第一章
一
二頭立ての荷馬車を走らせながら、バンコクまでの道のりを急いでる二人連れの男がいる。
馬車は馬を含まない長さで五メートル程。しっかりとした作りの幌馬車だ。荷物は満載してた。荷は振動からして軽くはないようだ。
一人は人族、もう一人はウェアウルフ族。どちらも馬車の御者台にいる。
備え付けの御者台は、三人座れそうな間隔があるが、ゆったりと二人で座っている。その後ろにも席が対になって、御者台とは直角にあるが、使われている様子は殆どない。
運転しているのは人族で、綺麗なスカイブルーの髪は長旅でくたびれている。
後ろ髪は少し伸びており、肩までもう少しでとどきそうな長さだ。目の色は黒みがかった藍色。眉は黒いがどちらかといえば細い部類に入るだろう。少し女性のような顔立ちだが、骨格はしっかりしている。肌は焼けてはいるが、元は白っぽい肌色である事が服の間から分かる。身長はおよそ一七十センチ位。決してがっしりした体格ではないが、かといって痩せ過ぎという訳でもない。長い運転のためか少し眠そうにしていた。
歳は二十位だろうか。暑い所を移動するからだろう、白っぽい半袖の服を着ている。しかし、薄手の赤みがかったベストを着ており、カーキ色のズボンを履いている。暑そうに見えるが、汗をかいていないところを見るとそれ程でも無いようだ。
上着には物入れとなるようなものは特にない。
靴はすねまである革製の編み上げブーツを履いていた。腰には太い青の布ベルトがあり、ベルトにはいくつかの茶色いポーチもついている。ベルトに縫い付けている訳ではないようで、馬車の振動と共に別々に揺れている。
ベストの左胸の部分には、白い鷲の頭と両羽をあしらった青いワッペンが縫い付けてある。左腕には銀に光輝く腕輪をしていた。浮き彫りされた白いドラゴンの模様がとてもすばらしい。その下にSIRONと茶色の縫い付けで表記されている。
一方ウェアウルフ族の方は、全身の濃いグレーの毛並みが美しい。歳は三十代位だろうか。茶色い目だが今は閉じられている。疲れで寝てしまっているようだ。身長は一八五センチといったところか。
人族よりも少し体格が大きいだけあり、服のサイズも一回り大きい。馬車が揺れると同時に、御者台からはみ出している尻尾が揺れている。
彼は同じような服装をしているが、ベストだけ青い物を羽織っていた。両耳に付けている青い二連のイヤリングが、馬車の振動で微かに揺れている。ワッペンの下にはARGYLEとある。
どちらも長旅の所為だろう。汗ではないようだが、大分汚れが目立つ。その殆どが泥跳ねだ。二人で交代とはいえ、ずっと馬車を走らせていたためだ。
途中大雨の影響で、すでに時間は大分遅れており、予定時間につくかどうか怪しくなっていた。
着ている服は泥跳ね以外でも大分汚れている。しかしそれを着替える余裕も惜しいらしい。着替えを周囲に置いてはいない。
運転している御者の男は、夜のうちに相方が走らせてくれた距離をざっと計算してみた。少なくとも五十Kmは走っている筈で、馬も大分疲れている筈だ。
荷馬車商としては荷物を期限どおりに届ける事が一番の信用であり、信用第一がこの業界の掟だ。
隣で寝ている相方のウェアウルフ族の男が、暗い夜のうちに大分距離を稼いでくれた。
しかし、残りの距離は今の位置から計算すれば、ざっと十Kmほど。町に着けば馬は十分に休めるし、十Km位なら何とか大丈夫だろうと考える。
運転している人族の男の名はシロン。
今所属している荷馬車ギルド『アタランテ』に入って二年になる。
荷馬車のギルド長――レン隊長には二年前から世話になっており、歳は二十歳位違っていたが、なぜとても慕われていた。
レン隊長で三代目になる中堅クラスのギルドだ。
荷馬車十二台、早馬六頭を所有し、信頼もある。その所為か給料はかなり良かった。
それも無理な注文や違法物は受けないというアタランテの昔からの掟を守り、配達するものは特別な事情でもない限り期日までにきちんと送り届けてきた証だ。
隣で寝ているウェアウルフ族はレルフ・アーガイル。シロンが荷馬車ギルドに入ってからの付き合いで、種族は違ったがそれなりに意気投合はしていた。
人族のシロンとウェアウルフ族のアーガイルは姿こそ違ったが、経験豊富なウェアウルフ族とコンビを組めるのは荷馬車を走らせる側にとっては好都合だ。
昼間馬を走らせるシロンと、夜に馬を走らせるアーガイルが、交代制で荷馬車を走らせれば、通常の倍近い距離を一日で走らせる事も出来た。
しかし、今日は遅れを取り戻すために通常の三倍近い距離を馬に走らせている。
さすがに無理がたたっているようで、馬たちの息も大分上がっているのが目に見てとれる。
バンコクまで残り七Kmと書かれた看板を見つけると、少しだけ馬の速度を緩めてやった。もうこの距離なら遅れる事は無いだろう。
本当なら馬を休ませたいところだが、後一息の辛抱だ。そう思いながら馬車を操る。
やはり昨日アーガイルが大分距離を縮めてくれたのが、効を奏してくれていた。
今日の夜はアーガイルに酒でも奢ろうかと内心思う。ウェアウルフ族は結構大食いで、シロンの給料では奢るとなると出費は痛かったが、間に合わせてくれたお礼としては安いものだと思えた。
町が近づいてくると、多くの者が通るため街道の整備が次第に良くなってくる。
今は最後の上り坂を走っていた。
そんな急な坂道ではないが、上りきるとバンコクの町を一望出来るちょっとした高台で、時間があるときは少しそこで休憩する事が多い。岩肌がむき出しの高台で、峠のようになっている。
しかし今回は、高台で物見の見物という訳にはいかないのが、残念で仕方ない。
天気も良くなったので、運がよければ虹のかかるバンコクの町を一望出来るかもしれない。しかし、もしそんな事すれば、間違いなく荷物の配達は遅れてしまう事は目に見えている。
高台の一番上まで来ると、ぐっと我慢をしてバンコクまでの道を急いだ。
最後の峠は越えたので、もう後は町まですぐだ。高台からはバンコクの町が一望出来た。遠くに町の中央広場が見えたが、それを無視して馬車を進める。
馬の息も大分切れていたが、町までは残り六Kmほど。
後は検問が問題なければ全てが順調に行く筈だった。今回の荷物は反物が中心。後は乾燥食料品がいくつかだったので、検問で問題になる事は考えられなかった。
反物は重いが、普通より高い輸送費がもらえる。特に上質の反物は、その一反の輸送費だけでシロンの給料よりも高い場合すらある。
バンコクは何度も行った町で、町の検問所の担当官とは大分顔見知りになっていた。
おかげで検問は何時もスムーズに進む事が多く、何か事件でもない限り待たされる事は無いといって良かった。
バンコクまで後少し。今日はベッドで寝られると思うと、自然に心が弾む。町は目の前に見え始めていた。
二
バンコクの町の入り口に着くと、アーガイルに目をやる。
アーガイルは完全に寝ているように見えたので、そのままにしておく事にした。寝ているウェアウルフ族を無理矢理起こすと、大抵後で面倒な事になる事が多い。
検問所で特に用事でもある訳でもなく、昨日の働きを考えたらと思い、検問所の列に馬車を並べる。
検問所では二台の馬車が検問を待っている。
馬たちは大分疲れたのか、列に並ぶと完全に足を止めてしまった。息もかなり荒れている。
どのみち検問が終わるまで待たなければならないし、馬たちにはかなり無理をさせていたのでしばらくそのままにさせる事にする。
一人の検問官が近づいてくると、書類を取り出して僕を見た。
「やあ、シロンか。今日の荷物は?」
顔見知りのその検問官はウィルといい、鳥人族の若者だ。濃い青の髪と、同じく濃い青い翼がとても美しい。
鳥人族は色々なタイプがいて、殆ど鳥と変わらない者もいれば、人の体に鳥の翼だけといった者もいる。
ウィルはどちらかといえば人族に容姿が似ており、基本的には背中の翼と鳥と同じ足が無ければ、人族と変わりは無かった。
鳥人族のウィルは素早い行動は得意だが、重い荷物を運んだり、重量のある鎧を着る事が出来ない。そのため一般人と殆ど変わらない赤い上着と白いズボンだ。
手にチェックリスト用のボードとペンを持っているだけで、他には特に何も持っていない。違う点があるとすれば、肩にある検問官を示すバッチが付いている事だろう。
検問官の方は大きく二種類いて、ウィルのように荷物のチェックを行う者と、入国検査を行う者がいるが、最近情勢が悪化している所為かチェックが幾分厳しくなっている。
特に不定期の荷馬車には厳しかった。
勿論、禁制品……特に武器類の持ち込み監視のためだ。そのため城門の入り口には完全武装した兵士が四人待機しており、常に入国する人物や馬車を確認していた。
しかし、ここバンコクではまだそれ程情勢悪化の影響は少なく、禁制品の持ち込みさえなければ検問を通過する事は容易だ。
それに、ここバンコクでは種族差別は無かったので、安心して入る事が出来る。
交易の町バンコクはそういった種族差別は少なく、僕とアーガイルが一緒に酒を飲む事も別段不思議な事ではなかった。
人族とウェアウルフ族、多くの町では友好関係にあったが、全ての町では必ずしも友好的とはいえない。町によっては種族間対立はかなり酷いもので、僕しか町に入れない場合もあれば、逆にアーガイルしか町に入れない場合もあった。
そういう時は町の外に必ずある専用の宿屋に寝泊りし、合流するのを待つ以外に方法はない。
専用の宿屋というものは大抵の場合共同部屋で、狭く汚く、その上料金が高いのが相場であり、明らかに種族差別をしているのが分かるのが殆どだ。
荷下ろしも一人で行わなくてはならず、手間も倍かかる。かといって、その分料金が上乗せされる事はまずない。それどころか、遅延料として配達料を減額される事すらある。
この前泊まった宿屋は特に酷く、普通なら一人部屋のサイズに六人が詰め込まれ、料金も後で聞いた話では町中の倍の値段だった。
その部屋もベッドなどの寝具はない。土の上に直接薄い布が敷かれているだけで、寝るときの肌がけは別料金。しかも宿賃と同じ値段。勿論食事も別料金だ。
本来なら馬車で寝泊まりした方がよっぽど快適だが、馬車は町の中。選択肢などありはしない。
「今回は反物と乾燥食料品がいくつかさ」
そう返答すると、渡された書類の何箇所かにサインをしてウィルに返す。
「分かった、検問はすぐ終わると思うからもう少しだけ待っていてくれ」
ウィルはさっと翻って、詰め所に文字どおり飛んで戻っていった。
「なんとか間に合った、ウィルの事だ検問も形だけだろうし……」
そう呟くと馬車に積まれた荷物を見る。
間に合ったとはいえ、降ろすのにたっぷり半日はかかりそうだ。
後でアーガイルを起こさないと酷く面倒な事になるのは目に見えていた。だけど起こす事もまた、面倒になりそうだ。
「今、俺を起こすと面倒になりそうだと思ったろ?」
突然アーガイルが目を閉じたまま喋り出した。びっくりしてのぞき込む。
「着いた事なんか、いくら俺だって分かるさ。頼むから荷下ろしまでこのままいさせてくれよ」
アーガイルは再び黙った。
「分かったよ、元々そのつもりさ」
馬の手綱を手摺りに結び付け馬車を降りた。一回りしてどこにも異状が無い事を確かめると、手綱の側にウィルがいる。
「荷物を僕が確認したらここを通すよ。その様子だと、馬に無理させるほど遅れそうだったんだろ?」
ウィルが馬をさして、そう言われた事にびっくりしながらも頷く。
「さすが検閲官だよ」
そう言うなり荷台の後ろの幌を開けた。ウィルは目録と積み荷を照合しながらてきぱきと仕事をしていく。
「さすが手慣れてるよ。本当に助かる」
僕が正直に言う間も、ウィルのチェックは休み無く続いている。
「君よりもこの仕事は長いからね。積み荷は大丈夫なようだ。相変わらず君の武器はその槍かい?」
ウィルがリストの最後のページを確認しながら、御者台の横に立てて置かれている槍に目をやる。
「なぜだか剣よりしっくりくるんだよ」
槍を手にとって答えた。
一応、短剣も積んであるけど、使ったこともないし、触ったこともほとんど無い。その短剣は、御者台の椅子の下にしまってある。
「珍しいよ、荷馬車の連中はたいてい短剣を持ってるもんだよ。邪魔にならないしね。旅の者で槍を持つ者なんて、君以外見た事無い。でもその槍は良いやつだ。何より装飾がいい」
ウィルはリストの確認を終えて僕のサインを求めた。
「さすが仕事が早いね。助かるよ」
中身をろくに確認せずにサインする。何時もの事なので書面の中身を見るのも面倒だった。
「じゃあ、そこの入り口から中に入ってくれ」
ウィルは左側の入り口を指すと、次の馬車へと飛んでいってしまった。
馬を走らせながら、槍の事をウィルに言われて、過去の事を思い出せない自分を、何度も疑問に感じている。
大体二十歳前後という事は、ギルドの仲間にも言われている。だけど、二年前に荷馬車ギルドのそばで倒れているのを見つけられるまでの記憶が全くなかった。
そもそも、気がついたのは病院のベッドの上。病院に連れられた記憶もない。
過去を証明するものと言えば、その時から持っている先が三叉になっている槍一本と、ホワイトドラゴンをあしらった腕輪だけで、何故そのような物を持っているのかさっぱり分からなかったし、少なくとも今の仕事でそれが役立つ事は普通なかった。
槍だけは盗賊から馬車を守るために、何度か活躍した事がある。アーガイルに言わせれば『槍の名手』並の手前があるという話だけど、馬車を守れれば今は満足であり、それ以上を求めるつもりもない。
大体、三叉の槍というものは一般的には漁具の場合が殆どだし、僕もその程度にしか考えていなかった。
だけどアーガイルに言わせれば、普通の槍と違って三叉の槍を戦闘で器用に使うのは、普通の槍使いよりもよっぽど腕があると何度も指摘される。
確かに三つ叉だと、刃先を絡められたらその時点で動きが取れない。それに、槍の場合間合いを詰められたらそれで一巻の終わりだ。
でも僕がその槍を使うと、刃先を絡められる事も、間合いを詰められる事もなかった。まあ、ちょっとした盗賊相手だからかもしれないけど。
そういうアーガイルも、双武器に関してはそれなりの使い手のようであり、何度も荷馬車の危機を救っていた。
しかし歳には勝てないのか、最近腕が落ちたとよくぼやいている。
どちらにしろ、最近治安が悪くなっており、種類は違っても得意な武器があるのは非常に良い事だった。強いて言えば、飛び道具の使い手がいない事だったが、さすがに二人で行動しているので、そこまでは無理もある。
僕もアーガイルも弓は苦手だ。
馬車を反物屋の傍につけると、早速店主に挨拶に行く。店主は大雨の事を知っていたらしく、こんなに早くつくとは思っていないようだった。
「あんたら馬に相当無理させたな」
店主の男に黙って笑顔で返した。それでも馬の疲れは、誰が見ても分かる。
「しっかし、ここまで期日を守ってくれるとは本当にいい配達屋だ。これからもよろしく頼むよ。さすが噂に聞くアタランテだ。とりあえず荷降ろしを手伝ってくれ」
店主の男は、店から台車を何台か持ってきた。僕も荷馬車に一台だけ積んである台車を取り出す。
アーガイルを起こした後、台車に荷物を載せるのを手伝う。アーガイルもすぐに駆け寄り、同じように台車に荷物を載せていった。さすがに不機嫌な顔する事なく起きてくれる。
荷降ろしは、やはり半日ほどかかり、終わった頃には日も大分暮れていた。
反物は、かさも重量もそれなりにあるので、荷卸となると案外面倒だ。それに、汚れたらそれだけで商品価値が下がる。なのでどうしても慎重になり、動作は遅れてしまう。
「よーし、馬宿に行こう!」
疲れた声でそう言いながら、馬車を町の中央街から少し離れた宿屋街に向けた。
馬宿とは馬車乗りや馬乗りが良く使う宿屋の総称で、馬を泊めるスペースが用意された宿屋の事だ。
設備はそれ程良いという訳ではないけど、揺れる馬車の上で寝るよりはずっと良いので、町に来た時には必ず泊まるようにしていた。
「今日は僕が夕飯奢るよ」
アーガイルに伝えると、アーガイルは目を細めて笑っている。
「夜、走らせたお礼かい? じゃあお言葉に甘えさせてもらおうか」
アーガイルは僕よりも経歴が長い分だけ給料は格段に高い。だけど、アーガイルはそれを分かって笑いながら誘いにのってきたようだ。
いくらウェアウルフ族は夜が得意とはいえ、一晩眠らずに馬車を走らせられたのではやはりきついらしい。
それに僕は人族にしては夜も結構得意で、この前も一晩中喋っていたかと思うと、そのまま馬車を運転するという離れ業をやってみせた。
さすがにアーガイルは心配になったらしいけど、それでも次の交代時間まで運転を続けた事もある。
僕らは馬宿に馬車を停めると、アーガイルが宿の手続きをしている間に、馬に餌と水を与えてやった。
すぐに合流した二人は旅人が良く利用する、安くてうまい料理屋に入っていく。
料理屋の中は比較的混んでおり、どこに座ろうか迷ってしまった。
「おーい、アーガイルじゃないか! こっちに来いよ!」
店の奥のほうから誰かが呼ぶ声がした。アーガイルの後について、その声の主の方に足を進める。
「よぅ、誰かと思えばヤルツじゃないか!」
アーガイルは同じウェアウルフ族のしかし少し大柄な男に声をかけた。
同じような服装をしているので、すぐに配達屋である事が分かる。
どの町の配達屋も大抵同じような格好だ。別に決まりなど無いが、なぜかどこの荷馬車ギルドも同じような格好をしていた。
ヤルツさんの横には僕と同じように人族の若い男が二人いた。ただ少し違ったのは、一人は首輪をはめられている事と、上半身裸だという事だ。
「そいつと組んでもうどれ位だ? お前にしちゃ長いじゃないか」
ヤルツさんが座るように即しながら言ってくる。
「二年だな。こいつはいい奴だよ。それよりお前の方こそ新しい餓鬼を連れているじゃないか」
アーガイルの隣に座りながら、上半身裸の男をちらっと見る。アーガイルが首輪をはめられている、人族の事を目線で指しながら尋ねていた。
「奴隷市場でちょっと、な。おい店主! 酒追加で持ってきてくれ!」
ヤルツさんは大声で、店のカウンターの方に言った。
「そんな所で買っていいのか? ギルドの連中が五月蝿いだろう」
アーガイルはそう言うとヤルツさんの前にあった肉を、さっと取って口に運ぶ。それをほうばるアーガイルはどこか嬉しそうだ。
負けじと近くの小皿にあった揚げ物を口に運んだ。この地方独特の辛みと、甘い油の香りに頬が緩む。
「なに、許可は取ってある。そんなに俺も馬鹿じゃない。このところ治安が悪いだろ。だから安く人が手に入ればそれで構わないって話だ」
「しかし、お前も気が利かないよな。従者と奴隷を同じテーブルに座らせるとは」
アーガイルは奴隷のしるしである首輪が、気になって仕方のないようだった。
「お前のところのそいつも、おかしな腕輪をしているじゃないか。まあ気にするな。ギルドに戻るまでにしっかり働けば、その首輪は取ってやるつもりさ」
ヤルツさんは店の娘が持ってきた酒を、僕とアーガイルの前に置くように身振りです。
自分がしている腕輪をさっとテーブルの下に隠すと、もう片手を酒に手を伸ばした。
「シロン、まだ気にしているのか?」
アーガイルが小声で聞いてきたけど、無視する事にした。
どうにかして腕輪を取りたいと何度も思ったけど、腕輪には接合部となるようなものが見当たらなかった。
それに、切断も試みたけど、切断具の方が壊れてしまう程だ。腕輪に詳しい者に一度見せると、何かの魔法の腕輪じゃないかという話だったけど、それが何なのかははっきりしない。
「お互いのギルドに!」
ヤルツさんがそう言うと、みんなで乾杯した。奴隷の首輪をしている人族の男だけは、申し訳なさそうな手つきだったけど、それを無視して高々とグラスを上げる。
僕たちは疲れていた所為もあり、酒の酔いは早かった。
しかしヤルツさんの話は面白かったし、他の町の情報が聞ける機会はお互い逃したくなかった。そして今回も新しい情報がヤルツさんの口から出た。
「途中で聞いたんだが、西のアラブ帝国が兵力を増強しているらしい。アラブの東の国はやられたという噂も広まっている。ここはアラブから遠いが用心に越した事は無い」
アラブはバンコクから五千Km位離れているので、早々攻められる事は無いとは思ったけど、用心はしたほうがいいと思う。
いきなり軍隊が来るとは考えにくいけど、近隣の町がそれに呼応して、制度を変えたら面倒な事になりかねない。
「それと、どうも竜人族の動きが慌ただしいらしいぞ。どこだか分からないが北方の町が襲われたらしい。それに呼応するかのように、他の北の町も警戒が厳重になってきた」
ヤルツさんは、真剣な顔をして言った。竜人族は数は少ないが、力は強いので警戒する必要があった。
「嫌な話ばかりだな」
アーガイルが酒をすすりながら言う。僕もグラスに残っていた酒を一気に飲み干して、追加を注文した。
このところ、町で聞く話といえば、戦争の話が大半だった。どの話も多少は誇張されている筈なので、そのまま鵜呑みには出来ないけど、注意せざるを得ない。
「クアラルンプールの町は大丈夫かな?」
アーガイルに小声で聞く。
僕たちのギルドがあるクアラルンプールの町は、バンコクと同じ交易の町で、さまざまな種族が入り乱れていたが、その所為で争いも若干ながらあった。
その余波は少しずつではあるけど、他の街にも波及する事があったし、一番の悩みの種だ。
「まあ、今すぐどうという事はないだろう」
アーガイルはそう言いながらも、若干心配そうな顔をしていた。だけど、僕はやはり心配で仕方がない。
「何かあったら、シロン、お前がやっつけろ!」
アーガイルは薄ら笑いを浮かべながら、急に言ってきた。酔って言っているのか、素面で言っているのか分からないのが怖い。
「無茶苦茶な!」
次々に出される料理を口に運びながら言う。アーガイルの何時もの冗談だが、たまに冗談に聞こえない事があるので怖いと思う。
「大体クアラルンプールの町は、アーガイルの方が詳しいじゃないか!」
クアラルンプールの町は人口十万人を越える大きな都市で、そのぶん警備の数も多かった。
だけど、計画的に攻め込まれた場合を想定しているものではなく、あくまで町の中の警備が主目的だ。
結局は自分の身は自分で守るのが適当でだし、身を守れないものは時々行方不明者リストに掲示されていたり、裏路地で殺されている場合すらあった。
「どうも最近物騒な話ばかりだな」
アーガイルは酒に口をつけながら言う。実際山賊の話も出ている中で荷馬車商の一員としては迷惑な話だと思う。
「シロンとかいったな。確かアーガイルと組んで二年か? もう慣れたろう」
ヤルツさんは、自分の部下二人を見ながら言う。僕は素直に頷いた。
「お前たちも一年もすればああやって立派な荷馬車商の一員になれる。最初はきついかもしれないが頑張れや」
珍しく、ヤルツさんが自分の仲間の事を口にした。普段は自分の事しか話さないヤルツさんにしては、あまりに珍しかった。
「ところでヤルツ、なんで二人も必要なんだ? 交代なら一名いれば十分だろう?」
アーガイルが僕も思っていた事を口にする。
「荷馬車の入れ替えがあってな、運転だけなら二人で十分なんだが、荷降ろしとなるともう二人必要なんだ。今度の馬車は今までの倍近く荷物を積める。十分割に合うって訳さ」
ヤルツさんは、二人の人族を見ながら言う。一人はヤルツさんと三ヶ月位過ごしている所為か、もう何を言われても動じていないようだったけど、奴隷市場から連れてこられたばかりの男は、まだ緊張がほどけていなかった。
それにヤルツさんは、奴隷が逃げないように、首輪から伸びているロープをしっかりと片手に握っている。
ウェアウルフ族は腕力が強いので、そうされてはまず逃げられない。
ロープを引くと首輪が締まるようになっているので、ロープが切れる前に首が絞まって窒息死してしまうだろう。それに大概走るのも速いので、普通の人なら簡単に追いつかれてしまう。
奴隷市場で売られているのは人族だけでは無いけど、人口が元々多い人族が奴隷として売られている現状は変えようが無い。目立った長所も、短所も無い人族の奴隷は、仕事をさせるには必要十分な素材だった。
僕も何度か奴隷市場を見た事があるけど、数の多い人族の奴隷は僕の給料でも買える値段で、確かに数をそろえるには都合が良いとは思う。
奴隷の事を聞いて、自分がギルドに助けられたときの事を思い出す。思い出したといってもベッドの上で目を覚ました事だけど。
時間がたてば、記憶も思い出せるかもしれないと、医者が言っていたけど、二年たっても何も思い出せなかった。それはまるで記憶を呼び戻すのを拒んでいるかのようだ。
「シロン、まだ思い出せなかったんだよな?」
アーガイルが心配そうに聞いてくれる。
「そのうち思い出すよ。医者もそう言ってたし……」
「まぁ……そうだといいな」
ヤルツさんはそう言うと、僕に酒を勧めてきた。おとなしくそれを受けると、一気に飲み干す。
「少なくとも、奴隷出身じゃなさそうだしな。そのうち分かるってもんさ」
ヤルツさんはそう言って、酒を飲み干した。
宿に戻ったときには、夜も大分更けていた。僕が半分出すと言ったけど、ヤルツさんが全部奢ると聞かず、結局奢られてしまった。
かなりいい金額が手には入って、路銀が余って困るなどと冗談を言っていた。
どうも、奴隷市場でかなり安く手に入れる事が出来たらしい。年に何度か売れ残りを安く放出する事があるので、たまたまそれに出くわしたのかもしれない。
部屋に入ると僕たちはすぐにベッドに入った。
明日はクアラルンプールへ戻るついでに買出しをしなければならない。その為にも早く寝る事が重要だったけど、アーガイルが僕の事を気にしていてくれた事を、ちょっとびっくりしてすぐに寝られなかった。
僕がどこから来たのか……せめてそれだけは知りたかった。