嗚呼、女王陛下! (4)
―― 今日はゴメン! 本当は美都季の活躍、うれしかったんだよ~。でも ――
そこまで打ち込んで、考え込んだ。でも……なんだろう。
―― 神部鷹介は、本当はゾルザックという敵なんだよ。美都季に近づいたのは下心ありありなんだよ ――
そんなこと、書けるわけないじゃないか! だからといって、
―― 神部鷹介はなんとなく気に入らないから、近づかないで! ――
なんて曖昧なコトも言えないし。
しばらくスマホの画面とにらめっこしたあと、当たり障りのないことを打ち込んだ。
―― なんか、自分が疲れちゃってたんだ。今度、盛大にお祝いするからね! おめでとう! ――
それ以上考える気力もなく、送信。
鷹介のことはそのあとだ。まずは美都季と仲直りしておかなくては。その隙を狙ってヤツは美都季に近づくに違いない。
送信するやいなや美都季の返事を今か今かと待っていたが、相変わらず変化なし。
そんな悶々とした気分は、バタバタと騒がしく階段を上がってくる音とハイテンションな声で吹き飛んだ。
「葉月さん! 葉月さん!」
ドアを盛んに叩きながら三洗さんが叫んでいる。アドリエンヌさま……いやアドルを三洗さんに任せて自分の部屋に戻ってきていたので、アドルを洗い終わったという報告なんだろう。アドルに何かあったのだろうか?
慌ててドアを開けると、正面に三洗さんの嬉々とした顔があった。
「葉月さん! ちょっと、ちょっと。とにかく、いらしてくださいっ!」
三洗さんは何をどう言ったらいいのかわからないらしく、とりあえず私の手首をひっしとつかんで早足で歩き出した。私は三洗さんに引き摺られるように階下へ下り、玄関を出て裏庭に回った。
善吉の横に真っ白な犬がいる。ゴールデンレトリバーの善吉ほど毛足は長くないが、ふわふわと柔らかい細い毛が全身を覆っている。目やにが落とされてきれいになった眼は青みがかった澄んだ色をしている。そして、犬に使うのもおかしいが、とても『端整な』顔つきなのだ。犬種は分からないが、とにかくきれいな犬だ。
「見てくださいよ! イケメンにしてみせます、とは言いましたけどね、ここまできれいな仔だとは思いませんでした。これなら奥様も飼うことに賛成してくださいますよ」
やはりアドリエンヌさまの高貴さは犬になっても変わらなかったのだ。善吉などはアドルの方を向いて主に従うように体を伏せている。直視しては失礼だと思っているかのように上目遣いにアドルをちらちらと見ている。
「善吉もひと目見て驚いたらしく、さっきからこんな調子です。この年になって恋しちゃったのかな? あ、でも雄同士でしたわね~」
三洗さんはそんな冗談を飛ばしながらカラカラと笑う。汚いものを綺麗にすることに執念を燃やす彼女は思わぬ偉業を達成したことでずいぶん興奮しているようだ。
そうだ。やわらかく波打つ金糸の髪に、透き通るような肌、深く蒼い瞳。聡明な顔立ちに、優雅な立ち居振る舞い。絶世の美女として諸国に知れ渡っていたアドリエンヌさまのことだ。人間に転生していたら、さぞかしお美しかったはずだ。いや、そんな美女(美男?)であったらこの世界でも世間の注目を集めていたに違いない。犬に生まれ変わったのは正解だったのだろう。
「良かったわね、アドル。三洗さんのお蔭で元の姿に戻ることができて」
「まあ、葉月さん。もうワンちゃんのお名前考えていらしたんですね! それでは早速奥様に直談判に参りましょ!」
自分の功績を皆に知ってもらいたいという気持ちも強いのか、三洗さんのほうが母を説得することに大乗り気だ。颯爽と裏庭を出ていく三洗さんに苦笑いをしつつ、私はアドルとともに彼女の後を付いていった。
三洗さんは玄関に行かず、母が桃子とともに寛いでいるであろうテラスへと向かった。母は夕食前のひとときをそのテラスで寛いでいることが多い。
三洗さんの狙い通り、桃子を膝に乗せた母がテラスに置かれたロッキングチェアを揺らしていた。
「奥様」
突然思わぬところから呼びかけられて、母は驚いた顔をした。
「三洗さん! そんなところで、どうしたんです?」
問い掛けられて、待っていましたとばかりに、三洗さんはさっと横によけて背後にいたアドルの姿を母に晒す。
「どうです? この仔、とってもきれいな仔ではございませんこと?」
「あの薄汚い野良犬につづいて、また犬を連れてきたんですか?」
「奥様、この仔はどう思われます?」
「ま、あ……。あの不潔な野良犬に比べたら、よほど清潔で綺麗ですし、なかなか頭の良さそうな顔つきね」
「そうでしょう? 頭がとても良いんですよ。まるで人の言葉が分かるみたいに」
私ははっとしてアドルを睨み付けた。
アドルは三洗さんが身体を洗ってくれているときに何か話しかけられて、思わず理解しているような反応をしてしまったのだろう。まさか言葉をしゃべってしまったわけではないだろうな。
私の言いたいことが分かったのか、アドルが必死で頭を振った。
「そう、そんなにお利口さんなの。桃ちゃんを躾けてもらいたいくらいね」
本来犬好きの母は、そんな冗談まで言うほどアドルに好感を抱いたらしい。桃子は母の腕の中でキッとアドルを睨み付けたが、すぐに舌を出して嬉しそうにはっはと息を吐いた。そしてするんと母の腕から抜け出ると、アドルの足許に擦り寄っていった。
犬の世界でもやっぱり不特定多数にモテる『イケメン』は存在するんだろう。あの気難しくお高く止まっている桃子が、メロメロの様子で盛んにアドルの前を行ったりきたりしていた。さっきはあんなに吠え掛かっていたくせに現金なものだ。
しかしそれを見て、母も納得したようだ。
「桃ちゃんがこんなに懐くなんて、珍しい! 分かったわ。善吉の小屋の横にこの仔の小屋も用意してあげて、三洗さん。
ところでさっきの汚い野良犬は追い出してくれたのかしら」
「いいえ、奥様。それがこの仔なんですよ。本当はこんなきれいな犬だったんです。この三洗カツ世の腕に掛かれば、どんなに汚れているものでもピカピカにしてみせます!」
三洗さんはその腕前を自慢したくてうずうずしていたのだろう。腕まくりをして二の腕をパンとはたいてみせた。
「……そ、そう。さすが三洗さん。ま、あ、不潔じゃなければそれでいいわ」
母は仕方なくといった感じで頷いた。三洗さんの魔法の腕には一目置いているが、目の前の美しい犬がさっきの野良犬だったとは俄かには信じられないようだ。しかし自分でも言っているとおり『不潔』でなければそれでいいのだ。
母が承諾した途端、思わず三洗さんと私はハイタッチをした。
「お母さま、ありがとう! もう名まえは決めてあるのよ。アドリ……いえ、アドルっていうのよ!」
私の言葉にアドルが同意するようにばうっと吠える。
「困った人ね、葉月さん。はじめからこういう計画だったのね。アドルはあなたの犬なんですから、あなたが責任持ってお世話してちょうだい」
「もちろん!」
私に強い味方が出来た! 過去の記憶に引っかき回されていた辛い日々に一筋の光が見えてきた!
これでゾルザックとの対決も堂々と受けて立つことができる!
そのとき持っていたスマホがぶるっと震えた。見ると美都季からの返信があった。
―― お祝いはカフェ・ラタンのベルギーチョコパフェ3つね♪ ――