恵那という人 3
2013/10/17 最後の魔法の説明のところを大幅カットしました。ご迷惑をおかけいたします。
学校とは不思議な場所だ。
これだけ多感で、これだけ同じ年代のものばかりが一堂に集う場所など他に例がない。不思議な活気と、家とは違う安心感と、ちょっとだけ、緊張感。
その緊張も一番仲のいい友達が来ていないせいなのだろうな、と青海学園高等部一年、新条清佳は小さく息をついた。馬が合うというのだろうか、あまりきゃいきゃい騒ぐことを好まない清佳と似た性質の少女。それは多分、あの子に話しかける度胸のある女子が少なかったせいもあるのだろう。清佳だって最初に見たときは圧倒された。
自分たちとは違う存在だ、と変な確信をするほど、その子は綺麗だった。
容姿も性格も浮世離れしているのに、こちらを向いて笑う目はかわいくて。清佳はそのギャップにコロッと参ったのだった。
始業前、難解な宿題に泣かされた同級生に勉強を教えながら、清佳はその問題を作った子のことを思い出していた。中等部二年の時病気で二年留年して、そのくせスキップであっさり高等部に入学してきたほど勉強ができるその子は、たぶん、いわゆる「神様に愛されている人」なのだろう。その頭のよさのせいでちゃっかりしている数学の担任から宿題を作る役を仰せつかって、腹いせにか、一回に一問くらい「これでもか」というほど難しい問題を出すところは実に親近感がわく。最初にその割を食うのは生徒たちだが、その問題を説明しなければならない担任にも間接的にダメージを与えている。見事だ。生徒からしてみれば「断れよ!」というところだろうが、天然でまじめと言うある意味最強の彼女の性格を知っている清佳やクラスメイトからすれば実に「らしい」報復方法である。
(今日、来るかな?)
来てほしいな、と思う。あの子は休みに会ったっきり、二日、学校を休んでいる。その二日の内にあったことを話したい。清佳は妙に楽しげに含み笑いをした。
「……清佳? どうしたの?」
「んー? 恵那、今日こないかなーって思ってね」
必死で問題に取り組んでいたクラスメイトは、ああ、と笑って、こちらも楽しそうな笑いを浮かべた。しかしその「楽しそう」と言うのは、純粋な意味ではなく、若干、黒い。もっと言うなら何やら企んでいるような「楽しそう」なのである。
いったい何があるというのか。
二人とその周囲数人が似たような笑いを交わし合った時、がらっと音を立てて教室の引き戸が開いた。
「おはよう」
噂をすれば影、である。
男女問わず、すでに登校していた全員の目がきらりと光ったのは錯覚ではなかろう。
一方恵那は昨日千早に言った通りに学校に来たはいいものの、教室の扉を開けた瞬間異様な雰囲気を感じ取り、踏み出しかけた足をびくりと止めた。なんだろう、何かものすごく嫌な予感がする。今すぐ回れ右して「さようなら」と言った方がいいような。
「え、と」
清佳を含むクラスの全員の視線が集まっているのを見た瞬間、心は決まった。
「お邪魔しました」
『ちょっと待ったー!』
ばっしーんと扉を閉める直前、近くにいたクラスメイト数人の手が伸びる。一瞬の躊躇が敗因。敵前逃亡はあえなく失敗し、恵那は教室に引っ張り込まれた。進学直後は恵那の存在感に戸惑っていたクラスメイトも、清佳と屈託なく話す恵那を見て気さくな中身を知ったらしく、今ではこんなことも平気で出来るくらい仲がいい。言いかえれば遠慮がない。
「ちょ、ちょっと、何!? なんでみんなそんなに笑顔なの!?」
クラスのほとんどがにこにこにこにこ、形容詞をつけるとしたら「イイ」笑顔である。ごくわずかな例外が非常に気の毒そうな顔をしているのがものすごく気になるんですけどっ!
どうにか逃げようとしてもかなわず、恵那はぽすんと自分の席に座らされた。ちなみに彼女の席は六×五列の席順のうち、窓から三番目後ろから二番目である。その周りをぐるりとクラスメイトが取り巻いていて、見上げた先、清佳が「こほん」と咳をした。
「えー、青翔祭演劇の部、1-A主演女優に拍手っ!」
わーっと周りが湧いて、恵那の目が点になった。
青翔祭。それは夏休み明け、十月に行われる青海学園の学園祭だ。幼・初等部と中・高等部がそれぞれ合同で二日ずつ、中日に一日、計五日にわたって行われるこの学園祭は、毎年一般の来場者数が五桁の大台に届くお祭りだ。それは青海学園の活発なサークル活動と、国立私立問わず、有名大学進学率が半端ではない有名進学校としての矜持と、それから私立ゆえの豊富な財源も相まっての功績である。その中でももっとも集客に貢献しているのが、普段はあまり意味のない最新鋭の舞台装置を備えたホール――正式名称「オーシャンメモリアルホール」で行われる生徒主催の演劇なのである。
選出されるのは中・高等部からそれぞれ三クラスずつ。指定日までに劇の概要を生徒会と実行委員会に提出して、その内容を彼らが比較・検討。全二十一クラスの中からそれぞれ三クラスを選び、今度は教師の会議にかける。その二つの関門を通過してようやく開催クラスが決定する、激戦なのである。
初等部、中等部を通して学校行事に不参加だった恵那だが、噂だけは聞いていたので、実際の青翔祭に興味はある。演劇だって見てみたい。
いや、でも、この目の前でにっこり笑っている親友は、今聞き捨てならないことを言わなかったか?
「……主演女優?」
「そ♪」
「……誰が?」
「もちろん、恵那」
たっぷり三秒はフリーズして。
「――ち、ちょっ、人がいない間に何を決めてるの!?」
「恵那以外に主演が務まるわけないじゃん」
あっさり言われて撃沈しかける。いや、負けるな自分!
「欠席日数多くてどれくらい練習に参加できるかわからない人に主演任せられるわけないでしょ?」
言っていて悲しくなるが、清佳は強かった。
「恵那、文章を一度読んだら覚えられるでしょ?」
「それは、まあ……」
「だったら問題なし。台本を覚える時間が減るんだから、あとは実技だけじゃん。それも恵那勘いいからすぐに覚えられるだろうし」
私のバカどうして否定しなかった!
猛烈に悔やんだが後の祭りだ。しゃれにならない。他に何か反対する理由!
その時がらっと扉が開く音がした。
「おお? なんだ、そんなに人だかりを作って、何かあるのか?」
「松永先生!」
焦燥と喜びと半々くらいの声が出た。入ってきたのはこのクラスの担任、松永教諭だった。いつもは恵那に宿題プリント作成を押し付けるにっくき教師であるが、今の彼女にとっては救世主も同義である。人垣の中から必死で声を出す。
「た、助けてください!」
が。
「おお、高麗、来ていたのか。演劇はお前が主役だってな、がんばれよ!」
さわやかな声に止めを刺され、恵那はばったり机に伏した。「ほらほらお前ら、ホームルームはじめるぞ~」と人垣を追い散らす松永教諭は、まだ三十代と若いせいもあってか生徒のやることに理解を示す、いわゆるいい先生なのだが……。
こんなことまで理解しなくていいのに! 「うう~」と呻る恵那の耳元に、こっそりと清佳が耳打ちした。
「もちろん松永センセも口説き済みだからね」
「いやー、センセに監督お願いするって言ったら簡単に釣れたわ」と語尾にハートマークでもついている口調で暴露され、席に戻る背中に恵那はむなしく叫んだ。
「う、裏切者ぉっ!」
「あ、もちろんこのこと先輩とか中等部にもリークしてるからね♪ 逃げられると思わないでね~」
恵那は口端をひきつらせた。自分の外見が学園内でどれだけ知れ渡っているか、うすうすながら彼女も知っている。ただでさえ勝手に写真を撮られたり、やたらめったら交際を申し込まれたりと学園生活に支障が出ているのだ。
そんな学園中に自分が主演だと言っておきながら、もし出ることを拒否したら。
「ひ、卑怯者――――!」
「おほほほほっ、清佳様とお呼びっ!」
二日の間に親友たちによって外堀が埋められていたことを知り、恵那はむなしい絶叫を響かせた。悪乗りした清佳の哄笑に本気で泣きたくなる。
空也と秋があんなことをしなければちゃんと学校に来れてたのにぃっ! と涙目になる。だが、来れていたとしても、親友を筆頭としたクラス一丸の攻勢を退けられたかと言えば……非常に怪しいものだということには、目をつむっていた。
* * *
同時刻、アイズ中央管制室。
「……あれ?」
ぴぴっと軽度の警告音が響き、ある端末を監視していた女性はすぐさま詳細を調査した。しかし「該当現象なし」と返ってきた画面に、腑に落ちない声を上げる。
「どうした?」
「あー……ほら、またゴースト反応。なんなのかな、一体……」
隣にいた男性と話していると、中央の吹き抜けから空也が飛んできた。
「今のアラートはなんだ?」
「って、空也さん、ここは魔法使用禁止です!」
何せアイズの心臓がある部屋なのだ。それに害を及ぼしかねない魔法の類は、たとえ些細なものであれ一切が禁止されている。魔法使いにとって片腕に等しい剣も持ち込み禁止だし、魔導杖は発動禁止だ。
それを賢十会が破ってどうする! という非難だったのだが。
「使ってない。使わなくても二階層くらい跳べる。そこまでなまってないって……。――で?」
女性(純人間)はちょっとだけ遠い目をした。それは、あれか、純粋な身体能力だけで約六メートルの距離を垂直に跳躍できるという意味か……。
何かものすごくモノ申したかったのだが、魔法使いに人間の常識は通じない。人間社会のころの意識を保つだけ馬鹿を見ることになるのだ。ちょっとだけ首を傾けて待つ相手に早々に抗弁を諦めた。
「外部の探知機が微弱な魔力反応を感知したんですが、式、陣、どちらの反応もないんです。特に磁場に乱れもありませんでしたから、おそらく誤報かと……最近よくあるんです」
「ゴースト反応」とか呼んでいるんですけど、といささか辟易気味の女性に、「エナが帰ってきたら見てもらおうよ」と声をかける男性。その前、空也はすっと目を細めた。
「微弱な魔力反応があったのに魔法反応がない――?」
つまりそれは、式も陣も通さず魔力だけを垂れ流したものがいるということ。
その反応があれば、ふつう疑うのはまだ魔法に慣れない魔法使いが失敗した可能性だ。なぜなら魔法は式を展開したうえで必要な魔力を精霊に与えるという二段階のプロセスを経て現象となって発現する。精霊を介さない魔法は、今のところ魔力飽和現象によって起こるものしか確認されていない。だから微弱な魔力の放出など何の意味もないことなのだ。
だけど、と空也は考える。あまり知られていないことだが、微弱な魔力反応を伴うことが一つだけ、ある。
(いやしかし……)
「……? 空也さん?」
柳眉を寄せて何か考えている空也を不審に思ったのか、女性が声をかけてきた。空也はちらりと彼女を見て、端末を見る。
「……この時期、憂いはできるだけ払うべきか」
ひそりと口の中だけでつぶやき、改めて目の前に焦点を合わせなおした。
「悪いけど、そのゴースト反応のデータ、まとめて俺の端末に送ってくれないか?」
「それは、かまいませんが……」
二人は顔を見合わせ、仕事の顔で尋ねてきた。
「何か心当たりが?」
「ああ、ちょっとな……“予言の夜”からまだ四年しかたってないのに、まさかとは思うんだが」
魔法族の戦争に参加した、ほぼすべての魔法使いが覚醒した力食の日。日本にいたものなら、あの夜に覚醒したはずなのだが。
「アーバに来た魔法使いが人間に受肉して、青年期に覚醒する時、よく観測されるんだ。微弱な魔力の放出がな」
気のまわしすぎなら、いいんだが。空也は最後にそう付け加えた。
2013/07/10 題名追加しました。
2013/10/17 加筆修正