弓道アイドル はづきちゃん♡ (2)
三洗さんに引っ張られてリビングに入ると、入口に向かい合っているソファに見慣れない客人がふたり座っていた。
癖の強いロングヘアを後ろで一つにまとめ、無精ひげを生やした無骨な相貌に、俄かに借りてきたようなスーツを窮屈そうに身に付けた男性と、男性とは対照的に、生真面目そうな、眼鏡の奥から鋭い視線を送っている女性。しかしよく見ると、眼鏡を取ればモデルでもいけそうな美女だ。無理にお堅く作っているような違和感がある。
どちらとも個性的な、いかにもギョーカイ人といった雰囲気のふたりだった。
私の姿を見ると、二人そろって速やかに腰を上げ、男性は笑顔を私に向けたままキレのいい会釈を、女性はゆったり深々と頭を下げた。
「ああ、ようやく帰っていらしたのね、葉月さん。この方たち、何とかっていうテレビの方なんですって」
入口に背を向けて座っていた母が、ふたりの行動から私が入ってきたことに気付き、身体を半分こちらに向けてそう説明した。
―― 『ナントカっていうテレビの方』じゃ、全然紹介になってませんけど、お母さま! ――
男性は母の言葉が終わらないうちに、素早く私の方に寄ってくると、名刺を差し出しながら言った。
「はじめまして、エックステレビ企画部の藤堂と申します!」
―― エックステレビ? 私、何かに応募したっけ? そういえばクイズ番組で、みっちゃんラーメン一年分プレゼントというのに惹かれて、答えを応募したことがあった! うちではインスタントなんて食べさせてもらえないから、当たったら密かに部屋に隠しておいて、少しずつ食べようと思ってたのに! ――
私の頭の中には、僅かな時間に勝手に憶測が出来上がっていた。密かな楽しみがせっかく手に入るところだったのに、母に知られてしまったら何にもならないじゃないか! 夢が実現する寸前でガラガラと崩れ去ってしまったことに愕然とし、目の前のロン毛ヒゲ面が無性に憎らしく思えてきた。
「はじめましてっっ!」
初対面だというのに不機嫌を露わにした口調でそう言うと、ロン毛ヒゲ面の営業スマイルをあからさまに無視して、母の隣にどかっと腰掛ける。母が驚いて私をジトッと睨んだ。
「……葉月さん、お客様の前でなんて態度ですか? 愛想よくなさって」
横から母のヒソヒソ声が注意する。
「はーい!」
反抗期丸出しのような態度で返事を返すと、母はますます眉間に皺を寄せて「んまっ」と呟いた。母の腕の中の桃子も、母とそっくりの冷たい視線を私に送っている。
私にすかされて、すごすごと座っていたソファの前に戻ったロン毛ヒゲ面に、母が申し訳なさそうに言い訳する。
「いつもはこんな娘ではないんですが、今日はよほど疲れているようですわ。理由がどうあれ、お客様にたいへん失礼な真似を……。躾が行き届いておりませんで、申し訳ありません」
「いえいえ! 普段は礼儀正しいしっかりとしたお嬢様でいらっしゃることは、十分存じておりますわ。藤堂がこんなだらしのない格好ですので、戸惑われるのも無理はありません。せめてヒゲくらい剃ってくるのが礼儀ですわよね」
眼鏡のインテリ風女性が、隣をキリッと睨むと、ロン毛ヒゲ面は頭をかいてなんどもペコペコとやった。
正面の私がふてくされているので、二人は私の様子に気遣いながら遠慮がちに腰を下ろした。
眼鏡インテリが、おずおずと私に名刺を差し出して自己紹介する。
「初めまして。同じくエックステレビ企画部の錦小路 絢と申します」
―― 錦小路?! ――
私が驚いた目に変わったのに気付き、眼鏡インテリは、私の持ったであろう疑問を察してそれに答えた。
「園華がいつもお世話になっておりますわ。わたくし、錦小路 園華の従姉妹に当たりますの。
先日は、園華から、友人の葉月さんが翠泉寺高の神部さんと変わった弓道の試合をなさると聞き、急遽、試合の企画を練らせていただきました。神部さんと翠泉寺高校には事前に了承を得ていたんですが、あなたにはすでに園華から話が通っているものだと……。後になって直接ご了承を得ていなかったと園華に聞きまして、お詫びに伺ったんですの。本来なら、わたくしたちが直接ご挨拶に伺わなければいけませんでしたのに、大変失礼いたしました」
インテリ眼鏡……いや、絢さんがそう言って頭を下げると、それに倣うようにロン毛ヒゲ面も深々と頭を下げた。
―― なんだ、あの試合のことか ――
私はみっちゃんラーメンが当たらなかったことにがっかりはしたが、見当違いの絶望感が消えて、逆にほっとした。
「あ、いえ、わざわざそんなこと、いいです」
私の言葉に、二人は安心したように顔を上げた。
「本当にごめんなさいね。遅くともテレビ放映の前には気付くべきでしたのに」
園華の従姉妹といえ、絢さんは話が分かる人らしい。園華が私を困らせるためにわざと嘘を吐いたことなど、だいたい察しがつく。そもそもあの試合の中継も、私に大恥をかかせるために仕組んだに違いないのだ。それに利用されてしまった絢さんの方が被害者なのだろう。思わず彼女に同情したくなった。
「もう、結構です。済んだことですし。かえって、そちらの企画で楽しませていただきましたから」
「さすが! 懐が大きい! やっぱり素晴らしいヤマトナデシコだ!」
ロン毛ヒゲ面が、反り返って手を叩く。
「どんなことがあっても動じない。アスリートの鑑ですわね!
実は、昨日の放映から反響が凄くて、是非また葉月さんをテレビに出してくださいという電話やメールが殺到しているんですよ。
こんなに華奢で可愛らしいのに、男性顔負けのあんな凄い技を持っていらっしゃるというギャップ。試合に臨む時の凛々しい姿に、多くの視聴者が魅了されたようですわ」
そういえば、昨日があの試合のオンエアだった! 私は鷹介に負けたので、もともと観る気など無く、放送日もすっかり忘れていたのだ。
「そうそう! 葉月さん、とってもカッコ良かったですよ~」
横から三洗さんが割り込んでくる。三洗さんはちゃっかり観ていたのか。
「そうね。わたくしも葉月さんにあんな特技があるなんて、知らなかったわ、ホホホ」
―― なんと、お母さままで観ていたのか! まさか、鷹介に掴みかかっていたところまで映っていなかっただろうな…… ――
私はあの試合のことなどすっかり忘れて、それよりも鷹介から聞かされた話に新たな不安を抱いているというのに、今さらになってこんな話題になろうとは思ってもいなかった。
「そこで、葉月さん。今度はちゃんとした形でテレビに出演してくださらないかしら? もちろん正式な契約として、出演料もしっかりとお支払いいたしますわ。
早速ですが、うちの看板番組『ハツコの部屋』に、ゲストとして出演していただきたいんですの!」