少年マジシャンの謎 (8)
まどか少年は、きょとんとした顔で私を見つめていた。私はもう一度心に思ってみる。
私、いやヴォールターナーは、心で誰かに呼び掛ける魔法など使えなかったが、マドゥーラなら、相手が心に思っていることを感じ取ることができるはずだ。その反対に、先程のように気が緩むと自分の考えをいきなり他人の脳裏に洩らしてしまうことがあった。魔術師は偉大な力を持っていたが、うっかり屋のためにトラブルも絶えなかったのだ。
おそらく、そんなことを知らない周囲は、聞こえていたとしても空耳だと思っているだろう。内容もよく聞き取れていないかもしれない。だから何事もない顔をしているのだろうが、私はそれで、マドゥーラの癖を思い出したのだ。
―― まどか君はマドゥーラの生まれ変わりなんでしょ。私はヴォールターナーの生まれ変わりよ ――
さっきとは趣向を変えて、葉月の言葉で伝えてみるが、何だかオネエになった気分だ。
まどか少年の顔がさっきより険しくなった。私は手応えを感じ、ますます手に力を込めた。
「葉月お姉さん、手、いたい。それに、お姉さんの顔、こわい」
まどか少年が困り顔でそう言った。
「あっ! ご、ごめんなさい!」
私は慌てて手を離して謝る。表情から手応えを感じたのは、単に私がきつく握った手の痛みに耐えていただけだったのだ。
私の怪力で、まどか少年の手は真っ赤になっていた。
「ごめんね、ごめんね! 終わってほっとしたら嬉しくなって、つい力が入っちゃった」
勝手にマドゥーラを想像していたので、まどか少年が小学生だということを忘れていた。せっかくマジックの最中に怪我をさせずに済んだというのに、こんなことで怪我をさせたら大変だ。私はまどか少年の手をさすりながら平謝りした。
「もう大丈夫です。それに、お姉さんの怪力には、慣れていますから」
まどか少年はそう言って、ウィンクをしてみせた。
「へっ?」
私は口をぽっかり開けて動きを止めたまま、まどか少年を見つめた。彼はそんな私の顔を黙ってニコニコと見つめ返している。
やがて閉じられた口の奥から漏れ響くように、しわがれた老人の声が聴こえてきた。
―― やっと会えたのう。息災にしておったようで、安心したぞ。ヴォール ――
私は思わずまどか少年の両肩を掴んだ。
―― ……やっぱり、マド…… ――
心の中で呟こうとしたとき、背後から呼びかけられて私の『心の声』は中断を余儀なくされた。
「葉月さん、お疲れさま!」
振り返ると、絢さんと藤堂さんが立っていた。
「言った通りだったでしょ? まどかくんの仕掛けは毎回ぬかりがないのよ。だからスタッフも安心してまどかくんに任せているのよ」
―― あの、その本人が危ないところだった、なんて言っているんですが? ――
そう教えてあげたいが、結果的には成功したのだから、絢さんにも藤堂さんにも、まどか少年にそんな苦労があったことなど想像できないだろう。
これまでもまどか少年は、魔法が使えることを良いことに、失敗しそうになったら、土壇場で魔法で乗り切っていたのかもしれない。
まどか少年は、私がそう考えたことをちゃんと読み取って、嫌味っぽく答える。
「やだな、お姉さん。そんなのマグレが重なっただけでしょ? って言いたい目してる」
「そ、そんなこと、思ってないのよ。だけど、命がけだったから、こわいな~と思って……ほほ」
「まあ、そうよね。今回のマジックは随分大胆だったわよね。万が一のこと考えたら、心配になるのは仕方ないわ。まどかくん、今度はもう少し安心して見られるものにしてね。あなただけじゃなく、他の人も大変なことになっちゃうから」
―― それは、企画の時点で、大人たちが気付いてくださいよ。どういう方針なの? このテレビ局 ――
私がそんなことを思っていることを、全部聞き取っているまどか少年は、笑いを必死にこらえた表情で、返事をした。
「はあい。わかりました」
心はここに居る誰よりも人生を知り尽くした老人である。少年の顔をしながら、幼稚な大人たちに呆れている様子だ。その態度はなんだか非常に生意気な感じがするが。
その後は、まどか少年も私も、いろんなスタッフに声を掛けられ、引き離されてしまったので、『心の会話』も容易に出来ない状態だった。
いろんな人の話が混じったり、距離が離れていると、さすがのマドゥーラにも心に思ったことを聞きとったり伝えたりすることは難しいようなのだ。前世の時もそうだった。マドゥーラにとって、心の声は普通の会話と同じ音声で聴こえているらしい。ざわざわと騒がしい場所では通じないのだ。
ロケがすべて終了して、別々の車に乗り込むとき、私はさりげなくまどか少年のそばに寄っていって、心で言った。
―― マドゥーラに確かめたいことが山ほどあるんだ。お前の住所教えてくれ ――
焦ってヴォールターナーの口調になる。電話番号でも良かったが、家族が出たら何と自己紹介したらいいのか分からない。まだ小学校の中学年なので携帯を持っているかも分からない。持っていたとしてもアドレスの方が複雑で覚えにくい。そこで、『手紙を出す』ということを思い付いたわけだ。後で他のスタッフに聞いたとしても、おそらく個人情報云々と、教えてもらえないことは分かっている。これが、まどか少年にコンタクトを取るための最後の手段だった。
マドゥーラは早口で自分の住所を告げた。
―― 〇〇区 △△ □-□-□ ◇◇マンション 307号室 ――
私は記憶力を総動員してその住所を覚え、何度も何度も心の中で繰り返しながら車に乗り込み、バッグの中から手帳を取り出して書き留めた。
いくら勇者の知力と体力を備えていても、こういうことは一番苦手な作業だ。
とりあえず、マドゥーラとの接点は確保した。
ホッと肩の荷が下りて、私は帰りの車の中で爆睡してしまった。家に着いて、絢さんと藤堂さんと三洗さんが三人がかりで起こしても、しばらくピクリとも動かなかったそうだ。