弓道アイドル はづきちゃん♡ (4)
テレビ局のスタジオに入った途端、私は思わず呆然と立ち尽くしてしまった。果てが見えないような高い高い天井からつり下がったたくさんのライトが、だだっ広い空間を眩しく照らしている。広いスタジオの中央にポツンと置かれたセットの周りを、いかつい機材がいくつも囲み、その周りに太いコードが幾重にも張り巡らされている。お馴染みの『ハツコの部屋』の華やかなセットはあまりにも小さくて、その周囲は何とも殺風景でものものしい感じだ。
「葉月さん、こっちこっち」
いつの間にか、絢さんも藤堂さんも遥か遠くにいて、野球帽を被ってサングラスのように色の濃い眼鏡をかけ、無精ひげをはやしたいかつい『おっさん』とともに、こちらを向いて私を呼んでいた。私は慌ててそちらに駆け寄った。
「こちら、番組プロデューサーの信楽です」
絢さんが紹介すると、信楽さんはにこやかに手を差し出した。私がその手を取ると、それをぎゅっと握り返しながら声を掛けて来た。
「信楽です! この度は番組出演を快諾いただいて、ありがとうございます! 葉月さんの話題は、『謎の弓道美少女』として今や全国を駆け巡っていますから、今日の『ハツコの部屋』は、目玉の回となるでしょう! 今回の視聴率には、我々、大いに期待しているんですよ!」
「は? へ?」
私は信楽さんの言っていることがよく理解できなくて、返事にもならないおかしな声を上げてしまった。
「信楽さん、収録の前に変なプレッシャーをかけないでください! 葉月さんは全くの一般人で、私たちが無理にお願いして、いらしていただいたのですから。
葉月さん、こちらの事情は気になさらないで。普段の葉月さんの生活をお話いただくだけでいいんですよ。司会者のハツコさんが上手に進めてくださいますから」
絢さんがそう言ってくれたので、多少は冷静になれたが、やはりここは別世界だし、ここの人たちが私に何か過剰な期待をしているのが分かって、緊張しないわけにはいかない。ましてや、一流芸能人の『ハツコ』さんと一対一で話をするなんて! クラクラと眩暈がして、今にも倒れそうだ。
「これはすみませんでした。つい……。心配しなくても大丈夫! 我々がちゃんと進行しますから、葉月さんは大船に乗ったつもりで!」
今さらそんなことを言われても、落ち着くなんて無理だ。私の気持ちなどお構いなしに、信楽さんは話を進める。
「ではさっそく、演出の説明をします。こちらへ」
信楽さんに連れられて薄暗いスタジオの端に行くと、そこには『巻藁』が置かれていた。
巻藁とは、弓道の練習に使う俵型にした藁の束のことだ。藁の束といっても、分厚くきつく巻かれているので、中はとても硬く、それに向けて矢を放つと貫通せずに矢が刺さる。それで弓を引く練習をするのだが……。
「せっかくなので、番組内で葉月さんの弓を引く姿を見せていただきたくて、特別に用意したんですよ! 司会者から話が振られたら、これをセットの前まで持っていきますので、是非弓を引いていただきたいんです!」
「ちょっと! 待ってください! こんな狭いところで危険です!」
「弓を引く姿を見せていただきたいだけなので、巻藁のすぐ前でいいんですよ。葉月さんなら外すことはないと思うので、矢がとんでもない方向に飛んでいくこともないでしょうし!」
そういうことじゃない! 普通なら貫通しない巻藁だって、私の矢は貫通するんだ! 部活のみんなはそれを知っていて、私が練習をしているときは、だれひとりとして私の周りに近づかない。巻藁の向こうが壁なら跳ね返ってくるし、薄い板や畳だったら、それさえも貫通してしまうからだ。いや、そもそも巻藁なんて、私には危険で使えない!
「絶対ってことないですから!」
「そんなに心配なら、巻藁の後ろに畳を抱えたADを立たせましょうか?」
それじゃ、畳も貫通してADに当たるじゃないか! 私は殺人犯になっちゃうよ~。
「それは、もっと危険です! とにかく、巻藁の左右3メートル、後ろにはどんなに距離があっても誰も入らないって約束してください!!」
「はあ、そんな大変なものなんですかぁ~。私もよく知らないことですし~。
わっかりました! 葉月さんのおっしゃる通りに注意します! なので、弓を引いていただけますね!」
信楽さんは、警察官の敬礼のように、指をぴんと伸ばした掌をおでこの隅に当てて見せた。
軽い! こんな軽いノリで、本当に約束を守ってくれるのか心配だが。もう、嫌だとはいえない雰囲気になっていて、私は黙って頷くしかなかった。
それからしばらくの間は、セット内のゲスト用ソファに座って、司会者のハツコさんがやってくるのを待っていた。
花形対談番組のゲストだというのに、学校指定の胴着に袴の姿。あまりにも地味だ。まあ、そうでもしないと、私が誰だか分からないからだろう。せめてプロにメイクでもしてほしかったが、お嬢様女子高生というイメージが崩れるということで、頭に巻いた鉢巻とおくれ髪を少し整えてくれた程度だった。
あくまで素人だからこそ、世間が興味を持ったのだ。テレビに出るからと言って、普段と違うことをしてはいけない。
私の心の中は、これからテレビに出るというワクワクした気持ちと、おしゃれも出来ない残念な気持ちとが葛藤していた。
やがて、『ハツコ』さんがやってきた!
年配であっても、さすがは芸能人! きらびやかな衣装に優雅な物腰で、スタジオに入ってくるなり空気がガラッと変わった。私も思わず立ち上がって硬直する。するとハツコさんが満面の笑みで近づいてきた。
「んまぁ~。あなたが沢渡葉月さん? はじめまして。青柳 初子です」
「は、はじめましてっ! 沢渡葉月ですっ! 本日はお招きいただきまして、あ、ありがとうございます!」
「んまぁ、面白い方ね。でも、『ハツコの部屋』ですものねぇ。私がお招きしたようなものだわ。ようこそ、いらっしゃいました」
茶目っ気たっぷりにそう言って、ハツコさんは私に握手を求めてきた。ハツコさんに「どうぞ」と促されて、再びソファに腰を下ろすと、ハツコさんもその前にゆっくりと腰を落ち着ける。
明るいセットの向こう側は鬱蒼と暗いが、そこに大勢のスタッフがうごめいているのが分かった。中央に居る信楽さんらしき人が何やら合図を送って声を上げる。同時にお馴染みの音楽が流れてきた。
る~るるる~♪ るる~るる~♪ る~るる~♪
いよいよ、リハーサルが始まり、その次に本番が始まる! こうなったら、豪華客船の一等船室の客のつもりで、すべてをお任せしようじゃないか!
私は心を決めた。
これがとんでもない事件に発展するとは、そのときは思いもしていなかったのだ。