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聖石物語  作者: 湯兎(ゆうさぎ)
第一章
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恵那という人 2

「ああ、クソ――」

 目の前から恵那の姿が消え、千早はらしくなく悪態をついた。今のは完全に自分の失敗だ。平常心を取り戻せず、あろうことか上司に八つ当たりしてしまった。

「ガキか、俺は」

 苛立つままに髪をかき乱す。相手に嫉妬(?)したから当たるって、どこの中学生だ。


 最後に垣間見た表情が()の裏にちらつく。いつもは無邪気で好奇心旺盛でついでに仕事熱心で、熱心すぎて副官(じぶん)の仕事までかっさらっていくきらいはあるがどこにでもいるような女の子なのに――一度笑顔が消えてしまえば、その神がかった容貌が言葉をかけるのを邪魔する。


 知っているはずの人が、突然異質なものに変化したような違和感。


 手を伸ばしても、声を()らしても、決してこちらを振り向かせることができないような――どうしようもない、無力感。


 そうだ、と反省する頭の片隅で声がする。あの人は得体が知れない、と。


 アイズは賢者十人会と呼ばれる最高幹部会の下に戦闘、医療、情報、三つの系列隊が置かれている。最も人数が多く、最も表に立つことが多いのは当然戦闘系列隊で、次点が医療系列隊。ほぼ完全に内部のことだけに関わるのが千早の属する情報系列隊だ。

 人数も少なく、人間の割合も高い情報系列隊だが、いわゆる縁の下の力持ち的な役割が仕事だ。各設備の整備点検のほかに、アイズが保管する膨大な文字資料を管理しているのもここだし、全組織員の個人情報を掌握しているのもここなのである。


 けれど。その第二分隊副隊長という権限を持ってさえ特秘扱いで開示権限のないデータ――それが、高麗恵那、登録名称リルティアナ・フレイアの個人情報なのだ。


 第二分隊隊長。ノアの管理者で、最高司令官高麗祥鋭の義妹。人間であるはずなのにたやすく聖石を使いこなし、禁止事項を侵しても全く注意を受けない。初めは代々優秀な魔法使いを輩出してきた高麗一族のものだからかと思ったが、祥鋭や他の上層部の者に直接会うことが多くなってその考えは否定された。彼らはアイズの風習を完全に踏襲(とうしゅう)している。つまり――評価を左右するのは実力のみ。

 上層部から、特に佐川空也や水津風秋からなどはよくかまわれているが、なぜか古参の組織員は彼女の存在を疎んでいるようなそぶりがあり、それ以下の戦闘専門の魔法使いときたら明らかに彼女におびえている。――そう、先ほどのように。


 はっきり言って、わけがわからない。


「……だからって今のは違うだろ……」

 何とも言えない後味の悪さが広がる。傷つけたいわけではないのにどうしてうまくいかないのか。

 苦さをため息にのせた時、後ろから声がかけられた。


「苦労しているみたいだな」

「っ、空也様……!」

 先ほど恵那に引っ張られて曲がった角にいた空也は、苦虫を百匹ほどまとめてかみつぶした顔をした。

「と、失礼しました、空也さん」

「お前も融通きかないよなあ……呼び捨てでいいのに」

「性分ですから。諦めてください。なんの用でしょうか?」

 多少つっけんどんな言い方になってしまい、またかと自己嫌悪が走る。先ほど恵那で失敗したばかりなのに、また同じことをするつもりか。


 しかし今度の相手は恵那ほどデリケートではなかった。「おや」とばかりに柳眉を上げて、ほんの少しだけ唇の端を吊り上げる。千早は一瞬、不覚ながらその笑みに見ほれた。


 有無を言わせぬほどの美形――。

 人でいられるギリギリの境界線。これ以上何か一つ「美」を加えたなら彼らはこの世の人ではなくなる。それほどふざけた思いがよぎるほど、彼らの容貌は人間離れしていた。いや、空也は純血の魔法族なので、厳密には人間ではないのだが。


「言われたとこが終わったからな。新しく指示をもらいに来たんだが……」

「そう、でしたか。それでは、恵那に……」

 言いかけて、止まる。気まずげに視線を泳がせた千早に、空也は今度こそ苦笑を向けた。

「恵那の副官は大変だろう?」

「……ええ、まあ、思っていた以上に」

 少なくとも、仕事を押し付けられることはあっても、取られることになるとは思わなかった。


 純血の十八歳の人間を情報分隊副隊長にするという、却下されてもしょうがない人事を断行したのは今目の前にいる空也と、それから誰であろう最高司令官その人だ。魔法使いは前世――といえるものの記憶が残っているので、今生(こんじょう)で十八歳でも侮れない人生経験を積んでいる者も多いが、千早にそんな特殊技能はない。しかも隊長は十三歳の人間。

 辞令が下りた時、本気かと彼らの正気を疑ったのは今でもはっきり覚えている。


「そういえば恵那があなたたちらしくないと連発していましたよ」

「あー……だろうな」

「よっぽど苛立つことでもあったのかと――そうなのですか?」

 否定を前提に尋ねたのに、空也はふっと表情を消した。千早は逆に驚かされる。

「まさか、本当だったのですか?」

 単純に失敗したのだと思っていたのに。そういうと、相手は非常に複雑そうな顔をした。呆れようか笑おうか迷って、結局どちらにもできなかった、というような表情だった。


「……まあ、お前にとっては他人事みたいなもんなんだろうけどな。俺たちは四年前まで戦争をしていたんだぞ?」

 四年たったとはいえ、その記憶はいまだ生々しい。模擬戦ごときで制御を失敗していたら今頃彼らは生きていない。


 千早も自然と背筋が伸びた。人間の間で起こった七十年前の大戦とは別に、魔法族は気が遠くなるほどの大昔からつい四年前まで戦争をしていたのだ。同じ血を宿す種族を二つに割って。

 陰謀によって分かたれた種族はお互いを恨み、憎み、理由が時のかなたに忘れ去られても戦い、殺し合った。神々の介入によって「境界の壁」が作られ、アニルで大規模な戦争ができなくなってからは、地球に舞台を移してまでして――戦争を続けたのだ。魔法族が自らを戦闘民族と称するのはこのためである。


 血を血で洗う戦争が終結したのは、四年前。終戦に至った詳しい経緯には興味がなかったため覚えていない。ただ、目の前にいる青年もその戦争に主戦力として参加していたことは知っている。今生も、前世でも、それこそ何億という時にわたって――。


「幾代にもわたって刻まれた感覚はそう簡単に消えやしない。一昨日のは、純粋にミスだ。二人して憂さ晴らしだったからな、修練室でやってるってことをつい失念しちまった」

「憂さ晴らし……」

 千早が神妙な顔で繰り返した時、ピーッと機械音がした。


 二人が同時に自分の通信機を確認する。千早は時計型、空也はイヤリングにしているらしい。自分のには何も表示されていなかったので、着信があったのは空也だ。

 彼は真顔で沈黙していた。イヤリング型の通信機の長所は聴覚にじかに通信を流せることだ。数秒たって、「わかった、すぐ行く」と言う。

「わりぃ、賢十会招集だ。秋と二人、少し抜ける」

「はい、わかりました。……あ、空也さん」

 ふと脳裏に浮かんだ恵那の言葉。思わず呼び止めてしまったことに青くなるが、呼び止めた相手は気にする様子もなく振り向いた。

「なんだ?」

 「なんでもないです」が喉まで出てきたが、空也がこの言葉では引かないことは今まで体験している。いや、今は引いてくれても、ふとしたときに持ち出してくるので始末に負えないのだ。

 ええい、ままよ。千早は早口で尋ねた。


「恵那が、自分のことを“いつ爆発してもおかしくない爆弾”だと言っていたのですが……何か注意することか、対策を取らなくてはいけないことがあるのですか?」

 空也が眉をしかめる。彼はそのまま、魔法使いの言葉でひとりごちた。

〈あの馬鹿、爆発させないために俺たちがいるのに〉

「は?」

「いや。そうだな、あまり注意は必要ない。辞令の時に言った通り、様子が本格的に変だと思ったら俺か、秋を呼ぶくらいで。……ああ」

 最後の「ああ」はいささかトーンが下がっていた。

 青金の瞳がほんの少しだけ、何かの感情を(はら)む。それが何なのか探る暇もなく、空也は言葉を継いだ。

「言ってなかったかもしれないけれど、あいつに対して先々代の話題はやめた方がいい」

「先々代?」

「ああ。俺からの助言はそのくらいだ。……千早」

 背筋に冷たいものが伝った。

 いつもは気さくな雰囲気が名前を呼ばれただけで塗り替えられる。そこに込められたのは、警告か、牽制(けんせい)か。


 やっぱり呼び止めなきゃよかったと心の中で絶叫しつつ、千早は応じた。できるだけなんでもない様子を装っても、声がかすれたのはどうしようもなかった。

「三年も副官やってるからわかるとは思うが、あいつはああいうやつだ。アイズにはわけありが多い。――わかるな?」

 態度を変えるな、と言うのだ。彼女は多少わけありだけれど、どんなことを言ったとしても聞いたとしても、自分が見ているものが本物だと。

「……は、い」

「よし。なら俺はもう行くな」

 千早の返事に満足したのか、不意に圧迫感は霧散した。急に楽になった呼吸に、ひそかに深呼吸する。


 ゲートを開いた空也がそこから消えるのを待って、千早は壁にもたれかかった。額を脂汗(あぶらあせ)が滑り落ちる。――地雷を踏んでいたか。

「ただの妹かわいさ、ってわけじゃなさそうだったな……」

 空也の様子ではかなり根深そうだ。知らずに突っ込んで、思いっきりくぎを刺されてしまった。それにしても、言葉一つであそこまで危機感を与えてくれるとは、さすがと言うべきなのだろうか。


「先々代って、大戦介入をした人だっけ……?」

 呼吸を整えつつ、先ほどの会話を思い返す。アイズの当代は祥鋭、先代はその父親で、その前は正確には祥鋭の母方の祖母にあたる人物がいるのだが、彼女は比較的短い間だけだったので(はぶ)くことが多い。先々代と言うと一般的には祥鋭の祖母の兄――すなわち、大伯父にあたる人だ。彼のことを言及するとき、真っ先に挙げられるのが七十年前の大戦への介入。


 それまでの絶対原則だった「人間社会不干渉」を初めて破り、世界規模とはいえ人間間の争いに介入する決断をした当時の最高司令官、だということだ。


 不介入派の意見をろくな議論もなく退けたので、当時は喧々諤々(けんけんがくがく)の論争が起こったそうだが、現在では彼の決断を称賛するものが圧倒的多数を占めている。アイズは完全に地下に潜らなければならず、得たものは何もなかったわけだが、大戦によって地球が取り返しのつかないダメージを負うことも避けられた。だからあそこで介入した彼の決断は正しい、と。


(確か十年後の完全撤退直前に亡くなっていたな。どうしてだったっけ……)

 まだ四十そこそこ、自然死でなかった気がする。

 記憶をひっくり返した千早は、かなり底にあった一般常識に答えを見つけた。

「……ああ、思い出した」


 聖石の暴発事故、だ。


 魔法使いと同じく恵みを魔力に変える力を持つ神秘の石、聖石。魔法使いにとって身近な魔法具の一つであり、めったに暴走などしないはずのそれがどういう原因だったか、暴発したのだ。それも人間の居住区が集中している場所で。

 先々代その人が聖石から発せられた魔力を抑え込み、最悪の事態は回避したが、その時受けたダメージによって彼は死亡。これが原因でアイズは本来もう数年ほど様子を見るはずだった人間社会からの完全撤退を前倒しにし、姿を消すことになったのだ。


 思い出したまではよかったが、千早は首をひねった。恵那にとっては全然接点のない人物だ。その彼のことがどうして地雷になるのだろう?


 結局増えてしまった謎と釈然としない思いを抱えつつ、千早は仕事に戻るべく中央管制室に向かうのだった。





 *   *   *





 館内転送で祥鋭のもとにやってきた空也は、周囲を見回した。彼の私室の中にいるのは――自分を含め、十人。

「遅かったな、空也?」

「なに、ちょっとくぎを刺していただけさ。遅れてすまない」

 からかったのは秋。同じく軽口で返し、周囲には謝罪する。

 全員がなんらかのリアクションを起こし、しかる後、視線が集中する。この呼びかけをした祥鋭へと。


 赤い目が強い感情に輝く。彼は時間を無駄にせず、単刀直入に言った。

「前回の集まりで言ったことの裏付けができた」

 一呼吸の間に全員を見回して。


 彼は静かに、だがはっきりと、言い切った。




「アニルで戦争が起きる」






2013/07/10 題名変更しました

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