弓道アイドル はづきちゃん♡ (3)
『ハツコの部屋』収録のため、私は初めてテレビ局なるところへ招かれた。
何故か、弓道具を一式、胴着、袴をひと揃え、持参してほしいとのことだ。試合では、これらの道具を持って電車やバスに乗っているため、かなり奇異な目で見られることにも慣れている。
当日の朝 ―― 平日だったが、例の隠れミーハー理事長のお蔭で、堂々と学校は欠席していいという許可が下りた。さらにまた、学校の掲示板に、『祝! 2年C組 沢渡さんテレビ出演決定!』などと張り紙がされる始末である ――
普通に試合に行くようなつもりで「いってきまーす」と玄関を出ると、目の前に黒光りするロールスロイスが横付けされていて、父のお抱え運転手の佐藤さんが待ち構えていた。
「お嬢様、本日はテレビ局までお送りいたします」
「え? お父様は?」
「旦那様は、本日は電車でお出かけになりました。先ほど駅までお送りいたしまして、お嬢様をよろしくとおっしゃっておりました」
「ええー? お父様、電車に乗れるの?」
娘の私には車を使わせてくれないくせに、父は車以外で移動することは滅多にない。もちろん自分で運転することもない。佐藤さんの運転で送ってもらえるのは、父が移動する方向がたまたま一緒だったときくらいだ。テレビ出演する娘のために、慣れない電車通勤をしようとは。
私の驚きと心配を感じ取って、佐藤さんは笑った。
「旦那様も電車くらいは乗れますよ。秘書もご一緒していますし、出張の際には新幹線もご利用になっていらっしゃるんですから」
―― ひとりじゃないじゃないかい! 新幹線移動だって、秘書やら関係者やら、ぞろぞろ連れてのことだろうが。世間知らずの芸能人と言ったところだ ――
私が心の中でブツブツと言って、なかなか車に乗らないでいる間に、佐藤さんは私の道具を取り上げてさっさとトランクにしまい込み、最後部の座席のドアを開けた。
「旦那様もご心配なさっているんですよ。そんな目立つ格好で、テレビ局に行ったら騒ぎになります。沢渡グループの社長令嬢がひとりで重そうな道具を抱えてやってきたなどと、沢渡グループは傾きかけているのではないかと思われてしまいます」
―― そっちの心配かい! ――
父には多々言いたいことがあるが、重い荷物を持たずに楽に移動できるに越したことはない。私はしぶしぶ後部座席に乗り込むと、ふかふかの黒革のシートに身を埋めておとなしくなった。
『テレビに出るって、ラッキーなことが付いてくるもんだな~』
車がスーッと発車したかと思うと、自室のベッドにでも寝ている気分で、朝から心地よい眠りについてしまった。
「…………さま、……じょうさま、お嬢様、着きましたよ」
声を掛けられて寝ぼけ眼をこじ開けると、ドアから三人の顔が覗き込んでいた。
すぐそばに佐藤さん、そしてその横に絢さん、その後ろに伸び上がるようにして藤堂さんのひげ面が半分見えている。
「あ!」
ぱっと目を見開いて我に返ったとき、口の端に何かが垂れているのを感じて慌てて手の甲で拭う。
「朝早くから、申し訳ありませんね、葉月さん」
その様子を見ていた絢さんが、申し訳なさそうな顔になって言った。
「あー、いえ。全然……」
大丈夫……じゃないよ。よだれ垂らした寝顔見られて、大丈夫なわけないじゃないか。穴があったら入りたい。
車から降りると、すでに藤堂さんが私の荷物を佐藤さんから受け取っていた。肩に食い込む荷物の重さに少し顔をしかめている。
「では、お嬢様をよろしくお願いいたします」
帽子を取って、絢さんと藤堂さんに深々と頭を下げたあと、佐藤さんはロールスロイスとともに速やかに去っていった。
「さすが、沢渡グループのご令嬢ね」
感心していう絢さんこそ、名だたる政治家一門の出身じゃないか。よだれを垂らした寝顔を見られた私は、絢さんの言葉に皮肉を感じ取ってしまう。
「いや、しかし、こんな重いものを、ひとりで運んでいるんですか?」
バズーカ砲のような矢筒と、鉄板入りの弓に押しつぶされそうになって、藤堂さんが悲鳴のように言った。
「情けないわね。女子高生がフツーに持っているものを、大の男が重いだなんて」
いや絢さん、私、フツーの女子高生じゃありませんから。……ということは言えないので、私は引きつり笑いを返す。
絢さんが私の前に立ち、半身をこちらに向けるようにして案内する。私がそれに続き、藤堂さんが荷物を抱えて後ろを付いてくる。通用口に立つ警備員が私たちに向かって会釈し、その前を何事もなく通り抜けてテレビ局へと入った。
これって、ほら。芸能人の『入り』の光景じゃない!
私のテンションは一気に上がった。
いくら有名な大企業の令嬢とはいえ、自宅から高級車で送られて、テレビ局の通用口に横づけしてもらい、付き人(?)に従われて顔パスで局内に入るなんて経験は、滅多にできるもんじゃない。
絢さんに付いて、狭い通路を抜けて行く間も、前後左右、天井から床まで、私は落ち着きなく辺りを見回していた。
突然脇のドアが開いて、男の子が飛び出てきた。男の子はよそ見をしていて私たちにまったく気づかず、私に直進してきて思いっきりぶつかった。
男の子は転がってしりもちを付き、私も反動でよろめいて壁にぶつかる。
「あー、ごめんなさい! もれちゃう!」
倒れ込んでもすぐに起き上ってそう叫んだ男の子は、股間を抑えて私たちの後ろにあるトイレへと駆け込んでいった。
「…………」
私は何が起こったのか分からず、しばらくそのまま壁に寄りかかってつっ立っていた。
「葉月さん、大丈夫?」
絢さんが心配そうに聞いてきた。
「大丈夫です。びっくりしただけ」
そのまま、男の子の飛び出てきたドアを見ると、その脇に張り紙があり、名前が記されていた。
―― 西条 魅登嘉 様 ――
『なんという、キラキラネームじゃ! なんて読むのかさっぱり分からない! しかも、あんな小さな子が芸能人?』
一瞬で顔がよく分からなかったが、多分あまりテレビで見たことがないような気がする。
けれど、何故かその後も、その少年のことが頭を離れなかった。おそらくあの名前を何て読むのかが気になって仕方なかったからだろう。