表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖石物語  作者: 湯兎(ゆうさぎ)
第一章
2/44

プロローグ

 夜のとばりが下りた世界。星の祝福を拒むように煙を吐き、大気を震わす工場群。

 その全景を一瞥で収められるほどの上空で、静かに異変は起こり始めていた。


「最高司令官。ここにいる者たちも含め、ナンバーズ二十一名、全員配置完了しました」

 人の身では届かぬはずの空中。そこに何の支えもなく浮かぶ数人の人影。そのうちの一人がもたらした報告に、青年は「そうか」と応じた。

 闇に溶ける黒装束。動きやすさを重視した簡素な衣服に彩りを与えるのは右の手首にきらめく緋色の石と――腰に()かれた、白銀の剣。

 よくよく見れば彼の周りにいる人影も皆、刀剣を所持している。その装いといい、放つ肌を刺すような雰囲気といい、彼らはまるで戦を前にした戦士のようだった。息をひそめて、時を待っている。


 それから数分の静寂が過ぎ――不意に、どこからともなく声が届いた。

――――晶樹(まさき)様。

「聞こえている」

――――はい。対“シュヴァルツヴァルト”攻撃部隊、展開完了しました。


 青年はずっと閉じていた目を開いた。瞼の下から現れたのは闇夜に輝く焔。先ほどと同じく吐息のような声で「そうか」と答え、背後を振り返る。

「リョウ。浄気結界は」

「いつでもいける」

 十を越えるか、越えないか程の歳の少年が力強く答えた。純銀の髪が彼の周りだけ仄かに照らし出し、深緑の瞳が緋色の瞳を見つめ返す。彼もまた、待っている。自らが指導者と認めた相手の命令を。


 青年はおもむろに剣を按じた。


「――最終確認をする。今回の目的は広域殲滅(せんめつ)兵器“レイヴン”及び“シュヴァルツヴァルト”製造工場の破壊、そして両兵器を開発・提供した魔術師たちの排除」


 一点の曇りもない剣先が眼下の工場を指す。ここにいるものも、いないものも、全員が青年の言葉に耳をそばだてていた。


「人間は出来るだけ傷つけず、余裕があるなら建物から退避させろ。各種資料は見つけ次第破棄。小型の設備に関しても同様だ。魔術師は」


 リョウと呼ばれた少年の足元に光が走る。空中に描き出される幾何学模様。その光に照らされ、刹那、青年の目が赤く燃え立った。


「――一人残らず、殺せ」


 酷薄な言葉を吐き出したと同時、目にも留まらぬ速さで剣が振られる。

 剣先から放出された三日月型の一閃が工場の一角を打ち崩して――戦いの火ぶたは切って落とされた。












 鈍い爆発音がいくつも響く。交わされる剣戟(けんげき)。飛び散る血の色。靴音が窓のない廊下に反響し、怒号がそれを邪魔して隠す。


 あちこちで戦いが繰り広げられている建物の、ほぼ中央部。小さな部屋に転がる、小さな影があった。

 揺らぐ床にも、響く轟音にも反応しないそれは、もし明かりがなければただの荷物か何かに見えたかもしれない。けれどいまだけなげに供給される電力のもと、その部屋には白い壁も相まってまぶしいほどの光があふれ、それはその「もの」が何なのかを浮き彫りにしていた。


 それは、十歳ほどの少女であった。


 黄金を()いたような金の髪は背丈よりなお長く床を覆い、(しろかね)を溶かし固めたような瞳は瞬きもせず、虚を見ている。この年頃の子供にしては異様な様子に、さらに畏怖を加えているのが、その薄い背から生えた一対の翼であった。


 真白ではなく、黄金。


 金と銀、魔法族の中でも最高位の魔力資質を表す色――それだけでこの少女がどうしてここにいるのか、だいたいを悟るものは多い。


 ひときわ大きく震動した建物。大気の魔力の乱れに、その少女は茫漠とした視線をわずか、揺らした。あちこちで交わされ、ぶつかる魔法がこの地の磁場を揺るがし、それが少女に痛みを与える。けれど少女は騒ぎもせず、泣きもせず、ただそこに転がっていた。体内の魔力の流れが狂うことによって与えられる痛みは、この世界に誕生してよりほぼ常に彼女の傍らにあった。


 ――と。


 小さな白い部屋の壁がスライドし、一人の男性が現れた。息を切らしたその男性の服はあちこちが血に汚れ、右手に持った魔導杖(まどうじょう)には真ん中ほどに一筋の傷が走っている。

 男性は部屋に踏み入り、魔導杖をもたぬ手で乱暴に少女を引き起こした。突然の闖入者にも反応しなかった少女の体が頼りなく揺さぶられる。

「来い! アイズの連中め、目に物を見せてくれる……!」

 およそ感情の揺らぎというものがない銀色の目がぼんやりと男性に、そしてふと開いたままの扉に向いた。戦いの興奮のためか、はたまた劣勢の現状にか、血走った男性の目が狂気にゆがむ。

「そうだ……この力さえあれば、連中など……!」


「――悪いが無理だな。お前程度の腕では、たかが知れている」


 冷ややかな声が、響いた。


 男性がぎょっとして開いた壁の向こうを見遣る。ここは隠し部屋の、そのまた隠された入口からしか入れない部屋である。いったい誰が、どうやって、と見遣った先――気配もなくそこにいたのは、先ほどまで交戦していた青年だった。

「貴様っ……!」

「剣も翼も魔導杖も、その硬度は主の魔力に正比例する。俺の一撃でそこまで損傷したんだ。それだけでお前の実力は知れるさ」


 それなりの魔法使いであっても、我らアイズには通用しない。


 言葉の合間に男性が放った火球を、青年は携えた両刃の剣で両断した。その無造作さに現れるのは青年が語った通り、彼我(ひが)の力の差。


 深紅の瞳がちらりと少女を捉え、端正な顔が苦々しげに歪んだ。

「遅かった、か」

 青年の視線で切り札を思い出した男性は、あわてて命令を下そうとした。しかしそれよりはるか速く、一息に間合いを縮めた青年が男性の肩を刺し貫き、壁に縫いとめた。


 絶叫が上がった。


「あ、あ、あ、肩、がああっ……」

「……普段他人を傷つけるものほど、己の苦痛には敏感だな」

 表情とそっくり同じ調子で吐き捨てた青年は剣から手を放した。男性をそのままにしゃがみ込み、倒れた少女を抱き起こす。虚無の銀と燃え立つ深紅が交差し――深紅に、逡巡(しゅんじゅん)が浮かんだ。

 口を開き、閉じ。再び開いても音を紡がないまま、唇をかみしめる。一連の様子が銀の瞳に映り込むが、やはり少女は何の反応も示さなかった。数秒ののち、青年は何か覚悟した様子で立ち上がった。


 いったん少女を部屋の外に連れて行く。その間に剣を抜こうとあがいていた男性だが、魔導杖と同じく、持つ者の魂と直結した魔法具である剣は決して主の意に背かない。一ミリも動かぬ間に青年が戻ってきた。


「答えろ。あの子の真名(まな)を」


 柄をつかみ、軽く動かす。再び上がる醜悪な悲鳴。

「あの子を殺気石(せっきせき)もなくここに置いていたなら、お前たちはあの子の真名を押さえていたはずだ。それを教えろ。……そうすれば命だけは助けてやる」

 最後の言葉に飛びつく。男性は悲鳴の合間、その言霊を放った。その瞬間わずかに震えた大気が、それが真であることを示している。

 それを確認して青年は剣を引き抜いた。痛みに騒ぎながらもほんのわずか、安堵を浮かべた男性。彼に背を向けた青年は――しかし一瞬の後、剣を振り切っていた。

 噴き出す血潮と、ぽかんとした表情を浮かべた男性。死を迎えた体が魔力に分解されるのを確認し、青年は今度こそその部屋に背を向けた。剣の血を振り払って。


「命をもてあそぶような研究をしていた魔術師を見逃すはずがないだろう。厄介なことになるとわかりきっているのに」


 部屋の隅に転がっていた魔導杖を真っ二つにたたき折り、その先端に埋め込まれた聖石(せいせき)を回収する。残っている力はそれほどないが、純度が高い。意外な収穫だ。


「待たせたね」

 少女のもとに戻り、声をかけるも反応はない。青年はかまわず少女を抱き上げ、その場を後にした。












「全員戻ったか?」


 眼下にあるそれなりの規模の工場。まじめな表向きの顔を取り繕いながら、その地下で行われていたのは許しがたい所業。ゆえにここは今煙を噴き上げ、その末期(まつご)を飾っている。


 左腕に少女を抱いた青年は、ここを攻めるために編成した部隊、その全員が空に上がったことを確認し、右手首に唇を寄せた。何の変哲もないブレスレット――彼の瞳と同じ色の石に一つ口づけ、つぶやく。


「……アイディン。解放」


 解かれた封印にきらめきが走る。青年の手首から浮かび上がった石は、刹那、光を放ち――それが収まった時、その場に忽然と、杖が現れた。

 青年の身長と同じほどの長さの木の杖。その先端にきらめくのは拳ほどの大きさのアルマンディン。先ほど青年が壊した杖と非常によく似た形状だった。違うのは石の種類くらいなものである。


 それも道理、これは青年の魔導杖であった。魔法使いが人生で最初の魔法具とするのは大概が魔導杖、とすればその形状は自然と画一化されていく。魔力が不安定な卵たちが使うものとして、外見より効果が期待されるのはある意味当然である。


 青年は魔導杖を握った。杖ではなく剣に補助を求めるようになったものとして、久しぶりの感覚である。確かめるように力を入れ、トン、と空中を突いた。

 たちまちに展開される魔法陣。満足げにうなずく。

「下がっていろ」

 周囲にいた仲間たちに告げ、青年はさらに周囲に二つの陣を展開した。これから彼は眼下の工場を、その地下ごと、完全に破壊する。力を循環させ、魔法陣に必要な魔力を注ぎ込もうとした時――。


「……」

 今まで反応がなかった少女が、ふと、細い手を伸ばした。一瞬警戒した青年だが、すぐにその行為の意味に思い至って瞠目する。


「……君はそんなこと、しなくていいんだ」

 少女の小さな手がそっと包み込まれる。杖を放した右手。少女がのろのろと視線を動かし、青年の目を見た。

「しなくていい。君の力は壊すためにあるものじゃない。誰に言われたことでもなく、君がしたいことに、使うものなんだ」

 言葉を理解しているのか、どうか。銀の瞳に揺らぎはなく、青年は再び苦々しさが込みあがってくるのを自覚した。この子は被害者で、犠牲者だ――誰が何を言おうとも。


 ゆるく握った手をおろさせると、意図は伝わったのか、少女が再び手を上げることはなかった。青年が改めて魔導杖をつかむ。その先を眼下に向け、一言。


〈撃ち滅ぼせ〉


 魔法陣が輝き、雷が天を貫いた。


 圧倒的な力を宿した〈神の怒り〉が雲もない空から降り注ぐ。建物を砕き、炎を引き裂き、大地に証する。震える大気に吼える力に青年は満足した。建物の面影も見いだせなくなったところで魔力を止める。


「……その……娘、も、連れ帰るのですか」

 いつの間にか不安げな面持ちの仲間がそばに来ていた。彼の視線は青年が抱く少女に向いている。青年は彼に向き直り、はっきりうなずいた。

「この子はあの大馬鹿どもの犠牲者だ。詳しい処遇は長老会議にかけるが、この子自身には何の責もない」


 ここにいるのは彼らが所属する組織、アイズの中でも上位のものたち。青年に直接忠誠を誓うものばかりだ。その仲間もわずかに視線を揺らしたものの、結局はそれ以上言葉を重ねずに頭を下げる。


 青年は我関せずとばかりに視線を定めぬ少女を見下ろし、小さく息を吐き出した。

「これから、大変だな……」


 青年も、少女も。


 これからとんでもない騒ぎになることは、目に見えていた。





2013/07/28 誤字修正

2013/12/16 加筆修正


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ