有名だった。それにさらに磨きがかかったと言うべきか……」
シロンはどう思うだろう。意識こそ取り戻したが、それでもまだ治癒には時間がかかりそうだ。
「ならいいんだ。俺はお前だけは信用したい。だから裏切るなよ」
私は静かに頷いた。
「それともう一つ、ウェアウルフ族の者が見送ったのか?」
「ああ。族長だか何かは分からないが、ウェアウルフ族を束ねていた」
「名前は?」
「オクと言ったな。そういえば、オク以外、名前を聞いていないな」
なぜ聞かなかったのだろうと思ったが、今さら引き返すのも馬鹿馬鹿しい。
「なんだって!」
突然、アーガイルが大声を出す。それを聞いて、蓮雀先生たちもこちらを見た。
「ウェアウルフ族でオクという名前だったんだよな。くそっ、名字か名か分かれば、はっきりしたんだが……」
「どうした、引き返すか?」
アーガイルは、少し考えてから首を振った。
「いや、いいさ」
「訳が分からないな」
「俺の兄貴かもしれない」
その言葉に、今度は私が驚く番だった。
「いいのか、確認しなくて?」
「兄貴なら、戻ったら殴られる。そんな奴だ」
いまいち理解出来ずにいると、アーガイルが付け加えた。
「ま、それが兄弟ってものだ」
「そうか……私には分からない」
「兄弟はいないのか?」
「いたが……死んだよ」
沈黙が訪れる。アーガイルが頭をかいた。
「すまない」
「いいさ。過ぎた事だ」
そう言い残して、我々たちはホンコンへ向かった。
「アーガイル、本当に良かったのか?」
オクに向かって、同じウェアウルフ族の男が聞く。
「兄と名乗って、何の得があった?」
「それは……」
「あいつには、あいつの人生がある。俺が関わる事じゃない」
「そこまで言うなら構わないが」
「俺はあいつが生きていただけで嬉しい。それ以上は求めない」
オクはそう言い残して森の中へ消えていった。
七
二週間後、僕たちはホンコンの町に来た。
僕やアーガイルも大分回復し、アーガイルに至っては、馬車の運転を任せるまでに回復してくれた。
ただ僕の方はまだ状態は良くなく、もう暫く安静が必要と言われた。こればかりは仕方ないと思う。
「先生、本当にお世話になりました」
僕は深々と頭を下げる。
「いえいえ、私たちに出来る事をしただけですよ」
「それにしても先生、あれだけの腕があればもっと大きな町で病院を開いた方がいいんじゃないのか?」
傷も完全に治ったアーガイルが聞く。
「私には、小さな町での診療所の方が似合ってますよ。それに、大きければよいというものではありませんからね」
「そういうものなのか……」
僕も、アーガイルと同じ思いだけど、蓮雀先生がそう言うからには、それなりの理由があるのだろう。
「それじゃあ皆さん、お元気で。くれぐれもお体にお気をつけ下さい」
蓮雀先生と涼清君は、僕らにお辞儀をしてから去ってゆく。僕らはそれを見送った。
「変わったコンビだよな。若いように見えて、実は結構歳もとっているらしいし」
「ああ。しかし君らを救ったのは、間違いなくあの二人だ」
「それよりも、これからどうするの? ハノイに戻るのは危険だし、かといって行く当てもないし」
だんだん小さくなる、蓮雀先生たちを見る。
「どのみち、クアラルンプールには戻れないからな……」
アーガイルの言うとおり、クアラルンプールには戻れそうにもない。暫くはホンコンにいる事も出来るだろうけど、何時までもは無理だと思う。
「ニチに行ってみるか?」
カロンの言葉に、僕もアーガイルも驚いた。三週間前に酷い目にあったばかりだし、正直竜人族の国へは行きたくないのが本当のところだ。
「君らが行きたくないのは、私だって承知しているつもりだ。しかし、その誤解を何としても解きたい。それに、シロンの秘密はニチにあると思う」
確かに、もう一人の僕は竜人なのかもしれない。だけど、それが分かっていても、やっぱり怖かった。
「他に行く当てがあるならいいが、今は特にないと思う。私も、出来る限り君らの事は守るつもりだ。それにニチでは、あんな事は聞いた事もない」
そこまで言われると、反対するのも難しいと思う。
「仕方ねえか。シロン、構わないな?」
僕は小さく頷いた。
「とりあえずは北に向かってくれ。ペキンという町が北にある。そこに向かおう」
僕らはカロンに従い、ペキンへと向かう事にした。