ある日曜日に~アイズ編~
アイズの歴史は結構古い。
丁寧に保存された文献を紐解けば、その歴史は千五百年をさかのぼる。日本の人間社会の横に不思議が息づいていた時代、迫害された異能力者たちが作り上げた集合体。それがアイズの前身だ。人間がその数を増すにつれ地球の磁場が不安定になり、魔法族が多く地球に落ちてきてしまったため、その魔法族たちも保護していた。そうしているうちに魔法族:人間間の比率が逆転し、日本が江戸を中心に栄えていた時代、アイズという魔法使いの組織が設立したのである。
地球に落ちてくるとは何ぞや? と思った方は多いだろう。魔法族が地球外生命体であることは本人たちが言っている通りだ。
しかし、その故郷は地球外の「惑星」ではない。
「時乱流」と呼ばれる壁に隔たれ、地球と隣り合うようにして存在する異次元空間。その空間そのものが、彼らの故郷、アニルなのである。
魔法族がアニルを星と思えないのにはいくつかわけがある。まず、アニルには太陽がない。光はあるし気温の変化もそれなりにあるのだが、「空に輝く恒星」というものは存在しないのだ。
同時に「あたりが真っ暗になる夜」は基本的に存在しない。何千年かに一度、世界中が闇に包まれる時は世界から恵み――魔力のもとが消える。これは「力食」と呼ばれる現象で、アニルにおいては大災害と同義だ。人間が酸素をエネルギーにしているように、魔法族も恵みをエネルギーにしている。その恵みが世界から消えるのだから、この時魔法族は平均して二人に一人は死ぬことになる。最近では力食の前兆が捉えられるようになり、対策がとれるようになってきたが、天変地異クラスの天災であることは違いない。
決定的なことには、アニルは球体ではない。
つまり、昔の人類が思い描いていたように真っ平なのである。
アニルは大部分が荒野だから文字通りの真っ平だ。なにせ山脈が一つしかないほどの平野が続くのである。地の果てはどうなっているのだろうと興味を持ったものがまっすぐ地の果てに向かったことがあるが、行けども行けども果てがない。かといって出発地点に戻ってくることもなかったし、出発地点から傾斜も確認できなかった。つまり本当に平らだったのである。これで星だと言い切れる方がすごい。
現在ではアニルは異次元一つ丸ごとにできた世界なんだという説が定説になっている。
次元一つがまるごと世界なのだから、その安定度は地球とは比べ物にならない。アニルは大海そのものであり、地球は大海(アーバ)にちまっと浮かぶ小舟のようなものだと想像するとわかりやすいだろうか。
そして困ったことに地球とアニルをさえぎる時乱流には時たま自然に穴が開く。その穴の周囲に何かあればその「何か」は安定した側から不安定な側へ、つまりアニルから地球へ「落ちて」行く。魔法族には突出した環境適応能力があるので、地球に落ちても死ぬものは少ないが、問題はその後だ。
この地球では不安定ゆえに、アニルほど魔法が使えないのである。
無理に魔法を使おうとすると世界が揺らいでしまう。先のたとえで言うと、海で泳ぐものがあっても海が壊れることはありえないが、小舟で暴れるものがあれば船は転覆してしまうようなものだ。小さな魔法ならばともかく、大規模な魔法はとても使いにくくなる。その上で時乱流に無理やり穴をあけて次元間を行き来できるほどの魔法使いとなると、本当に稀少だった。だからこそこちらに落ちてきた魔法使いたちは早急な対策を求められた。
そしてそれがすなわち、アイズ設立につながるのである。
意図せずして地球に来てしまった魔法族の保護機関であり、彼ら魔法族が人間と軋轢を起こさないようにする監視機関。それが、今も昔も変わらぬアイズの意義であるのだ。
* * *
アイズ本部の中にある恵那の自室はそれなりに広いものだ。
しかし「T」の字になった三間続きの一室は機械類がごちゃっと占領していて、残る二部屋のうち、手前の部屋はリビング兼応接室、右奥の部屋はベッドルームになっている。本部暮らしの構成員のプライベートルームはベッドルームともう一部屋なので、彼女の部屋は仕事部屋がくっついただけ、ともいえる。
恵那は白と緑を基調にした部屋を通り過ぎ、ベッドルームに入った。制服を脱いでハンガーにかけて、ネイビーブルーのキュロットと白い生地に黒いボタンのシャツに着替える。アイズ中に張り巡らしてある機械のネットワークを管理するのが恵那の仕事だが、時として故障した機械の修理もするため、動きやすい服装は必須だ。最後に「お守り」である石を連ねたブレスレットとIDを兼ねた時計を付け直して、準備完了。
「じゃあ、出勤しますか。――中央管制室へ」
恵那の声に反応し、館内転送用のゲートが開く。
「――まったく、なんてことしてくれたんです!」
転送直後にそんな怒声が飛んできて、恵那は思わず亀のように首をひっこめた。な、何かしたっけ。
「あ、お疲れ様です、エナ」
「お疲れ様。……私、何かした?」
「はい?」
「だって今の声」
端末の前に座っていた女性はすぐに「ああ!」と手を打った。何とも情けない顔の恵那に破顔して。
「違いますよ、エナじゃありません。千早副隊長が怒っておられるのは……いえ、実際に行ってみる方が早いでしょう」
どの道報告しなければならないことですしね――そう言って女性は苦笑した。自分ではないという言葉に力を得、恵那は奥の方に向かう。
この部屋、中央管制室はわかりやすくいうならドーナツを三つ重ねた形をしている。円形のフロアの壁際には大量の計器や端末が設置され、情報系列隊に所属するものたちがそれらを監視している。そして中央には大きな穴が開いていて、そこに三フロアを貫く巨大な塔が鎮座しているのだ。
この物体こそ、アイズが誇るメインコンピュータ「ノア」。
広大かつ複雑なアイズの全システムを統括する最重要機関。一人の人工知能と一人の管理者によって動かされる、アイズの心臓である。
恵那が見当をつけたのは管制室の最下層、ノアの端末のあたりだった。上から覗き込んでみるとやはり何やらざわついている。しかし上からだと何が起こっているのかよくわからないので、恵那はあわてて下に降りた。
「どうしたの? ――って、あれ?」
ぱちくり、黒い瞳を見張る。そこにいたのは四人。先ほどの怒声の主は情報系列隊第二分隊副隊長――つまり恵那の副官である青年、千早(ちはや)。アイズに珍しい純血の人間である彼は腰に手を当てて憤慨している。そしてその手前、恵那に背を向ける形で怒られていた三人がそろって振り返った。
まず目が引き寄せられるのは、真ん中にいた人物。
清流を思わせる青みがかった銀髪。蒼い瞳には金が散り、その容貌は出会う人間を片端から魅了するほどの美貌だった。恵那と並んでも全く引けを取らないほどの美形だと言えば想像できるだろう。
アイズ最高幹部会、賢者十人会第三位、佐川空也(さがわ・くうや)。
内包する魔力は神をもしのぐと謳われる、アイズの切り札のうち一人である。
いや、切り札というならば彼もそうだ。恵那の目が空也の左にいる人物に移った。
赤みを帯びた黒髪、黄褐色の瞳。空也と比べたなら劣るものの、整った容貌は人間的な温かみを感じさせる。魔法族と人間とのダブルであるが、その欠点を補ってあまりあるほどの努力を重ね、「当代一の式使い」と呼ばれるに至った青年、水津風秋(みなつかぜ・しゅう)だ。彼も賢十会の一員で、単純な序列は空也に次ぐ四位。剣の空也、盾の秋、という具合にアイズの双璧として知られている。
そして。恵那の視線が最後の一人を捉えた。
高麗祥鋭(こうらい・しょうえい)。肩でくくった背の中ほどまでの黒髪と地球においては高麗家特有である赤い瞳を持つ彼は、その強烈なカリスマ性で癖の強い面々を束ねるアイズの最高司令官。実力がなければ蹴落とされても文句は言えないこの組織にあって、絶対的な信頼を寄せられている指導者である。
その三人がそろって中央管制室にいて、しかもなぜか自分の副官に叱られているようなのだ。さすがの恵那も状況を判じかね、均等に「何やっているの?」という目を向けた。三人は気まずげに視線を交わして。
「恵那、悪い!」
「すまない」
「いや、ほんとごめん」
――と、いきなりそろって頭を下げた。
「え、三人で一体なにしたの?」
少なくとも今のところ謝られる心当たりなどない。端正な顔に最高に気まずそうな表情を浮かべた空也が小さく答えた。
「……八層第一修練室の計器、壊しちまった」
「八層第一修練室? 被害状況は?」
最後の言葉は千早に向けたものである。恵那に目礼した彼は近くのモニターに映像を映すように頼むと。
「修練室内部、管制室問わず、計器類は残らず大破。シールドと結界を貫通した衝撃波のせいで付近の配線系統にも異常が出ています。現在は該当範囲を立ち入り禁止にして、とりあえず配線系統を優先して修復をさせています。人的被害はなし。本部結界、浄気結界、各小結界も急いで調査させましたが、今のところ、異常は報告されていません。――ああ、映像出ます」
目の前のモニターにぱっと映し出された情景を見て、ただでさえ呆れていた恵那の目が真ん丸になった。
修練室は普通、魔法による模擬戦が行われるため、どこでも高出力のシールドと結界、科学と魔法の二重防壁が徹底している。しかも八層第一修練室は本部にある中で一番大きい、数十人単位の模擬戦に耐えられる修練室だ。それが。
ここまでどうやって壊した、というありさまだった。
縦横千メートル、高さ四十メートルの室内は黒焦げ、壁の補強板はところどころが剥がれて傷ついた配線がむき出しになっている。理論上の数値では10メガトン級の水爆の威力にさえ耐えられる部屋であるのに、一体何をしたらここまでなるというのか。恵那は白い目を犯人と思われる二人に向けた。
「いや、つい夢中になってしまって」
「警報が鳴った時はもう手遅れで……」
「悪い、止められなかった……」
上から順に、秋、空也、祥鋭である。恵那は深々とため息をついた。
「祥鋭さんは悪くない。空也と秋が遊び心抜きでぶつかったら祥鋭さんには止められないもの」
魔法使い同士で模擬戦をやるときには、やりすぎ防止のために歯止め役を置くのが決まりである。が、本気を出したら一瞬で地球を蒸発くらいはできる二人だ。これでもかなり抑えたのだろうが、魔法使いとしては一般的な祥鋭では二人は止められない。――つまり、「つい」模擬戦に夢中になって「つい」加減を忘れた二人が全面的に悪い。
恵那は悲しげに映像を見た。
何度見ても状況は変わらないのだが、やはりため息は出てしまう。
「……全面改修、かな」
「第二分隊総動員でも一週間はかかるでしょうね」
追い打ちをかけるような千早の言葉に遠い目をしてしまう。ああ、また欠席日数が増える。恵那はきっと元凶二人を睨んだ。
「ペナルティ。復旧手伝ってよ、二人とも」
妹のようにかわいがっている恵那の視線を受け、空也と秋は意図せず同時に「お手上げ」した。
どう考えても彼らに情状酌量の余地はなかった。
今日はちょっと極端だったが、アイズと人間社会、二つの世界を掛け持ちする恵那の日常は、おおよそこんなふうに過ぎて行っていた。
2013/07/30 単語修正 トレーニングルーム→修練室
2013/12/16 削筆修正