第九章
一
僕らは一路、ハノイへ戻る道を進んでいた。
僕自身は本当は怖かったけど、今さら後には引けない。
それに真実を知りたいという思いもある。今の僕で、どこまで出来るのか分からないけど。
「しかしよ、確かハノイは人族が奪還したんじゃないのか?」
「ああ、そう思う。しかし何らかの情報はある筈だ」
「情報ねぇ」
アーガイルはあまり信用していなさそうだ。
「しかし、敵の敵は味方とは限らないぞ」
確かにそうだ。それに、種族差別を行っているようなのが占領していたら、むしろ危ないかもしれない。
「勿論だ。だから慎重に行動しなければならない。それに二人は軍にいた訳ではない……シロンはいた筈だが、記憶がない以上は無いと考えるべきだ」
「何が言いたい?」
「うまくギルドと接触出来ればと思う。あれから大分時間が経った。何かしらの情報を握っているかもしれない」
何だか確証のない話ばかりだと思う。それに、そんなに都合良くいくのか疑問だ。
「まあ、金もそろそろ不味いからな。戻らざるを得ないか」
反対するだけの十分な理由も無く、僕らは道を進むしかなかった。
二
ハノイに近づくにつれ、以前と違い人通りが多くなっているのが手に取るように分かった。少なくとも町は健在だと思う。
「問題は、ギルドへ戻る金がない事だな。食料もない。ハノイで仕事を探すしかないか」
「そんなに簡単に仕事があるものなのか?」
「んな事、行ってみなきゃ分からねぇだろ」
「また、アーガイルは不安な事を言う! お金もないんだから何としても探さないと」
「はいはい、隊長」
とはいえ、やっぱり不安になる。ある程度復興しているなら大丈夫かもしれないけど、こればかりは着いてみないと分からない。
「やっぱり、ホンコンで仕事を探しておいた方が良かったんじゃ……」
「今さら遅い!」
アーガイルに逆ギレされた。最近アーガイルの逆ギレが多い気がする。
「相変わらず賑やかだな」
突然空から声がした。僕らが空を見上げると、見た事のある影がある。
「探したぞ。全く何やってたんだか」
馬車を止めると、そのすぐ前にイラが舞い降りた。相変わらず見事な着地だ。
「ハノイが大変な事になった直後に、君らが入ったと聞いて、慌てて探してみたんだが、その心配はなかったみたいだな」
その言葉に、僕らは下を向いてしまった。
「何かあったのか?」
僕はハノイであった事、その後起きた事をイラに伝える。それを補足するようにアーガイルとカロンも付け加えてくれた。
「大変だったんだな。まあいいさ、無事で何よりだ」
「こっちも、また会えて嬉しいよ」
「あの後、こっちも色々あってな。とりあえずハノイに向かってくれ。俺は先にみんなに伝えとくから」
イラは再び羽ばたくと、手を振ってから飛び去ってゆく。僕らもそれを追う事にした。
三
「シロン、アーガイル、カロン、よく無事だったね!」
出迎えてくれたのは、意外にもレンさんだった。ギルド長自らの出迎えにはさすがの僕も驚いてしまう。
「イラから一応の事は聞いているよ。シロンも本当に無事で何よりだ。勿論アーガイルもカロンもね」
レンさんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「な、何かあったんですか?」
たまらずアーガイルが聞く。
「アラブに呼応して、あちこちの都市国家がアラブ側についたんだよ。クアラルンプールもそのうちの一つさ。まあ、何とかごたごたの前にこっちに逃げてきたんだけどね」
「そんな事があったんですか。でもハノイは?」
確か竜人族から解放したのは、アラブ側の息のかかった軍だと聞いたと思う。
「竜人族の軍がいなくなってから、ハノイは中立を宣言してね。おかげでこっちも安心出来る訳さ」
「なら、この町は安心出来る訳ですね」
カロンにとっても、中立なら安心して滞在出来る。
いくらギルドに所属しているとはいえ、差別意識が高ければ居づらいのは変わらない。その敷居が低いのであれば僕も安心だ。
「まあ、カロンは一人では行動しない方がいいかもしれないけどね。この前の事が忘れ去られた訳じゃないよ」
その言葉に、カロンは頷いていた。
「でも、それだと取引がやりにくくなりますね。商売上がったりじゃないんですか?」
僕もアーガイルと同じ事を心配していた。こんな時は町通しの交易が冷え込んでしまいかねない。
「それなら心配ない。荷馬車などの取引は制限をかけていない所が殆どだ。人のやり取りはかなり制限を受けるが、荷物だけなら問題ない」
クルウェルさんが、レンさんの後ろから顔を出して教えてくれた。
「遅かったね。で、分かったかい?」
「はい。連中はコルカタにいるそうです」
「何の話ですか? コルカタと言えばここから西の町ですよね」
ここから少し距離はあるけど、一ヶ月もあれば充分到着出来る町だ。
「竜人族が仲間割れして、その一つがコルカタを占領しているらしい。占領している奴のトップはガルッフとかいう奴だ」
その言葉に、僕らは顔を見合わせた。
「どうかしたのか?」
「僕らは、その人物を捜しているんです」
僕の言葉に、その場のみんなが沈黙した。
「なるほど。シロンは人族の姿をしているが、本当は竜族で、仮の姿として竜人族の姿もあるのか。複雑な話だな」
ハノイの新しいギルドの建物の中で、僕は簡単に事情を説明する。
実際僕自身も分かっていない事が多いし、はっきりしない事もあるけど、今は説明が必要だと思った。
「シロンには、そんな秘密があるとはね。まさか竜族とは思ってもみなかったよ」
レンさんが僕を見ているけど、何かいつもと違う気がした。
「何か隠していますね。俺には分かりますよ」
アーガイルも気がついたようだ。
「おっと、こりゃ昔話をしなきゃならなくなったかね」
レンさんが苦虫をかみ殺したような笑いを浮かべた。
「少し昔話をしようかね……」
四
「敵の配置は!」
ウムラ・レン中将の声がテントに響く。テントの周囲は雑踏で五月蠅い。
「竜人族は丘の上に一個中隊、その後方に三個大隊の規模。また左側面より一個大隊の支援兵がいます」
同じテントにいたカール・ゲスタス大佐が報告する。
「支援の種類を何故言わない!」
毎度何度同じ事を言わせると思う。悪い指揮官ではないが、今ひとつ報告が遅い。
「し、失礼しました。一個小隊の投石器を確認しています。また、二個小隊の弓兵がそれを守っています」
「伝令、左翼の敵支援部隊にさらに支援兵あり。守備隊一個小隊の模様です!」
テントに駆け込んできた中尉が報告した。
「敵は我々が投石器を恐れていると思っている。投石器には戦車二個大隊で対抗しろ」
戦車とは人力で動かす装甲された馬車の荷台のようなものだ。中では弓兵が攻撃を仕掛け、敵の攻撃から身を守る。
「二個大隊でありますか?」
ゲスタスが驚いて確認する。確かに、敵の数から言えば、二個中隊でも撃破出来る筈だからだ。
「敵に余裕を与えてはならん。丘の敵には距離の長い弓を使え。直接その後潰す」
聞いていた大尉が復唱すると、急ぎテントを出て行く。
本来ならゲスタスに任せたいが、これではまだ任せられない。
「そちらに戦車を回した方がよいのでは?」
「戦車では足が遅い。弓で攪乱した後に、突撃させれば片がつく。突撃部隊二個大隊を完全武装で準備させろ。その後方に二個大隊をさらに配置し、いつでも戦闘が出来るようにしておけ。それから、対竜大弓を二個中隊準備しろ」
「ドラゴンも戦闘に加わるという事ですか!」
「可能性を考えるだけだ。それに大弓を見せれば、敵も易々とは攻め込んでは来ない」
命令は冷静だ。冷静にならなければならない。ゲスタスはテントに待機していた伝令に伝え、敵味方の配置図を見る。
地の利は敵に有利だが、数ではこちらが有利だ。兵器も揃っている。後は駒の使い方次第だろう。
「敵の右翼から攻撃を仕掛ければ、安全ではないでしょうか?」
「違うな、私なら絶対にしない」
盤に置かれた一つの駒の向きを変えた。
「この部隊の配置は恐らくこうだ。罠だ」
「ならば、こちらも投石器を使用するのはいかがでしょう」
「あんな、音もでかくて当てにならない兵器など、意味がない。こういう時は正攻法だ」
なぜ最近の兵は投石器を多用したがるのか、理解に苦しむ。準備にも時間がかかり、無駄以外の何物でもない。
それを聞く少女が横にいた。一生懸命盤の駒を見ている。
「ジョエル、戦いというものは先手を読むものだ。勝ってこそ意味がある」
まだ、若干十五歳のジョエル・レンがそこにはいた。
まだ正規の軍人ではないが、訓練兵の一人として戦いを見ている。勿論将軍の娘ともなれば、将来期待されるのは指揮官。だからこそこのテントの中にいられる。
「はい、お父様」
「ゲスタス、貴様も指揮官なら良く心得ておけ。こんなに良い戦場はない」
「はっ!」
返事だけは一人前か……それなら娘と大差ないぞ。
「予備の一個大隊も出すぞ。騎兵装備で突撃準備をさせろ。丘の戦闘が始まり、突撃部隊が入ったら右翼を攻める」
「罠なのでは?」
「先手先手だ。突撃部隊で相手が混乱している最中に右翼を攻める。教本には書いていなかったか?」
「私は、教本など見た事がありません」
「ああ、その通りだ。見る必要など無い。だから実戦で学べ」
「仰せのままに」
「ちょっと待て!それじゃあ、レン隊長は実戦を見ていたって事か?」
「フフ、悪かったわね」
カロンは何も言わずに聞いていた。僕はそれが不思議でならなかった。もし歴史に残る戦いなら、カロンだって知っているだろうから。
「投石部隊の上空に、白いドラゴンが一頭!」
伝令がテントに駆け込んでくる。
「すぐに攻撃開始せよ。容赦はするな!」
すぐに指示を飛ばす。予期していた事に焦る必要など皆無だ。
「予想通り出現しましたね」
「問題はこれからだ。シロだと、奴かもしれない」
「お父様はご存じなの?」
「最強のドラゴンと噂されるからな。連中も切り札を出してきた訳だ」
「最強……」
ジョエルが呟いた。
「しかし、近づけさせなければそれでいい。戦いとはそういうものだ」
以前、近づかれたときは最悪だった。奴の放つ魔法や風はどんな攻撃もはね飛ばす。
それどころか、こちらの被害が一方的になってしまう。だからこそ、近づかせなければそれでいい。
「戦車、突入開始しました。現在投石器と交戦中」
またもや伝令が飛び込んでくる。
予定通りの行動だ。あとはこちらの突撃が成功すれば勝てる。
「突撃部隊はどうした! 連絡遅いぞ」
慌てて、別の兵がテントを飛び出していった。
何故ゲスタスはこうも反応が遅い……奴の性格かと疑ってしまう。
「伝令、突撃部隊交戦を開始しました。支援も続行中」
別の伝令兵が飛び込んできた。
「よし、騎兵に右翼から攻めさせろ。容赦するな」
もう勝利は確実。あとは戦いをどう終わらせるかを考えればよい。
「ジョエル、見てろ。敵が崩れるぞ。後はどう終わらせるかだけだ」
「終わらせる?」
「戦いでは、終わりまで責任を持つ。勝てばそれで良いでは、立派な指揮官にはなれない」
「はい、お父様」
連中も、切れる奴がいれば無理はしないだろう。でなければ、奴らが全滅するだけだ。そこまでは望んでいないだろう。
やはりゲスタスは鍛え直す必要があると思うな……
テントの配置図を見ながら思った。
「で、勝ったんだよな?」
「ああ、もちろん勝ったさ。父上が負ける筈がないだろう?」
それにしても、カロンがさっきから震えているように見える。何故だろう? カロンは何か知っているのだろうか?
「敵の捕虜を捕らえました。指示通り、兵と士官は分離しています」
ゲスタスが報告してきた。さすがに戦いが終われば冷静になるようだ。
「全部で何人だ?」
「三百名程です。うち士官は二十名程。どうも、味方に見捨てられたようです」
まあ、これだけの戦いだとある事だ。さて、少しは情報を引き出せるといいが。
「良さそうなのを一人連れてこい。たまには尋問してみたい」
「はっ」
ゲスタスが出て行く。浮かれた感じのゲスタスに、ジョエルが少し笑っていた。
「敵兵の前では笑うなよ」
「はい」
「種族は違うとはいえ、言葉は通じるんだ。無闇に捕虜を乱暴に扱うな。覚えておけ」
「はい、お父様」
この子なら、きっと将来はよい指揮官になってくれるだろう。
「捕虜を連れて参りました」
ゲスタスが捕虜を連れて入ってきた。まだ若そうな白い竜人だ。
「椅子を用意してやれ」
「捕虜に椅子をですか?」
「言われたとおりにするんだ」
ゲスタスが仕方なしとばかりに、丸椅子を持ってくる。
「手荒な事をするつもりはない。正直に喋ればすぐに仲間の元へ戻れるだろう。まずは名前と階級を言え」
竜人は、一度睨んでから口を開いた。
「カロン・ヤエ。中尉」
「カロン……」
僕の言葉と共に、一斉にみんながカロンを見た。
「ああ、私だよ。まさかな。レン将軍の娘さんだったとは」
「あんたの名前を聞いたときは、私もびっくりしたよ。しかし、成長したね」
「あなたの父上のおかげだ。あれ以来、私の人族に対する見方が変わった。それまでは野蛮で力で押さえつける対象でしかなかったが、話し合う事が出来ると初めて知った」
カロンは、どこか懐かしそうに喋っている。きっとレンさんのお父さんの事を思い出しているんだろう。
「父上は亡くなったのか?」
「その通りだよ。あれから色々あってね。私は軍を離れ、今ではこうしてギルドの長をやっている」
「そうか……お亡くなりになったか。もう一度お会いしたかった一人だ」
「そう言ってもらえると、亡き父も喜ぶ。今度は、カロンが私たちのために働いてみないかい?」
私たちのため……どういう事か僕は良く分からなかった。
五
「で、なんでガルッフとアチカを知っているんだ?」
一旦休憩にして、昼食を摂ってからアーガイルが聞く。
「俺たちだけじゃない。他のギルドの連中も知ってるよ。奴の所為で交易を滅茶苦茶にされたからな」
クルウェルさんの目が厳しくなった。
「それどころか、町の人間をさらったりもしている。恨みを持つ者は多い」
「それは……実験台にされるためだと思います」
僕は、別の自分が言っていた事を思いだした。
「実験台? シロン、どういう事だい?」
「僕も詳しくは知りませんが、どうも種族同士を掛け合わせて、最強の兵士を作る計画があるようなのです」
「おいおい、そんな事が可能なのか?」
クルウェルさんも不審な顔で見る。
「僕もはっきりとは分かりませんが、僕らを襲った一人から聞き出せた情報です。ある程度は信用置けると思います」
どのように聞き出したかは言えなかった。今思い出しても、吐き気がする。
「なるほど……いまいち分からないが、種族に関係なく拉致されているらしい事を考えれば、納得出来なくもないな」
「僕らは、ガルッフとアチカを暗殺するつもりです。僕の場合は記憶を取り戻すためですが、相手が同じなら、協力して作戦を立てた方がいいかもしれませんね」
「そうだな。シロンの言うとおりだ。我々三人でと考えたが、人数は多い方がいい」
「それはそうだが、数人増えたところで、俺はあまり期待出来ないと思うぞ」
それは、確かにアーガイルの言うとおりだと思うけど、軍隊を動かせる訳じゃないし、出来る範囲で、出来る事をした方がいいと思う。
「それなら私に任せな。レンの名前は伊達じゃないよ」
僕はレンさんを見た。自信満々な顔をしている。
「ま、暫く待っておくれ」
六
レンさんがどこかに行っている間に、僕らはアタランテのみんなに再会出来た。
ギルドも色々大変だったみたいだけど、みんなが無事で僕も嬉しい。
みんなこれから何をするのか、誰から聞いた訳でもないのに知っているみたいだった。だから中には武器の練習を盛んにする人までいた。確かに必要かもしれないけど、僕は不安だ。
相手は訓練された兵士の筈。素人がそう簡単に勝てるとは思えない。それは、勿論僕もだけど。
「シロン、ちょっといいか? 会わせたい人がいる」
同じ馬車長をしているイルフェンさんに呼ばれて、僕はある部屋に通された。
中にはカロンと知らない竜人族の人が数人いる。僕は一瞬身構えてしまった。
「そう堅くなるな……と言っても、前の事があるからな。アチカの所から逃げてきた昔の仲間だ」
カロンさんが紹介してくれたのは、赤い竜人の人が二人と、青い竜人の人一人、緑の竜人の人五人だった。
よく見ると、誰もが顔や手に傷を負っている。
「作戦失敗の責任を取らされて、この様らしい。まあ、アチカのやりそうな事だ」
そのうち一人の緑の竜人が、僕から目をそらした。
「そいつはポス。お前を痛めつけた一人らしい。何なら仕返しするか?」
僕はポスの顔をじっと見る。ポスは今にも泣きそうな顔をしていた。
「一人じゃ何も出来ないんだね。なら何故あんな事を?」
「そ、それは……」
「あそこで、沢山の人が死んだ。あなたたちには、その責任がある。それは分かってるの?」
僕の問いに、誰も答えない。
「一生背負うんだね。でも、君たちに背負えるかな? 僕には無理だと思うよ」
「シロン、その辺にしておいてやれ。今回は別の用がある」
カロンが僕に近づいて、僕の左手を取る。そこに青い竜人が来た。
「奴はヨーラス。封印や魔法、その他に詳しい。もしかしたら役に立つかもと思ってな」
ヨーラスも一瞬僕から目をそらす。何か後ろめたい事があるのだろうか。
「昔、本国で封印を専門にしていたらしい。もしかしたらお前の封印をなんとか出来ないかと思ってな」
「あなたは……何か知ってる顔だ。この封印を知っていますね」
一瞬の沈黙。ヨーラスは僕の腕輪をチラッと見てから、静かに頷いた。
「知っている……これは竜封じの腕輪だ」
「竜封じの腕輪?」
カロンが聞き返した。
「この腕輪を竜族が付けると、竜族としての力を失うと言われている。しかし、具体的にどうなるのかまでは知らない」
「お前に、この封印が解けるか?」
「……私の力では、封印は解除出来ない。しかし、弱める事は出来るかもしれない」
カロンがヨーラスの腕を強く引っ張って、もう一度僕の腕輪をよく見せた。
「なら、すぐにやってもらおう。お前たちもヨーラスに協力しろ。逃げたらその場で殺す」
カロンの目は本気だ。いつの間にか、僕の後ろにもギルドの仲間が何人かいた。少しだけど殺気のようなものも感じる。
「しかし……」
「しかし、何だ?」
「こんなに強い力を感じるのは初めてだ。封印されていてもこれだけ強い力を感じるという事は、元は相当な力の持ち主だった筈。こんな部屋の中では危なくて出来ない」
「そんなに強いのか?」
いつの間にか、クルウェルさんまで来ていた。
「あんたらには分からないかもしれないが、彼は訓練無しで集団の一般兵を倒せる実力がある筈だ。人族にまで封印されたという事は、そこまでしないと力が暴発するという事。それを多少でも解放するのは、正直危ないと思う」
僕の脳裏に、一瞬で何人も惨殺した記憶がよみがえる。あんな事がまた起きてしまうのだろうか?
「シロン、お前はどうなんだ?」
カロンに言われて、僕は悩んだ。
確かに力は欲しいけど、暴走までするような力は欲しくない。でも、このままじゃ……。
「なら、外でやろうよ。この竜人たちに責任を取らせればいい」
僕は再度竜人たちを睨んだ。
直接責任がなかったとしても、町の人を痛めつけたのには変わりない。その責任は取らせるべきだ。
「分かった。では外で準備しよう。用意するものはあるか?」
ヨーラスが色々と注文をする。カロンがそれをメモに書きとめていった。
七
外の大通りに急遽僕らは移動し、ヨーラスが地面に魔方陣を描く。
魔方陣は生け贄にした動物の血で描かれた。それは巨大な円の中に、僕の腕輪と同じ模様で、直径は十メートルはある。
その周囲には町の人たちも集まりだし、非常時のためにと町の衛兵までが駆けつけてきた。勿論手には武器を持っている。
それがもしかしたら僕に向けられるかと思うと怖い。
「魔方陣は完成した。中央に立ってくれ」
僕は言われるがまま、魔方陣の中央に立つ。すると、それだけで魔方陣が淡い赤で輝きだした。
「だ、大丈夫なのか?」
クルウェルさんの声が聞こえたけど、もう後戻り出来ないと感じる。僕は大きく頷いた。
ヨーラスがよく分からない単語を並べて喋る。同時に、見た事のない文字のようなものを僕の周囲に書き出した。
「こんなに強い封印を解こうなんて……」
ヨーラスが小声で言ったのが聞こえたけど、僕はそれを無視した。
書かれていく文字は、同じく血で書かれている筈なのに、書いたそばから白く輝き出す。赤と白の光が眩しい。
「君は怖くないのか?」
「怖いよ。でも何も知らない方がもっと怖い」
次第に魔方陣の力が強くなるのを感じる。力でもなく、魔法でもなく、それ以外の何かの力だ。
『シロン、私の力をお前に託す。カロンに、すまなかったと伝えてくれ』
聞こえたのは、竜人の僕の声だった。
『託すって言われても、どうすれば……』
僕の中のもう一人に問いかけたけど、答えは返ってこなかった。
その間にも、魔方陣の中に文字がどんどん書かれる。地面は赤く染まっている筈なのに、何故か白い。
『逃げてきた他の竜人を周囲に呼べ』
今度は竜族の僕が言ってきた。見ると、竜人たちは震えていた。
「君たち、僕のそばに来るんだ」
明らかに躊躇しているのが分かる。それをギルドの仲間が後ろから押した。
「早く!」
僕はもう何かが始まると思って、思わず叫んでしまった。
『これだけでは、完全には解けないのは分かっている。だから、お前に私の力も託す。いずれ時が来たら我々は真に一人となるだろう』
竜族の僕の声の意味が分からずにいる間に、竜人たちが僕のそばに来た。
『悪いが暫く体を借りるぞ』
竜族の僕がそう言うと、僕の意識が奥に押し込まれる気がした。
「お前たちが、この町の者に何をしたのか分かっているな?」
いつもの僕の声じゃない、とても低い声が響く。魔方陣の外にいる人たちは、何が起きたのか分からずにいるようだ。
「お前たちが本当に贖罪するなら、赤い光の私の周囲で、跪け」
竜人たちは、互いに顔を見合わせていたけど、次第に一人ずつ僕の周囲で跪く。その誰もが震えているのが分かった。
「お前たちは私の力となるのだ。それを受け入れろ」
僕がどういう意味か分からずにいると、竜人たちもいきなり白く光り出した。
『この者たちを生け贄にする。悪く思うなよ』
僕は何と言ってよいのか分からなかった。
瞬間、目の前にいた竜人の一人が消える。町の人たちは唖然とした顔をしていた。同時に僕の中にとても強い力を感じる。
「魔方陣は完成した。あとは……」
そう言うと、ヨーラスが消えた竜人の所で同じように跪いた。
「こうなる運命だったんだ。私は潔く受け入れる。竜王様の力になれるなら、私の命など」
その瞬間、ヨーラスが強く白く輝いた。
「よい心がけだ。その方が苦しまずにすむ」
低い声で、もう一人の僕が言い放った。何が起きるのか何となく分かった気がするけど、それをどう表現したらよいのか分からない。
「全てはシロン・ナハ様のお力のために」
ヨーラスがそう言った瞬間、ヨーラスも陽炎のように消えてしまう。僕にはそれが怖くて仕方ない。
『彼らの代償だ。命を奪えば命で償う。それだけの事だ』
竜族の僕が答えてくれた。それは何となく分かっているけど、でも怖い。
「あ!」
後ろの方で誰かが叫んだ気がした。その瞬間、たくさんの力が僕に集中するのが分かる。
「シロン、大丈夫なのか!」
アーガイルの声がする。でも僕は動く事も出来ない。
「案ずるな。この者たちは自らこうなる事を選んだのだ」
次第に、僕の中の力が強くなっていくと同時に、周囲が白く霞んできた。それにいつの間にか空中にいるように感じる。
『空中にいるんだ。安心しろ、もう少しだ』
僕は、竜族の僕に向かってただ従う事しか出来ないと思った。
『終われば、心は貴様に返す。しかし忘れるな。お前は同時に私であり、竜人族の私でもある』
『うん』
今度は力が体全体から、心臓に集まるような気がしてきた。同時に周囲が真っ白な世界に覆われた気がする。でも、恐怖はなかった。どこか安心出来た。
『いくぞ!』
その言葉の直後、力が僕の心臓に集中し、弾けた気がした。そして、真っ白だった目の前が突然晴れる。
『終わった。もう少しだけ待て』
「シ、シロンなのか?」
アーガイルの声がする。その声に体が振り向いてくれた。僕はアーガイルを見下ろすような格好だ。
「ああ、私がシロン・ナハだ。もう少しだけ待て」
アーガイルはそれに頷くと、僕をじっと見つめていた。他の人たちは、何故か後ずさりしている。
『腕輪は残ったままだが、自分の意志で封印を調整出来る。完全な力ではないが、人と竜人と竜を自由に行き来出来るだろう。腕輪に触れて祈る事で、出来る筈だ』
『分かった……』
『それから、これが竜族としての私だ』
僕の顔が動く。目の前には巨大な手や足、翼があった。
『飛べるの?』
『勿論だ。それから、あの槍も体と共に変化する筈だ。後で確認しろ』
『分かったよ』
『飛び方もいずれ分かると思う。魔法も記憶に残しておく。私はまた暫く眠りにつこう。必ず封印を解いてくれよ』
その言葉と共に、僕の意識が全面に押し戻される気がする。僕は小さく頷いた。
「お待たせ、みんな」
僕の声にカロンが近寄ってくる。カロンがとても小さく見えた。今まで見上げるようだったのに嘘みたいだ。
「お前は、どのシロンなんだ……」
僕を見上げるカロンが、何だか不思議に感じる。
「僕は、人族として過ごしてきたシロンだよ。ごめん、カロンが一番知っているシロンじゃないんだ」
「いや、それならいいんだ。私の全く知らないシロンじゃないかと心配してしまった」
誰かが、僕の尻尾を踏んだ。後ろを見ると、アーガイルだ。
「気にくわねぇな。こんな姿になっちまって」
ハッとして、僕は腕輪に触って人族の姿を思い浮かべる。
気がつくと、いつもの視線のカロンとアーガイルがいた。二人とも驚いている。まあ、驚かない方が無理があると思うけど。
「これならいいでしょ?」
「おい、どんな方法使ったんだ!」
「アーガイル、落ち着いて。僕は自由に三つの体を使い分ける事が出来るようになったんだ。封印は完全に解けてないけど、それでも全て僕だよ」
「あの七人はどうした? 姿が消えてしまったが」
カロンが周囲を探している。僕はどう答えればよいか、最初分からなかった。
「まさか!」
「……うん、封印を弱めるための犠牲になったんだ」
「そうか……」
カロンはそれ以上何も言わずに、僕に抱きついてきた。
「シロン、本当によかった。お前が変わってしまうんじゃないかって心配だったんだ」
カロンの目に、はうっすらと涙が出ている。
「なら、この姿の方がいいかな?」
僕は腕輪に再度触れ、竜人族を思い浮かべる。すぐさま体が変わるのが感じられた。
「嘘だろ!」
アーガイルが呆気にとられている。そういえば、アーガイルより僕の方が身長は低かったのに、カロンと同じ程度の背の高さになっているようだ。
「言ったでしょ、三つの体を自由に行き来出来るって。でも、困ったな……」
僕は急いで腕輪に触り、竜族の姿を思い浮かべた。そしてカロンにそっと耳打ちする。
「誰も言わないけど、僕さっきから裸なんだけど……」
カロンの顔が赤くなるのが分かった。僕だって恥ずかしい。
「と、とにかくだ。しばらくその格好でいろ。私が服を持ってくる」
そう言うと、カロンは人混みの中を掻き分けて、ギルドのある建物に消えていった。
八
「言われるまで気がつかなかったというか、あまりの突然の事に分からなかったぞ」
クルウェルさんが、笑いながら僕の肩を叩く。
あの後カロンが服を持ってきてくれたので、僕は人払いを頼んでから人族の体に戻った。
他のみんなも、涙目で笑っている。そんなに笑う事無いのに……。
「そりゃ、笑わないでいろって方が無理だ!」
アーガイルまで、腹を抱えて笑っているのにはちょっとムッとする。
「しかし、シロン。まさかあの姿になるとは。父が恐れていた白いドラゴンに似ている」
レンさんが僕をじっと笑わずに見ていた。
「もしかしたらそうかもしれない。記憶が戻った訳じゃないから分からないです。でも、僕はみんなを裏切るつもりはありません」
「ふっ、シロンらしい言い方だね。その言葉、忘れないよ」
レンさんだけが、みんなとは違う笑顔で笑ってくれた。
「しかし、ドラゴンが味方となれば、戦力は一気に高まったな。あの様子だと空も飛べるんだろう?」
クルウェルさんの期待に応えたいけど、僕はまだ分からない。だから首を振る。
「まだ試した事もなくて分かりません。でも、僕の中にいる竜族の僕は、空を飛べる筈と言っていました。だから大丈夫だと思いたいです」
「魔法とかその類は使えるのか?」
「それは大丈夫です。少し訓練が必要かもしれませんが、使えます。それに僕には白竜嵐款槍があります」
「なんだ、そのやたら長い名前は?」
アーガイルが不思議そうな顔をしながら聞いてきた。僕はそばにあった槍を掴む。
「これです。白竜嵐款槍という名前の槍です。魔法の槍でもあります」
「やっぱり、魔法の槍か……」
カロンが槍をじっと見つめていた。
「一つ問題が……僕はどの服を着たらいいんでしょうか。この服を着たまま竜人族の姿になると、たぶん服が破れます。竜族ならなおさらです。戦いの最中に着替える訳にもいかないし……」
一番の難題だと思う。どの服も体型によってサイズが合わない。そしたら、みんなが大笑いしていた。
「わ、笑わないでよ! こっちは大問題なんだから」
「わ、悪ぃ悪ぃ。でもよ、そんな事俺たちに言われたってよ。な、カロン」
アーガイルは笑い過ぎて涙目になっていた。
「う、うむ。確かに問題だが、我々にどうにか出来る問題でもないと思う」
「大体よ、ドラゴンが着る服なんてあるのかよ?
「僕の微かに残っている記憶には、服を着ているよ!」
「シロン、悪いが私だって見た事がない。君が本当にオクノミトコ・ナハの息子だとしよう。それだと、君の年齢は二百歳を軽く上回る。おそらく三百歳くらいだろう。もちろんそんな昔の事など、ここで分かる筈もない。だから……諦めてくれとしか言えないんだが」
真剣な表情をしていっているように見えて、カロンは笑いをかみ殺している。正直納得出来なかった。
「他人事だと思って!」
みんなが大笑いする。何だか、僕だけ馬鹿みたいだ。
「そりゃ、なぁ」
アーガイルの言葉にみんなは大笑いだ。何だか惨めになってきた。
「シロンの服は考えておくから、みんなも笑うのを止めな!」
レンさんの一括に、一度はみんな笑いを止めたけど、やっぱりみんなクスクス笑っていた。
九
「で、どんな魔法を見せてくれるんだ?」
町外れの草原でアーガイルとカロン、あとアタランテの何人かの前で魔法を披露する事になった。
カロンが興味深げに聞いてくる。そんな事言われても、僕だって使うのは初めてだから分からないのに。
「つか、安全なんだよな?」
アーガイルまで、不審な目で僕を見ていた。
僕はそれを無視して目の前にある一本の木に集中する。実際使ってみないと分からないのが僕も怖いけど、十メートル程離れているから安全だろう。
心の中にいつの間にか雷撃のイメージが沸き、肌がピリピリする感じがした。そのまま集中力を切らさないようにしながら、木のイメージと雷のイメージが重なったときだった。
空を切り裂くように一本の雷が落ち木に直撃する。木は根元から蒸発して、後には黒い焦げだけがあった。
「お、おい……」
アーガイルもびっくりしているようだけど、僕だってびっくりだ。
「凄いな……」
イラが、驚きを隠せないように呟いている。
「魔法ってのは、呪文を唱えたりするものじゃないのか?」
アーガイルはそんな事言うけど、僕は呪文なんて教わってない。
「そんな事より、根本から消し去るって、強過ぎないか?」
「私もそう思う。下手をして味方に当たったら命はないな」
イラとカロンが真剣に何か言っていたけど、僕は言われるがまま放っただけだ。
「僕の中でイメージが沸いて、それが目的の物と重なると魔法が出ました。呪文とかってあったほうがいいの?」
思わず聞き返したけど、誰も何も言わない。
「ま、シロンの好きなようにすればいいだろ。俺は構わないと思うぞ。ただし、味方には当てるなよ?」
アーガイルが釘を刺すように言うけど、そんな事、言われなくても分かっているつもりだ。
「やっぱり、ドラゴン状態の方が魔法は強いのか?」
「そんな事言われたって、使った事がないから分からないよ」
カロンも無理を言うと思う。
「じゃ、やってみろよ」
「えぇ!」
服が破れるから裸にならないといけないのに、アーガイルも無理を言うと思う。
人族から竜人族へ変わるときのために、ちょっと大きめの服を用意してくれたから問題ないけど、竜族となると話は別だ。十メートルはあるのだから、服なんて粉々になってしまう。
「やっぱりあれか、裸になるのが嫌か?」
「アーガイル、分かってて言っているでしょ?」
「なら、槍を使って魔法を放ってみろよ。魔法の槍なんだろ?」
足元に置いてある槍を拾うと、わざとアーガイルに向ける。
「そういう冗談は止めろよな!」
「なら、変な事は言わないで!」
「分かったよ」
アーガイルは不服そうだけど、こっちの身にもなって欲しい。
僕は、別の木に向けて意識を集中した。瞬時に竜のイメージと雷のイメージが重なる。大音響が鳴り響き、目の前が白くなった。
「お、おい……」
カロンが腰を抜かして尻餅をついている。僕だって怖くなった。
目の前にあった筈の木が無くなり、その周囲五メートル程が黒こげになっていた。
「こりゃ、危ないとかそういう問題じゃないぞ……」
カロンの言うとおりだと思う。しかも意識を先ほどよりも集中する必要すらなかった。
「ま、シロンは戦力としては十分という事が証明された訳だ。問題は我々の方だな」
イラの言葉に、みんなが頷いている。僕だけ仲間外れにされた気分になるのは、何故だろう?
「シロン、槍で私と前のように、手合わせしてくれないか?」
僕は頷くとカロンは長剣を取りだした。レンさんがみんなに用意してくれた武器だ。勿論僕のもあるけど、剣は使った事がないからよく分からない。
「いくぞ!」
その言葉に周りのみんなが下がる。僕はそれを確認して、槍先をカロンに向けた。
まずカロンが動いた。右に地面を素早く蹴った後、僕に向かってくる。僕は左に地面を蹴り、槍を盾にしてカロンの剣を防ぐ。
「動きは前と変わらないようだな」
そう言われたときだった。体が勝手に動くように、左手だけで槍を突き出し、剣を空中にはね飛ばす。剣はカロンの後ろに転がった。
「な、何!」
「シロン、いつの間にそんな技覚えたんだ?」
カロンもアーガイルも驚いている。でも僕だってよく分からない。
「か、体が勝手に……」
「防衛本能が強くなったのか? それにしても、私でさえ動きが分からなかった」
カロンは剣を拾うと、鞘にしまう。
「ま、シロンには剣は必要ないかもしれないな」
そう言われると、僕は何と言ってよいのか分からない。でも、カロンに言われてちょっと嬉しかった。
「俺たちも訓練しないといけないな。シロンは別格としても、カロンと対等に戦えるようにはなりたい。この前は一方的だったからな」
アーガイルは、初めて会ったときの事を忘れられないようだ。まあ僕だってそうだけど。
「戦略は、レンの姐さんが練ってくれるらしいから、俺たちは戦いの基本をカロンに学ぶか」
イラの言葉の中に、僕は入っていないのは明らかだ。
「誰が姐さんだって?」
カロンたちの後ろにあった木の裏から、レンさんが突然出てきた。
「あ、やべぇ」
「イラ、後でお灸を据えるからそのつもりで。シロン、見せてもらったよ。期待しているからがんばりな。私に出来る事は少ないかもしれないけど、出来る事は何でも協力するからね」
僕は素直に頷いた。
十
「我々の情報では、コルカタで人体実験が行われると聞いています。あと、正体不明の生物がいるという情報もあります」
別の荷馬車ギルドで、連絡係をしてくれているヤンさんという人が訪れている。
「正体不明?」
「詳細は分かりませんが、虫との噂もあります」
僕はその言葉に、クアラルンプールでの出来事を思い出した。レンさんも同じ事を考えたみたいだ。
「もしかしたら、やっかいな事になるかもしれないね」
「ご存じなのですか?」
「クアラルンプールで正体不明の虫がいてね。虫という表現が正しいのかも分からないけど、巨大な虫だったよ。人を養分としているのなら、その可能性もあるね」
レンさんが簡単に説明してくれた。あの事を思い出すだけで、僕は嫌になる。
「一匹を退治するのに、三十人程必要としたから、そんなのが何匹もいたらまずいよ」
確かにその通りだと思う。それに、下手に近づいたらこっちがやられかねない。
「敵そのものは数は少ないようです。ただ、別の情報で住民が消えているとの話もあります。それが何を意味するのかまでは……」
「コルカタの人口はどの位なんですか?」
「ざっと一万人位と聞いています」
「つまりだ、私たちはその一万人と戦う事も考えなきゃならないって事だね」
レンさんの言葉に、嫌な予感がする。
ガルッフやアチカの盾になる一万人の人たち。そんな人たちと戦うのは、あまりよい気分じゃない。
「兵士として徴用されているという事ですか?」
「その可能性も考えなきゃならないって事だよ。全く困ったものだね」
「正規の兵士は、どの程度いるか分かっているか?」
僕の聞きたかった事を、クルウェルさんが聞いてくれた。
「確認されているのは、五百人程度です」
「意外に少ないな」
クルウェルさんが意外な顔をしているけど、充分多いと思うのは気の所為だろうか。
「はい。しかし、三千いたという未確認の情報もあり、詳細は不明です」
「まあいい、分かったよ。他のギルドとの連携は大丈夫なんだろうね」
「猛将レン将軍の娘さんが指揮を執ってくれると聞いて、みんな張り切ってますよ」
「煽てるんじゃないよ。とにかく、準備が出来次第こっちも出発するからそのつもりで。他に何かある?」
「いえ、ありません」
「レン、出発は半月後でいいのか? もっと訓練が必要だと私は思うのだが」
「敵に時間を与え過ぎている。本当なら今出発したい程なんだから、訓練の時間をもっと増やすように言って」
「はっ!」
「それではこれで失礼します。また何かありましたら連絡します」
ヤンさんが部屋を出て行く。僕らはそれを見送った。
「ところで、何で僕もいてよかったんですか?」
「シロンは切り札でもあるからね。出来るだけ情報を知っていてもらいたいのさ」
レンさんの顔は厳しい。それ程簡単ではないという事だろう。
少し嫌な予感がするものの、僕はレンさんの言葉に頷くしかなかった。




